第1話「壁の中の少女」
東欧の国の中で一番呪われた歴史を持つ国。
それが私の祖国。
そう知ったのは随分と後になってからだった。
「では、アズールさん」
「はい。EVは卑劣にも我が国の領土を侵犯し、今も国境で沢山の部隊がこの国を狙っています」
「よろしい。此処はテストに出るぞ。国の為にも君達だって15になったら、徴募に応じて国の生産地帯で働く事を義務付けられている。兵士になるもよし、生産工になるもよし、だ」
村の先生は痩せた眼鏡の人だ。
スーツ姿は様になっているけれど、クラスメイトからの受けは悪い。
何だか蛇みたいで視線がキモチワルイから。
「せんせー。ごはん一杯食べられますかー?」
「ああ、勿論だとも!! 腹一杯食えるぞ!!」
わざとらしいくらいに先生が笑顔で言う。
すると、この時ばかりはクラスメイト達もワッと盛り上がる。
あれから六年。
学校が村に創設されて4年。
村への配給物資は少なくなっていった。
今までは学校なんて無かったのに学校が必要になった。
理由は戦争。
そう、戦争をするのに学習した人材が必要になったから。
だから、“禁忌だった高度学習”が解禁された。
大人達は知っている。
でも、クラスメイト達は知らない。
私だけが知っている。
「という事で今日は此処まで。初期数学を終えた者はこれから文字と敵国語の時間だからな」
『はーい』
こうして今日も学校が終わる。
壁と蔦に覆われたドーム型の小型要塞。
第四次世界大戦時代の遺物の中にある村。
私の故郷。
壁や地下にある住居の一角。
私はあの日以来、おじさんの家に住んでいる。
「ねぇねぇ、アズール!! 首都ってどんなところかなー?」
「さぁ、見た事無いもん。分からないわよ。私にだって」
「え~? アズってさ。頭良いのに~~?」
「掛け算だって一番早く出来るようになったじゃん!!」
「そうそう」
男女問わないクラスメイト達からの評価は本当だ。
だって、ソレはおじさんのPCの中にあった様々な情報を最初から学習していたから。
「あ、今日は水浴び出来る日だって!! 遊水地いこーぜ!!」
「お~~いいねいいね~~赤ちゃんも創ろうぜ!! 気持ちいーしさ!!」
「わ、私は遠慮しておくね?」
思わずお断りを入れる。
「え~~何でだよ~~?」
「も~~男子。アズールはお姫様なの!! だから、あたし達とは違うんだから」
「あ、あはは。これからお勉強しないと。ほら、私……兵隊さんになるのが夢だから!!」
「そっかー。大変なんだなー。兵隊さんになるって……」
クラスメイト達、私の昔からの幼馴染達。
昔は何も考えずに裸で水浴びをしていた。
それはきっとこの国の何処でもある風景。
凡そ30歳以下ならば、男女問わず裸で水浴びするし、お風呂にも入る。
勿論、性行為だって軽くしてしまう。
それが国家にとっての人的資源の補充行為だから、許容される。
性教育なんて存在しないし、大人達は何も言ってはくれない。
ジェンダーレスという古代語が出来た時代。
それ以降、そういう都合の良い言葉を使った【愚民教育】が加速した。
「アズールって綺麗なのになー。お腹大っきくなったら、カワイイと思うんだけどなー」
「こら男子~~赤ちゃんを“お国に還す”時は少し痛いんだからね~? アズールはあんなのしなくてもいいの!! ね~アズール?」
クラスメイトの女子にそう言われて、私の顔は少し引き攣ったかもしれない。
「あ、あはは……」
私は知ってしまった。
今まで普通だと思っていた事が外の世界では恐ろしい出来事に分類されるのだと。
でも、クラスメイト達はそれを普通と思っているし、私も昔はそれが普通だと思っていた。
そう、人種差別を失くすという都合の良い理由を使って、国家が国民から子供を取り上げ、無差別に分配して人種の【統合】をした事。
技術の進展で生物学的に出産困難な一定年齢以下でも嬰児を機材を使って取り出し、安全に人工的に育てられるようになった事で“人的資源”は価格が暴落した。
倫理と道徳さえ無視すれば、愚民教育下では出産機材の低価格化、技術の高度化で“量産”が利くようになった。
「赤ちゃん育ててみたいから、あたしは大人になったらすぐ国に申請出すんだ~~」
「え~~一杯遊んでからの方が良くない?」
「お母さんが赤ちゃん育てるのは大変だけど、すごく嬉しいって言ってるんだ~」
だが、その結果は性教育もされていない子供が赤子を作り、それを機材で出して国に差し出し、物資の配給を受けて喜ぶ……そんな歪な世界なのだ。
クラスメイトの大半はもう経験を済ませてしまったし、赤ちゃんも国に出した経験がある。
けれど、誰もそれを可哀そうには思わない。
いや、思えない。
「あたしの赤ちゃん元気かな~~。あ~~大きくなったところを抱いてあげたかったな~」
だって、それは国を栄えさせる素晴らしい事で赤ちゃんは幸せに誰かに育てて貰える。
そう信じているから。
