22 院長先生
温かい茶がカップに注がれる。普段アマリアが作っているものと違って市販の茶葉を使っているからか、それほど香りは強くない。
だが、子どもの頃からずっと飲んでいた銘柄の茶は、ほのかな香りを嗅ぐだけでも心が落ち着き、同時に無性に泣きたくもなってくる。
「随分久しぶりですね。しかし、あなたが元気そうならわたくしも安心できます」
正面に座る女性に言われ、アマリアは頷いた。
「はい……ご無沙汰しておりました。長い間、こちらに戻れず申し訳ありません」
「いいえ、大人になったあなたが自分の生きる道を決めたのだから、謝ることではありませんよ。ずっと音信不通だったことも、きっとやむを得ぬ事情があったのでしょう」
そう答えるのは、この修道院のシスターであり、孤児院の院長先生でもあるグラシエラ。アマリアの母よりも十ほど年上だったと思うので、もう六十近いはずだ。
かつての彼女はいつも髪をひっつめて皺一つないローブを着て、誰よりもしゃきしゃきと働いていた。そんな彼女はいつもアマリアの目には、とても強くて頼りがいのある大きな人に映っていたが、久しぶりに見る姿はやけに小さく、隠しようのない年を感じさせていた。
(ギルドから私の登録削除通知が来たことも、院長先生を悩ませる原因になっていた……)
胸に手を宛て、アマリアは首を横に振った。
「それでも、会いに行こうと思えばもう少し早くお伺いできました。レオナルドにも提案されたのに、断ったのは私です。……不孝者になってしまい、申し訳なく思います」
「レオナルドからも聞きましたが、もう少し早くということは秋から冬にかけてのことでしょう? それなら実は、こちらも少々立て込んでいた頃です。むしろ、落ち着いた今になってきてくれて助かったのですよ」
院長先生はゆったりと言った。昔の院長先生はもっと声が大きくて物言いもハキハキしていたと思うが、今はすっかり穏やかになっている。
院長先生は並んで座るアマリアとレオナルドに茶を勧め、つとレオナルドへと視線を動かす。
「あなたも久しぶりですね。手紙はもらっていましたが、考えてみるとあなたが成長した姿をちゃんと見るのは、あなたが傭兵になると言ってここを飛び出したとき以来ではないですか」
「……はい。おかげさまで僕も、ギルドでそれなりに実力を認められる傭兵になれました。あのときは家出同然に孤児院を飛び出し、皆には迷惑を掛けました」
「アマリア同様、あなたも自分の生きる道、信じるものを見つけたのだから、わたくしは怒るどころか、立派な大人になったあなたを誇らしく思っていますよ。……それにしても」
ちらっと、院長先生はアマリアを見やる。そして、口元の皺を緩めて微笑んだ。
「……レオナルドは昔から、アマリアのことを母のように姉のように慕っていましたが……まさか、交際しているとは思っていなかったです。先ほど見かけたあの子どもは、本当にあなたたちの子ではないのですか?」
からかうように言われ、アマリアははっとしてレオナルドを見やる。彼も同時にこちらを見たので二人はしばし顔を見合わせた後、ほんのり顔を赤くした。
孤児院に来たとき、ユーゴも揃って挨拶をした。ユーゴはアマリアたちの言いつけをよく守ってくれて、お利口に挨拶をした後、シスターに連れられておやつを食べに行った。彼は普通の六歳児よりもずっと機転が利くし空気も読めるので、子ども好きなシスターたちともうまくやってくれるはずだ。
「えっと……先ほども申し上げたように、ユーゴは私の養子で、私たちとの血のつながりはありません」
「僕も、アマリアさんとお付き合いしていますが、ユーゴの父親ではないので。あくまでも、同じ家で暮らす仲間として接しています」
「あら、そうですか。でも、あの子はアマリアだけでなくレオナルドにもよく懐いているようでした。養子を育てる大変さはあなたたちもよく知っているでしょうが、うまくやっていけているようなら何よりです」
院長先生はそこで一旦口を切って紅茶を飲み、ふうっと息をついた。アマリアとレオナルドも、ほかほか湯気を上げる紅茶に手を付ける。
