4 二十一歳、ママになる
ひゅう、と冷たい風が耳元を擽る。
ゆっくり目を開くと、黒く煤けたような色の砂地が視界に広がった。
「……あれ?」
「おお、目が覚めたか」
鈴を振るような少年の声にはっと顔を上げると、前方に転がる小振りな岩の上に、金髪の少年が座っていた。
間違いなく、アマリアが魔界で出会った、金色の竜が変化した姿だ。
彼はアマリアを魔界に連れていき、山で暴れた事情を説明してくれて――
「気分はどうだ? この世界でも問題なく体は動くか?」
「え、ええ。大丈夫そうです」
「それはよかった」
少年はそう言い、人間離れした美しいかんばせをほころばせた。
相変わらず全裸ということもあり、まさに宗教画に描かれる天使のような見目で、この黒く煤けた山に光が差したかのように――
「……あら? ここってどこ?」
「我が昼寝をしていたのと同じ山だ。何か問題でも?」
「同じ、って……私たちが来たときは、やたら熱くて熱気が立ち上っていた気がしますが」
あたりを見回すが、あのときのように地面からぶすぶすと煙が立ち上っていたり、熱風が吹き付けてきたりしない。それどころか周囲は焼け野原のように殺風景で、肌寒いとすら感じる。
(私が魔界にいた間に、こんなに風景が変わるものかな……?)
少年はアマリアの言葉に「そうだったか?」と首を捻った後、手を打った。
「おお、そうだ。そなた、命を救った礼にできることがあるなら何でもしたい、のようなことを言っておったな」
「え、ええ。まあ、そうですね」
「ならば、我にこの世界を探検させてくれ」
竜はぽかんとするアマリアに、満面の笑みで迫ってきた。
「我は魔界からこの世界に来たのだが、眠くて眠くてすぐに昼寝をしてしまった。だから、この世界のことがよく分からん。この姿ならば人間に混じることができるだろうし、そなたに付いていって人間の生活を観察したいのだ」
「か、観察って……竜がそんなことをするんですか?」
竜は他の魔物よりはずっと知性があると言われているが、人間の姿になって市井に交わろうと言い出すものなのだろうか。
アマリアの指摘に、少年はあざとさすら感じられる可愛らしい仕草で首を傾げた。
「別に禁じられているわけではない。我はとても強いのだが、喧嘩よりも楽しそうなことが大好きだ。よって、そなたにくっついてこの世界の研究をしてみたい。そなたは先導者として、我を案内するのだ。それを命を救った礼に充てようとおもうのだが……よいか?」
「……。……わ、分かりました」
「うむ、よい返事だ!」
少年は満足そうに頷き、「素直な人間は嫌いじゃないぞ」と偉そうに言った。
人間の姿になっているとはいえ、魔物を連れて歩くことに危惧がないわけではない。だが、アマリアには彼に恩義がある。
(見たところ、攻撃的でもないみたいだし……連れて歩くくらいなら、大丈夫だよね……?)
アマリアは、自分にできることならしたいと思っていた。だから、彼の申し出を受け入れるしかなかった。
まずは、この竜の山から下りる必要がある。
とはいえアマリアの服は戦闘後でボロボロだし、少年に至っては全裸だ。「別に寒くはないぞ」と言っているので風邪を引く心配はなさそうだが、全裸の子どもを連れ歩いていれば、間違いなくアマリアが警邏に捕縛されてしまう。
(この格好でうろうろはできないし、長旅もできないよね……)
「まずは町に行きたいのですが……その前に。あなたは、なんという名前なのですか?」
「名前? そのようなものはない」
「そ、それはちょっと困るような」
「適当に付けてくれ。そなたこそ、なんという名前なのだ?」
少年は自分の名前には全く頓着しないようだ。アマリアが足を止めると彼も立ち止まり、しゃがみ込んで足元の土を指でほじくり始めた。
「私の名前は、アマリアといいます」
「アマリアか、なかなかよい響きだ」
「ありがとうございます。それで、あなたの名前ですが……えっと、ユーゴ、というのはいかがですか」
ユーゴとは、レアンドラ王国の男子名としてはごくありふれたものだ。大都会で石を投げれば、そこそこの確率でユーゴさんに命中するのではないだろうか。
元が黄金の竜だからか髪も目も金色で、肌は白く、顔立ちも驚くほど整っている。そんな人間離れした彼だからこそ、ありふれた名前の方がよいのではないかと思ったのだ。
少年は「ユーゴ」と一度口の中で転がした後、満足そうに頷いた。
「あいわかった。それでは我のことは、これからユーゴと呼べ」
「分かりました。……あの、それからですね。物資の調達のためにも町には行かないといけないのですが、私たちの関係はどうしましょうか」
ユーゴは見た目なら五、六歳程度に見える。そんな小さな子を連れて歩くとしたら、なんらかの設定を作っておいた方がいいだろう。
「年の離れた姉弟か、孤児院で面倒を見ている子にするのが、手っ取り早いかと思いますが」
「ん? そんなこねくり回さずとも、親子ということにすればよかろう?」
「お、親子!?」
思わぬ提案にアマリアは声を上げてしまったが……確かに、二十一歳のアマリアなら五歳程度の子どもがいてもそれほど不思議ではないだろう。顔立ちは全く似ていないが、父親(仮)似だということにして、母子で旅をしているとでも言えば通じるはずだ。
(……でもそれってつまり、私の年齢ならこれくらいの年の子がいてもおかしくない、ってことだよね)
事実を突きつけられ、地味に胸が痛かった。修道院は女性ばかりだし、孤児院の子も十六歳になったら皆巣立っていくので彼らと甘い関係になることはあり得ない。
アルフォンスたちも最後にはアマリアのことを「年増」と呼んできたくらいなので、せっかく年頃の男ばかりのパーティーに所属していたというのに異性として意識されていなかったという証だろう。
「……ま、まあ、あり得なくはないですね。あ、でも、竜ってちゃんと成長するんですか?」
「ん? ああ、もちろん成長する。人間よりは若干遅いだろうが、我も気を付けるゆえ、その点は気にするな」
気にするな、と言われても気になるが、今はあれこれ言い合っている場合ではないだろう。
「……分かりました。親子設定の方がよさそうですね」
「であろう? ならば、これからそなたは我のママになるのだ」
えっへん、と裸の胸を反らしてユーゴは言うが、初めてママと呼ばれたアマリアは苦笑し、肩を落としたのだった。