その優良遺伝資源と見なされる嬰児の大半が戦時以外では国家の“輸出品”として国外の“良い子供”に恵まれない人達に高値で買われている。
もう国土内の全ての国民の遺伝子改良は数世代前に終わってしまっており。
そういう事が殆ど、どんな世代間でも可能な身体的資質が追加され、その上に今では寿命も150歳程となっている事で国民……徴兵する人的資源の損耗の許容範囲は極めて高いとされている。
(こんな情報は知らない方がいいのかもしれない……)
こうして今では誰も気にしない肌の色、瞳の色、性別、全てを平等にする結果は、都合の良い人間を作り出す行為は、平等、差別撤廃、性の自由化という美名に名前を変えた国家主義教育と共に随分と前に合法化されたらしい。
それを推し進めていた人達は数十年経って、自分達のしてしまった事に絶望しながら、自分達の成果である子供達の世代と国家から未だに旧い時代の主義主張を繰り返す上辺だけの過激主義者であると事実を指摘されて獄死した。
「アズールは赤ちゃんの時から可愛かったって大人が言ってたよね~」
「アズールが赤ちゃん出来たら、きっと男子に人気だよね~」
「あはは、そうかもね。ごめん、そろそろお勉強の時間だから」
「うん。またね~~」
私はどうやら“コーカソイド”という人種の中でも取り分け複雑な血統のようだ。
白金の髪。
青い瞳。
白い肌。
大昔は御伽噺の中で言う顔立ちの整った“美しい”という概念に当て嵌まる役柄。
お姫様に該当するような容姿だった、らしい。
「はぁぁぁ……」
遊水地での水浴びは随分と行っていない。
恥ずかしい、という言葉を知ったから。
今では首都の多くの遊水地でも此処と同じように赤ちゃんを作る事は普通だと若い人達が愉しんでいるそうだ。
が、外に繋がるPCから聞こえて来るのは国外の言葉ばかり。
簡単に行為が出来て羨ましいとか。
性病が根絶された世界の弊害とか。
美しいが何か分からないとか可哀そうとか。
だが、全ての国民が一定以上の大昔の基準で“美しい”ならば、嘗ての世界のように“醜さ”とやらで差別される事もない。
「………ああ、勉強しなきゃ」
今日も家にトボトボ帰る。
おじさんの家にだ。
「ただいま戻りました……」
“いつもの挨拶”をしてから家に入る。
食事は配給が先日あったのでオートミールとミートパテがまだある。
ただグリーンパテが無いのが残念かもしれない。
ミートパテとグリーンパテのパイ。
それが主食なのだけど、近頃は準備に忙しくて作っていない。
でも、それで我慢しようとも思うのだ。
外の情報を見ていたから。
パテも配給品のパイ生地も身体に悪そうだな、と思えてしまって。
この家にはおじさんの端末がある。
外に繋がるネット端末はこの国では稀少。
その先の国外の情報には見た事もない配給……食事があった。
(生の野菜とか。お肉とか。牛乳とか。小麦とか。パテの元々の食材って美味しいのかな……)
美しいと言われる料理の画像は生活の中に根差したものらしくて。
何度見ても憧れてしまうかもしれない。
“お菓子”とやらもとっても甘いと書かれていたが、しょっぱいクラッカーしかない村では食べようもないし、砂糖というのも聞いた事が無かった。
甘いという概念は知っているし、野菜が甘いというのも知っている。
でも、画像の先にあるモノはそれよりも甘いのだとか書かれていて。
「此処を出たら……食べよう。絶対」
そうして、今日も自室にしているおじさんの部屋に小さな明かりを付けて、その下にある部屋に梯子で降りていく。
そこはどうやら大昔に使われていたシェルターの一部らしかった。
今ではPC以外にも私が使う道具が色々置かれている。
外の世界に行く為に必要な事は調べて調べて調べてずっと準備してきた。
(村の外に公に出た事はこの数年で数回。それすら大人達が邦の決まりだからと制限していた……それもこれも外への過剰な興味を引き出さない為……)
だからこそ、目を引いたのは大昔の人型工作機械。
外では人型機動兵器と言うらしいソレの残骸があちこちにあった。
(本当に昔は夢みたいな無駄兵器だったって言うけど、パワードスーツ型の兵士の能力増強兵装として大型化と小型化を繰り返して、今では全高で5mから9m……)
PCの傍にはおじさんが置いて行った本の一つが開かれている。
ソレは今の世界において主力兵器として使われる兵装のカタログだ。
兵士を護る装甲と兵士の使える装備の威力増加、巨大化。
これを運用、両立するのが人型機動兵器なのだ。
相手からの照準に対抗する対電子、対センサ用のECM機材や光学迷彩技術の発達。
それによる視認距離戦闘の続発。
これが大規模にハイコストな対抗電子機材が無ければ無力化出来ない事例が増えた事から、ローコストの人型機動兵器類が発達。
つまりは判断能力に優れる人間をハイコストなドローン戦略よりも安く付くという理由で高価な機械未満の重装機械化歩兵として投入するという事だ。