(……あっ、甘い。子どもの頃から、この甘さが癖になっていたっけ)
ちらっと隣を見ると、レオナルドも紅茶を飲んだ後、感慨深そうに紅茶をじっと見つめている。視線を感じたのか、彼がこちらを見て、ふっと微笑んだ。「懐かしい味ですね」と言われているようで、アマリアも笑顔で頷く。
「それで……ポルク、でしたっけ。今、あなたたちはそこで暮らしているのでしたか」
院長先生が切り出した。最近の生活についてのざっくりとした内容は、先に手紙で知らせていたのだ。
「はい。私は白魔法と紅茶の力を皆に提供しています。……あ、あの、院長先生」
「何でしょうか?」
「院長先生は……ご存じだったのですか。その、母の香水のことについて」
思いきって突っ込んだ。
道中、アマリアはレオナルドといくつか相談をしておいた。そのとき、帰郷した際に必ずやりたいこととして、アマリアは「母の墓参り」と「母について院長先生に尋ねる」の二点を挙げた。
(私の紅茶の才能はきっと、お母さん譲り。お母さんと付き合いが長かったらしい院長先生なら、何か知っているかもしれない)
院長先生は最初きょとんとしていたが、すぐに思い当たる節があったようで、ほんの少し目を細めた。
「……そうですか。ということは、あなたもついに自分の才能をはっきり自覚したのですね」
「……はい」
「ルフィナ――あなたの母親も、自分の力に驚き悩んでいる時期がありました。あの子はあなたが大きくなったら力について話すつもりだったようですが、あなたが紅茶淹れという形で能力に目覚める前にルフィナは病に倒れました」
「……院長先生は、私が孤児院に勤めていた頃から特殊な力を発揮していたと、ご存じだったのですか」
「いえ、当時はなんとなく、といった程度でした。……もしかするとあなたも、旅をして様々な経験を積むことで、ルフィナ譲りの才能を開花させたのかもしれませんね」
落ち着いた口調で言われるが、アマリアの胸はざわつきっぱなしだ。
院長先生は、アマリアが母親から才能を受け継いでいるかもしれないと気づいていた。黒魔法とも白魔法とも違う、稀な能力を。
――ふいに、きゅっと左手が握られた。見ると、膝の上に載せていた左手が、レオナルドの大きな右手に包まれている。
(レオナルド……)
手をひっくり返してぎゅっと握り、アマリアは息を吸って前を向いた。
「……院長先生は、その能力について何かご存じですか?」
知りたい。知らなければならない。
(私は既に一度、この力を悪用されかけた)
アルフォンスたちもアマリアの才能に気づき、わざわざ誘拐して紅茶を淹れさせようとした。結果、どういうことなのかまずい紅茶ばかりできてしまったが、今後もこの力に目を付ける者がいないとは言い切れない。
(レオナルドとユーゴだって、四六時中私の側にいてくれるわけじゃない。私では戦えないけれど……せめて、知識はほしい)
真っ向からの力比べになると勝ち目はないが、そうなる前に極力問題を回避し、自分の力を理解し、いざというときもうまく足掻けるように、知恵を付けたい。そういう意味での「強さ」がほしかった。
院長先生は最初は難しい顔をしていたが、やがて大きく息をついて肩を落とした。
「……あなたはいつの間にか、そんなに強い眼差しをするようになったのですね。ここにいた頃は、そのような目でわたくしを見つめることはなかった」
「……不躾に見てしまい、すみません」
「いいえ、わたくしは今のあなたの姿勢と眼差しも大変好ましく思います。若い頃のルフィナを思い出しますね。……わたくしから申し上げられることはそれほど多くありませんが、若くして神の御許に旅立ったルフィナのためにも、できる限りのことはお話ししましょう」
院長先生はそう言った。
……その瞬間、アマリアは生まれて数十年目にしてやっと、「院長先生と孤児院の子ども」ではなく、対等な大人として院長先生に向き合うことができたのだと気づいたのだった。




