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【戦慄の狐姫】欠陥の願い事 下

「玉置さ~ん?どうしました、玉置さん?」

 【取締局】の局員である鈴木千春は突然応答の得られなくなった受話器に向かって呼びかけを続けていた。受話器に耳を当てて意識を集中させれば、何らかの物音は聞こえてくる。つまり、通話が切られてしまった訳ではない。繋がっているままに、何らかの原因があって玉置栞奈が応答出来なくなっているだけ。


「…これは向かった方がいい、よね?いや、でも…」


「今すぐ向かって下さいね」


 ポンッと肩を叩かれる。

 一人事のように呟いたそれに当たり前のように言葉が返ってくるとは思ってもみなかった鈴木は、心臓が口から飛び出る程に驚いた。驚きのあまりに声も出ず、鈴木が何も言わない、通話の様子を見ていたのか、何時の間にやら背後に移動してきたのか、そんな疑問を口にすることも出来ないことをいいことに、どこ吹く風と指示を下してくる上司。給料を貰って働いている立場にある鈴木には、上司のその指示には従うより他はない。


「【戦慄の狐姫】は要注意人物リストの一人ですから。速やかに現状の確認をお願いしますよ」


「了解です」

 【サモナー】としての力を手に入れ、明らかな犯罪行為とまではいかないまでも社会的問題行為を犯し、【取締局】に監視対象、注意対象としてマークされる罹患者は少なくはない。明らかな犯罪行為ならば逮捕、そして【サモナー】罹患者専用と【取締局】主導によって造られた収監施設に放り込んでしまえばいいが、社会的問題行為、迷惑行為だけでは注意、勧告する事しか出来ない。【サモナー】という人知を超えた力を手に入れたとはいえ、彼らもまた人間であり、日本に住む国民。無法国家ではない為に彼等にもしっかりと法律が当て嵌められる。少なくとも、そういう考え方を守っているという立場を国は国民に示していた。

 現在日本では、【サモナー】に罹患したと判明した時点で【取締局】が管理しているデーターベースへの申請、登録が義務付けられている。これに登録することが無かった場合、例え被害者の立場であろうと無登録が【取締局】へと判明した時点でいかなる不利益を被ろうと異議を申し立てることも許されない立場に置かれることになる。

 登録されている罹患者達の情報には【取締局】によって幾つかの部類分けが行われていた。


 要注意人物(特殊罹患者)、そう記載されている数人の【サモナー】罹患者の情報の中に、【戦慄の狐姫】の二つ名を持つ、玉置栞奈のそれも混ざっている。


 特定の種、特定のモンスターしか召喚出来ないという【サモナー】罹患者を【取締局】は特殊罹患者と呼んでいる。登録されている罹患者の中から、罹患者側から自己申告して貰わねば発覚しないこの特殊例。人数にして現在四人しか存在していないとされている彼等を、【取締局】は要注意人物として、定期的な現状報告などを義務付けている。

 特殊罹患者達にはそれだけの危険性が確認されていた。





「もしか…しなくても、玉置さんが【戦慄の狐姫】?」


 いっ、いやぁぁぁぁぁ!!!!!!

 目を見開いて表情を凍り付かせ微動だにもしない、栞奈。だが、その心中では絹を裂くような阿鼻叫喚を上げていた。


 栞奈は自分が【狐姫】であることを、いや【サモナー】罹患者であること自体を隠していた。知っているのは祖母や兄弟などの信頼出来る、絶対に他に漏らさないという約束を信じることの出来る親族、そして【取締局】の人間だけ。同じ欠陥【サモナー】として交流を持っている他三人ともそれはSNS上だけに留め、顔を合わせて詳細な情報を明かす様な真似はしていない。

 

 恥ずかしいから。


 理由は幾つかあるが、それが一番大きな、最たる理由だった。

 罹患者と判明して騒がれたくない、何らかの騒動に巻き込まれる可能性を少なくしたい、危険人物に認定されている有名人であるという自覚、という理由も勿論あるにはあるのだが、栞奈にしてみれば何よりも大きな理由は「恥ずかしい」からに尽きる。

