20 三人で飲む紅茶
結局、レオナルドは「アマリアの幼なじみ」という肩書きでポルクに留まることになった。
その過程で、彼には「アマリア様」ではなく呼び捨てで呼ぶよう提案したのだが、とんでもないと、真っ青になって断固拒否されてしまった。そういうことで、「アマリアさん」という折衷案に収まることになった。
どうやら彼は、毎年この時期になるとふらっと現れて竜の山に登っていく傭兵としてブルーノたちに知られていたようで、アマリアとレオナルドが並んで挨拶に行くと、「そういうことだったのか!」とすっきりしたような顔をされた。
「いや、あんたは『会いたい人がいる』としか言わなかっただろう? それって誰のことなんだろうな、って皆で噂をしていたんだが、まさかアマリアだったとは! ……あれ? あんたがユーゴ君の父親じゃないんか?」
(……あー、そうだ。この辺も打ち合わせておかないと)
ブルーノに興味津々に尋ねられ、アマリアは苦笑した。アマリアとレオナルドは「数年ぶりに再会した幼なじみ」であると言ってしまったので、ユーゴの父親にするのは難しい。下手をすればレオナルドが「幼なじみを妊娠させたくせに姿を消し、今になってのこのこ現れた甲斐性なし」と言われるかもしれないからだ。
とりあえず愛想笑いで逃れようとしたアマリアだが、隣に立つレオナルドがふふっと笑った。
「ええ、残念ながら。ですが、アマリアさんの息子なのですから僕にとっても大切な子です。だから、僕はあの子の父親ではないけれどアマリアさんと同様に守るつもりです」
「……うぇっ?」
「ね。アマリアさん?」
顔を覗き込まれたアマリアはぎょっとしたが、目の前にブルーノがいるのだと思い出して急ぎ頷く。
(そ、そうだ。もうレオナルドは二十三歳で、子どもじゃないんだ……)
昔の名残で、自分がしっかりレオナルドを引っ張っていかなければ、と無意識のうちに思っていた。だが十年という歳月によって、かつてはアマリアの方が八歳年上だったのが今ではレオナルドの方が二歳年長になってしまっている。
今隣にいる青年は、細くて小柄な男の子ではなく、アマリアよりも長い時間を生きてきた大人の男なのだ。……そのことを今になってひしひしと実感してしまい、アマリアは気まずさと恥ずかしさで視線を落とした。
簡単に挨拶回りを終えて家に戻ると、ユーゴが二階から降りてきたところだった。
「おかえり。ちゃんとお片づけしておいたよ」
「ありがとう。……うん、これならなんとかなりそうだね」
ユーゴを抱き上げ、リビングに入ったアマリアは頷いた。
自分たちが外出している間、お手伝い大好きなユーゴにはリビングの片づけをお願いしておいたのだ。
レオナルドはこれから、アマリア親子を守る幼なじみとして一緒に暮らすことになった。彼は本当は他の家を借りようと思ったのだがあいにく空き家がないらしく、宿は宿泊客専用とのことなので、同居するしかなかったのだ。
となると、この狭い家でレオナルドが寝られる場所を設けなければならない。家は二階建てだが二階は寝室が一室あるだけだ。元々そこはアマリアとユーゴの寝室なので、申し訳ないと思いつつレオナルドにはリビングの一角に毛布を敷いて寝てもらうことになった。アマリアは何度も謝ったのだが、「風雨にさらされることもないし、あなたの近くにいられるのだから十分すぎるくらいですよ」とレオナルドは笑顔だった。
レオナルド用のスペースを作るため、ユーゴがリビングにあるおもちゃなどを寝室に持って上がっていた。リビングの隅には既に毛布も畳んで置かれていたので、「よくできました」とユーゴの額にキスをすると、嬉しそうに抱きついてきた。
「ママ、おれママのお茶が飲みたい。レオナルド、ママのお茶はおいしいんだぞ」
「ああ、そういえばアマリアさんは昔からお茶を淹れるのが得意でしたね」
「ええ。今度紅茶用の茶器を取り寄せてもらう予定だから、それまでは茶葉になるけれどね」
せっかくなので、案内も兼ねてレオナルドも厨房に呼んだ。
既に何度も茶を淹れているので、ユーゴはアマリアに代わって手際よく薪を竈にくべてくれる。「えいっ!」で火を熾したときにはレオナルドはぎょっとしたようだが、そういえばユーゴは竜なのだと思い出したようで、苦笑して頭を掻いていた。
「なるほど、光竜か。……髪と目が金色なのでもしかしたら、と思っていましたが、かなりの希少種だったのですね」
「そうなの。それに子どもの姿になっても竜の力は健在みたいで、よく一人で狩りに行って獲物を仕留めてくるわ」
「……。……僕、ユーゴに負けないように頑張ります」
レオナルドはぼそっと言った。
昨日、ブルーノの雑貨屋で蜂蜜を購入した。早速昨日の午後のお茶にひと匙入れてみたところ、甘いもの好きらしいユーゴは目をきらきら輝かせ、「おいしい!」と歓喜の声を上げていた。もっとほしい、とおねだりされたが、蜂蜜は貴重なのでたくさんは入れられないのだと説明すると、ちょっと唇を尖らせつつ頷いてくれた。
