「ねがい」03
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「あなたのお父さまが罪人それも重罪人とされたことにより、連座で、あなたのご家族もまた全員が罪人とされてしまいました。
したがって、まだ生きているあなたは、この領内では罪人のままです。
あなたを助け、かくまっている私も、そのことがばれたらやはり罪人とされてしまうのです。私も貴族とはいえ第七位にすぎませんからね。悔しいことに、第五位の伯爵が命じたことには逆らえないのです」
「でも……そんな……ファラなんて……ちがうし……やだ……!」
「強制だと言いましたよ。そうする以外に、あなたが無事でいられる方法はないのです。今のあなたは、罪人であるのはもちろん、住民権も剥奪されてしまっていますので、他の街へ行っても、そこの住民として登録できないのはもちろん、良くて誰かに買われる奴隷、下手をすると獣と同じ扱いとなって、誰に何をされても一切文句が言えず、ああいう連中に面白がって狩られることになってしまうのです」
ああいう連中。最初だけためらっていたがやり始めるとすぐ目をらんらんと輝かせ、何をやってもいいのだという興奮のままに幼子を殴りつけ、蹴り殺したやつら。
「この宿にも、あなたのことは私の従者のファラ・リスティスとして伝えてあります。慣れぬ土地で体調を崩してしまった、トルードン領に実家のあるファラという女の子、あなたはそれ以外の何者でもないのです」
「…………ひどい…………」
「すみません。ですが、わかってください。他に方法がないのです。これからは私はあなたをファラと呼びます。あなたもそう呼ばれたら返事をして、自分でもファラと名乗ってください。それができるようになってくれなければ、あなたはこの部屋から出ることができず、私もあなたを置いてこの街から逃げ出さなければならなくなるのです」
「…………」
しばしの沈黙の後。
「…………なんで!?」
その言葉が湧いてきた。
心の奥底から、煮えたぎるような衝動となって噴き上がってきた。
「なんで!? なんでだよ! なんであたしたちが! 父ちゃんが! あんなことに! 母ちゃんもみんなも! なんであたしの名前まで! なんで!? なんで!? なんでぇっ!?」
家族も、住み慣れた家も、知り合いも、ことごとく奪われた上でさらに自分の名前まで。激情が少女の体内を荒れ狂った。
「……私も、それが知りたいのです。何があったのか、言えるだけでいいですから教えてくれませんか、ファラ?」
別な名前にとてつもない違和感をおぼえつつも、うなずき、つらい気持ちを押し殺して、思い出せる限りのことを――あのきらきらしたお貴族さまというやつが言っていたことをセルイに告げた。
「なるほど。慰霊碑を。人夫が大勢亡くなったという話ですからね。気持ちはわかります」
「たくさん死んじゃって、父ちゃんもつらそうだったのに、十五人流されたっていっぱいのお葬式したこともあったのに、その人たちのお墓を立てるのが、そんなにいけないことなの!?」
「ええ、いけないことです……あの伯爵にとっては、ですが。そしてあの時とあの場所、言い出した場面と……もしかすると何らかの裏事情も」
「わかんない! なにがいけないの!? なにが!」
「落ちついて。私も、調べさせている最中です。もう少しすれば色々なことがわかるでしょうから、教えてあげますよ。そして……」
セルイは言葉を切って、あらためてファラをじっと見つめてきた。
「これからどうするのかを、あなたは、あなた自身で決めなければなりません」
美少年に真っ向から見つめられ、激情が熱波に変わった。心臓が痛くなった。