 個性を大切にしようという教育の成果によって我が道を突き進める若者が増えてきているらしいが、残念なことに栞奈は世間様の目が気になって仕方の無い質の人間だ。もしも、栞奈が今よりももっと若く、その上で社会を知らない学生時代とかであったのならば堂々と罹患者であると名乗っていたのかも知れないが、それはただの可能性の話にしか過ぎない。

 栞奈は今、三十六歳なのだ。最近よく耳にするようになった言葉で言い表すのならば、アラフォーなのだ。

 特別な何かになれたからといって喜べるような年齢ではない。もしかしたら世間一般ではアラフォーでも喜べばいいだろというものなのかも知れないが、少なくとも栞奈はそんな気持ちにはなれず、喜べるものではない。

 いや、少しだけなら【サモナー】であることは喜べるものはあったのかも知れない。だが、それに付随してきてしまう二つ名の存在が問題だった。問題過ぎた。

 【戦慄】、まぁいいだろう。【狐】、許容出来る。

 だが、【姫】は無い。

 三十六歳の女を捕まえて、それが名付けられた五年前だとしても三十一歳だったのだ、【姫】は無い、絶対に無い。

 気づいた時には堂々とネット上を軽く飛び出して市民権まで得てしまっていたその二つ名を、栞奈は決して認めてはいない。認めていないが、今更撤回を求めることも出来はしない。撤回を求めればおいて自分の存在を前面に出さなければいけないのだから、甘んじるしかないのが現状だった。誰だ、姫なんて言葉を使いやがったのか、という憤りは今も尽きることはない。


「へぇ、…そうなんですね…驚きましたぁ」


「な、何のこと?いきなり変な推測をして、勝手に納得するのは止めて頂戴!」


 確たる証拠は無い。栞奈が【戦慄の狐姫】であると、それどころか【サモナー】罹患者であることも、観月が知ることは出来ない。栞奈が確認するように目を凝らしても、観月に【サモナー】としてのレベルを見ることは出来ないのだから。


 はぐらかしてしまおう。


「私はただ、暇つぶしに此処に来ただけよ」


 今何かと話題にもなっているから。そう、ありきたりな休日の消化なのだと、自分に言い聞かせるように堂々と栞奈は言いのける。

 貴方こそ、こんな所に来ているなんて…、と栞奈は続けようとした。


『黄、白に黒、五尾までの全員に、管狐』


「えっ…」

『…はぁ、だるい』

 肩を丸めて疲れを訴える、どう見ても自分でしかない、人間とそれに体を甘えるように擦り付けている大小、そして色とりどりの狐達。

「はっ…?」

『あぁ、【取締局】の。何ですか?ちゃんと報告とかの義務は疎かにしてませんよね?』

 スマホを耳に当てて、眉間にしわを寄せて機嫌を損ねた風に受け答えをしている、これまた自分にしか見えない人。


「なっ…なっ…」


 観月が掲げる彼のスマホの画面に映し出されて、止まる様子も、止められる様子もなく、ただ流れ続ける映像。それは自分の声、姿、自分がついさっき口にしていた言葉だと、すぐに理解することは出来なかった。したくなかった、と言った方が正しいのかも知れない。

