「ねがい」06
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二台の馬車は、混雑する街を抜け、郊外に出た。
荒涼とした冬の光景の中をゆく。
「また降ってきそうですぜい!」
御者台からマルガンが言ってきた。空は宿を出た時からずっと灰色で、色を濃くしていっており、確かにいつ白いものがチラチラしてきても不思議はなかった。
馬車の窓からその色合いを見てしまったファラは、あの惨劇の日、腕の中で息絶えていった弟妹の感覚がよみがえり、今度は一転して凍りつき何もできなくなってしまった。
セルイも老人たちも、察してくれたようで無言のまま。馬の足音や車輪の音だけになって、ファラは揺れの中で気絶するように眠りに落ちていった。
――しかし、落ちきる前に、異変が起きた。
「注意! 危険! おかしな馬車! 後ろから!」
音と声。後ろの馬車からルブリューの大声。歌が上手いと言われていたその通りの、すばらしい声と――切迫感。
ぼうっとなっていたファラの耳にも、激しい物音が伝わってきた。地響き、いや馬の足音。複数。疾走。急接近!
「よけろ! つっこんでくる! よけろぉっ!」
すばらしく通る声による警告に続いて、馬車が大きく揺れた。向きを変えようとしたのだろうそこへ、衝撃が来た。車体が大きく傾ぎ、あちこちきしむ音がした。馬のいななきが横合いからした。
「外へ!」
セルイの声に、ファラは一気に覚醒した。ボーリフが老人と思えぬ速さで扉を開き、リダードも老いを感じさせない俊敏さで続く。セルイに手をつかまれ、一緒に転がり出た。
足下は、街道ではなく野原で、斜めになっていた。ファラは尻餅をつき少し滑り落ちた。セルイが踏ん張って止めてくれた。
その手の先、美しい顔のもっと向こうに、知っている顔があった。つい先ほど話題になった相手だった。
「ネラン……?」
ぽかんとしてファラは言った。理解が追いついてこない。
粗末な荷馬車に馬を何頭もつないで、猛然と駆けてきた様子。
こちらの馬車に馬をぶつけて止めた、その荷台から、体格のいい男たちがばらばらと飛び降りてきた。
それぞれ棒や槌など工事に使う道具を手にしている。ネラン以外にも知っている顔がいくつもあった。父親と一緒に働いており家に何度も出入りしていた男たちだった。自分や弟妹たちを高々と持ち上げて遊んでもらったことのある相手もいた。
「いたぞ!」
ネランと目が合い、叫ばれ、八人いる男たちの全員が自分を向いた。
貴族の馬車を狙った盗賊行為ではなかった。彼らは自分を狙い、追いかけてきたのだ。
「何者か! 貴族に手をかけるつもりか、無礼者!」
セルイが怒鳴った。気品あふれる容姿と鋭い声は、子供でありながら圧倒的だった。
しかし――。
「いえ、お貴族さまのお坊ちゃま、そちらのガキを引き渡してほしいだけなんでさあ」
ネランが卑屈な笑みを作って言った。
「何を言うか。この者は私の侍女、ファラ・リスティスだ」
「いえいえ、顔も名前もよーく知ってる娘っ子でございます。そいつはガイアール伯爵さまに逆らい処刑された罪人の娘なんでさあ。悪いことをしたやつの子は、当然罪人でございましょう? ましてお貴族さまに逆らったんですから、その娘はおやじと同じ罪となるのが当然ってもんで。そんな重罪人をうちの街から逃がしたら、このあと伯爵さまによからぬことを企みかねない。だからとっ捕まえてお城に差しだす。俺たち、伯爵さまに忠実なこの土地の民として、当然のことで」
ファラにも理解できた。父親を罠にはめその立場を奪い取っただけではあきたらず、将来しかえしされるのが怖いからと追いかけてきて…………ネラン以外の者たちは、一緒になって父親をおとしいれた一味なのだろう。
つまり敵。かたき。
「断る、と言ったら?」
セルイが言い切ると、ネランの顔つきがスッと冷酷なものに変わった。
背後の男たちにも危険な気配がみなぎった。
