4 幸せの夜②
「……アマリアさん?」
「ひっ!?」
視線を感じたのか、両手をタオルで拭いながらレオナルドが振り返った。ただ見られただけなのに、彼の背中に見惚れていたことを咎められたような気持ちになり、アマリアはぎょっとして持っていた木製の皿から手を離してしまう。
「あっ……!」
「っと!」
つるりと手の中から皿が滑り落ち、アマリアは慌ててしゃがんで手を伸ばす――が、それよりも早くレオナルドがさっと皿を掴んだ。
「大丈夫ですか?」
アマリアの耳の後ろでレオナルドが焦ったように言う。
皿は、大丈夫だ。
だが、アマリアは大丈夫ではない。
二人とも皿を拾おうとしたので、どちらも中腰になっている。そしてレオナルドはアマリアの背後から手を伸ばして皿を受け止めたので、彼に覆い被さられているような姿勢になっていた。
おまけに、レオナルドは皿を拾おうと一気にこちらに駆けてきたので、彼の左手は体を支えるためにテーブルに突いていて、まるでアマリアの肩を抱いているかのような格好になっている。
(し、心臓が痛い……!)
アマリアがこわごわと後ろを振り返ると、レオナルドの灰色の目と視線がぶつかった。
最初、彼はきょとんとしたようにアマリアの目を見つめ返していたが、間もなく今の体勢に気づいたらしい。瞳孔を見開くと、皿を掴んだときのような俊敏さでさっと離れ、ほんのり赤い顔を空いている手で覆った。
「す、すみません! あの、皿を掴もうと思って!」
「う、うん。そうよね、私も皿を掴もうと思って」
「はい、皿を……」
「うん、皿が……」
そこで二人はふと動きを止め、レオナルドが右手に持ったままの皿をじっと見た。
彼は何も言わずにそれをテーブルに置くと、両手をアマリアの方に伸ばしてくる。アマリアがこくっと唾を呑みつつじっとしていると、両肩に大きな手の平が乗せられた。
灰色の目に、柔らかな熱が灯っている。
その瞳に映るのが自分だけだと分かると、妙な高揚感と満足感、そして――限りない愛おしさが、胸から溢れる。
「アマリアさん」
「……はい」
「口づけてもよろしいですか?」
緊張が抜けきらない声で、レオナルドが許しを請うた。
これまでにも、こうして彼と見つめ合い、甘い雰囲気になることがあった。律儀な彼はよくこうして、キスをするにもアマリアの許可を求める。
そこまで慎重にならなくてもいい。レオナルドにキスを求められて拒絶するなんてあり得ない。アマリアはそう言ったのだが、レオナルドは「万が一にでも、あなたが嫌がることはしたくないので」と妙に頑固になっていた。
頬を赤らめるレオナルドに問われたアマリアは頷き、目を閉じる。どきどきしながら軽く上向くと、前髪が触れあい、鼻の先に緊張した吐息が掛かり――かたん、と夜風で窓枠が揺れる音にかき消されそうなほど小さな音を立てて、唇が重なった。
激しさや妖艶さはまったくない、軽く触れるだけのキス。だが、自分の無防備な部分とレオナルドの同じ部分が重なり合い、体温を分かち合え、想いの伝わるこの時間が、アマリアは大好きだった。
自分のものではない体温が遠のき、アマリアは目を開いた。アマリアを見つめるレオナルドの顔は真っ赤で、恥ずかしそうに視線を逸らしていて――思わずくすっと笑ってしまう。
「レオナルド、顔が真っ赤よ」
「……好きな人に口づけたのですから、赤くなりますよ。アマリアさんこそ、真っ赤です」
「好きな人に口づけられたのだから、赤くなるわよ」
レオナルドの口調を真似て言い返すと、彼もふふっと笑った。
いつもは凛としていて格好いいのに、笑った顔は子どもの頃のように無邪気で可愛い、とさえ思ってしまう。本人に言ったら絶対に拗ねるので言わないが、アマリアは彼の無防備な笑顔も大好きだ。
くい、と彼のシャツの胸元を引っ張り、「もう一度」と無言で訴える。
アマリアのおねだりを聞いたレオナルドは眼差しを緩めて頷き、もう一度、繊細な宝物にでも触れるように淡いキスをしてくれた。
見つめ合い、微笑み合う。
それだけで心は満たされ、泣いてしまいそうなほど嬉しい。
「……アマリアさん、可愛いです。大好きです」
「……わ、私も好きよ。あなたもとても……格好いいわ」
「光栄です。……今夜は、遅くまで起きてくださりありがとうございました。そろそろ寝ましょうか」
「……うん」
レオナルドにそっと肩を抱かれたので、その力に甘えて軽く身を委ねる。
彼と一緒に台所を出て階段を上がり、寝室のドアの前で向かい合った。
「……おやすみなさい。また明日、ゆっくり話をしましょう」
「ええ、おやすみ。……レオナルドも、ゆっくり休んでね」
扉の向こうには、ユーゴがいる。二人は内緒話でもするように言葉を交わした後、音を立てずにキスをした。
(あなたが、いい夢を見られますように)
祈りながら唇を離し、するりと寝室に滑り込む。
薄暗い室内を星明かりを頼りに歩き、ひんやり冷たいシーツに滑り込む。ユーゴはすっかり寝入っているようなので、彼を起こさないよう極力音を立てずに上掛けを引っ張り上げ、目を閉じた。
(明日、レオナルドと何を話そう……)
ユーゴがいたずらをしたこと、エヴァとお喋りをしたこと、ブルーノが遠方の国から取り寄せた乾燥果実を譲ってくれたこと。
たくさん話をして、たくさん笑いたい。
(どうか、こんな幸せな日がずっと続きますように……)




