2 白い花の約束
アマリアは、レアンドラ王国の田舎にある孤児院で生まれ育った。
普通、孤児院で育つ子は親に捨てられたとか親を亡くしたといった事情がある。だがアマリアの母は珍しくも、孤児院に併設している修道院でおつとめをしているシスターだった。
父親が誰なのかは知らないが、さして問題ではない。母の同僚であるシスターたちは優しくて、アマリアに白魔法の心得を教えてくれた。孤児院の院長先生は厳しい人だったけれど知性に溢れていて温かく、アマリアに文字の読み書きや計算、お茶の淹れ方や裁縫などを教えてくれた。
だから、十歳の頃に優しい母が病気で帰らぬ人となってしまっても、皆に支えられて育つことができた。
母の死後、孤児院で子どもたちの相手をしながら暮らすこと、十年。
二十歳になった年の初夏、旅の冒険者一行が修道院を訪れた。
アルフォンスという若い剣士をリーダーに据える彼らは、魔物との戦闘で敗北したようで、全員ひどい怪我を負っていた。だが、修道院の中では一番の白魔法の使い手になっていたアマリアが三日三晩介抱した結果、アルフォンスたちは全員復活することができた。
「あの、アマリアさん。いきなりこんなことを言ったら驚かれるかもしれませんが……よかったら、俺たちの旅に付いてきてくれませんか」
アルフォンスの申し出に、アマリアは目を丸くした。
アルフォンスたちは一ヶ月ほど前に白魔法使いだった仲間を亡くしたようで、それ以降魔物退治が難航していたという。そこでアマリアの白魔法の才能に目を付け、是非一緒に来てほしいと頼んできたのだ。
アマリアが悩んだのは、ほんのわずかな時間だった。
ギルドに名前を登録して冒険者として魔物を倒したら、ギルドから一定の金を支給される。その金を孤児院の活動資金に充てることができるのだ。孤児院はいつも金欠状態だから、アマリアがしっかり稼げば子どもたちにおいしいご飯を食べさせ、十分な教育も与えられるのだ。
アマリアは、二つ返事で了解した。結婚適齢期を過ぎた自分のような女でも、必要としてくれる人がいる。そして、生まれたときから世話になっている人たちにも恩返しができる。この申し出を断る理由なんてなかった。
シスターや院長先生たちは、最後までアマリアを止めようとした。孤児院の子どもたちも泣きついてきたので決心が揺らぎそうになったが、意志は変わらなかった。
「アマリア様」
アマリアの出発前夜、部屋を訪ねてきた少年がいた。
無造作に刈った金髪に、くりっとした灰色の目を持つ彼は、最後までアマリアの旅立ちを阻止してきた子だ。それでもアマリアが意志を変えないものだから最後にはふてて、部屋に閉じこもってしまっていた。だから、翌朝の出発のときも彼には挨拶できないかもしれない、と寂しく思っていたところだ。
部屋に招き入れた彼は最初もじもじしていたが、やがてポケットから出したものをアマリアに握らせた。
それは、小さな厚紙に白い花の押し花を貼り付けた、手製のお守りだった。
「これ、くれるの?」
少年と身長を合わせるためにしゃがんだアマリアが問うと、彼は頷いてアマリアの手をぎゅっと握った。
「アマリア様。僕、強くなります。強くなったらアマリア様と同じようにギルドに登録して、傭兵になります。それで、アマリア様たちの旅についていけるようになります」
「えっ? ……レオナルド、あなたは学者になりたいって言っていなかった?」
彼が八歳で引き取られてから、四年。ずっと彼の成長を側で見守ってきたアマリアだが、細くて小柄で心優しいレオナルドが傭兵になるなんて、想像もできない。
冒険者も傭兵もギルドの一員だが、ほぼ自由業の冒険者と違い、誰かに雇われる立場の傭兵というのは色々心配なことが多い。
だが唇を引き結んだレオナルドは、首を横に振った。
「決めたんです。何年掛かるか分からないけど、アマリア様を守れるような強い大人の男になります。だから――それまで、無事でいてください」
「レオナルド……」
「それで、できたらそのときまで……そのお守りを、持っていてほしいんです」
最初は意気込んでいたレオナルドだが、恥ずかしいのか徐々に声が小さくなり、最後には床を向いてもじもじしてしまった。
アマリアはくすっと笑うと、彼が渡してくれたお守りを胸ポケットに入れて、癖のある金髪をそっと撫でた。
「分かった。その頃には私はもう、おばちゃんになっているかもしれないけれど、お守りはずっと大事に持っておくからね」
「おばちゃんになってもおばあちゃんになっても、アマリア様は素敵なままです! だから……約束です」
「ええ、約束ね」
そう言って、レオナルドの額にキスをする。レオナルドも、少し緊張しつつアマリアの額にキスを返してくれた。