「すいません。驚きのあまり、丁度手にしていたスマホで撮っちゃってたんですよね」

 悪戯に成功した。言葉は悪びれている様子を醸し出しているというのに、観月の表情はこれでもかと破顔している。


「いや、だって…えっ?」


「【戦慄の狐姫】が居るっていう神社で狐を召喚している【サモナー】の女性。これはもう、【狐姫】御本人じゃないと説明つかないですよね?」


 先程は「もしかして」という含みを持たせて確認するような様子だったのに、今の観月のその言葉には確かな確信が含まれているように聞こえる。

 いや、それだけではない。栞奈の勘違い、被害妄想かも知れないが、観月の表情は酷く意地の悪い、ニヤニヤと何かを企んでいるような気配さえ感じられるものに見える。


 観月祐介という後輩を栞奈はよく知っている。別に他の女性社員達のような邪まな気持ちがあっての事ではない。

 彼に対しての興味があろうとなかろうと、嫌でも彼の情報が耳に入ってくる状況に栞奈は置かれているのだ。

 若きエース、将来有望、お買い得物件…。

 笑顔が眩しい爽やか好青年…。

「すぐに否定しようとしたところを見ると、これって玉置さんが隠しておきたいってことなんですよね?」

 今の彼が浮かべている笑顔は、そんな評判など一息で吹き飛ばしてしまえそうな程、酷く意地悪く見えるものにしか見えない。

「そ、そんなこと、別に」

「分かりやす過ぎですよ、玉置さん。隠したいんですよね。なら、この動画って残ってたら嫌ですか?」


 

ピリッと空気が震えた。


 観月祐介が何を言わんとしているのか。

 そんな簡単な事を察すれない程、栞奈は自分が馬鹿だとは思っていないし、かまととぶるつもりもない。

 だが、それをする意味が分からない。


 たかが仕事場の先輩。彼の将来を左右するような役職を持っている訳でもない。自分を脅して何か彼に良い利点があるなんて、いくら考えようと思いつきもしない。


 ただ、ある一つの事だけはすぐに思いついた。

 自分は要注意人物扱いされている、そういった扱いを受けることを甘んじる事を一度とはいえ成している身。きっと何か次に事を起こせば、問答無用で【取締局】によって逮捕されることになるだろう…。だが、それが分かっていても栞奈は、実力行使であの動画を破壊し、ついでに観月祐介の記憶も破壊してしまおう、なんて荒事を一瞬の内に計画する。


「…そ、そうね」


 だが、ハッと栞奈はある事を考え付いた。

「確かに、私は【サモナー】よ。でも、【戦慄の狐姫】?一体なんのこと?」

 彼の目の前で、動画にも撮られてしまった以上、モンスターを召喚した事実は変えようはない。否定も出来ないし、はぐらかすことも出来はしない。

 だが、栞奈は【サモナー】罹患者、それ以上でもそれ以下でもないことしか、その動画からは分からないのではないか。

 【サモナー】であるという恥ずかしさや、きっと起こる煩わしさはまだ我慢の出来るレベルだ。

 …【姫】に比べれば。


「狐のモンスターを召喚したからって、【狐姫】だなんて勘違いしないでもらえるかしら?」


 吐き捨てるように、栞奈は嘯く。


 【サモナー】罹患者であることは最早はぐらかせないが、まだ二つ名持ちである事実からは目を反らすことは出来る。

 …いい年した、【狐姫】に憧れて狐ばかりを彼女が居るという神社で召喚していた、という汚名を負うことにはなるかも知れないが。辛うじて栞奈の中の恥ずかしさの天秤は【狐姫】本人ではない方が軽い。


「…えぇ、そうですか?」


 栞奈の対応に不服を感じたのだろう、観月祐介の表情が僅かに歪む。これに栞奈は勝ったと心の中で拳を振り上げた。

 観月祐介が栞奈に何を望もうとしたのかは、気にはなるが、嫌な予感がしたので別に聞かなくてもいい。奴が自分を脅そうとしたのだということだけを覚えていればそれでいい。これからは今まで以上に関わりを持たないように、最低限の接触で仕事をこなしていこう、と栞奈は口端を気づかれないように持ち上げながら、安堵の喜びを味わっていた。


 …のだが。


「玉置さ~ん!【取締局】の鈴木です!何かありましたか?まさか、何か仕出かしたとか…!」


 止めて下さいよ、貴女、二つ名持ちの特殊罹患者の危険人物なんですから!前は設立以前なのでもみ消せましたけど、今回ももう無理ですよ。罹患者収容施設に直行ですよ?


