54 花の名前①
数日後、しんと冷える夕暮れ時にレオナルドが帰ってきた。
「おかえ……ちょっと、どうしたの、その格好!?」
「ただいま帰りました。……いえ、帰り道に池に落ちて困っているご老人を見かけまして。なんとか引っ張り上げられたのですが、僕も泥まみれになっちゃいました」
レオナルドはそう言い、あはは、と笑った。彼のズボンや上着には泥染みがあり、頬にも乾いた泥が付いている。
(どう見ても戦闘による汚れじゃないと思ったけど……人助けをしたのね)
「そうなの……大丈夫だった?」
「はい。幸い家が近かったので、送り届けてきました」
「あ、うん、ご老人ももちろんだけど……レオナルドは怪我していない? というか、こんな寒いのに泥まみれのままじゃ冷えるでしょう! ほら、お風呂に入ってきて!」
玄関に立ちっぱなしだったレオナルドを急ぎ引き入れ、ユーゴに風呂を沸かすよう頼んだアマリアは、レオナルドの上着に手を掛けた。
「うわっ!?」
「はい、両手をあーげてー! ……うわっ、シャツにまで染みてるじゃない! 絞ってこなかったの?」
「えっと、少しは絞ったんですが、手も泥まみれだったのであまり効果がなくて……いや、待ってください! 脱ぎます、自分で脱ぎますから!」
「あああー! ちょっと、泥が飛ぶから落ち着いて脱いで! 汚れ物はこっちに!」
「……す、すみません、本当に」
「いいのよ。人助けをするのはいいことだし、レオナルドは優しいものね」
まず上着やシャツなどを籠に入れ、ズボンはレオナルドが脱いだものを後でユーゴに持ってきてもらうことになった。
シャツを脱いだことで露わになった上半身は鍛えられていて、しっかり筋肉が付いている。背中を見ると肩胛骨のあたりが盛り上がっていたり、曲げたときの肘のごつさに気が付いたりし、不覚にもどきっとしてしまう。
(……だ、だめだめ! レオナルドはこれからお風呂に入るために服を脱いだのだから、見とれている場合じゃない!)
これ以上彼の体を見ていると魅入られて動けなくなりそうなので、籠をひっ掴むとすぐに厨房に駆け込んだ。服の泥はまず手であらかた洗い流してから、水を張った壺に浸す。そうして石けんを使いながらごしごし洗うのだが、いつものことながら、レオナルドの服の大きさには驚かされる。
身長でいうとアマリアとレオナルドの差は頭一つ分程度で、ポルクの他の男性陣に比べると彼は小柄な方に入る。
だが、彼の衣服はアマリアにとってはどれも大きく、袖や裾も長い。彼が普段着ているシャツも、アマリアが着れば袖は指先まであるだろうし、裾は尻の下くらいまであるのではないだろうか。
水を吸って重くなった上着をじっと見つめ――そして慌てて水にじゃばんと沈めた。
間違っても、アマリアがレオナルドの服を着てみるような真似はしてはならない。そんなことをすれば間違いなく、痴女が誕生してしまう。
しばらくすると、レオナルドのズボンを持ってユーゴがやってきた。急ぎ風呂を沸かしてくれた礼を言うと、ユーゴは「ズボンだけ持ってきた。下着はいつも通り自分で洗うってさ」と教えてくれた。
アマリアはレオナルドの服も普段から洗濯するが、下着だけは絶対に洗わせてくれなかった。アマリアも別に意地でも下着を洗いたいわけではないので、それはそれでいいと思うのだが、そのやり取りを聞いたユーゴは「人間はめんどくさいなぁ。どれも一緒じゃん」とぼやいていたものである。
レオナルドの衣服はどれもごつくて重い。しかも今回はシャツだけでなく生地の分厚い上着やズボンも一緒なので、かなり力が要った。
途中からユーゴが「おれが風魔法で洗濯するよ」と申し出てくれたのでありがたく頼み、アマリアはレオナルドの帰宅で中断していた夕食の支度を再開することにした。
レオナルドが夕食までに帰るとは聞いていたので、仕事帰りの彼のために体力の付くようなメニューを考えていた。さらに食事に添える紅茶も、体力回復効果や保温効果、血行をよくする効果などを持つものを中心に素材を揃えている。紅茶の効果についてはじっくり研究を重ねたため、いつぞやのような劇薬は作らなくなっていた。
風呂から上がったレオナルドは、泥まみれになったことを何度も謝ってきた。そんな彼をなだめ、無表情で風魔法を発動させ壺の中身をぐるぐる回転させているユーゴにも礼を言い、温かい食事を摂ることになった。
「寒い時期に入ったからか、最近は護衛をしていて遭遇する魔物の種類も変わってきました」
今回の仕事はどうだったか、と尋ねると、レオナルドはハンバーグを切りながら答えた。
「やはり、蛇やは虫類のような見た目を持つ魔物は減り、ある程度寒さに耐性のある魔物が増えてきましたね」
「なるほど……そういうのって、使う魔法とかも変わってくるの?」
「そうですね……どうしても、炎属性の敵は減ります。ああいうのは基本的に寒さに弱いので、冬場は冬眠するとか温かい地域に逃げるとかします。レアンドラはまだましですが、冬になると雪に閉ざされるような国では氷属性魔法が得意な魔物が頻出するので、炎属性魔法が得意な黒魔法使いならあちこちから依頼が舞い込んでくるそうです」
ということは、黒魔法使いの場合は季節や国、気候によって自分の魔力を生かせるか生かせないかの違いが出るようだ。
アルフォンスのパーティーにも黒魔法使いが一人だけいたが、魔物の属性と自分の得意属性がぶつかった場合、戦力外になってしまっていた。たとえば、炎に強い魔物に炎魔法を当てても効果がないどころか、魔力を吸収されてかえって強化させてしまうことさえあるからだ。
(白魔法は外部の影響がほとんどなかったけれど、黒魔法はそうもいかないのね……)
ユーゴとまではいかずとも複数の属性を扱える黒魔法使いならともかく、属性一つの一本勝負しかできない者ならば、さぞ苦労することだろう。
そんな話をしつつ、食事を進める。食後はレオナルドとユーゴが片づけをしてくれるとのことだったので、アマリアは先ほどユーゴが洗濯してくれたレオナルドの衣類を部屋干しするため、リビングに吊した。ユーゴが点火してくれた暖炉の炎があるので、しばらくすればあらかた乾くだろう。
「片づけが終わりましたよ。……ユーゴは上で休憩するそうなので、僕たちはちょっと話でもしませんか」
厨房からレオナルドがひょっこり顔を出して言った。ユーゴ曰く、「冬場はちょっと体が鈍るから、だらだらしたくなる」そうで、冬に入ってからはたまに一人になって寝室でくつろぐようになっていた。やはり竜といえど、生態はは虫類に近いのだろうか。
夕食時に飲んだ紅茶が少し余っていたので、少し湯と果実を足して二人で分けた。
紅茶を飲んでほっと一息吐き出すタイミングが被ったので、顔を見合わせてくすっと笑ってしまう。
(……うん、やっぱり私はこういう時間が好きだな)
外は寒い冬だけれど、家の中はとても温かい。レオナルドと向かい合って紅茶を飲んで、たわいもない話ができれば、それだけで幸せ。
(このときが永遠でなくてもいいから、今は幸せに浸っていたい)




