78話 少女は微笑む。守るべき人よ。
黒魔術師ファディを打ち砕くには、己が命、研鑽の全てを捧げなくては刃で切り裂くことすらできない。ユリに宿った聖霊が器を飲み干し、その対価として聖霊・麒麟の全ての力をユリに与えていく。彼女の全身はエーテルの5彩色の炎に揺らぎ、ユリの長い髪が麒麟のたてがみを思わせるように鮮やかにたなびいた。
「ペルン、ありがとう。今まで、私に優しくしてくれて‥‥‥気に掛けてくれて嬉しかった」
「ユリ‥‥‥自由都市エーベに行けばリヴィアがいるべ。だから、なにもここで戦う必要はねえべ」
「うん。ペルン、私を大事に想ってくれて本当に嬉しい。でも、あの黒魔術の炎から助かる道はこの方法しかないの。だから、ペルンはみんなを、ココちゃんを守ってあげてほしい。私は貴方を守るよ」
ユリの腹部から滲む血は既に乾ききっていた。それは流す血がもうない事を意味しているのだろうか。雪よりも白い肌となったユリは、最後にペルンの唇に優しく自らの唇を重ねて、彼を優しく撫でた。「ここでお別れです。私の人生に輝きを与えてくれた貴方が幸せでありますように‥‥‥ありがとう、ペルン」彼女は刀を、制御式操るファディの体に突き刺しながら、共々に天異界の空に身を投げ出す。
「ユリッ、いますぐ、助けに行くべよ!!」
ペルンは甲板を走り、ユリの消えゆく姿を追いかけながらノインに指示する。
「ノイン! 船を後方に、ユリのいるところに戻せっ!」
切迫したペルンの声がノインに突き刺さる。彼は片腕に形成していた連樹子が暴走しないように維持し続けることで精一杯だった。それに、連樹子を手放してしまえば異空の渦に飲み込まれつつある飛空艇が、エーテルに強制還元されてしまうことは確実だ。
「ソラさんっ! 船を戻してください。ユリさんが船から落ちてしまったんですっ!」
操舵室の割れた窓に向かって、渾身の力を振り絞って状況を伝える。その壊れたドアからソラの姿が見えていた。「うおおおおっ! 舵がきかないっス!! どうにも動かないっスよおおおお。このままじゃあ、異空に飲まれてお陀仏っすよおおあああああっ!」ソラは懸命に舵輪を動かそうと、体全身をつかって面舵を取ろうとしていた。
「駄目です! ペルン、船が戻りませんっ!」
「っ! なら、俺がこのまま助けに行くべ!」
ペルンがユリが落ちた船の縁から身を乗り出し、暗黒の宙域に目を凝らす。ユリはどこだ、どこにいるんべよ。
異空に渦巻くエーテルの渦が飛空艇を激しく揺らしている。
その天異界の闇の宙に、目が眩むような閃光が輝いた。
「六律系譜よ。我、天憑きの全てをもって、その天意を開かん! 領域魔法『空』」
領域魔法を自らの刀に凝縮させ、合わせて修久利の剣技を練り上げる。
「天無尽『桜燈羅示』」
ファディはその人間の真なる御業を静かに見つめていた。
「カジハのお嬢さん。いや、カジハ・ユリ。貴方のなかに在る邪霊の封印鍵を打ち砕き、美しき貴方をその呪縛から解き放とう。そして、貴方が自らの仲間を守らんとする気高き人間に対して敬意を示そう、貴方の修久利の研鑽に寿ぎを与えよう」
ユリはただひたすらに、その災呪の炎を押し留めようと真っ直ぐに刀を突き放つ。
そのユリの姿にファディは目を細めて、両手を広げユリを歓迎する。彼女はがら空きとなったファディの懐深くに潜り込み、その最大の剣技をファディに深々と突き入れた。
「良き技です。私の魂にまで届き得る修久利。ユリよ、良く研鑽されましたね。貴方は我が身に足り得る良き素材となりました」
ユリの刀は確実にファディの心臓を貫いていたが、彼はユリの細い首を掴んで握り潰しながら、そのままユリの心臓に向けて手刀を穿つ。
胸を突き破り背中から現れたファディの手の内には、ユリの鼓動する心臓が握られていた。
「まだ、だ。ここで刀を手放すわけにはいかないっ」
ユリはファディの胸に突き刺した刀の柄を強く握り、刀身に残る領域魔法を放つ。
轟音が響いた。
ファディを中心としてユリの最後の聖霊魔法が、ひと際明るい輝きを周囲に放っていく。しかし、ファディの漆黒の制御式はいささかも崩れることなく起動し続け、炎獄の息吹が浮島を焼き尽くし、さらに飛空艇に迫ってきていた。
ファディは手のひらに在る心臓を握りつぶすと、力を失って振り子のように揺れるユリの体から最後の血が宙に散った。
「ユリィイイイイイーーっ!!」
ペルンの声が悲しいほどに飛空艇の甲板に響く。だが、その声はファディの放つ獄炎に焼かれてユリの元には届かない。
ユリから発せられていた5彩色の炎が失われていく。彼女の体に浮かび上がるのは黒魔術師の漆黒の魔術陣。それがユリの体を砕き始めて『凝縮』が行われていく。ファディの冷ややかな眼光だけが薄暗闇に浮かんでいた。
獄炎が飛空艇を飲み込もうと、その炎の波が速度を上げるが、ノインが操る黒魔術師の防壁にその勢いが殺されていた。ソラの飛空艇『舟羽』の船尾が黒炎に晒されながらも、なんとか飛行を維持しながら異空の中に飛び込んでいく。ノインは船の舳先で連樹子の半球を作り出し航路を維持し続けていた。ノインはユリの最後に、どうすることもできずに、唇を噛むしめている。
ペルンは飛空艇の縁を握りつぶし、その怒りで震える体が腰に提げた刀と鞘を打ち鳴らし続けていた。既にファディの魔術は舟羽を追ってはいない。異空によって災呪の炎は粉々に分解されエーテルに還元されてしまったのだから。
彼らを乗せた飛空艇が再び大きな振動音に揺れた。それは異空の出口に近づいたことを意味していた。異空の闇が溶けていき明るさに包まれ始める。船は自由都市エーベに辿り着いたのだ。
都市エーベの浮島から吹き込む風がソラの飛空艇にそっと触れた。出航したときの賑やかさはなく、飛空艇は静寂の闇に沈んでいた。
災呪の炎を防ぎ続けた飛空艇は、それでもその航行によって半壊し、動力炉が最後の唸りを上げた後、ソラの飛空艇は都市エーベの浮島に身を寄せるように落ちていったのだった。




