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悪霊 Evil spirit ――異世界死生 編――  作者: ナ・ココ・なご
過去は、血に染まりゆく(過去編)
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70話 聖術ノ楔『閉じたる瞬きと緋』

 ナズナたち数十人の周囲を一瞬にして白霧が包み込んだ。いや、そうではない。カジハ領の全域が白霧に覆われているのだ。


「『守りの六律防壁』が消えてるっ!」


 いち早く気付いたのはユリ。カジハ領を周囲の魔獣から守っていた防壁が跡形もなく消えていた。ユリの指摘を聴いてナズナも神経を集中させて防壁の存在を探る。


「ユリ様のいう通りに防壁が消えています。皆、祓いの儀式は中止です! 急いでカジハ様の屋敷に避難しなさいっ。急いで!」


 切羽詰まったナズナの声が動きの止まった皆の足を叱咤する。ナズナは周囲の気配を再び探り、一つの答えに到達した。「私は、この感覚を知っている」何度か戦場に出たことがあるナズナにとって白霧を見て瞬時に思い当たるべきだった。この感覚―――生物の命を押し潰すような感覚は戦場でよく体験したものだ。これは魔女の呪いである黒魔術が使われた証左。魔女の下僕たる黒魔術師の気配なのだから。


 とにかくカジハ様の屋敷に戻り安全を確保しなければ。


 ナズナたちは数歩程引き返して立ち止まってしまった。霧が周囲を白く塗り潰して地面がどこにあるのかさえ分からない。これほどまでに濃密な白霧はナズナも経験したことが無い。よほどの力の大きな黒魔術師がやって来たに違いない。焦りがナズナの思考を鈍らせようとしたとき、眼下に光が灯った。

 その光は5彩色の淡い光。


「カジハの屋敷まで、その道を示し知らせよ!」


 ユリに身体に宿る麒麟の聖霊が5彩の色を奏で、自然に遍く存在する聖霊属性に命じた。それに応えるように火・地・風・水・死・天を司る聖霊がユリのもとに集まり、黒魔術の力を消し去り、淡き光が地に灯り道を示した。天憑きは制御式を使わずに聖霊に働きかけることが出来る。それは大いなる原始術法の一端だった。

 その示された道を辿ろうとしたとき、光の向こうからカジハが現れた。


「無事か!」


 野太い声がナズナをはじめとするユリたちの胸中に安堵の温かさをもたらしていく。


「カジハ様!これは……この白霧は黒魔術師が現れたのですか?」

「そうだ。お前たちはすぐに屋敷に戻るのだ。俺は冥府の蓋を閉ざさなくてはならん。奴らの漆黒陣が、社を起点として起動しているのだからな」


 カジハが睨む視線の先には白霧をしても、その漆黒の制御式が見えていた。「いつの間に?気が付かなかった」ナズナの呟きに、カジハが彼女の頭を撫でた。


「ナズナ、すぐに屋敷に戻る判断は良かったぞ。あのまま社に進んでいれば黒魔術師に囚われてしまうところだった。だから、ナズナ。ユリと皆を頼んだぞ」


 カジハはもう一度ナズナの頭を撫でてユリを見やる。「ユリ。どんなことがあっても己が道を歩むのだぞ」と。カジハはそう言って社に向かって駆けだして行く。父親の緊迫した表情をユリは初めて見た。戦場での顔。それを見てユリは握りこぶしを固める。カジハの領地は、いまこの瞬間に戦場となったのだから。

 ユリ達は聖霊が示す道を辿って屋敷に急ぐ。その急ぐ足がカジハの武家屋敷に到達しようとした寸前。皆は凍り付いたように止まってしまった。



 血の臭いがしたから―――。



 カジハ家の武家屋敷の正面門。その門が若干開け放たれて、その内側に何かがぶら下がっていた。血の滴る片足が、門前に立てかけられた箒のように揺れている。


「っ!」


 声なき悲鳴が上がる。そして泣き声が―――絶望が彼女たちを支配していった。ナズナが檄を飛ばす。「今は泣くときではありません! カジハの者が戦場で泣くなど恥ぞ!」ナズナが皆の気持ちを奮い立たせるなか、ユリは門前に辿り着き大人の脚と思しき片足に触れた。まだ温い。ならば、敵は近くにいるということだ。ユリは門のすき間から屋敷庭園の様子を伺い、様変わりしてしまった邸内に息をのむ。


 屋敷の至る所に戦いの痕跡があった。松の木は折れ、石段は砕かれ、屋敷の柱は燃え燻っている。そこには使用人たちの四肢を砕かれた骸が散乱していた。その光景に息をのむ。

 ユリは無意識に腰に手を伸ばす。が、そこに刀がないことに気付き唇を噛む。戦うために、守るためには刀が必要だ。刀は道場に行かなくてはならない。闘志に火が付いたユリであったが、彼女の裾をぎゅっと握る門下生の姿に我に返った。


 そうだ、生き残りを探さなければならない。ユリは聖霊の力を使って屋敷の者たちの居場所を問う。聖霊が示したのは奇しくも道場。ならば急がなくてはならない。ユリはナズナに生存者の居場所を伝え、皆と共に急ぎその場所を目指して走る。

 ユリたちが最初に目にしたのは押し破られた道場の戸口。その中から戦い合う音が聞こえる。ユリとナズナは顔を見合わせて、その壊れた戸口に向かって行こうとした。


 ノベザの剣技が鳴り響く。



「『天無辺・豪亜三妙(ごだら)』」



 その修久利しとめの剣技が道場の壁を内側から壊し、中にいた敵を吹き飛ばす。庭園に飛ばされた敵は身を捻って着地し、服に着いた瓦礫を片手で払っている。


「ユリ、ナズナ! 早くこの場から逃げろ」


 道場の中からは満身創痍のノベザが、全身を血だらけにして出てきた。


「ノベザ様、すぐに治療します!」


 ナズナがノベザに駆け寄り、潰れた片腕に治療魔術を行使する。「俺に構わなくていい。それよりも早く逃げるんだ。奴は黒魔術師のなかでも―――」


 

 ぱん、と音が鳴った。



 それはノベザと今しがた戦っていた黒魔術師が両手を合わせた音。その音の鳴る方に全ての視線が集まった。いや、否応なく視線を集めたのだ。



 聖術ノ楔『閉じたる瞬きと緋』



 空間を赤き光が満たす。その眩き光は、全てを切り刻む幾万もの光の刃が解き放たれた輝きだった。

 その光がおさまったとき、すべては血の海に沈んでいた。


 ……有り得ない。



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