64 因縁の王女
アマリアが軟禁されて五日経った日の早朝。
出発を翌日の昼前に控えたアマリアは久々にアルフォンスの執務室に連行され、そこで十年ぶりの人物と再会した。
「まあ……! 本当にアマリアなのね!」
いったい何の用事だろう、と思って執務室に渋々参上したアマリアは、歓声と共に銀色のカーテンに包まれた。
「本当に、無事でよかった……まあ、あなた、アルフォンスの言うとおり全然変わっていないのね。若返りの魔術でも編み出したの?」
「……お、お久しぶりです、エスメラルダ様」
問答無用の抱擁からなんとか脱出したアマリアは、全身を強張らせつつお辞儀をした。
執務室でアマリアを待っていたのは、見事な銀髪を持つ絶世の美少女――ではなく、美女だった。十年前は少女らしい初々しさがあったが、二十代半ばになり息子も生んだからか、大人の女性らしい落ち着きを備えているようである。
キロス王の娘で、アルフォンスの妻である王女エスメラルダ。彼女に「役立たずの年増」と言われ、竜の囮にされたのも今では懐かしいとさえ思われる。
(アルフォンスにしろエスメラルダにしろ、竜の山での出来事は自分たちにとって都合のいいようにねじ曲げているのね……)
溜息をつきたくなるが、ぐっと堪えた。バレたときに面倒なことになりそうなので、十年前の出来事についてはフアナたちにも明かしていない。エスメラルダは離宮でも、「十年前に、姉のように慕っていたアマリアを失い、助けられなかったことをずっと後悔している健気な王女」としての立場を貫いているようだ。
アマリアは努めて笑顔の仮面を貼り付けたが、何か感じ取ったのだろう。エスメラルダはつとアマリアの耳元に唇を近づけると、「十年前のことをばらしたら、殺す」と低く囁いた。
だがアマリアがさっと顔を上げたとき、エスメラルダは慈愛の笑みを浮かべ、アマリアの髪を優しく撫でていた。
「何にしても、あなたに会えて嬉しいわ。……今度、わたくしとアルフォンスの魔物討伐遠征に同行してくれるのでしょう? 危険な旅に『使用人として』付いてきてくれると聞いて、是非挨拶に行かなければと思ったの」
「……エスメラルダ様にご足労いただき、感謝します」
本当なら彼女はこの離宮で夫と息子と共に暮らすべきなのだから、わざわざ本城から「ご足労いただいた」のはおかしな話である。
だがエスメラルダはアマリアのほんの僅かな皮肉に、気づいていて無視したのか本当に気づいていないのか分からないが、調子よさそうにアマリアをソファに誘った。
執務室のデスクにはむっつり顔のアルフォンスがいるが、先ほどから一切口を開かない。どうやら妻とアマリアの薄ら寒い再会シーンに口を挟むつもりはないようだ。
「そうそう、あなたって『使用人にしては』紅茶を淹れるのが得意だったのよね。この遠征でも『使用人の仕事として』お茶を淹れるそうだし、ここで一杯、わたくしたちのために淹れてくださらない?」
「おまえは使用人として付いてくるということを忘れるな」と言い聞かせるためなのだろうが、わざとらしい言い方である。
見え透いた態度にうんざりしつつ、アマリアは引きつりそうな笑顔で頷いた。
「喜んで。……離宮で不自由なく過ごさせていただいている間も、紅茶の練習は欠かさず行って参りました」
「ふふ、そのようね。あなたが淹れたおこぼれを下賜したメイドや兵士からも好評のようだし、わたくしたちにふさわしい一杯をお願いするわね?」
いちいち言い方や言葉の言い回しがカチンとくる王女である。
(昔も、アルフォンスにはべったりだったけれど、私に対しては冷たかったものね)
