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LoLへの愛~最高のゲーム~

作者: Jax

前にどこかでも書いたが改めて書く。

League of Legendsは本当に素晴らしいゲームだ。

今までの人生で様々なゲームをやってきたが、このゲームは面白い、ゲームの一つの完成形であり、谷底であり、たどり着くべき一つの終着駅だ。何が素晴らしいのかについての考えを今一度少し並べておくことにする。LoLを知っている人も知らない人も、なにか感じてくれれば本当に嬉しい。ちなみに書いておくが私はシルバーⅢである。私の考えがまったくの的外れでないことを祈る。


1.集団競技と個人競技の良さの包括

野球でライトフライが上がったとする、そのフライがどれほど簡単に取れるものでも、ライトはそれを落とせばチーム全員にひどい迷惑がかかる。

これが集団競技の素晴らしい点で、プレイ一つ一つに重大な責任がかかる。プロのスポーツ選手が尊重される理由の一つだ。

ただし、ライトフライが上がったときレフトにはほとんどプレイの選択肢がない。

集団競技では、責任を(ボールのある位置に)一極集中するので、責任が比較的薄い時間が発生しうる。


個人競技ではこういったことは起こらない。

将棋で歩と飛車どちらを動かそうが、チェスでポーンとクイーンどちらを動かそうが、常に責任が発生する、気の抜ける時間はない。プロの棋士が尊重される理由の一つだ。

ただし、野球やサッカーのようなチームメイトはいないので、プレイ一つで大人数の責任を負うことはできない。責任は持続するが、一人分しか背負えない。


LoLでは、チームメイト全員分の責任を、常に、背負うことになる。責任が薄い時間などないし、どの一人がデスしてもチームメイト全員が迷惑することになる。


2.役割分担の美しさ

役割を分担、分業して、個人の集団が一つの目標を達成すべく動くことは喜ばしい。これをもって何かを成すことは、人間の最高の喜びの一つだと思う。

しかしこれは現実世界では当然のように行われているが、ゲームの世界ではどれだけのゲームがこれを体感させてくれるだろう?複数の人間対複数の人間というゲーム自体歴史が浅いと思うが、LoLは綺麗に役割分担して、勝利という一つの目標のために力を合わせるというゲームとしては稀有な体験ができる。

このゲームに触れるたび、各々が各々の得意分野に力を注ぐことの機能美をいつも感じる。(比較優位についてもう少し詳しかったらと思う)


3.判断の重要性

FPS、TPS、格闘ゲームなどでは、60歳の男は15歳の少年にまず勝てないと思う。どれほど60歳の男が冷静で、視野が広く、豊富な人生経験と道徳と哲学を持っていても、ただ反射神経や動きの速さによって15歳の少年は老人を圧倒できる。


もちろんこれが悪いことだとは思わないが、LoLにおいては、前に出るか後ろに下がるか、使うか使わないかといったわずかな判断や逆境に動じない冷静さなどが、技術と同等かそれ以上に重視されているように思う。


プレイするにあたっての肉体的、時間的な制約がスポーツや格闘技よりはるかに小さいゲームというジャンルで、若さや体力といった要素がプレイヤーの優劣の決定的な要因にならないということは、このゲームの将来的な発展性に大きな利益をもたらすように思う。(この点において、LoLと同じかそれ以上のレベルで役割分担を達成しているオーバーウォッチなどは、LoLに少し譲るところがあるように感じる。)


4.運営の見事さ

ゲームに関係ない上いつ変わっても不思議でないので深入りはしない、現時点では、これ以上の運営はほとんど望めないほど素晴らしいと感じるし、年毎に良くなっていると感じる。もしRiotが企業方針を大きく変更したら悲しい。


5.遊びとしての完成度

遊びとしての対人ゲームは、「どれほど結果が運によって左右されるべきか?」について、2つの悩みの種を持っているように思う。

運を強くしすぎれば真剣に取り組む価値;ゲーム性に支障が出る、

運を弱くしすぎれば初級者は長い期間負け続けることになるということだ。

ゲーム性という面からいえば、運の要素を強くすることで広く浅くなり、運の要素を弱くすることで狭く深くなる。運が強すぎても弱すぎても、遊びとしての対人ゲームにはならない(ジャンケンも将棋も、遊びとしての対人ゲームとはいえない)。


遊びとしての対人ゲームは、この運の“強度”を必死に調整してきたように思える。

麻雀、ポーカーや神経衰弱、双六やモノポリー、UNOやMTGやhearthstoneなどのカードゲーム、PUBG、人狼、これらすべてのゲームは、偉大な設計者によってゲーム内に上手い“強度”で運の要素が介在するように設計されている。入口を広く保ちながら、ゲーム性を深くしているのだ。

しかしこれらのゲームに参入したプレイヤーがやがて熟練するにつれて、運の要素によって勝敗が覆ることについての理不尽を感じるようになる。

入口を広くしたことでせっかく多くの練度の高いプレイヤーが得られたのに、練度が高くなればなるほど、また費やした時間が膨大であるほど、この理不尽感は強くなる。


しかしLoLはこの問題とは無縁である!その理由は、LoLにおいての運が「どのプレイヤーとプレイするか?」というその一点におおむね凝縮されているからだ(ゾーイとねこばばさえ無ければ“おおむね”なんて言葉を使わないで済む)。

つまり、LoLは、初級者に練度の高いプレイヤーとプレイさせるという運を介在させることで間口を広げながら、熟練者には「チームの一員としてプレイする」ことで運の要素を排除し、理不尽感のないプレイをすることも可能にしているのだ。(ソロQではこの限りではない――つまり私はclashに期待している。)