「ドローンも高度化、ハイコスト化しないと勝てない時代。なら、有り余った資源……人間でいいって事、なんだよね。きっと……」
人権が叫ばれた世紀と呼ばれる数世紀前。
人間がその思想故に爆発的に増えた事で人間の価値が下落したのだ。
それはその世紀最大の皮肉であり、今の時代も続く紛争貧困の根源。
動植物が過剰に増えて環境が不健全になるのは人間だって同じだった。
それを合理的に減らす為の兵器。
この村から出ていく為に必要なのは正しくそんな兵器だった。
(国境付近にあるこの村は要塞の跡地にあるから防御力はあるかもしれない。でも、国境から展開するEV部隊のせいで嫌がらせにドローン型の運送車両は時々破壊されてる……いつ食糧不足で国から見捨てられるか分かったものじゃない……)
近頃、赤ちゃんを育てる申請を出しても許可が下りないのはきっと放棄が見当されているからだ。
だから、残った若い労働資源。
私やクラスメイト達を早く首都まで移送しようとしている。
(でも、首都は監視カメラだらけで逃げ出す隙が無い。だけど、国境域は逆にEV軍から逃げられないと捕まってどうなるか分からない。壁の外にある廃棄された大昔の機体から何とか組み上げてはみたけど)
部屋の奥。
倉庫となっている場所には外まで続くハッチがある。
そして、その中央につい先日ようやく組み上げたばかりの機体があった。
全高3mで灰色。
ズングリムックリの脚部が太い代物だ。
大昔の小型機。
パワードスーツが俗称だけれども、正式な名前は他にある。
大昔に名付けられた元々の名前は膂力増強装甲式機械化歩兵装備。
俗称はもっと短く。
【OP】
そう呼ばれている。
装甲が高度化した結果。
歩兵装備はバイオケミカル企業なども参入する一大先進科学の見本市になった。
230年前程に造られたソレのフレームはおじさんが遺してくれていた代物に装甲を仮組みした実際にはOPモドキと言うべき代物だ。
熱量だけで分子的に自己再生する金属骨格も装甲も全て200年以上前の現物だけれど、まだまだ全然使える。
倉庫先に繋がるハッチを用いて、外から使えそうなパーツを搬入して何とか組み上げたのは良いのだが、肝心の駆動系となるパーツが未だ足りないので動かないのが残念なところだろう。
生化学的に分解されない持続サイクル型の有機装甲と従来の無機物装甲を混合した超長期対応タイプが普及したから、今もソレは絶え間なく自らを維持する為に劣化する自身を餌に代謝している。
このような兵器の持ちの良さから戦場の技術が陳腐化するまで60年から100年近く必要になる事で多くのOPが出て来てからの大戦は長引く傾向にある。
(此処はまだ第四次、第五次大戦時代のパーツが色々と眠ってる。何としても、此処を出られるだけのパーツを集めないと……)
この国の古語で書かれた仕様書は見付けたし、プログラミングも何とか軍事用のプログラミング専門書から読み解いて基礎的な軍事AIのセットアップまで漕ぎ付けた。
兵装よりも全てを隠蔽して逃げる事だけに特化して整備中。
電源は未だ村の地下の地下水を用いた水力発電施設が生きているので充電可能。
問題は電源となるバッテリーが劣化して稼働時間が4時間くらいという事。
更に装甲は未だに現役で使えるものの、内部の駆動系は殆ど動いて消耗していない“当たり”を引くまで地道に探して試してみるしかない。
高速での踏破機能を用いると距離は稼げるが、それ以上に早く消耗してしまう為、どちらも早急に用意しなければならなかった。
「どうにか駆動系だけでも……」
きっと、もう時間は無いのだ。
それは国外の情報からも解る。
関係国間の講和に向けた特別会議で決裂。
SEUとEVの緊張感は限界という報道。
国内向けの報道にはそんな事は一言も書かれていない。
「私……悪い子だよね。おじさん……」
呟けば、作業用テーブルの上に在る写真が目に入った。
クラスメイト達との写真。
おじさんと村の人と共に映っている写真。
何も知らなければ、何も分からないままに死んでいけたのに。
そう思わない事も無いのだ。
(でも、知ってしまった)
世界の全てだった村の外にはまた広い世界が広がっている。
それに興味があるのは本当かもしれない。
でも、一番の理由は―――死にたくない。
それだけだ。
おじさんが遺してくれた命で何かをする。
それが出来ずに死んでいく事が一番恐ろしい。
きっと、死ぬよりも、此処で消えていくよりも、首都で単なる使い捨ての人材になるよりも。
「おじさん……私、此処……出られるかな……」
呟いても答えは返らない。
だから、駆動系のパッケージング・マッスルを探さなきゃ。
そう思い立って、今日も赤外線センサと動体センサを誤魔化すスクラップな装甲の一部を入れ込んだ重いフード付きの黒い外套を壁際から羽織る。
闇色のソレを付けて、今日も私は外へ向かう事にした。
切実に国が掲げる“高度教育”とやらに感謝する事があるとすれば、それは学校が何ともお粗末な午後の3時間だけである事に違いなかった。