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21 故郷へ

 ポルクを出発して、数十日。

 見覚えのある光景が目の前に広がり、アマリアは息を呑んだ。


 丘陵地帯に広がる、小規模の町。その向こうの緩やかな丘を登った先には、寄り添うようにして建つ孤児院と修道院が。


(戻ってきた……戻ってこられた……)


 もうすぐ修道院が近くなるだろうからとアマリアはレオナルドの隣に座っていたのだが、いざ生まれ育った場所が視界に入ると何も言えなくなってしまった。


 十二年前――アマリアの感覚だと二年前に飛び出した修道院。二十歳まではあの修道院と孤児院、そして麓の町がアマリアの世界のほとんどだった。


「懐かしいですね……僕もここに戻るのは数年ぶりですが、大きな変化はないようで安心しました」


 隣でレオナルドが優しく言い、空いている方の手できゅっとアマリアの手を握ってくれた。


「気持ちは、どうですか?」

「……どきどきしてる。楽しみだっていうのもあるし、不安な気持ちもある」

「それもそうでしょうね。でも、ユーゴとも打ち合わせはしっかりしていますし、あなたは堂々と胸を張っていてくださいね」

「ええ。……あ、そうだ。そろそろお化粧と着替えをしないと」

「分かりました。何かあれば呼んでくださいね」


 レオナルドに礼を言い、アマリアは幌の中に引っ込む。床に寝そべっておもちゃで遊んでいたユーゴはアマリアを見ると、体を起こした。


「ママ、着替えるの?」

「ええ。ユーゴは御者台に出る?」

「ううん、ここにいたい。いてもいい?」

「いいわよ」


 ユーゴの隣に置いていた木箱を開け、中から布でくるんだ服を取り出す。院長先生に挨拶するのだが、アマリアは三十二歳で通すことにしている。よって、服装を変えて三十代に見える化粧をすることにしたのだ。


 普段アマリアは膝下丈のスカートを穿いているのだが、足首丈のロングスカートに履き替える。ブラウスも、袖口にフリルが付いた可愛らしいものから落ち着いた色合いのものに着替えた。髪もまとめて、普段おしゃれするときに使うものよりもずっと濃い色合いのチークや口紅で化粧をする。


 小さな鏡を見ながらの作業だし、レオナルドが気を付けてくれているとはいえ揺れる馬車の床に座ってしなければならない。何度か間違えて口紅をとんでもないところに塗りつけそうになったが、ユーゴの助言を得ながらなんとか様になるように塗ることができた。


「私、三十代に見える?」

「ママはいつでも可愛いよ!」


 ユーゴの言葉では全く参考にならなかったので、アマリアは垂れ幕を捲って御者台に戻った。


「お待たせ。化粧もしたわ」

「揺れなかったですか?」


 そう言いながらレオナルドは、ちらっとこちらを見て、すぐに前に向き直る。

 だがすぐに弾かれたようにこちらを再び見ると、「んっ」と咳払いのような声を上げた。


「え? あ、ちょっと、前に気を付けてね!」

「え、あ、はい! す、すみません」


 これといって前方に怪しいものはないが、手綱の扱いを間違えると馬が暴れだすかもしれない。レオナルドは慌てて手綱を握り直し、こほんと小さく咳をした。


「えーっと……ちょっと、びっくりしました」

「……そんなにひどい化粧だった?」

「まさか! いつもとは雰囲気が違いますが……その、大人っぽくてすごく似合っています」

「あら……ありがとう」


 アマリアはほっと胸をなで下ろした。「けばけばしいです」と言われたら地味にへこんでいたと思うので、褒められて安心した。


 だが、レオナルドは前を見ながらもその横顔はどこか気難しげだった。


「……レオナルド、何か意見でもあったら遠慮なく言ってちょうだい」

「いえ、意見というほどではないのですが……いや、意見というか、僕の個人的なものなのかもしれませんが……」

「なんでもいいわ。助言お願い」

「…………本当に、助言とかいう立派なものじゃないんです。でも、あえて言うなら……口紅は、もうちょっと薄くていいと思います」


 こちらを見ないままのレオナルドに言われ、なるほど、とアマリアは口元に手をかざす。


(この色なら濃く塗った方が落ち着いた印象を与えるってエヴァは言っていたけれど、さすがに濃すぎたかな)


「なるほどね。それじゃあ、ちょっと落として……」

「あ、いえ、別にいいんですよ!」

「でも、レオナルドはもっと薄い方がいいと思うんでしょう?」

「それは……」


 レオナルドが黙った。

 アマリアも黙った。

 先ほどまで幌の中で何かで遊んでいたらしいユーゴも黙っている。

 馬も、黙った。


 沈黙の後、観念したようにレオナルドが口を開いた。


「……唇が、とても魅力的に見えるので。あまりにもあなたが艶っぽく見えてしまうので……それを他の人も見ると思うと、少し複雑な気持ちになってしまったのです」

「……」

「すみません。今の、なかったことにしてください」

「嫌よ」

「アマリアさん……」


 アマリアは膝立ちになると一旦幌の中に引っ込み、神妙な顔のユーゴに見守られながら口元を拭って口紅を塗り直した。


 御者台に戻るとレオナルドが困ったようにアマリアを見、「……あっ」と小さく声を上げた。


「……塗り直してしまったのですか」

「ええ、あなたの意見だったもの」

「意見なんてものじゃありません。ただの僕の個人的な趣味でしたし、全然客観的じゃなかったです」

「そんなことないわ。助言は嬉しいし……魅力的、って言ってくれて嬉しかった」

「……」

「いくら変装のためでも、口紅を濃くするのはやめておくね。ただ……レオナルドの前だけだったら、いい?」

「……ア、アマリアさ――!」

「はい、前を向いて安全運転でお願い」


 弾かれたようにこちらを見ようとしたレオナルドだが、彼の頬をむにっと指で押さえてアマリアは笑顔で阻止した。


 レオナルドはなおも何か言いたそうにしていたが、御者がよそ見をしてはならないと自覚しているためか呻きながら前を見ていた。


(……いつもは私の方が押され気味な気がするけど、今はちょっと勝てたかな?)


 アマリアはくすっと笑い、レオナルドに寄り添った。そうするとレオナルドも唸るのをやめて、小さく笑い返してくれる。


 生まれ育った懐かしい場所に到着するまで、あと少し。

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