「お貴族さまと言っても、しょせんは子供、第七位の木っ端貴族ってやつ。第四位侯爵さまになられるお方に、直々にお声をかけていただける俺の邪魔をするようなら……」
手にする棒を握りしめ、振りかぶった。
八人全員、戦いの専門家ではないが、土木工事に従事しているだけあって筋骨隆々、どの一人をとっても腕力だけなら並の男の数倍はある。
少年たちにひどい目に遭わされたファラは、それ以上の体格の大人たちの、本気の暴力の気配にすくみあがってしまった。
これが自分たち家族のかたき。しかも一番下の連中。
セルイの言う通りだ。自分が刃物を持ちだしたとしても、この中のひとりに傷をつけるのが精一杯。それじゃ復讐にならない。別な力が必要だ。腕力じゃない、ちがうもの。
「みな! 敵だ! 倒してよし!」
恐怖に固まっているファラをよそに、セルイはむしろ嬉々として声を張った。
仲間たちがそれぞれ動いた。強面バルポの怒号と抜いた剣の金属光。ルブリューが美声と共に拳を固めて身構える。馭者台でマルガンが何かを投げつける準備をし、そしてセルイとファラの背後でも老人ふたりが何らかの戦う態勢を整えたようだった。
「すみません、ファラ」
セルイが笑顔で振り向いた。
「あなたの仇のひとりを、ここでやっつけてしまうかもしれません」
「あぶない!」
硬直が解けファラは叫んだ。よそ見したセルイにネランが棒を叩きつけてきたのだ。
セルイはしかし、余裕の笑みをたたえたまま、スッと横に動いてかわすと腕を振った。腰にたずさえていた剣を抜いていた。子供の体格に合った細く短い剣だが、その刃が通り過ぎた後でネランが悲鳴をあげ棒を取り落とし、赤いものがしたたった。
「手首を斬りました。すぐ治療しなければ、あなたがおとしいれたあの者の後を追うことになるでしょう。あなたのせいでまだ魂は風に乗っていないでしょうから、すぐそこで待ち構えているに違いありません」
「ひ、ひぃぃっ!」
手首を押さえ転がり逃れるネランをよそに、セルイは剣をぬぐって鞘に収めると、またファラを振り向き笑った。
「心配してくれてありがとう。でも私は、体の使い方や剣の技も勉強し、鍛え、才能あると認めてもらえているのですよ。なので、あなたを守るくらいはさせてもらいます」
ああ、やっぱりこのひとは神さまだ。ファラはとてつもなく熱い感覚と共に心からそう思った。
仲間たちも強かった。バルポが剣を振るい、ルブリューが拳と蹴りとをひらめかせ舞い踊るように動く。マルガンが多分小石をすばらしい速さと狙いで投げつける。
ネランたちはみなファラに向いていたので後ろから次々とやられていった。しかし正面から戦っても結果は同じだっただろう。
顔だけでも知っている相手が次々と倒されてゆく光景は、ファラにとって衝撃ではあったが、痛ましいとか恐ろしいとかの感情が浮かぶことはまったくなかった。天から来てくださった美しい神さまのお供たちが、悪いやつらに罰をお与えになっているとしか見えない。ファラの口元はみるみる笑みの形につり上がっていった。
「話が違うぞ!」
赤いものを撒き散らすネランが、地べたでわめいた。その前にバルポが立った。その剣は血に濡れている。
あたしにやらせて! ファラは復讐心にかられて前に出ようとし、その言葉も口にしかけた。
「……おかしい」
だがそこで、セルイがつぶやいた。
「話が違う、とは何のことだ? この者たちは、なぜ、追いかけてきた? 私がファラを助けたことを知っていたのなら、貴族宿を交代で見張りつつ街の外で待ち構えている方が自然かつ確実だ。なのになぜ焦って追いかけて…………『話が違う』、つまり何らかの話し合いが事前に……誰と、どういう……そもそもなぜ私を第七位貴族と知って…………っ!」
瞬時にものすごい思索を重ね何らかの結論に達したらしいセルイが、驚愕の顔になった。
次の瞬間、回転した。
鋭い金属音、ひらめく刃。
セルイは再び剣を抜いており、その剣で防いだのは背後からの攻撃であり――。
まだ驚いた表情のままのセルイの前で、剣を手にしていたのは、貴族身分を持つ老人だった。




