「ねがい」05
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「おおむね、わかりました」
セルイが言った。
宿を出立した、その馬車の中だった。
一行の馬車は二台。一台は荷物を積み、バルポとルブリューの二人が乗る。
もう一台はマルガンが馭者となり、車内に「主人」のリダードと老人のボーリフ、そして「従者」のセルイとファラが乗っていた。
街は、まだ大堤防完成の余韻でにぎわっている。安全に利用できる新たな広い土地の誕生に、商機を探る商人たちをはじめ、見てみたいというだけで各地の貴族、名士たちが訪れ、そういう者たち目当ての者もぞろぞろ集まり、あの日から祭りがずっと続いているような状態だった。
――だからこそ、ファラが爆発しそうな話を、多少の声が外に漏れても問題ない、移動中の馬車の中でし始めたのだろう。
「あなたの父親を殺したのは――殺すように命じたのは、ガイアール伯爵バティアン本人。それは間違いありません」
「お父ちゃんのかたき……」
つぶやいたファラに、セルイは小さく首を振った。ちがう、と。
「ですが、本当に殺したやつらは別にいます」
「どういうこと!?」
「第五位貴族、ガイアール伯爵は、十三侯家のひとつランベール家の寄子です。わかりますか?」
「ええと、このカラントの国で、王様の下で力を分け合っている、十三の家……寄子ってのは、その親分にすり寄る子分……」
「表現に問題はありますが、その理解で問題ありません。
ここガイアール領は、十三侯家ランベール家の大領に隣接する小領地。ガイアール伯爵は代々、親分たるランベール家にくっついて生き続けてきました。
あの男、当代のガイアール伯爵は、あなたの父親をはじめとする地元の有力者たちに命じて自分の土地に大堤防を作り上げ、それによる今後の利益をランベール家にも提供することにより、大いに喜ばれ、第五位から第四位へ、伯爵から侯爵へ、十三侯家に次ぐ家へと出世することとなりました」
「それは、あいつも、言ってた……あのくそやろう……!」
「口をつつしみなさい。ここにいる者は思いを同じくする仲間ですが、他の誰かに聞かれたらあなたが処罰されるだけではすまないのです」
「ごめんなさい」
「ですがランベール侯側も、きわめて貪欲でした。河からの利益だけではなく、ガイアール伯を賞賛し引き上げるついでに、その下で有能さを示した者たちにもランベール家からの報償という形でそれぞれ利益を与え恩を売り――特に目をつけた者を、直接引き抜こうとしていました。その一人があなたの父親だったのです」
「…………え?」
「顔が広く、大勢に信頼されていて、のべ二十万人にもなろうという大人数を何年も動かし続け、きわめて難しい工事を成功させた人物。ランベール家が自分のもとで使いたいと思うことに何の不思議もありません。貴族に引き上げてガイアール伯の下から引き抜く準備を進めていました」
「父ちゃんが、貴族に……!?」
「どの程度ひそかに進めようとしていたのか、あるいはさらにその奥の企みがあるのかどうかまではさすがにわかりませんが……とにかく、その動きはガイアール伯側に漏れていました。
そして起きたのが、嫉妬による妨害――足を引っぱり、失敗させよう、排除しようという動きでした」
「しっと!? 何それ!?」
「落ちついて。いいですか、伯爵本人はこれについては何も知りません。はっきり言えば愚鈍で、自分の名誉、自分の利益しか理解できず、自分に従っている者たちの胸の内など想像もできない人物です。
そのような人物だからこそ、うまく利用して自分が出世しようと企む、欲ばかり強く器の小さな連中がその下に集まってきて……。
うまいことやって自分だけ貴族になろうとする、あるいは自分たちと同じ貴族に上がってくる生意気なやつを失敗させようと目論んだのです」
難しい言葉やいい回しが入っていたが、必死に受け入れ理解していって……声が震えた。
「…………誰が…………なにを…………どうやったの……です……か……?」
「わかった限りでは、ですが……
まずあなたの父親に、工事で亡くなった者たちを、普通に弔うだけではなく伯爵様にお願いして墓碑を立ててもらおう、そうすれば死んだあいつらのことをみんなが知っていてくれると、近くにいた者たちが吹きこみました。死者を強く悼んでいた彼も受け入れました。