……だが今朝になって蜂蜜の瓶を見ると明らかに量が減っていたし、頬におはようのキスをしたときにほんのり甘い味がしたので、しっかりこってり言い聞かせておいた。
今までは二人分だったが、レオナルドが加わったので水の量も茶葉の量も三人分。
(今日はアクセントに、ブルーノさんからもらったアレを入れてみようか)
使う茶葉は、二種類。この組み合わせは数日前にも飲んだのだが、分量を変えると味わいが変わる。
「ママ、今日はどれくらい入れる?」
「こっちの茶葉をスプーン一杯で、そっちのを三倍にしてみよう」
「……酸っぱくならない?」
さすがユーゴは毎日茶葉の缶を見ているからか、それぞれの味をだいたい覚えてきたようだ。アマリアが三倍入れるよう指示したのは酸味のある紅茶用の茶葉なので、甘いもの好きのユーゴはちょっと不満そうだ。
アマリアは微笑み、ユーゴの頭を撫でてやった。
「大丈夫。今日はこれに一工夫するから、きっとユーゴも飲みやすくなるわ」
「本当?」
「ええ。だからママを信じて、ちゃんと分量通りに入れてね?」
「……分かった」
なおも疑い深そうな目をしつつ、ユーゴはきちんとスプーンで量りながら茶葉をポットに入れた。
その様子を横目で見つつ、アマリアが籠から出したのは黄色くて丸い果物。ブルーノが「ちょっと傷んでいるから、安くしておくよ」と言って格安で譲ってくれた、プリネという果実だ。
プリネは皮は固いが、中の果肉はとろけるほど柔らかい。皮を剥き、中央にある大きな種を取り除いてそのまま絞れば、砂糖や蜂蜜要らずの甘いジュースができる。孤児院の周辺でもよく栽培されたので、プリネは子どもたちのおやつとして活躍していたものだ。
「あ、それプリネですね」
プリネの実を洗っているとレオナルドが反応したので、アマリアは頷いた。
「そう。孤児院でもよく食べたよね?」
「ええ、みんなでテーブルを囲んでプリネの争奪戦をしたりしましたっけ。……それ、紅茶に入れるのですか?」
「孤児院だともったいないからお茶になんて入れなかったけれど、これを入れると味がまろやかになるのよ」
プリネの皮は固いので、包丁で剥く際にはうっかり刃を滑らせて左手の指を切らないように気を付けなければならない。「刃物なら僕が――」とレオナルドが申し出たが、今日の彼はお客様なので丁重に断り、ユーゴが戸棚にある蜂蜜を盗み食いしないように見守る係になってもらった。
今回購入したプリネの実はやや小振りなので、紅茶のアクセントにするにはちょうどいい大きさだった。皮を剥いたらすぐに実をボウルに入れ、指を突っ込んで種を取り出す。
暇になったらしいユーゴがきらきらした目で見てきたので甘い果汁の付いた種を与えると、至福の表情で舐めていた。普通、汁だけ舐めたら種は吐き出すのだが、その後でゴリッガリッという音を立てていたのは気にしないことにした。
果肉は麺棒ですり潰し、布に包んで汁を搾る。果肉を入れてもいいのだがこの実は少し傷んでいるので、今回は汁だけにしておいた。
ちょうど湯が沸いたので、ポットに湯を注ぐ。いつも通り茶葉を蒸らしながらユーゴと一緒に時間を数えている間、壁際に立っていたレオナルドは目を細め、笑顔でアマリアたちを見守ってくれていた。
紅茶をカップに注いだら、プリネの絞り汁をそれぞれ垂らす。果汁はとろっとしているので、スプーンで混ぜると紅茶にもとろみが出ててきた。
「それじゃ、どうぞ」
「ありがとうございます。いただきます」
リビングに一式を運び、それぞれカップを手に取った。レオナルドの椅子はまだ買っていないので彼は空いた木箱に座り、紅茶を口元に運ぶ。孤児院では礼儀作法などを厳しくしつけられていたので、傭兵になって数年経つはずの彼だが茶を飲む仕草には品があった。
「あ、これ甘くてとろっとしてる!」
「ええ、プリネの実の甘さよ。これなら蜂蜜を追加しなくてもいいでしょう?」
「うん! ……ねえ、レオナルド。ママが淹れたお茶、おいしい?」
いつも通り一口で飲み干したユーゴに聞かれ、まぶたを閉じていたレオナルドは目を開けた。そして手元のカップを見、アマリアを見、ふわりと柔らかく微笑む。
「……はい。なんだか……とても懐かしい気持ちになりました」
「やっぱり傭兵になってからは、ゆっくりお茶を飲むのも難しいかしら?」
「それもありますが、アマリアさんがいなくなってから飲んだ紅茶とは全然違って――うまく言葉にはできないんですが、なんだか幸せな気持ちになれるのです」
考え考え言った後、レオナルドはははっと誤魔化すように笑った。
「僕、孤児院で毎日アマリアさんが淹れてくれるお茶を楽しみにしていたんです。勉強がうまくいかなかったときや仲間と喧嘩したときも、アマリアさんが淹れてくれたお茶を飲めばすっと気分が晴れて、頑張ろう、自分から仲直りしよう、と前向きになれたんです」
「そうなの?」
「はい。……こうしてまた、アマリアさんのお茶を飲めるなんて、僕は幸せ者です」
そう言って目を細め、レオナルドは紅茶に視線を落とした。
植物辞典②
プリネ……桃のような果実。皮が硬いが実は甘くてとろみがある。白い可憐な花を咲かせる。