※話題を「対人ゲーム」に限定した点について

これはLoLについての話題ではないので余談としてここに書くが、ゲームとしては、それが何か目的があるゲームであれば、CPUを相手にするものよりも人間を相手にするもののほうが私は好きだ。私は、あらゆるゲームをプレイしていて一番素晴らしいと感じるのは、そのゲームの素晴らしさを他人と共有する時間と考えている(アダルトだけは別)。

むろん、私はCPU相手のゲームが対人ゲームより劣るとは全く思わない。

私自身数えきれないほどCPU相手のゲームをプレイしたうえ、一人用のゲームをプレイする立派な著名人を多数知っているし、MMOで生産職が作り出す市場やチームでのボス討伐にはロマンがあると思う。

しかし、自分が時間を費やしたものがやがて陳腐化していったり、運営の資金不足で迷走したりするのは楽しいものではない。つまり、CPUを相手にするゲームは、人を相手にするゲームよりも、他人とそれの楽しさを共有する時間が減っていく要素が多いと感じるのだ。

私が今ここでelonaやCiv4やPSO2などについて語ったところで、これらの楽しみをぜひ理解したいと思う人は昔より少ないだろう。(アップデートのないCPU相手のゲームはやがて陳腐化し、アップデートされるCPU相手のゲームはCPUの中身が悪くなれば一発で低品質になるということ。)


6.身近な国際交流

このゲームで得られる大きなものの一つが、「ある国の具体的な人間像」である。

デリケートな話であることは重々、本当に承知の上だが、あなたは韓国人と言ったら何を想像するだろうか?

あなたが何を想像したか、あなたにどういった文化的背景があるかはわからないしそれはむろん完全にあなたの自由であるが、私は韓国人と言ったらuntaraやhuniの声やMarinの苦笑いが具体的に浮かんでくる。

アメリカ人ならdyrusの太った顔やhashinshinの子猫やIreliaCarriesUのヒゲが、フランス人ならAlderiateの肩幅が、あるいはデンマーク人ならWickdの真顔がただ目に浮かぶのだ。

私は彼らの隅々まで詳しいわけではないが、少なくとも彼らの喋る姿を知っているし、私と大して年齢が変わらず、私と同じゲームを愛していることを知っている。(私よりはるかにLoLが上手いことももちろん知っている。)

望めばすぐに彼らにメッセージを送ることができると知っているし、彼らが思いのほか日本のアングラ文化に詳しいことも知っている。

今後の人生で国際的な視点を持つ必要があるかどうかは個々人によって異なるだろうが、極度に偏った考えを持つ人間はこのゲームのプレイヤーにはいない。


7.UIの様々な配慮

ご存じの方もいるだろうが、このゲームは片手だけでプレイできる。特殊なハードウェアを使えばという話ではない。スキル・アイテムは画面上のボタンで扱えるし、リコールはあの小さなアイコン(あれを日常的に使う人がどれほどいるのか?cryopheonixonly以外に見たことがない)で出来る。

実際に片手のみで高ランクに到達した例もあるらしいが、このような例がほかのゲームでどれだけあるのだろう?

左手で電話しながら右手でこのゲームをプレイしている動画を見たとき、配慮の細かさに感銘を覚えた。

また操作も直感的だ。WoWを初めてプレイする初心者は、まともに移動することすら困難であると断言できる。

LoLでは、あらゆる部分がゲームに集中できるように作られている。


8.観戦時の楽しさ

野球を好きなおっさんが日本にどれだけいるだろうか?昔から、酒の席で政治野球宗教の話はするなというのはよく言う話だが、野球が日本で市民権を獲得して以来これほど長く絶大な人気を博しているのは、実際にプレイする楽しさだけでなく、観戦時の楽しさ、一試合一試合に発生するドラマチックな展開によるところが大きいと思う。

点数が動きづらいサッカーや、かなり一方的になりがちなアメフトなどと違い、野球には乱打戦でも投手戦でもコールド寸前の試合ですら、試合終了のその時まで独特の緊張感とドラマがあり、観戦していて飽きることがない。


私はLoLを観戦しているときこれによく似た楽しさとドラマを感じる。タワーが最後の一本まで割られてから逆転した試合も、1分に1キル以上発生し続ける試合も、20分以上ほとんどキルが発生しない試合も、すべてプロ同士の試合で見てきた。

このゲームほど逆転が起こるゲームはないが、同時にこのゲームほど有利が有利を呼ぶゲームもない。ほんの少しこのゲームについての知識があれば、実際にプレイする時間が取れなくなっても、観戦するだけで十分楽しめるゲームだと感じる。


さらに付け加えるなら、LoLは試合中に起こる重要なプレイと次のそれの間の時間が長い。これは視聴する側の都合で、ずっとその画面を注視していないとあっさり重要な場面を見逃すようなスポーツは見ている側にとっては好ましくないのだ。

1ゲームの間で疎と密のメリハリがしっかりしているゲームのほうが、よりストレスなく視聴できる。

この点においても、野球とLoLには類似する点があると感じる。(TheLastofUsというゲームの製作者インタビューをかすかに思い出しながら書いている。あのゲームもメリハリを意識して作られたらしい。)


まだまだ書き足りないが、原稿10枚分を超えたので一度このあたりで区切りたいと思う。

さまざまな不備もあると思われるので、もし何か感じてくれたら、ぜひ感想をいただきたい。


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