とどめは、「役立たずの年増」発言と、わざわざ黒魔法を使ってでも竜をおびき寄せ、アマリアを囮にしたことである。こんなきれいな顔の下ではろくでもないことを考えているし、十年前のことを暴露されては困るからこその、先ほどの「ばらしたら殺す」発言だろう。
(こんな人たちのために無駄になる果物たちに申し訳ないけれど、やるしかないな)
いつぞやのように、ロレンサが道具の乗ったカートを押してやって来た。彼女が、エスメラルダやアルフォンスたちに見えない位置でぐっと拳を固めてエールを送ってくれたので、アマリアは少しだけ肩の力を抜くことができた。
(まずは、作る紅茶の種類を考えないと)
今回は素材の属性を引き出す云々よりも、アルフォンスとエスメラルダのお気に召すような味にすることを一番に考えなければならない。
(アルフォンスは匂いのきついハーブが嫌いで、確かエスメラルダは甘くて高級な果実が好きだった)
両方の希望を同時に叶えるとなると、今回は甘さで攻めるべきだろう。全く乗り気にはなれないが、これも生きるためだ。
材料の盛られた籠の中から、プリネ、フィフィ、モレを選び出す。そしてエスメラルダの許可を取った上で、グワムによく似ているけれど見覚えのない果実を一つ食べて味見をした。
(これは……グワムよりも種が大きくて食べにくく、果肉より皮が甘い。実ではなくて、皮の方が使えそうね)
使用する素材を決めたら、下ごしらえを始める。
プリネとフィフィは皮を剥いて実をざくざくと切り、どんどんポットに投入する。モレは輪切りにしたうちの半分だけを使い、グワムもどきはよく洗ってもらい皮だけを入れた。
(この素材なら、抽出すればきれいな夕焼け雲色になるはず)
グワムもどきは少々読みにくいが、皮は赤色なのでそこまで奇抜な色にはならないはずだ。
いつもよりも長めに蒸らす時間を取り、中の果物の滓は全てトングで取り出した。温めておいた三つのカップに慎重に紅茶を注ぐと、予想したものよりは少々赤みが強いものの、きれいなあかね色になったので安心した。
残しておいたモレの輪切りの一つは紅茶に浮かべ、扇形に切って切れ込みを入れたものをカップの縁にも飾る。これまでも来客用にはしばしばやっていた飾りで、お好みでモレの汁を搾って味の調節ができるようにしているのだ。
「お待たせしました。プリネやフィフィを使ったフルーツティーです。お好みでモレの汁を追加して、どうぞ」
「まあ、おいしそうな匂い」
「……うまそうだな」
エスメラルダが手を打って喜んだのみならず、ロレンサがデスクにカップを運ぶと、アルフォンスも珍しく機嫌がよさそうに言ったので、アマリアはほっとした。
レオナルドやユーゴ、フアナたちのために淹れるときのように楽しく淹れられたわけではなく、失敗しないようにと思いながら淹れたのだが、なんとか形になったようでよかった。
(グワムもどきはちょっと不安だったけれど、おいしくできたみたいだしよかった)
肩の力を抜き、アマリアは疲れた体を休めるためにソファに身を預けつつ、様子を眺めることにした。
まず、いつの間にか側に立っていたブラウリオがいつものように紅茶に手を突っ込み、測定を始める。
「……炎属性、地属性、風属性を感じます。飲むことでそれぞれの属性の力を身につけられるかと」
「あら、本当にあなたの紅茶、効果があったのね」
エスメラルダは言い、カップを指先で摘んで上品に口元に運んだ。
……そして。
――びしゃり。
「……なにこれ。すっごくまずいわ!」
ぽたぽたと温かい液体を正面から被ったアマリアは、呆然としていた。
エスメラルダは一口紅茶を飲むなり、中身をアマリアにぶちまけたのだ。まるで、以前アルフォンスがフアナに対してやったように。
だがアマリアは生温かい滴を頬から垂らしつつ、ぽかんとしていた。このような反応をされるとは思っていなかった。
(ま、まずい……!?)