墓碑にする石や文字の彫りこみは自分たちで用意し費用も負担し、伯爵に許可をもらおうと、その下の役人に話を持ちかけました。――そうです、いきなり言い出したのではなく、ちゃんと手順を踏んでいたのです。
ですが役人は、意図的に話を伯爵に伝えず、自分のところで握りつぶしていました。のらりくらりと言い逃れ、返事をせず、時間ばかりが過ぎてゆきます。
そこで近くの者が吹きこみます。こうなったら伯爵様に直接お話を持ちこもう。堤防が完成したそのときがいい。そのときなら、自分の度量の大きさ、慈悲深さをたくさんの人に見せつけることができるのだから、伯爵様は喜んで許してくれるはずだ……」
「父ちゃん……!」
ファラの口元がギリッと音を立てた。川面に放りこまれてゆく父親の姿がよみがえった。
「結果は――伯爵の愚かさを利用した連中の狙い通りになりました。
あなたが気がつけなかったのは仕方ありませんが、事件が起きたその場からまっしぐらに家に逃げ戻ったのに、もう役人が到着し罪状を宣告し、大勢があなたの家を略奪していたのはおかしな話です。魔法具も使っていないのに伝達が早すぎます。
事前にそうすると計画していたからです」
「ぐおおおおお…………!」
ファラはうなり、手を膝に食いこませ、衣装の一部を引きちぎった。体の内側に火よりも熱いものがふくらんでありとあらゆる部分から噴出しそうだった。
それでも、この数日で叩きこまれたセルイの教えをぎりぎりのところで守って、問うた。
「それ…………本当なの……ですか……?
しょうこは、それが本当だと、どうして……」
「たくらんだ者たちが、自分からしゃべっていましたからな」
対面席のリダードがファラを気づかう沈痛な面持ちで言った。
「探りを入れる必要すらなく、私が顔を出した貴族たちの宴席で、愚かな平民を引っかけてやったと……」
「わしも、街で聞いてきた」リダードの隣のボーリフが、しわがれた声で言った。
「お前さんの家には、ネランという者が入ることになった。堤防の完成はその者の手柄とされ、お前さんの父親の功績はなかったことにされていた。うまいことやった、必要なのは腕っ節じゃなく頭よ、これからは俺の時代だと、酒場でそれはもう上機嫌にわめいておったよ」
ネランという名前を聞いて、ファラは顔も声もありありと思い出せた。父の配下のひとりで、何度も家に来たことがあり、父の指示に従う時の返事がハヒッと裏返り気味なのが面白かった。
そしてよみがえるあの光景。
服を破られ男たちの前に差し出された母親。その最前列にいたのが、今思えば、ネランだった……!
「か…………母ちゃん……あたしの……お母さんは…………?」
ファラは最後の理性で問うた。
「も、もう、死んじゃってるのは、わかってる……わかってるから……どうされたのか…………教えて…………!」
セルイたちが視線を交わし合った。今までの同情の眼差しよりさらに深刻な気配がみなに宿った。
「やはり、今のあなたには教えられません。教えたらあなたは、この馬車を飛び降りて、そのネランをはじめ家族のかたきたちを殺しにゆくでしょうから」
ファラの口から獣のうなりが漏れた。
母親はそれほどにひどいことをされたのだ。
車内の三人が身構える。暴れ出したら取り押さえようとして。
ファラがぴくっと動いた次の瞬間、セルイの手が手の上に重ねられていた。
「だ……だい……じょうぶ……」
ファラは何とか言葉をつむぐ。
激情に歯を鳴らしながらも、その手のぬくもりを理性の鎖として自分をつなぎ止め――。
「あたしを……助けてくれた……セルイ様に……めいわく、かけるのは、だめ……あたしだけじゃ、ネランひとりにも、かなわない…………今は」
言い終えて上げた瞳には、感情のすべてを意志に変えた、すさまじい光が宿っていた。
「だから……教えて……ください……あいつらに、しかえし、してやれる力を……手に入れる方法……伯爵だろうが大人の男だろうがやっつけてやるから! それができるようになる! ぜったい!」
「ええ」
即座に、セルイが答えてくれた。
「死ぬほどに勉強しましょう。使えるものは何でも使い、できることはすべてやりましょう。刃物をかまえて突っこんでいって、あっさり殺される方がよほどましに思えるほどにつらく長い道ですが、一緒に行きましょう」
「はいっ!」
ファラは答え、自分からもセルイの手を握った。
――激情に燃え、見いだした道に飛びこんでゆく決意に満ちた少女に気づけるはずもなかった。
車内の老人二人が、どのような目をしていたのかを……。




