挿話 強くなるために
52と53の間くらいのお話
初冬の風は、少しだけ肌寒い。だが、この寒さが体をほどよく痛めつけ、鍛え上げてくれることをレオナルドは知っている。
早朝のうちに降り積もったらしい霜が、朝日を浴びてきらきら輝く。乾燥した土を踏みしめ、レオナルドは一度、二度、手に持った模擬剣を振りかぶった。
訓練を始めたばかりのときは少し寒いと感じていたが、体を動かしているうちにほどよくなり、やがて上着を脱いで薄いシャツ一枚で活動していた。
目の前に敵がいることを想定して、模擬剣を振るう。薙ぎ、突き、攻撃を受け止めながら敵の懐に切り込む動作の練習をする。
訓練はいくらやっても無駄になることはない。ただがむしゃらに戦っていた数ヶ月前と違い、今のレオナルドには明確な目標――守りたい人がいるのだから。
一連の動作を終え、ふうっと息をつく。さくり、と背後で土を踏む音がしたので、シャツの裾を引っ張って扇ぎながら振り返った。
「どうしたんだ、ユーゴ」
「……つまらん。気づいておったのか」
レオナルドの背後に立っていた少年は、ひどくつまらなそうな顔でレオナルドを見上げてきた。竜の子である彼は寒いのが嫌いらしく、朝食を食べるとすぐに暖炉の前に移動し、丸くなっていたはずだ。
今、アマリアはエヴァの宿屋に遊びに行っている。どうやらポルクの女性陣が集まり、編み物をしているそうだ。彼女が、「レオナルドとユーゴのために、セーターを編みたいの」とはにかんでいたのを思い出す。
アマリアのことを思い返していると、どうやら無意識のうちに顔が緩んでいたようだ。ユーゴは唇を曲げ、ぱしんとレオナルドの腹を叩いてきた。
「おい、なにをニヤけておる」
「ああ、ごめん。アマリアさんが僕たちのためにセーターを編んでくれるって言っていたのを思いだしたら、つい」
「……ふん。しまりのない顔をするでない」
ユーゴはつんとそっぽを向いたが、別に彼に嫌われているわけではないのだとレオナルドは知っていた。人間らしい生活を始めてまだ半年も経たないユーゴは、感情の出し方や人との接し方が下手なところがある。
とはいえ、本当に彼がレオナルドのことを嫌っていれば問答無用で喧嘩を売ってくるはずだから、それなりに彼に認められているのだろう、とレオナルドは認識していた。
「それで、どうしたんだ? アマリアさんが帰ってくるまでまだ時間はあるだろうし、君は寒いのが苦手だろう?」
「……」
「暖炉の薪がなくなったのかい? あ、それとも何か温かい物でも飲みたくなったかな?」
「……レオナルド」
「うん」
「体を触らせろ」
爽やかな朝に似つかわしくない変態発言をされてしまった。
レオナルドはその場にしゃがむと、目を細めた。
「それってどういうことかな? 何か気になることでもある?」
「そなたの体は、ママとは全然違う。だから興味を持った」
ユーゴの補足説明を受け、そういうことかとレオナルドは微笑んだ。
ユーゴは、人間の体の仕組みもいまいちよく分かっていない。彼が最初に接した人間は女性であるアマリアで、ユーゴは一応少年の体をしている。
同じ男として、レオナルドの体付きに興味があり、だから薄着で訓練をしているレオナルドの様子を見にわざわざ出てきたのではないか。
「そういうことなら、別にいいよ。ただ、ここだとちょっとアレだから、中に入ろうか」
「うむ。そなたも汗を掻いているだろう。タオルくらいなら持ってきてやってもいいぞ」
「嬉しいな。ありがとう、ユーゴ」
「……ふん! そなたが汗まみれでうろつけばママが困ると思ったからだ! 決してそなたのためではないからな!」
「うん、分かったよ。でも、ありがとう」
つんと唇を尖らせたユーゴにやんわりと応え、レオナルドは家に戻った。
リビングでは、赤々と暖炉の炎が燃えている。ついさっきまでユーゴが転がっていたらしい場所には、蛇が脱皮したあとのような毛布がくしゃくしゃになっている。そういえばユーゴはは虫類に近いので、竜の姿のときならば脱皮をするのだろうか。
ユーゴがタオルを投げて寄越したので受け取り、シャツを脱いで体を拭く。そうしている間も、ユーゴはじっとレオナルドの上半身を見ていた。
ギルドに所属する傭兵の中では、レオナルドは小柄な部類に入る。体質なのかあまり筋肉も付かず、思ったほど背も伸びなかった。身長と腕力で劣る分、瞬発力と一撃必殺の技でこれまで戦い抜いてきたが、はたしてユーゴはどう言うだろうか。
ユーゴはソファに座ってじっとこちらを見ていたが、やがて手を伸ばしてレオナルドの背中や腹、腕に触れてきた。
「……我は、人間の男の体はもっとゴリゴリしていて硬いものだと思っていた。だが、そなたはそれほどでもないのだな」
「あ、はは。もうちょっと威厳のありそうな体格になりたかったんだけどね」
「別に悪いことではないだろう? そなたは身のこなしが軽いし、器用だ。我々はどちらかというと力で押し通す戦い方を好むから、そなたのようにちょこまか動けるのは……羨ましい」
ユーゴなりにレオナルドを励まし、褒めているつもりのようだ。
新しいシャツに袖を通すと、ユーゴはしばし考え込んだ後、口を開いた。
「……なあ、レオナルド」
「何かな」
「暖かくなってからでいい。……そなたの時間のあるときに、我に稽古を付けてくれんか」
「けいこ?」
思わず聞き返してしまった。
ユーゴは頷き、壁に立てかけているレオナルドの模擬剣を見やった。
「……我は強い。竜の姿になれば、もっと強くなる。だがそんな我でもおそらく、絶対にそなたに勝てるとは思えない。ましてや、人の姿をしているときは手先もうまく使えん。いつでも竜の姿になれるわけでもない」
「……」
「我はこの姿でも戦う術を、一つでも多くしたい。我は魔法が得意だが、魔法が効かない相手や魔法が不利になる状況もある。そういうときも、そなたのように戦う力があれば……ママを守れると思う」
「……アマリアさんを守るために、君は剣も持てるようになりたいのか?」
「愚かな動機だと笑うか?」
「まさか。だって、昔の僕も同じだったんだから」
レオナルドは微笑み、ユーゴに手招きをした。彼は少し迷ったようだが、やがてレオナルドの方にやってきて膝に乗った。
子どもの頃のレオナルドも、アマリアに会いたいから、アマリアの隣に立ちたいから、学者になるという夢をやめて剣を握った。院長先生やシスターには止められたが、絶対に折れなかった。
強くなれば、大切な人を守れる。
強くなれば金も稼げて、大切な人に楽な生活をさせてあげられる。
だから彼はギルドに入り、冒険者ではなく傭兵になったのだ。全ては、初恋の人のために。
ユーゴはレオナルドの膝の上で向かい合って座っていたが、レオナルドのシャツをぎゅっと握って視線を落とした。
「……そうか。なら、頼む。我も強くなりたいんだ」
「分かった。僕にできることはあまり多くないと思うけれど、協力するよ」
「……うん、ありがとう」
珍しく素直に礼を言ったユーゴの髪を撫でる。自分とよく似た色だが、輝きは全く違う柔らかい髪からは、微かに冬の香りがした。




