66 出発の朝に
キロス王都は、朝から少しざわついていた。
王女とその夫が、ついに重い腰を上げて魔物討伐に行くと知らされたからか、国民たちも期待半分諦め半分といった気持ちで出陣を見送るつもりのようだ。
フアナがこっそり教えてくれたのだが、国民としてはエスメラルダやアルフォンスが失脚することにさほど関心はないようだ。
次期国王は、エスメラルダの兄である王太子と決まっている。彼と妻の王太子妃は妹王女夫妻と比べてかなり人気があるようなので、今さら王女たちが成果を上げようと失敗しようと、どうでもいいそうだ。
「むしろ、お生まれになった王子様をいっそ王太子殿下の養子にすればいいのではとさえ言われてまして」
「フアナ……さすがに口が過ぎます」
「す、すみません」
上司であるロレンサはフアナを窘めるが、噂自体は否定しないところからロレンサの気持ちを察することができた。
(私が同行までして魔物退治に行く意味、あるのかな……)
げんなりしてしまうが、「やれ」と言われたからにはやるしかない。
エスメラルダたちの機嫌を損ねれば、今度こそ首を飛ばされるかもしれないのだ。相変わらず全く乗り気にはなれないが、進むしかないだろう。
アマリアも旅に同行することになるので、フアナたちが旅支度を調えてくれた。
フアナはアマリアの普段着にこっそり手を加え、生地の内側の胸元部分にポケットを作ってくれた。「ここに入れていれば、誰にも気づかれませんよ」と言ってレオナルドのブローチを渡してくれたときのフアナは、女神に見えた。
ブラウリオが迎えに来たので、アマリアは重い体を引きずって部屋を出た。去り際にフアナとロレンサが声を出さずに応援してくれたので、彼女らの励ましを胸にきりっと顔を上げる。
「これから応接間に向かいますが……おや、もっと落ち込んでいるかと思いきや、元気になられたようで何よりです」
並んで歩くブラウリオが湿っぽく笑ったので、アマリアはむっとしてそっぽを向いた。
「……落ち込んでいても、何にもなりませんので。私は、今の私にできることをするだけですもの」
「なるほど。……まあ、昨日のあなたの失敗について、私は心当たりがあるのですがね」
「えっ、嘘!?」
思わず、ブラウリオの服をがっと掴んでしまった。
相手は大の男なのだから、どうせぺいっと跳ね飛ばされてしまうだろう――と思いきや、不意打ちを受けたブラウリオはがくっと膝を折って倒れそうになっていた。アマリアの力ごときに負けるとは、敵ながら彼の生活習慣が心配になってくる。
「っと……淑女の嗜みというものを身につけたらどうですか?」
「あなたこそ、もうちょっと肉を食べたらいいと思います。……それで? 私の紅茶がまずかった原因は何なのですか?」
アマリアが詰め寄ると、ブラウリオは足を止めた。
アマリアも立ち止まってじっと彼の不健康そうな顔を見つめていると、彼はくつくつと笑いだした。
「くく……それを言えば、つまらないでしょう」
「つまらない、って……下手すればあなたにまで累が及ぶかもしれないのですよ?」
まさかそんな理由ではぐらかしたとは思えずアマリアが眉根を寄せると、ブラウリオはなおもじっとりとした笑みを浮かべたまま歩きだしたので、慌ててアマリアも彼に付いていく。
「あなたこそ、自分を誘拐した張本人に答えをねだるのが恥ずかしいと思わないのですか?」
「失敗して殺されるくらいなら、そんなプライド、地に投げ捨ててやります」
「ほう……」
またしても立ち止まったので、アマリアはいい加減イライラして腕を組む。
すると急にブラウリオの腕が伸び、アマリアの顎をがしっと片手で掴んできた。
もうちょっとシチュエーションとやり方と相手が違えば胸がときめくような光景になっただろうが、ブラウリオはアマリアの頬を親指と人差し指で押さえるものだから唇を尖らせることになるし、そもそもブラウリオに触れられてときめくわけがない。
「……なにしゅるんでしゅか」
「あなたは思ったよりも肝が据わった、いい女性だったようですね。この見た目だととても三十代には見えませんし、紅茶の才能も非常に興味深い。もしアルフォンスがあなたを切り捨てるよう命じるなら、代わりに私が引き取ってやりましょう」
「生理的に無理」
頭を振るって拘束から楽々逃れ、ついでにみぞおちに一発くれてやる。
腹を押さえて呻くブラウリオを残し、アマリアはおろおろする衛兵をせっついて応接間に案内するよう頼んだ。
(……いくら生き延びるためだからと言われても、あんな男に引き取られるなんて絶対に嫌!)
先ほどは強気に突っぱねたが、長袖ブラウスの下はぞわぞわと鳥肌が立っている。同じ男性でも、レオナルドに触れられたらドキドキして嬉しくなるのに、ブラウリオに触れられても「うわぁ」としか思わない。
(……レオナルド、会いたいよ)
胸の隠しポケットに収まるブローチの存在を確かめ、アマリアは応接間に足を踏み入れた。
そこでは、既に武装したアルフォンスとエスメラルダが待っていた。どちらもきらきらしい鎧や裾の長すぎるマントなどを纏っていて、とても動きにくそうだ。そんな格好で、魔物を討伐する気があるのだろうか。
「来たか、アマリア。今度こそちゃんと飲める代物を準備するんだろうな」
「……尽力します」
「頼みますよ、アマリア。……さあ、こちらに座って」
苛立ちを隠そうとしないアルフォンスと対照的に、エスメラルダは笑顔で近づくとソファに案内してくれた。だがアマリアが衛兵から離れると耳元に唇を寄せ、「……次に下水を飲ませたら、その顔を切り刻む」とドスの利いた声で囁いてきた。
彼女は白魔法使いだがある程度の黒魔法の適性もあるので、本気になればアマリアの顔を風魔法で切り刻むくらい造作もないだろう。
ずくん、という胸の痛みを感じながら、アマリアはソファに座る。目の前のテーブルには既に茶器や果物が準備されていて、今か今かと出番を待っていた。
「俺たちにはよく分からないが、ひとまず盛れるだけの属性を全てぶち込め。まずいものを作ったら承知しない。俺もエスメラルダも気に入るような味にしろ」
……これほどの注文を付けるとは、なかなかひどい客である。




