「ねがい」04
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「あんた、十歳!? あたしよりひとつ上なだけ!?」
驚いた手を、細いムチに打たれた。
「言葉づかい。きちんとできなければ連れていけません」
「は、はい……ええと……あなたは、セルイ、いやセルイ様は、もっとお年が上なのかと……むずかしいこといっぱい知ってるし、えらそうだし」
またびしりと打たれて悲鳴をあげる。
二人だけの約束を交わし、誓いを捧げた翌日から、教育が始まった。
ファラは自分の荷物というものを与えられ、服や装身具を身につけ、セルイに付き従っておかしくないように、時には貴族の前に出ることもあるのだからと、礼儀作法――より前にとにかく見苦しくない立ち居振る舞いや言葉遣いをしこまれ始めた。
教える側に回ったセルイは、とても厳しかった。教えてくれる時は丁寧だが、一度でおぼえられないと厳しく叱責されたし、同じ失敗をくり返すと冷酷そのものの目つきで罵倒され今のように体罰も加えられた。
文字をおぼえ算術も身につけるよう言われた。
父親の仕事上、たくさんの人や物やお金を動かす話を聞くことが多くそういう仕事をしているところを見聞きすることもあり、同年代の平民の女の子よりは数字と計算になじみがあり、文字だって人の名前を聞いて書いて簡単な手紙だってしたためられるくらいには知っていたのだが、求められているのはそれよりはるかに上のものだった。
「算術は、少なくとも三桁の数字の加減乗除ができるように。文章は、庶民文字は当然として、貴族文字の基本三八五文字を完全に暗記して、貴族同士のやりとりを理解し、時には役人に送る正式な文書を作成することもできなければなりません。その際には様々な古典、詩曲、地理風物、習俗などについても知っておかなければなりません」
「ひいい……!」
「あなたが貴族の娘であれば、知らなくてもただ小娘と侮られるだけですが、私たちの目的のためには、貴族と同等かそれ以上のものを身につけていなければならないのです。腕力だけでは、何年もがんばってようやく、せいぜい貴族の従僕をひとり倒せるようになれるかどうかという程度。話になりません。やつらと戦うために必要なのは知識であり教養です。つまり学ぶことは、鍛えること、強くなることなのです」
そう言い切るセルイもまた、ファラに色々教えこむ隣で自分自身の勉強に励んでいた。
「それ、本だよね。はじめて見た。持ち運んでいるの――ですか?」
「いえ、この街の貴族や役人から借りてきたものですよ。お金を払って、ここにいる間だけ借りているのです。目を通し、できるだけおぼえて、必要なところは書き写して自分の糧とします」
大抵のことは一度読めばおぼえられますから、と何でもないことのようにセルイは言った。
本と言っても文字が並んでいるものだけではなく、数字ばかりが並んでいる、帳簿というものもあった。
「これは商人が使うものの、古いものです。このように書くのかということ、このようにものが動きこのように計算するのかということ、この商人はこう考えて仕入れ実際はこのように売れたのだなということまで、色々と学べるのです」
頭のつくりが元から違うのだなと、ファラは感心するより他になかった。
※
最低限の礼儀作法をファラが身につけると、セルイの同行者たちを紹介された。
五人いた。
「ファラ・リスティスです。よろしくお願いいたします」
「リダード・センダル・ディンブロンです。これからよろしく頼みますよ、ファラ」
白髪の、姿勢のとてもいい初老の男性が穏やかに言った。その名乗り方は貴族のもので、実際セルイより上の第六位貴族だった。
息子がガルディス王太子の側近であるという身の上で、この一行はセルイが主だが、名目上はこのリダードの引退後の物見遊山の旅というかたちを取っているそうだった。実際、今いるこの宿も彼の名前で宿泊しているというし、様々な情報収集も彼が中心になって行われているとのこと。
「マルガンだ。こりゃすげえ、めちゃくちゃ可愛い子だな。よろしくな」愛嬌のある小太りの中年男が言った。
「ボーリフと呼べ」ムスッとした顔つきの老人が言った。
「バルポ」ごつい、怖い顔の男が言った。腰に剣を提げている。強そう。
「ルブリューだ」少年、だが十五歳の成人を超えていることは間違いないだろう年上の若者が、不機嫌そうにファラを見下ろしてきた。
年齢も雰囲気も服装も見た目もまったく一様ではない者たち。見ただけではどういう一団なのかまったくわからない。
「様々な者がいる方が、できることが多くなるからね。バルポのような強そうな者たちがぞろぞろやってきたら、大事な話を知っている者も小さくなって口をつぐむけど、このマルガンになら何でも話してくれる。そういうものだよ」
セルイは、愛嬌たっぷりの丸顔の男性を笑いながら示した。その丸顔がファラに笑いかけてくると、ファラの口元も自然にゆるんでいた。
「ボーリフは、リダードと悪態をつきあう古なじみ――だけじゃなく、あちこちの様々なことに詳しい、頼りになる案内者だし、何より料理が上手い」
ムスッとしたままだが小さく頭を下げた老人から、ファラはぞっとするものを感じた。どこがどうというわけじゃないが、気難しそうな老人という見た目だけじゃない相手だと直感する。
「バルポは、見た通りに腕っ節が強くて頼りになる護衛だけど、これで実は詩人でね、女性への恋文を書かせるとカラント一、二を争うんじゃないかと私は見ている。ファラも色々教えてもらうといい」
セルイだけではなく全員が温かい目を向け、強面の男は赤くなり唇を引き結んだ。
「ルブリューは、まだ修行中だけどこれもすごく腕が立ち、色々なことによく気がつき、そして歌が上手い。楽器もたしなむ」
「やめてください」と若者はかなり本気の怒りを示した。
「酒場の女の子に惚れたはいいけど、自分より上手いんじゃ商売あがったりだと振られたもんなあ」
マルガンに茶化されてものすごく鋭い蹴りが飛び、しかし丸顔の男はポンと弾むように飛んで逃れた。どちらの身軽さも外見からは想像できないものだった。
「ほえぇぇ……」
多種多様な者たちを前に、ファラは間の抜けた声を漏らした。
「すごい……色々なひとがいた方がいいってこと、セルイ様が考えたのですか?」
「いや、ガルディス様のお考えだよ」
セルイは言い、遠い目をした。
「おうたいし、様ですよね。王様――国王へいかの、ご長男の」
「最初は私も、バルポみたいな強い者をそろえた方が安心できるしどこへ行くにも問題が起きづらいと思っていたのだけど、お前に経験してもらいたいのはそういう『移動』ではなく『旅』なのだと、ガルディス様がおっしゃられてね。それで一から選び直したんだ」
「真に広い心と深い知恵を持つ、大きな方でございます」
リダードが、自分の息子と同年代だろう王太子のことをそのように賞賛した。
他の者たちも、口々にガルディスがどれほど優れた人物か、あの王太子の時代がくればこのカラント王国も変わるという希望を熱く語った。
そしてセルイは、それらの語りにひとつひとつうなずき、微笑んだ。十歳という年齢らしい、英雄に憧れる子供の顔がそこにあった。
モヤッとしたものをファラはおぼえた。




