うるさい本とぬいぐるみ
ある古ぼけた部屋の一室、部屋の隅に置かれた箱からズリズリと何かが這い出してきた。それは一体のありふれたくまのぬいぐるみであった。そのぬいぐるみはこの古ぼけた屋敷にには似合わないぐらいの真新しさでまるで、というか新品そのもののような状態であった。
そのぬいぐるみは不思議な事に意思を持っているようで。発声器官などないにもかかわらず言葉を発し始めた。
「ここ、どこ…?」
ぬいぐるみから発せられたその声はまるで少女のようで、声だけを聞いたならば誰もぬいぐるみの声だとは思わないだろう。
ぬいぐるみは自分がなぜここにいるのかわかっていないようで落ち着きなく部屋の中を歩き回っている。
「なにこれ? ぬいぐるみ?! 私の体がぬいぐるみになってる!!」
自覚がなかったのだろう。ぬいぐるみは今更ながら自分がぬいぐるみであることに気づいたようでひどく取り乱した。だがそれも数分たったら収まったようでどうやらどうにもならないと開き直ったようだ。
落ち着きを取り戻したぬいぐるみは部屋の中を探索しだしたが、部屋にあるのは自分が入っていたおもちゃ箱だけで、その中にもホコリまみれのおもちゃが僅かにあるだけで他には何もなかった。
「誰もいない……他の部屋も探してみたら誰か見つかるかな」
そう言ってぬいぐるみは見ていて不安になるような足取りで半開きになったドアから出ていった。
どの部屋も誰もいない。もしかしてこの家には誰もいないのかな…?
キッチンもリビングも、ベッドルームにもエントランスにも誰もいなかった。どこもかしこもホコリまみれだからこの家がすごく長い間誰も住んでいない状態なのがわかった。
ここが最後の部屋ね。どうせ誰もいないと思うけど……一応確認しておこうかな。もしかしたら私みたいな不思議なぬいぐるみがいるかもだし。
最後の部屋のドアを開けて私の目に飛び込んできたのはおびただしい数の本だった。そのどれもがホコリを被っているがどれもが立派な装丁をしていて、とても高価な本ばかりなんだろうなと思った。
近くの本を一つ手にとって表紙についたホコリを払うといかにもおどろおどろしいタイトルが出てきた。
「ロアール家の悲劇の呪い、ってこれただのホラー小説ね。紛らわしい」
その他の本も確認してみたけど装丁が仰々しいだけでどれも中身は娯楽小説だったり、エッセイだったり料理本だったりと中身が普通の本ばかりだった。
そうやって手当たり次第に本を手にとってはめくるを繰り返していると、他とは装丁が変わっている奇妙な本を見つけた。いたるところに仰々しい金色の金具がついていてなんか成金が趣味で作った本みたいね。
「えーっと、ねくろのみこん? なにこれ、変な名前」
中を見てみようと本を開いてみようとするとびっくりするぐらいに固くて全然開かなかった。
「なにこれ…… もしかして糊付けでもされてるのかな?」
思いっきり力を入れてもうんともすんともいわないからもう諦めようかなと思ったその時。手に持った本がピクリピクリと動き出して、私は思わず本を放り投げてしまった。
「ん、なんかピクピク動いた。気持ち悪い」
「気持ち悪いとはなんだ! 小娘が私のどこが気持ち悪いというのだ!」
「きゃっ!」
驚いた私はバランスを崩して尻もちをついてしまう。まあぬいぐるみだから痛みはないけど。それより、さっき私が投げた本がひとりでに浮いて喋っているのだ。そりゃ腰も抜ける。
「全く不敬な小娘だ! この俺を放り投げるとは!」
「い、いや。そりゃいきなり本がピクピク動いたら気持ち悪くなって放り投げるのもしかたないと思うんだけど」
「そんなことは関係ない! そもそもこの俺に直接触れる機会があればそれを喜ぶ輩はいようが肝と悪いからと放り投げる輩など存在せんわ!!」
「いや、実際目の前にいるんだけど…… というかさっきあなた私のことを小娘って言ったけど、どうしてこの姿を見て小娘だなんて判断したの?」
私はそれが疑問だった。普通この姿を見て小娘、いや人間だなんて判断するやつはいないと思う。
「ふん! 全知全能たるこの俺にかかればそんなこと丸わかりに決まっておろうが!!」
「えー… なにそれ。」
「ええい! そんなことはどうでもいいのだ! 何だこの部屋は!! ホコリまみれではないかさっさと掃除せんか!!」
「いやいきなりなに「うるさいさっさとするのだ!!」」
このうるさい本の勢いに流された私はもういいやと諦め気味に掃除に取り掛かった。でも私掃除道具の置き場所知らないや。この本なら知ってるかな?
