7 十年という時間①
「……ユーゴ!」
ばん、とドアを開け、アマリアは大股で部屋の中に足を踏み入れる。適当に言い訳をして雑貨屋を後にしたアマリアは真っ直ぐ宿に戻り、ユーゴを問いつめることにしたのだ。
ユーゴはベッドに寝転がり、クローゼットの中に入っていたらしい木製のハンガーを弄んでいた。いきなりアマリアが飛び込んできたからか、彼は一瞬だけ身を震わせた後、おずおずと顔を上げる。
「え、どうしたのだ、アマリア。我は何も悪いことはしていないぞ!」
「それは分かっているわ。……それより、ユーゴ。これはいったいどういうことなの!?」
寝そべっていたユーゴを抱き起こし、ベッドに並んで座る。アマリアとユーゴは親子扱いされているので、部屋のベッドは一つだけなのだ。
アマリアが農夫と雑貨屋の店主から得た情報を口にすると、ユーゴは小首を傾げた。
「十年が経過していた? ……ああ、なるほど。だから我が昼寝をしていた山も姿を変えたのだな」
「ど、どうしてそんなに落ち着いていられるの!? まさかユーゴ、分かっていたの!?」
「断じて違う。我は別にそなたを謀ろうとしたわけではないし……正直、十年とか言われてもピンとこないのだ」
アマリアに詰め寄られたユーゴは、しゅんと頭を垂れた。
その様はまさに叱られた子どもで、いくら相手の本性は竜とはいえ見た目五歳程度の子どもに怒鳴る勢いで迫っていたことを思い出し、アマリアはきゅっと唇を噛みしめて座り直した。
「……ごめんなさい、いきなり声を荒らげて」
「いや、我こそすまない。人間は時間というものを非常に気にする生き物だとは知っていたというのに、そなたのことを気に懸けてやれなかった。……我は本当に、そなたを魔界に連れていくことで十年の年月が流れてしまうとは知らなかった」
ユーゴが言うことによると、そもそも魔物や竜たち魔界の生き物は、時間の感覚に非常にルーズなのだという。
魔界は常に明るいか暗いかで、人間界ほど時間の経過がはっきりしていない。だからユーゴも、「竜族の中では、自分は若い方」ということは分かっても、具体的に何年生きているのかとか、どれくらいの間昼寝していたのかということは全く分からないそうなのだ。
ユーゴとしても、人間を自分の力で魔界に連れ込むというのは初めての経験だった。だから、アマリアとしては魔界にいたのは体感にして十分程度だったのだが、いざ現実世界に戻ると十年が経過していたとしても、竜であるユーゴの寿命の中ではほんの一瞬の出来事なのだ。
話をしながら、あれ、とアマリアは首を捻る。
「……雑貨屋の店主は、ナントカっていう冒険者一行が黄金の竜を討伐してからは山が落ち着いて、このあたりに強い魔物が出なくなったと言っていたわ」
「ナントカ? ……ああ、さてはあのクソガキどもだろう。連中、そなたを見捨てただけでなく、我が姿を消したことをも、さも自分たちの手柄のように吹聴したのではないか」
「クソガキって……アルフォンスのこと?」
「他に誰がいるか。……我は人間の体に扮している今こそ魔力を抑えられているが、竜の姿になるとどうも制御が難しくなるのだ。だから、我が昼寝をしている間に我の魔力に反応した魔物が集まり、我がいなくなったことで自然とその住処を変えたのだろう」
(……ということは、アルフォンスたちはおいしいとこ取りをしていったってこと?)
黄金の竜であるユーゴはアルフォンスたちに討伐されることなく、姿を消した。普通、ギルドの依頼を達成するには魔物の遺骸の一部などを提出すのが原則なのだが、「その地域で強力な魔物が出没しなくなった」というのを理由に条件達成することもできるのだ。
おそらくアルフォンスたちはアマリアを置き去りにして下山した後、山が落ち着き、魔物が消えていったことを知った。そのため依頼を受けたギルドで、「自分たちが黄金の竜を倒したからあの地域から魔物がいなくなったのだ」と報告したのだろう。
ギルドも半信半疑だろうが、実際それ以降十年間黄金の竜はいなくなったし、強力な魔物も現れなくなった。山の麓に集落を築けるくらいになったから、ギルドはアルフォンスたちの報告を受け入れ、黄金の竜を討伐した一行として名が知られることになったのだろう。ポルクの者には、「ナントカ」としか覚えられていないが。
「……」
「……アマリア」
「……なんというか、すごく腹が立つ」
「おお、奇遇だな。我も同じ気持ちだ」
アマリアが感情を抑えた声で絞り出すと、膝の上で固めた拳の上にそっと小さな手が載せられた。
顔を上げると、きれいな金色の目がアマリアを捉える。優美なラインを描く眉は微かに寄せられ、美貌の少年が悲しそうな顔でアマリアを見ていた。
「我はあのガキどもに何の思い入れもないし、連中が何をしようと知ったことではない。だが、我があんな雑魚に打ち負かされたと噂されるのは不服だし、何よりアマリア、そなたのような優秀な人材を見捨てた分際で、ありもしない武勲を立てて偉そうにしているというのは腹が立つ」
「……私は、優秀な人材なんかじゃないわ」
ぽつんと、弱音を吐き出す。
ギルドで魔法能力を測定したときも、結果は「中の下」程度。修道院で白魔法の訓練は受けていたが、何回も魔法を使えば疲労するし、その効果もギルドの中ではしれたものだった。
それでも、自分を頼りにしてくれる人がいるなら、その人に協力したいと思った。おまけに、これまで自分を育ててくれた人たちに給金を渡せるのだから、アルフォンスたちに同行するというのはアマリアにとっておいしい話だった。
(……でも、実力不足は否めない)
だから、アマリアよりずっと優秀な上に若くて美しくて身分のあるエスメラルダが選ばれ、自分は捨て駒として利用できるだけ利用され、空っぽになった体は竜の山に捨て置かれたのだ。
だがユーゴは艶やかな唇を突き出し、むっと顔を歪めた。
「それは、人間たちの浅はかな判断であろう。そなたは希有な力を持っておる」
「……私よりもずっと優秀な白魔法使いなんて、いくらでもいるわ」
「ん? ……ああ、そういえばそなた、白魔法使いだったな。忘れていた」
「はい?」
思わず暗い感情も引っ込み、アマリアはユーゴを凝視した。てっきり彼はアマリアの白魔法の才能についての話をしていると思ったのだが、どうも違うようだ。
「白魔法の話じゃないの?」
「……うむ、確かにそなたの魔力は人間としては並程度だろう。だが、実力というものは何も魔法という形でしか表に出ないわけではない」
ユーゴはアマリアの手の甲を撫でながら言い、首を捻った。
「うむ……我にもはっきりとしたことは分からんが、そなたはおそらく何か秘めた才能を持っておる。白魔法とかとはまた違う種類の力を、そなたの体から感じるのだ」
「……嘘でしょう」
「嘘ではない。そもそも、そなたがただの人間であったら、我がそなたを魔界に連れていこうとした時点で拒絶反応を起こしていた。だがそなたは魔界に連れていったことで傷も癒えたし、十年という歳月は経ったものの健康そのものの姿でこちらに戻ってくることができた。そうであろう?」
「……」
言われてみれば確かに、魔物たちが生まれる場所である魔界に普通の人間が放り込まれて、無事でいられるとは限らない。あのときのアマリアは色々と必死になっていたので「そういうものか」と思っていたが、冷静に考えるとユーゴの説明にも納得がいく。