8 十年という時間②
(……とはいえ、私の体に別の力が宿っているなんて――)
ユーゴに触れられていない方の手を持ち上げ、手の平をじっと見つめてみる。
子どもの頃から、母親譲りの白魔法の才能があるのは知っていた。だから物心が付いた頃には既に白魔法の勉強を始めていて、「修道院の中では一番の使い手」と言われるまでに成長することができた。
だが、他にも力があったなんて。
「……その力って、発揮できるものなの?」
「分からん。我にはそなたの体に宿る力の波動は感じられるが、それをどのような形で放出できるかは、そなた次第なのだ」
人間とは不思議な生き物だな、と呟くユーゴを、アマリアは見つめた。
ユーゴは、アマリアには白魔法以外の才能があると言った。それを見抜けなかったどころか、アマリアを役立たず扱いして捨て置いたアルフォンスのことを「ガキども」「雑魚」と呼び、彼らがありもしない手柄を立てたことにも腹を立てている。
「……あの、ユーゴ」
「うん?」
「ユーゴは、アルフォンスたちに仕返しとかしたい?」
「アルフォンスとは、あのガキの名前か? いや、我は特に興味はない。別に我が直接手を下さずとも、ああいう頭でっかちな愚か者は放っておけば勝手にくたばるだろうからな」
「……」
「だが、もしそなたがガキどもに復讐をしたいのならば、喜んで手を貸すぞ」
そう言うユーゴの金色の目は瞳孔が細くなっていて、は虫類――竜の本性が見え隠れしている。見た目は天使のように可愛らしい男の子だが彼の放つ異様な殺意に、アマリアはぶるっと身を震わせた。
「我はそなたが気に入ったのだ、アマリア。そなたがあのガキどもの首を所望するなら、連中の首を残らずねじ切り、そなたの前に並べてやろう。えぐり出した心臓がほしいのならば、喜んで持ってこよう」
「ひっ……! そ、そんなことは望んでいないわ!」
想像するだけでぞっとするし吐きそうになったので、アマリアは慌てて手を振った。
(確かにアルフォンスたちのことは憎いし、痛い目に遭えとは思う。……思うけれど!)
「そこまでしなくていいから! その……私はもう冒険者はこりごりだから、これからは他の方法で仕事をしながら生きていければいいの! アルフォンスたちにはもう関わりたくないわ!」
「よいのか? そなたが慎ましく生きている同じ世界では、そなたを見殺しにしようとした連中が豪遊しているかもしれないのだぞ?」
「……アルフォンスたちのことは、許せないし憎らしいと思う。でも、本当にそこまではしなくていいから」
それは、アルフォンスたちがかわいそうだからではなく、ただ単にアマリアに生首や心臓を収集する趣味がないからだ。
アマリアの知らないところでいいから、彼らには相応の罰が下ってほしい。何もユーゴが飛んでいって殺戮を繰り広げることまでは望んでいないのだ。
「私は……十年間魔界にいたから年は取らなかったようだけれど、それでももう結婚が難しい年齢なの。知り合いのツテがあるとかならともかく、私のように身分も若さも美貌もない女は、高望みせずにただ堅実に生きていくだけで精一杯なの」
「……そなたはそれでよいのか?」
「ええ。……十年経っていなければ、私が育った修道院や孤児院に顔を出そうと思っていたのだけれど、それも今では難しいでしょうね。だから、誰も私のことを知らない新天地でこっそり暮らすのが一番だと思うの」
もしアマリアが順当に年を取っていれば、三十一歳になっていた。さすがに二十一歳と三十一歳を誤魔化すことはできないので、今この顔で修道院に戻ってもその場を混乱させるだけだろう。
それに、最初はギルドで金をもらおうと思っていたのだが、それも叶わなくなってしまった。というのも、ギルドでは五年以上生死不明状態だと自動的に登録が解除されてしまうのだ。だからアマリアがちゃんと持っていたギルドの会員証も、今となってはただの板きれ。支援金制度を利用することもできないのだ。
ギルドの登録が解消された場合、連絡先にも通知が行く仕組みになっている。アマリアの場合、登録の際に連絡先を修道院にしておいた。アマリアの登録が解消されるまで五年、されてから五年経ったようなので、おそらく修道院ではもうアマリアは亡き者扱いされているだろう。
かといって新たにギルドに登録すれば、顔なじみに会う可能性が高くなる。アルフォンスたちは全員アマリアより年下の十代だったが、今では二十代後半になっているはず。アマリアは十年前から顔形が変わっていないので怪しまれ、「アマリアの姿をした魔物だ」などと言いがかりを付けられるかもしれない。
……ならば、無理に元の生活に戻ろうとする必要はないはずだ。
(ギルドには登録できないけれど、白魔法は使えるから田舎の診療所にでも住み込みで働けばいい。いっそ、国を出てしまうって手もあるかもしれないし……)
あれこれ考えるアマリアを、ユーゴは黙って見ていた。
だがやがて息をつくと、ぽすんとアマリアの腕の中に飛び込んでくる。
「ユーゴ?」
「……我はそなたのことを見くびっていたようだ。アマリア、我が側にいる」
「えっ?」
ユーゴはアマリアの胸元から顔を上げ、金色の目でじっと見つめてきた。
「そなたが新天地に行くというのなら、我が付いていく。……十年経ってしまったというのは、我の責任だ。ならば、そなたが望むとおりの生活を送れるように我も手を貸す」
「そ、そんなに気にしなくていいのよ。ユーゴは私を助けてくれたんだし、時間が経ったことも知らなかったのだから」
「だが――」
「いいの。……私こそ、あなたには助けてもらった。だから、あまり豊かな暮らしはさせてあげられないけれど、あなたの母親として頑張るから」
そっと彼の頭を撫でると、その金色の髪は驚くほど柔らかくて指通りがよかった。ユーゴも撫でられるのが気に入ったようで、微かに目を細めて嬉しそうにアマリアの愛撫を受けている。
「……そうか。あいわかった。我はアマリアの息子だからな、母親のことは我が守るし、我にできることなら努力しよう」
「ありがとう。……ユーゴ、ふがいない母親だけれど、よろしく」
「うむ……じゃなかった。おれの方こそよろしくね、ママ」
ユーゴはふわっと微笑み、アマリアに抱きついてきた。
そっと抱きしめ返した彼の首筋からは、少し香ばしい香りがした。