3 幸せの夜①
ある夜、アマリアはリビングのテーブルに肘をつき、窓の外をぼんやりと見ていた。
「ママ、まだ起きてるの?」
廊下からひょっこり顔を覗かせたユーゴは、既に寝支度を整えている。この前エヴァが作ってくれたナイトキャップのポンポンが、彼の動きに合わせてふよふよ揺れていた。
アマリアはユーゴを見ると微笑み、頷いた。
「ええ、もうちょっと待ってみるわ。ユーゴはもう寝る?」
「……おれも、おかえりって言うって約束してるんだ。だから、まだ起きてる」
「無理はしないでね」
ユーゴがとてとてと歩いてきたので抱っこして膝に乗せ、アマリアは壁際の古ぼけた時計を見やった。
今朝、レオナルドからの手紙が届いた。「今回の仕事も無事に終えたから、明日の昼までには町を発ちます」との旨がしたためられていた。
この手紙は以前記念祭で訪れたアステラから送られている。アステラからポルクまでは馬車で半日ほど掛かる。
手紙を発送したのが昨日の夕方頃だとすると、今日の昼前に町を出発したなら夜には戻ってくるはず。そう思ってレオナルドの分の夕食も作っていたのだが、深夜近くになっても彼は帰ってこない。
ユーゴが探しに行くという手もなきにしもあらずだが、見た目六歳程度の彼が夜道をぽてぽて歩くのはよろしくない。「えいっ!」で魔物さえ粉砕できる彼なので怪我の心配はしていないがむしろ、その場面を旅人などに見られた場合に面倒なことになってしまう。
レオナルドの夕食には蓋をし、リビングの明かりも最低限に落とす。そうして、深夜を回るまでは待つことにしたのだ。
コチ、コチ、と時計が時間を刻む中、アマリアとユーゴは寄り添っていた。
春になったとはいえ夜になるとそこそこ冷えるので、暖炉の薪を足して、膝に乗ったユーゴごとブランケットでくるんで二人で暖を分け合う。竜ということで生態はは虫類に近いユーゴだが、今は人間の姿をしているからか抱きしめると子ども体温で温かかった。
ふと、ユーゴが顔を上げた。「帰ってきたよ」と彼が囁いた数秒後、玄関のドアが開閉される微かな音が聞こえてくる。
やがてリビングに入ってきたレオナルドは、ソファに座っているアマリアとユーゴを見て驚いたように目を丸くし、その場に立ち尽くした。コートのボタンは外れていて、片方の袖が脱げかけている。
急いで戻ってきたのだろう、彼の柔らかな金色の髪は夜風に揉まれてくしゃくしゃになっていて、服や肌もどことなく埃っぽい。そんな少々くたびれた姿でも十分格好よく見えてしまうのは、惚れた弱みだろうか。
「ア、アマリアさん? まだ起きていたのですか」
「ええ、おかえりを言いたくて」
「おい、レオナルド。おれもいるぞ」
「……そうでしたか。すみません、予想以上に遅くなって。……ただ今戻りました、アマリアさん、ユーゴ」
「大丈夫よ。……おかえり、レオナルド」
「おかえり。……じゃ、おれは寝るよ」
そっけなくレオナルドに挨拶をしたユーゴはアマリアの膝からぴょんと飛び降りると、大きなあくびをする。そしてアマリアの頬にキスをし、ナイトキャップのポンポンを揺らしながらリビングを出て行ってしまった。
レオナルドが少し気まずそうにユーゴの小さな後ろ姿を見送っていることに気づき、アマリアはくすっと笑って立ち上がった。
「あんな態度だけど、ユーゴはレオナルドにおかえりを言いたいから眠いのを我慢していたのよ」
「……はは、そのようですね。明日の朝、僕の方からもちゃんと話をします」
「そうね。……今日は、何か予想外のことでも起きたの?」
キッチンに向かい、覆いを掛けた夕食と冷えた紅茶入りのポットを運びながら尋ねる。上着や防具を外したレオナルドは礼を言うとソファに座り、乱れた髪を手櫛で整えながら頷いた。
「町を出ようと思ったら、ギルドでちょっといざこざが起きまして。ああ、内容自体はたいしたことないんです。でもそれのせいでなかなかギルドを出られなくて、足止めを食らうことになってしまったのです。……なるべく急いだのですが、心配を掛けて申し訳ありません」
「あなたが無事に戻ってきたのだからいいのよ。さ、お腹も空いているでしょう? ちょっと冷たくなっているけれど、どうぞ」
「ありがとうございます」
アマリアが給仕をし、軽く手を拭いたレオナルドが嬉しそうに夕食に手を付けた。
今日は疲れて帰ってくるだろう彼のために、がっつり肉料理にした。鶏肉とグワムソースのソテーをメインにし、ピネリという水分が多くて甘酸っぱい野菜をベーコンと一緒に煮たスープを添える。お供の飲み物には、疲労回復効果のあるムルムやラヴィを少量入れた茶を作った。
レオナルドはソテーを口に含むとほっと頬を緩め、「おいしいです」と呟く。
「いつも思うのですが、アマリアさんは本当に料理がお上手ですね。あなたの手料理を食べられるなんて、僕は幸せ者です」
「そう? 嬉しいけれど、私もそこまで凝ったものは作れないのよ」
「凝ったものなんてとんでもない。僕は、アマリアさんが一生懸命献立を考えて作ってくれる料理が好きなんです」
「……ありがとう」
レオナルドの向かいのソファに座ったアマリアは、彼のきらきら輝く笑顔を見るのがなんだか気恥ずかしくなり、俯いてしまう。
レオナルドが食事を終えたので、二人で並んで食器を洗う。「疲れているだろうし、私がするわよ」「いえ、洗い物くらいは僕が」とどちらも引かなかったので、「それじゃあ一緒に洗おう」ということになったのだ。
流しは狭いので、二人並ぶとどうしても肩がぶつかったり腕が触れあったりする。フォークを洗おうと思って手を伸ばすと、同じことを考えていたらしいレオナルドと指先がほんの僅か触れあい、同時にぱっと手を引っ込めてしまった。
「あ、ご、ごめんなさい」
「い、いえ。残りは僕が洗いますね」
「……ええ」
洗った食器をタオルで拭いて食器棚に戻しながら、アマリアはレオナルドにばれないようにこっそり溜息をついた。
彼と恋人同士になって、数ヶ月。
レオナルドは仕事のために家を空けることが多いので、実質彼と共に過ごせた日数はかなり少ない。それも、たいていは二人の間にユーゴがいるので、完全に二人きりになれる機会はほとんどなかった。
そういうこともあり、こうやってごく稀に彼と二人きりになると、どうしても動きがぎこちなくなってしまう。ユーゴがいる間は自然体でいられるのに、いざやんちゃな竜の子がいなくなると途端にお互いぎくしゃくして、視線を合わせるのにも緊張してしまう。
ちらっと振り返ると、洗い物をするレオナルドの背中が。上着や防具を外してシャツ姿になると、肩や腕の筋肉の形やたくましい背中のライン、動くたびに後ろ髪の隙間から見え隠れする首筋などがはっきり見える。
……はっきり見えるとそれだけで、体の奥が落ち着かなくなって頬が熱くなる。
かつてはアマリアがおんぶをして、服を着替えさせてやり、体を洗ってあげたこともある男の子が、こんなに立派な背中を持つ大人に成長している。そしてそんな彼がアマリアの恋人であるというのが、今でも信じられない気持ちだ。
植物辞典⑪
ピネリ……トマトのような植物。ただしオレンジ色で、この世界では「ピネリ色」のような表現でも使われる。




