10 あなたに贈る、おめでとう②
いつもよりは少しだけ強引な仕草だが、彼に文句を言うつもりは全くなかった。なぜなら、先ほどの彼の台詞が胸に重くのしかかってきていたからだ。
(レオナルドは……八歳の頃、母親に捨てられて孤児院に引き取られた)
アマリアは当時十六歳だったが、その日のことは今でもよく覚えている。
やたらめかし込んだ女性が、ボロボロの服のレオナルドの手を引っ張ってやって来た。そして、「結婚の邪魔」「こんなの好きで生んだんじゃない」「あいつに似た顔だから見ているだけで腹が立つ」とまくしたてて、レオナルドを置いてさっさと逃げてしまったのだ。
母親に「こんなの」と言われたレオナルドは、始終おどおどしていた。そんな彼はシスターたちに追われながら逃げる母親を見て、「おかあさ――」と言いそうになったがぐっと唇を噛み、小さな拳を震わせていた。
孤児院の子どもたちには「担当」になる大人が付くことになっていたが、アマリアがレオナルドの担当になった。初めて「担当」の子どもをあてがわれたアマリアは、レオナルドのことが可愛くて可愛くて仕方がなかった。
言葉は理解できるし、身の回りのことも自分でできる。我が儘を言わない、文句も言わない、悲しくても絶対に涙を流さない、その年にしては十分すぎるくらい大人びた子。だがアマリアが部屋を出ようとすると「待って……」と寂しそうに呼び止めたり、洗濯物干しをするアマリアのスカートをぎゅっと掴んできたりと、だんだん感情を露わにして年相応に甘えてくるようになった。
孤児院には、レオナルドと同じような境遇の子がたくさんいた。そういう子たちにアマリアたちは、「あなたと出会えたのは、私にとっての幸運。あなたに会えて、私は嬉しい」ということを心を込めて伝えていた。あなたは、要らない子じゃない。私が「担当」する、かけがえのない子なのだ、と。
大きくなるにつれ、レオナルドは同年代の子に馴染み、普通の子のように育っていった。だが、大人になってもなお、「自分は生まれてよかったのか」という漠然とした不安は抱えていたのだろう。おそらく、十数年前に母親にぶつけられた「こんなの好きで生んだんじゃない」が呪いのように彼を戒めている。
アマリアはカリカリしてきた喉に唾を流し込み、体を捻って振り返るとぎゅっとレオナルドの首筋に抱きついた。
「……私、ずっとずっと言っていたでしょう。あなたに出会えてよかった、って」
「……はい」
「それでも……やっぱり、不安だった?」
「……そう、ですね。あなたや院長先生たちからはたくさんの愛情をもらいましたが、それでも――僕を罵倒し、『どうして生まれたんだ』と叫ぶ母の姿が忘れられなかった」
レオナルドの腕がアマリアの背中に回り、抱きしめ返される。
「孤児院でも誕生日を祝ってもらいましたが、月の初めに全員まとめて行っていましたよね? もちろんあれもにぎやかで楽しかったし、祝ってもらえるのは嬉しかったのですが……こうして、他でもないあなたが僕一人のためだけに祝ってくれるというのが……すごく、嬉しくて……」
「レオナルド……」
「去年の冬、あなたの誕生日を祝ったときには、分からなかった。生まれたことを感謝してもらえるのって……こんなに、幸せなことなんですね」
レオナルドの声が、腕が、震えている。戸惑っているのだろうか、泣きたいのだろうか。
二十四年生きてきて、このような誕生日を迎えられたのは初めてなのだろう。そんなレオナルドが限りなく愛おしく、胸の奥からじわじわと温かいものが溢れてきて、アマリアは彼の頬に手を添えると、くいっと顔を上げさせた。
――アマリアをきょとんとしたように見る目は縁が少し赤くて、その顔つきもいつもよりずっと幼く見える。
アマリアはくすりと笑うと、そっとレオナルドの唇に自分のそれを重ねた。ただ触れるだけではなく、ちょっと努力して小さなリップノイズが出るようにしてみる。
(私からキスをするのは、初めてかもしれないな)
どきどきしつつ顔を離すと、レオナルドは惚けたような顔をしていた。だがやがてさあっと赤面すると、自分の口元を右手で覆ってしまう。
「えっ!? あ、あの、アマリア、さん……?」
「私は……あなたが生まれてくれたことが、嬉しい。他の誰がなんと言おうと、あなたが生まれてきてくれて、よかったと思う」
「……」
「これからも毎年、あなたが生まれた日をお祝いさせて。……あなたの人生は決して、楽しいことばかりじゃなかったでしょう。でも、挫けずに生きて、私に会いに来てくれたことを――毎年感謝したい」
「……これからも、祝ってくれるのですか」
「ええ。来年も、再来年も、その次の年も」
レオナルドの手を取り、指を絡め合う。最初は遠慮がちに手を握ったり開いたりしていたレオナルドだが、やがて彼の指がするりとアマリアの指のラインを撫で、付け根をなぞり、その感触を楽しむかのように優しく弄んできた。
掠れた声がアマリアの名を呼び、柔らかな熱を宿した灰色の目が近づいてくる。
今度は、レオナルドからのキス。
いつもよりも深くて、甘くて、頭の奥が痺れるような大人の口づけ。
「……嬉しいです、アマリアさん」
「どういたしまして。……お誕生日、おめでとう。大好きよ、レオナルド」
「はい……僕も愛しています、アマリアさん」
握り合わされた手は、ぴったりと寄り添われた体は、それからしばらくの間離れることはなかった。