「これから…………?」
「今のあなたは、私の身の回りの世話をする役目のファラ・リスティスということになっていますから、このままだと当然、私と一緒に他の領地を見て回り、最終的にはずっと遠くのトルードン領、ガルディス王太子殿下の治める土地に行くことになります。毎日毎日移動し続けても四十日以上かかる、遠い場所です。
それを望まないのでしたら――残念ながら、あなたはもう元の家に戻ることも、ご家族と一緒に暮らすことも、どんな形であれこの街に住み続けることすらできませんし、それどころかこの領のどこにも滞在することが許されませんから、あなたが罪人とはならない他の領のどこかの街で、身寄りがない者でも引き受けてくれる店か施設か、そういった所を見つけて、そこで新しい暮らしを始めることになるでしょう。もちろんその時には私たちはできるだけ協力しますよ。
他にも、どこかに頼れる相手がいるとか、やりたいことがあるというのでしたら遠慮なく言ってください」
「………………」
「いきなりこんなことを言われて、すぐに決めることができるとは思っていません。この宿には十日間滞在できることになっています。まだ何日もありますので、その間に考えて、決めてください。どのような道であれ、あなたが選んだことを尊重しますから」
「どんな……道でも……?」
おおきくなったらどっかへおよめに行く、お父ちゃんみたいなひととけっこんする、ぐらいしか将来を考えたことなどなかった平民の少女には、セルイの示した今後の道筋というものがほとんど理解できなかった。住んでいた街とせいぜい近くの村ぐらいしか知らない身。他の領、遠くの土地と言われてもまったく想像できない。
わかっているのは、今までのすべてが失われたこと――父ちゃん母ちゃんも、きょうだいたちも、家も、何もかもなくなって、もう絶対に戻れないことだけ。近所の人たちはもちろん、顔を知ってる何人かの親戚のおじさんおばさんも頼りにできない、助けてくれない。自分が守るべき年下の三人はこの世にいない。
それなら、助けてくれたこのセルイさまについていく以外にできることはない、めしつかいとかげぼくとかいうそれになっても、連れていってくれるなら…………と、真っ先に頭に浮かんだけれど。
「かんがえ……させて……ください……」
自分の口は違うことを言った。
セルイはうなずいて引き下がり、この宿で働いているという女の人がやってきて自分を着替えさせたり体を拭いたりしてくれて、良くなってきたようだねよかったねと言ってはくれたが母親とはまったく違っているのでまた涙があふれ、完全にひとりにされると膝をかかえて寝台ではなく部屋の隅にうずくまった。
夜が来たらしく暗くなった中で、思いを巡らせ続けた。
これから先、どうするか……ではない。
胸の中、いや体の中全部に、あの河のようにごうごうとうごめき続ける巨大なものがある。それが何なのか見つめて、それをどうするかを考える。
何度も何度も殴られた痛み。骨が、歯が砕ける衝撃。とてつもない恐怖。ぐちゃぐちゃにされた弟の顔。折れた歯が血のよだれと一緒に口からあふれた妹の姿。失われてゆく二人の体温、腕にかかる重み。蹴り殺された弟、母の悲鳴。そして父の、縛られて落ちてゆく時に自分たちを見つめて、重なった目。
流れこんできた――怒り!
そう。
この、ごうごうとしたものは、怒りだ。
父ちゃんにあんなことをした伯爵さまというやつへの。母ちゃんに襲いかかったやつらへの。
喜んで自分たちを殴り殺そうとしてきたやつらへの。
それが許される、貴族というやつらそのものへの。
そんなやつがいることを許している、神さまとかいうやつへの!
