6 集落にて②
ユーゴの手を引き、アマリアは集落への道を再び歩いた。ユーゴは「手を引かなくても歩けるよ」と主張したが、「こうした方が本物の親子っぽいの」と言うと、思ったよりもあっさり受け入れてくれた。
今では片手をしっかりアマリアと繋ぎ、通りすがりに引き抜いた細長い葉っぱを空いている方の手で振り回して遊んでいた。そういう仕草だけ見ていると、彼が「えいっ!」で石を大破できる竜なのだと見抜く者はいないだろう。
集落に戻ると、最初に雑貨屋の場所を教えてくれた女性と再会した。彼女はユーゴを見ると、目を丸くして相好を崩した。
「あらら、なんとまた可愛い男の子だねぇ。ぼうや、お名前は?」
「ユーゴ」
「ユーゴ君だね。お母さんはあんたのために危険なお仕事をしているのだから、お母さんの言うことをしっかり聞くんだよ」
「あ、あの……」
中年女性はアマリアのことを気遣ったのか、腰を屈めてユーゴに言い聞かせた。見た目は美少年だが中身は強大な力を持つ竜だ。「ママ」認識しているアマリアならともかく、知らない人間に子ども扱いされて腹を立てたりしないだろうか。
予想通り、お子様扱いされたユーゴはほんの少し不快そうに顔をしかめた。だがちらっとこちらを見た際にぶんぶんと首を横に振って意思表示すると、とたん彼はころっと態度を変え、笑顔で女性に頷きかけた。
「わかった。おれ、ママ大好きだから、ママの言うことをちゃんと聞く!」
「あらあら、いい子ね。……それじゃお母さんも無理はしないで、親子仲よくなさいね」
「は、はい。お気遣いありがとうございます」
なんとか切り抜けられたようで、アマリアはほっとしてお辞儀をした。だが手汗はひどいし、心臓はバクバクしている。ユーゴがアマリアの意志を汲み取ってくれて、本当によかった。
「……ありがとう、ユーゴ。おかげで怪しまれなかったわ」
「我々の関係を疑われればアマリアも困るだろうし、我も人間界の観察をするのが難しくなる。これくらい、どうということはない」
さっきは子どもっぽい舌っ足らずな喋り方だったのだが、アマリアに耳打ちするときだけは竜のときのように偉そうで古風な口調になった。凄まじい落差だが、きちんと使い分けてくれるのなら別にいいだろう。
先ほど立ち寄った雑貨屋の近くには、宿屋があった。人口百人にも満たなそうな集落だからか宿も小振りだが、これまた真新しいらしく清潔な感じがした。
玄関の掃き掃除をしていた若い娘はアマリアとユーゴを見ると少し意外そうな顔をしたが、すぐに笑顔でお辞儀をして、「本日のお部屋の空きはありますよ」と教えてくれた。
「今日はここに泊まりましょう。ご飯も食べられるし――って、ユーゴ。あなた、人間の食事でも大丈夫なの?」
「ん? 我は肉食だ。雑草や木の根などは、ほとんど食べる必要はない。肉ならば、生だろうと焼こうとおいしく食べられるぞ」
雑草や木の根――おそらく、野菜全般のことだろう。これくらいの年の子どもなら肉をたくさん食べてもそれほど不審には思われないだろうし、何の肉でもいいのならどこの店でもまかなえるだろう。竜の主食が巨大蜘蛛や魔物の死骸などではなくて、本当によかった。
宿の主人はアマリアたちを見ると意外そうな顔をしたが、「息子を育てながら冒険者業を……」と説明すると、納得してもらえただけでなく宿代も安めにしてくれた。雑貨屋でも同じ展開になったし、騙していることになるのでものすごく胃に悪いし、アマリアは何度も遠慮したのだが、結局押し切られてしまった。
(本当にごめんなさい、皆さん。せめて、集落の方々の邪魔にならないように静かに過ごします……!)
「私はちょっと情報収集に行ってくるけど、ユーゴはどうする?」
「んー」
部屋に上がって器具一式の説明をした後で問うたところ、ユーゴは素焼きの花瓶を両手で持ったまま生返事をするだけだった。後ろから覗き込むと、彼は金色の目をきらきらさせて手の中の花瓶を見つめていた。
「それ、そんなに珍しい?」
「魔界にはなかったし、竜の姿のままだとこんな小さなものをまともに持つこともできないから、貴重だ。……ああ、外出だったか? 我が外に出てもそなたの足手まといになるだろうし、我はこの部屋の道具を研究してみたい」
「それじゃあ、お留守番ね。……備品は壊さないようにすることと、他の人の迷惑になるようなことはしないの、いいね?」
「うむ、分かっておる。安心して行って参れ」
仰々しい口調で言いながらも声は弾んでいるし、空の花瓶をひっくり返したり模様を指でなぞったりするのに忙しいようで、アマリアの方を見ようともしなかった。
(……まあ、ユーゴだって人間世界の観察ができなくなるのは嫌なんだろうし、問題を起こしたりはしないよね)
ユーゴを信頼することにして、アマリアは一人で部屋を出た。宿の主人には、「息子は部屋で寝ているので、そっとしておいてください」と伝え、外に出る。
あれこれしている間に、日が落ちてきていた。
山の端に沈みゆく太陽を見つめ、アマリアは目を細める。
(……私たちが竜の山に到着したときは、確か昼前だった。ということは、私がユーゴに助けられて魔界からこっちに戻ってくるまで、思ったよりも時間が掛かったのかな……?)