「ねえ、この家の掃除道具ってどこにあるの?」
「そんなことも知らないのか!! さっさとついてこい!!」
そう尋ねると本は不機嫌そうに答えて、スイスイっと移動し始めた。掃除道具の場所を知ってるってことはあの本はこの家に住んでたってことかな。でも本が住むならそもそも椅子とかベッドとかいらないものが多すぎるし、もしかしてあの本も私みたいに本に変えられたとかかな? 移動しながらそう考えていると本は黒いドアの前で止まりまたわめき始めた。
「ここが掃除道具入れだ!! 覚えておけ!!」
「はいはい。わかりました」
「わかればいい! では俺は休むからしっかりと掃除をしておくように!!」
お前は掃除しねーのかよと心の中で思ったがそれを言うともっとめんどくさくなるので黙ってうなずいておいた。
私の返事に満足したのかどうかはわからないがあの本はスイスイっと移動してベッドルームに入ってった。ていうかドアも念力っぽいので開けれるんだね。今まで通ったドアは全部開いてたからわからなかった。
それからしばらくあの本、もといネクロノミコン(略してネロって私は呼んでる)との共同生活が始まった。ネロは私に命令するばっかで腹立つけど、いつも破天荒な明るさで見ているこっちもなんだか元気になってくる、気がする…… いやムカつくのは変わりないんだけどね。
でもいつもいつも命令されっぱなしは癪なのでたまに仕返しもする。
「やめろこの網をどけぬか!! 小娘が! 不敬だぞ!!」
私が仕掛けた罠に引っかかって網にかかったネロが暴れながらギャーギャーと喚く。まったくどんな状態でもうるさいなこいつは…… でもまあこれを見ても喚き続けていられるかな?
「私、ネロにいつもお世話になってるから今日はプレゼントを持ってきたの。受け取ってくれる?」
「なに?」
私がそういった瞬間ネロは動きを止めてニタニタと笑っている表情が容易に想像できるような声色で喋り始めた。
「ああ、小娘。殊勝な心がけじゃないか。お前もやっと俺の偉大さに気がついたのか。いやまあ、まったくおそすぎるほどだがこの寛大な俺様な..ギャア!!!」
なんだか話が長くなりそうだったので私は確保していたあれを眼の前のネロに向かって投げつけた。そう、Gである。
「じ、G!!! ひいっ!!!! た、たしゅけてえくれぇ!」
あの傲岸不遜なネロにも弱点があったのである。そう、それこそがどのご家庭にも存在する黒い彗星ことGである。その苦手ぶりは相当で、初めてGを発見したときネロは二日間もベッドルームに閉じこもって外にいる私にGを殺せ、Gを殺せって言い続けたっけな。
まあきっと今回も、あ、逃げた。
ある日、ネロは私を書斎に呼びつけた。なんだろうと思って書斎に向かうとそこにはいつにもなく真面目な雰囲気のネロが待っていた。
「なあ、おまえよ。お前は外に出たいとは思わないのか?」
私はそのネロの言葉に固まってしまった。外、確かに外に出るという選択肢はあった。いや最初からあったのにあえて私が見ないようにしてたんだ。別にここは脱出不可能の屋敷なんてものではなく、ただの古ぼけた屋敷に過ぎない。出ようと思えばいつでも出れる状態だった。
「お前、そんなンなってもまだ囚われてるんだな。」
ネロがしみじみとそういった。
そう、私はまだ…….