「…………しかえし、したい」
翌日、ファラはセルイにそう告げた。
「あたしたちにあんなことして、笑ってたあいつらに、同じことしてやりたい。お貴族さまだろうが何だろうが、しかえししたい! しなくちゃいけない! でなくちゃあたしは、ファラになってもファラじゃない、何でもない、生きてる意味ない、土くれだ!」
………………セルイは、優しい笑みを消して、怖い顔で見つめてきた。
「相手は、貴族ですよ。とても強く、たくさんの騎士や戦士に命令して向かわせてきます。あなたと同じ平民も向こうにつくでしょう。味方はどこにもいません。貴族に刃向かえば、いえ今の言葉だけでも、あなたは追放どころか処刑、それも想像しうる限り最も残虐に殺されるでしょう。あなたがやられたあれを、もっと長く、もっと痛く、どうやっても治すことのできないように。
それでも、同じことが言えますか?」
「…………」
「私も下級とはいえ貴族に属する身です。貴族を害する者がいれば止めなければなりませんし、害する計画があるというのなら妨害するか通報しなければなりません。
今なら、私しか聞いていないたわごととして取り消すことができますよ。
どうしますか?」
重圧が浴びせられた。このひとは本気だった。自分の次の言葉次第では、本当に止めようとする、妨害してくる――自分を捨てる。放り出す。あいつらに差しだす……また、あれをやられる……。
背筋を冷たいものが駆け抜けた。
しかえしする相手の姿も脳裏に浮かんだ。体が大きく強そうな騎士たち、硬いよろいに大きな剣に、弓や槍を持った者もいる、そんなのが何百人も並んでいて、従う兵士や普通の人たちも数え切れないほどいて、さらに貴族には魔法を使う者も少なくない……街で時々やる罪人の処刑の時に、ひとを殺したとかものを盗んだとかの罪とは別に、貴族に逆らったという理由で女の人とか奴隷とかが何人も首をはねられていた……殺されてゆく人の絶叫、飛び散った血しぶき……もの言わぬ姿になった人間「だった」もの……腐りおちるまでさらされていたひどい姿……。
「……それでも」
身がこわばり、心が押しひしがれるが、懸命に、全力で、あらがった。
「ゆるせない、から…………ゆるさない」
言い切ると、それだけでもう精根尽き果て、へたりこんでしまった。
だけど気持ちは変わらなかった。これで殺されるというなら殺せ。家族のところへ行けるんだから。そう思うと頬が笑いの形になった。
「本気……なのですね」
セルイに支えられていた。
神さまが全力でこしらえた、きれいすぎる顔が、吐息がかかるほどすぐそばに来た。
「では…………一緒に、やりましょう」
普通の声ではなく、ささやき声で。
「一緒に、あいつらを――貴族どもを、やっつけましょう」
「…………え?」
思わず見開いた目が、額と額がくっつく状態で、深い目に受け止められた。
言葉はなかった。だが体が震えた。それ以外見えなくなったセルイの瞳には、すさまじく熱いものがこもっていた。父親の最期の瞬間が重なった。体つきも表情も姿勢も距離もまったく違うが、まったく同じ、とてつもなく深い怒りがそこにあった。
何も告げられなくても、察した。
同じだ。
セルイもまた、今の自分とまったく同じ、絶対にゆるせないという気持ちを宿している!
「それは…………あなたにも、やっつけたい相手がいるの?」
それなら手伝う。協力する!
「その、もっと先です」
自分の唇に唇が触れるほどのところで、セルイの口元が意地悪い形に弧を描いた。
「どこかの、何某という個人の貴族が許せないということではありません。
私は、貴族というものが存在していること自体が、許せないと思っているのです。
何かをしたから偉い、すごいことができるからすごいのではなく、親が偉かったから自分も偉い、自分は偉いのだから何をしてもいいと、自分自身では何もしていないくせに思い上がる――そういう連中、そういう身分だと決められているやつらを全員、今の場所からたたき出してやりたいのです」
どこまでもささやき声で、つまりは部屋の外、他の者に聞かれることのないように言い切ったその内容が腑に落ちると――ファラの全身に、ものすごい鳥肌が立った。
「やる」
考えるより先に、言っていた。
道が見えた。ひらかれた。自分のやるべきことはそこにあった。
「あいつら、全員、河にたたきこむ。
でもそれだけじゃない。
これからはもう誰も、あんな目にあわされないようにしてやる! しなきゃいけない!」
「ええ。一緒に、やりましょう。ファラ」
「はい!」
ファラは自分から額をセルイの額にくっつけ、こすりつけた。
誓いのしるし、神聖な誓約の儀式だった。
ファラとセルイの出会いはこういう形でした。
「ぐうたら剣姫行」本編170話「貴族と民と」で明かされたファラの過去をふくらませ、また210話「そこにある」でファラがセルイの『裏切り』に直面しても爆発しなかった理由を描いてゆきます。