集落がなかったと思ったのも、アマリアの気のせいかもしれない。そう思い、アマリアは畑仕事から帰る途中らしい農夫を捕まえた。
「すみません。私、今日この村に到着したばかりなのですが、この村の名前はなんという名前なのでしょうか」
「村ってほどじゃないけれど、ポルクって名前だ。といっても、五年ほど前にできたばっかりだけどな」
農夫は足を止め、汗を拭きながら言った。
(なるほど……五年前なら、家屋や柵が比較的新しいのも納得ね)
……だが、それにしては妙だ。
「あの、ここは竜の山の麓で、魔物の被害も多いでしょう。見たところそれほど強靱な警備隊がいるわけでもなさそうですが、魔物対策などは大丈夫なのでしょうか」
ギルドで竜討伐の依頼を受けたとき、「この近辺は魔物の被害がひどくて、人が暮らすのに向いていない」と聞いていた。だが集落の光景はあまりにものどかで、強力な自警団や魔法警備隊がいるようにも思えない。
ところが、アマリアの言葉を聞いた農夫は目を丸くし、自分の後方にそびえていた竜の山を親指の先で示した。
「何を言っているんだ、お姉さん。十年前に黄金の竜が消えてからというものの、この辺はずっと平和だ」
「……え?」
「ナントカっていう冒険者一行が、あの山で暴れている竜を討ち取ったんだよ。それ以降、うだるほど熱かった山は落ち着きを取り戻して、見てのとおりのただの禿げ山になった。強力な魔物もめっきり出てこなくなったから、俺たちはここで生計を立てて暮らすことができているんだ」
「……」
すらすらと述べる農夫を、アマリアは言葉を失って見つめていた。
(十年前……ナントカっていう冒険者?)
待てよ、落ち着け、と自分に言い聞かせ、胸元をぎゅっと握る。
そこにくたびれたお守りの感触があるのを確かめ、アマリアは笑顔を心がけた。
「まあ、そうなのですね。ごめんなさい、このあたりの地理には詳しくなくて」
「気にすんな。もしこの村の成立について気になるのなら、宿の主人に聞いてみな。俺たちの中で一番早くここに住み始めたのがあいつだからよ」
「分かりました。ありがとうございます」
あくびをする農夫をお辞儀をしながら見送りつつ、アマリアは汗でぬめる手をスカートの裾で拭う。
今の農夫は、いったい何を言っていたのだろうか。
(十年前に、黄金の竜がナントカという冒険者たちによって討伐された――それ以降、山は落ち着いて、強力な魔物も出なくなった――)
はっと目を見開き、あたりを見回す。
まさか、と思いつつ、宿ではなく小走りで雑貨屋に向かった。
最初に買い物をしたときはなんとも思わなかったが、雑貨屋のカウンターには木製のカレンダーがあった。六面のブロックに文字が刻まれていて、朝になるたびに自分でブロックを回転させて日付を変えるタイプのものだが、確かに置いていたはず。
「あれ? あんた、ちょっと前に来たお母さんじゃないか」
「す、すみません。お邪魔します」
「いやいや、どうぞ入りな。息子君は元気か?」
「はい。服を着替えさせて、今は宿で休んでいます」
「そうかそうか。よかったらまた後で、息子君の顔を見せてくれよ」
「ええ、喜んで」
何気ない会話をしつつ、アマリアはさっとカウンターの上を見やる。カレンダーは、最初に見たときとは少々位置がずれていたが、ちゃんと置かれていた。
……どくん、と鳴る胸に手をあてがい、カレンダーを見る。
それが示すのは、アマリアがアルフォンスたちと共に最後の宿を出発した日よりも、一ヶ月ほど前の日付だった。
……思わずふらっとしそうになったが両脚で踏ん張り、アマリアは強張った笑顔でカレンダーを示した。
「あの、このカレンダー、とても素敵ですね。お手製ですか?」
「お? ああ、そうだ。俺の親父が大工で、俺がガキの頃に作ってくれたんだ。一品ものだから、悪いがこれは売れないからな」
「もちろんです。……これなら、月日が分かりますね。えっと、今年は何年でしたっけ……」
「暦三百八十九年だろう? さすがに、暦まで入れるのは難しかったからなぁ」
店主は父親手製のカレンダーを手に取り、しげしげと見つめながら言っている。おかげで、アマリアが目を見開いてほんの僅か後じさりするという不審な行動をしても、見とがめられることはなかった。
店主の言うことが正しいのならば、今は暦三百八十九年の初秋。
だがアマリアが記憶している「今」は、暦三百七十九年の秋だ。
ということは――
(十年が、経っている――!?)
農夫と店主が共謀してアマリアをからかっているとは思えない。そもそも、かつてはだだっ広い野原が広がるだけだった場所に、一年そこらでこれほどの集落ができるはずがないのだ。