レアンドラ王国で、親子やきょうだいがする約束。アマリアとレオナルドに血のつながりはないが、アマリアは八つ年下のレオナルドのことを我が子のように弟のように可愛がってきたし、レオナルドもアマリアを姉のように慕ってくれている。
約束したのだから、旅先でのたれ死んだりはできない。
レオナルドがくれたお守りを胸に、冒険者としてしっかり稼ぎ、皆に恩返しをするのだ。
旅は、最初こそ順調だった。
アルフォンスを始めとした仲間は全員男性で最初のうちは緊張していたが、皆は貴重な白魔法の使い手であるアマリアを守り、自分たちより年長であることもあって敬ってくれた。
アマリアとて、頼られたり褒められたりすると嬉しいし、やる気が出る。だから旅先では白魔法で皆を助けるだけでなく、皆が疲れたときには特製の茶を淹れるなどしていた。
院長先生からは様々な技能を教わったが、アマリアが一番才能を伸ばしたのは紅茶淹れだった。院長先生は、れっきとした茶葉だけでなく、そのあたりに生えている薬草や花などを使った茶の蒸らし方も教えてくれた。
アマリアの淹れる茶は仲間に大好評で、「これを飲めば竜の二三匹くらい余裕で倒せる」とアルフォンスも笑顔で言っていたものだ。
最初のうちは、アルフォンスたちも無茶な討伐依頼は受けず、農園を荒らす魔物や小型の竜などの退治などを主に請け負っていた。
だがだんだん彼らは依頼のレベルを上げ、アマリアも心配するようになった。
確かにアマリアは白魔法が得意だが、ギルドの中での実力は中の下といった程度。連続して白魔法を使いすぎたら疲れるし、効果も薄れる。
白魔法に精通した者として、年長者として、アマリアはアルフォンスたちを窘めようとした。だが、最初の頃こそ渋々従っていた彼らも次第にアマリアに対して苛立ちをぶつけるようになり、「平凡能力のくせに」「年増だからと偉そうに」と陰口をたたくようになった。
仲間から冷たくされるのは辛いけれど、パーティーから抜けるわけにはいかない。まだ、アマリアは目標金額を稼げていなかったのだ。
それでもアルフォンスたちは連日無茶な討伐依頼を受けるものだから、アマリアも余裕がなくなってきた。体力自慢で若いアルフォンスたちと違い、そもそも非戦闘員の女性で若くもないアマリアには、日々の強行軍も苦痛になってきた。
そうしていたある日、アマリアたちは魔物に襲撃されている豪華な馬車を見つけ、魔物を倒した。馬車に乗っていたのはなんと隣国キロスの王女で、上級白魔法使いでもあった。
王位継承権のない王女エスメラルダは白魔法の修行としてレアンドラに来ていたそうだが、アマリアたちに助けられたことに恩を感じ、旅に同行するようになった。
――エスメラルダがもたらした恩恵は、アマリアを苦しめた。
小国といえど王族であるエスメラルダには、故郷から多額の軍資金がもたらされた。おまけにエスメラルダはプラチナブロンドに水色の目を持つ美しい少女で、白魔法の腕前もアマリアよりずっと上だった。
王女らしく淑やかで、優しい。アマリアのようにあれこれパーティーの方針に口を出さず、可愛らしい彼女に、パーティーの者はすっかり骨抜きになってしまった。
エスメラルダと比べて、アマリアは年を取りすぎている。
エスメラルダはあんなに可愛らしいのに、アマリアは胸ばかり大きくて顔は地味だ。
エスメラルダは自分たちのことをなんでも肯定してくれるのに、アマリアは老婆のようにくどくど文句を言ってくる。
エスメラルダはたっぷり金を持ってきてくれるのに、修道院育ちのアマリアは金を奪うだけで全く益にならない。
そう言われ続けると、元々図太くて根性だけはあるアマリアも疲弊してしまう。
できることなら、このパーティーから抜け出したい。でも、そうすると修道院に送る金がなくなってしまう。それに、レオナルドとの約束も果たせなくなるかもしれない。
半ば心を病みかけながらもアマリアが自暴自棄にならなかったのは、いつも胸ポケットに白い花のお守りがあったからだ。
きっと、大丈夫。
いつか皆、昔のようにアマリアのことを見直してくれる。
――だが、旅を始めて一年ほど経った頃。
暴れる黄金の竜を討伐してほしいというあまりにもレベルの高すぎる依頼を受けたアルフォンスたちは、意気揚々と竜の山に向かった。
自分たちはこの一年で多くの強敵を屠ってきたし、上級白魔法使いのエスメラルダもいる。だから、自分たちの本当のレベルに気づけなかったのだろう。
パーティーは、壊滅した。
灼熱の山で待ちかまえていた黄金の竜に対して誰一人として一撃を加えられず、ボロボロになって敗走するのみ。アマリアはアルフォンスの命令を受け、まずエスメラルダを治療した。そしてエスメラルダが他の仲間を治療したので、これで全員で逃げ帰れると思ったのに。
――皆がアマリア一人を残して逃げ帰るなんて、思ってもいなかった。