ある夜の日に
しとしとと、雨は静かに降り頻る。
雨風が冷たく吹き荒ぶ雨の中。
宿場町に向かって旅装姿の若い侍が急いでいた。
だが、もうすぐ着くと言うところで途中で寄った甘味屋で若い侍は目を見開く。
向かい側の長椅子に座る旅人達が話をしていたからだ。
「おい、聞いたか?この先の街道で土砂崩れが起きてお役人が封鎖をしたらしい」
「この雨だ。土砂崩れを退かすのに集める人足の数も足りないみたいだなぁ」
……なんて事だ。早くこの藩から出奔したかったのに。
会話を聞いて若い侍は肩を落とす。
若い侍は、山間に囲まれた藩の下級藩士だった。
金庫番内勤役の役目に着き、若い侍は上役の勘定奉行の奥方に一目惚れする。
一度だけ、屋敷に招かれた時に見事な所作と慎ましやかな貞淑さと、武家の妻として恥じない知識と話術でもてなしてくれた奥方に若い侍は惚れてしまった。
それだけではなく、着物越でも分かるたわわな胸や、熟れた大きな尻を着物越から見て性欲を刺激されたのは大きい。
次第に一方的な想いは濁り、自分勝手な独占欲となって膨れ上がる。
哭かせてやりたい。
全てを暴きたい。
抱いて泣き叫ぶ顔を見たい。
気付いた時は、勘定奉行の留守中に邸宅へ侵入し奥方に迫るが、悉く拒絶され癇癪を起こした若い侍は奥方を惨殺しそのまま藩から逃げ出した。
既に手配書は出回り、藩士達が藩を上げて血眼になって探している。
若い侍は何が何でも逃げたかったのだ。
その夜、若い侍は無人の廃寺へと潜り込む。
中も荒れ放題で酷い有り様だが、雨風を凌げるなら我が儘を言えない。
若い侍が泥のように倒れ眠ること暫し。
『見付けたぞ』
「っ!?」
聞き覚えのある女の声が聞こえ、若い侍は飛び起きる。
目の前には、あの時惨殺した血塗れの奥方が長い髪を振り乱し、悪鬼のように歪んだ顔で若い侍を睨んでいた。
『口惜しい。貴様ごとき木っ端侍に我が身を斬り捨てられるとは!!だが、私が受けた痛みを今こそ貴様にも合わせてくれようぞ!!』
「うわあああぁっ!!」
憤怒に歪んだ奥方の顔が迫り、若い侍は恐怖に引き吊らせた顔をして叫ぶ。
翌日。雨が止んだ昼下がり。
人相書きを見せた藩士達は、茶店の主人と共に廃寺に足を踏み入れると……
若い侍の惨殺死体が転がっていた。
その顔は恐怖に歪んでいたと言う。
全てを終えた魂は愛する者の場所へと帰る。