エスメラルダは美しい顔を怒りで歪めていて、何も言わないアマリアにますます腹を立てたのか、今度はカップごと投げつけてきた。
――本能のおかげで、アマリアは投げられたカップを奇跡的に回避できた。だがかえってエスメラルダの怒りを煽ってしまったらしく、彼女はバンッとテーブルを叩いて立ち上がった。
「ふざけないで! 何よ、この泥水! わたくしを馬鹿にしているの!?」
「アマリア! おまえ、エスメラルダになんてものを飲ませたんだ! おい、ブラウリオ! おまえ、さっき測定をしたんじゃないのか!?」
アルフォンスもデスクから立ち上がると、いたわしげにエスメラルダの肩を抱いた。不仲ということだが、こういうときは妙な絆が生まれるものらしい。
(そ、そんなこと言われても……いつも通りの手順で作ったのに……)
泥水、と言われても、アマリアはただフルーツティーを淹れただけだ。皆が見ている前であったし、変なものも入れていない。
緊張と困惑で体中の血が引き、みぞおちのあたりが凍り付いたかのような感覚に陥る。
だが、この部屋の中でただ一人平静を保っている者がいた。
「確かに私は測定しましたが、それはあくまでも紅茶の中に含まれる魔法属性を検出しただけのこと。これを飲めば間違いなく属性の効果は得られますし、味のことを言われましても困りますねぇ」
アルフォンスに矛先を向けられたブラウリオはしれっとして言うと、手つかずだったアルフォンス用の紅茶を手にとって口に含んだ。そして、「おお、これはなかなかまずい」と、むしろおもしろがるように呟いている。
アルフォンスはブラウリオの態度に一瞬毒気を抜かれたような顔になったが、すぐにアマリアの方を向くと、びしっと胸元を指差してきた。
「……下がれ! いいか、明日の朝までに飲めるものを作れるようにするんだ! またこんな汚水を作れば容赦しないぞ! いいな!」
その後、アマリアはすぐに部屋に戻された。
事情を聞いていたらしいフアナとロレンサが心配そうに迎えてくれたので、アマリアは「今はお休みください」と申し出てくれた二人の厚意に甘え、一人きりになってベッドに倒れ込んだ。
(私の紅茶が……まずかった?)
そんなはずはない。使用した果物は全てキロス側から提供されたものだし、手順はこれまでと何ら変わりない。ブラウリオが属性測定した結果も的確なものだったから、異物が混入したわけではないはず。
できることなら検証のためにも、ポットに残っていた紅茶を自分でも飲んでみたかった。だがそれを申し出るとアルフォンスが「そう言ってポットに細工するつもりなのだろう!」とますます怒り、ポットは没収されてしまったのだ。
毒が入っていたとかではなくただ単にまずかっただけらしいので、アマリアはこっぴどく叱られるだけで部屋に戻ることができた。
(紅茶に細工をした覚えは一切ないけれど、もし体調に害を及ぼすようなものを作ってしまっていたら……)
考えるだけでぞっとし、アマリアは毛布にくるまって己の体をぎゅっと抱きしめた。
先ほど廊下をずるずるを引きずられながらブラウリオに言われたのだが、明日の昼前にアルフォンスたちが出発するのに合わせ、アマリアは出陣前にまず一発目の茶を淹れることになる。
旅先でも属性効果を切らせないようまめに茶を淹れるが、ここでまたしても「汚水」を作れば今度こそ、アマリアの命はないかもしれない。アルフォンスたちに、「少々まずくても効果があるのなら我慢して飲もう」という考えはないだろう。
(首が飛ばないためにも……ちゃんとしたのを作らないと。でも、何がいけなかったんだろう……)
目を瞑り、先ほど執務室で作った紅茶の反省をする。
だが、いくら考えても心当たりがなく、アマリアはその日の午前中を悶々と悩みながら過ごしたのだった。