私は辺鄙な村の地主の一人娘として生まれた。優しいお母さんにぶっきらぼうだけど優しい父。辺鄙な村と言ってもそこは地主という立場なので幼い頃から何一つ不自由なく暮らしていけた。だがそれもお母さんが亡くなるまでのことだった。
ある日、お母さんは流行り病にかかってしまい、お父さんはお母さんの病気を治そうとあらゆる手を尽くしたけど、お母さんは治療の甲斐なくあっさりと死んでしまった。その流行病は村中に広がりバタバタと人が死んでいった。でもそんなことお母さんを亡くしたお父さんにはあまり興味のないことだったようで、お父さん何を思ったのかは死んだお母さんをなんとかして蘇らせようと怪しげな本を取り寄せたり、夜な夜な変な儀式をやったりしていた。お父さんはお母さんをとても愛していたからお母さんの死を受け入れられなかったんだと思う。
一向に成果が上がらないのに苛立ったお父さんは、だんだんと私に暴力を振るう様になっていった。とある日にはお前が病気になって死ねばよかったのにとかお前が病気を運んできたんじゃないのかとか言われたときもあった。私は何故か病気にならなかったけどそれはお父さんもだったのにお父さんは私ばかり責めた。
それから私はお父さんに毎日殴る蹴るの暴行を受け心体ともに追い詰められていった。その頃の私の心の支えはお母さんが生前に作ってくれた今の私の体にもなっているクマのぬいぐるみだけだった。でも、ときにはその心の支えであったぬいぐるみに八つ当たりすることもあった。なんで私ばっかりこんな目にあってお前はのうのうとしているんだって。今考えると完全に妄想の粋だよね。あのときの私は完全に同化してたと思うからしょうがないよね。
お父さんが変な儀式をしていたりした間に村の方は流行り病が猛威をふるい、ほとんどの村人が死体に変わり、数少ない生き残りも村を捨ててどこかに行ってしまっていた。
そのことに父はむしろ喜んだ。恐らく自分がやっている儀式に人間の死体が必要だったのだろう。父が村人の死体を家の中に運び入れているのを何度か見たから間違いないと思う。
そしてある日私は父によって地下の儀式を行う祭壇連れてこられた。その時の父の目は血走っており私にゆっくりと儀式の説明をしだした。曰く最後の儀式には生きた人間の命が必要らしく、この儀式でお母さんが蘇るらしい。
お父さんは笑顔で私にお母さんのために死んでくれるよな? と訪ねた。その時の私はもうわけのわからない精神状態でお父さんの言葉を理解せず静かにうなずくだけだった。
祭壇の中央には仰々しい装飾の施された本が開かれた状態で置かれており、恐らくその本がこの儀式の要であることは容易に想像がついた。
そのときの私は何を思ったのだろうか、なぜかその本を触りたくなったのか知らないが父の目を盗んでその本。ネクロノミコンに触れたのだ。
その時私の脳裏に声が響いた。願いはあるかと。お前の父親の命と引き換えに願いを叶えてやろうと。普通なら響いてきた声に驚きそうなものだがその時の私はなんの動揺もなくその言葉に答えた。そして…
「そうか、あのとき私が願ったのは自分の命だったんだね」
「ちげーよバカが」
「え?」
「あのときお前が願ったのはその今のお前の体であるぬいぐるみの修理だよ」
そうネロは淡々と言った。
「あのときのお前は自分がボロボロにしてしまったぬいぐるみをもとの状態に直してほしいと願ったんだ。たく、あんな願い前代未聞だぜ」
「まって! でもそんなのおかしいじゃない! その時私が願いの権利を使わなければお母さんは蘇って、ぬいぐるみなんかよりもお母さんのほうが大事だってそんなの私はわかってる! なのになんで私はそんな願い事をしたのよ!!!」
まるで泣き喚くかのような私の言葉にネロは静かに答えた。
「いいか、0になったものは1には戻せない。これは俺でさえ覆すことが出来ないこの世の真理だ。あの瞬間お前は母親は蘇らないって薄々気付いてたんだろうよ」
「そんな……こと でもじゃあ、なんで私は生きてるの?」
「それはまあ、おまけだよおまけ。いままでこんなショボい願いなんてなかったからな。釣り合いを取らなきゃいけねえんだよ」
何故か、微妙に照れくさそうにネロは言った。
「でも私、これからどうすれば。なんで生きてるの……」
「まあそこんとこも含めてよ、気長に探していこうぜ。まだまだ釣り合いは取れてねえからな。付き合うぜ」
「ありがとう。ていうかネロ本当はそんな言葉遣いなんだね、最初のすごい上からな態度はどこに言ったの?」
「馬鹿野郎! 俺は天下の大魔導書ネクロノミコンだぞ。それに合わせた口調ってもんがあるんだよ」
そう少し恥ずかしそうにネロは言った。ちょっとは面白いところもあるじゃない。
まあじゃあもう少し付き合ってもらおうかな。とりあえずは私が元の体に戻るためにっってことで。
「じゃあ行きましょうか!」
「うるせえ! 命令すんな!」
この口うるさいやつとなら結構いい感じに生きれるんじゃないかなとそう、思いたい。