 余計な言葉を口にしながら、余計な人間が、栞奈と観月の間に出現した。

 パァッと再び観月の表情が、栞奈には薄気味の悪いものに変化する様子を、栞奈は出現した鈴木越しに目撃してしまった。







 一応は常識を持ち合わせて成人した社会人が集まっている職場。

 仕事には然程の支障を来すことは無かったが、それは大きな波紋を職場に生み出した。


「ちょっと聞いた!」

「聞いた、聞いた!」

「ショックってもんじゃないわよ!!」

「観月君がババ専だったなんてぇ!!!」

「きっと、あのお局がなんかしたのよ。そうじゃなきゃ、おかしい!!」


 ババアで悪かったわね。まだ三十六歳よ、ババアって言われる筋合いはないんじゃない?


 壁にかけられている時計を一瞥すれば、一応は規定されている就業時間は過ぎている時刻を示している。だから、彼女達が一体何の話をしていようがしていまいが、関係の無い部署の入り口の前でごちゃごちゃと何をしていようが、注意される謂れは無いのかも知れない。

 だが、その話題の矛先を向けられている、しかも悪意しか込められていない言葉に視線を浴びせられている身としては、誰か止めろよ、と言いたくなる。

 睨むなり、声に出して言うなりして、自分で対処すればいいのかも知れないが、それをしてはっきりと彼女達と敵対していることを露わにする勇気も、それをして今以上の無駄な注目を浴びる勇気も、栞奈は持ち合わせていない。


 栞奈はただ、普通に生活して、やるべき事やしたい事だけを熟していきたいだけなのだ。


 だというに、どうしてこうなった!


「あれ~栞奈さん。まだ終わらないの?いい店があるから行こうって約束してたじゃん」


 明らかに話しかけてくる口調が前とは変化した観月が話しかけてきた。色々とあって本当に仕事を終えられていない栞奈の指は忙しなくキーボードを打っていたのだが、その指一本一本に込められた力が無意識の内に激しいものとなってしまったのは、栞奈の心情上どうしようも出来ないことだった。


 にこにこにこにこ。

 社内でも評判だった整った顔立ちから発揮される爽やかで人好きのする笑顔に、今みたいに栞奈へ話しかける際には甘さが加わったと、栞奈の耳には聞きたくもないのに最近何かと話題として飛び込んでくる。



 観月の要求は酷く奇怪なものだった。


『俺と付き合って貰えますか?』

 器用なことに、突然出現していた鈴木の言動さえもしっかりと録画していたのだということを示しながら、観月はそんな事をにこやかに栞奈に言った。

 有無を言わせぬように、逆らったらこれをと手に自身のスマホをチラつかせて。

 空間を渡る力を持つモンスターを使ってやってきたという鈴木は、気まずげな表情でチラチラと栞奈と観月を見回した後、「お、お邪魔致しました~」とまるで最初から居なかったとするように姿を消し。

 監視対象者が脅迫されている場面なんだから助けろよ、という苦情はその空気とあまりに唐突で予想外過ぎる要求に声も無い栞奈はすぐに思い浮かばず、彼が逃げることを甘んじて許してしまった。

 『付き合う?何処に?』、なんてありきたりな勘違いをしていると装ってみても、笑いながら『実践で理解を求めてもいいですか』なんて、女子社員達による爽やかという総評とは丸っきり違えた姿を見せつけられた。


 あれから二週間。

 勿論、しっかりと【取締局】の方に、鈴木の上司に当たる人間に直接苦情は入れているが、栞奈の苛立ちは八つ当たりも含めて収まりそうにない。



「ごめんなさい。まだ終わりそうにないから…」


「じゃあ待ってるよ」

 一人で行けば、と言葉柔らかく伝えようとした栞奈の声を遮った観月のそれは、本当に、本当、相思相愛の彼女にするものとしては相応しいであろう声音の気遣い。

 観月の登場によって声を潜めていた女達の、嫉妬などがこれでもかと混ざり合っている声がまた栞奈の耳に突き刺さってきた。


「み…」

「祐介。祐介って呼んでっていってるでしょ」


 観月、と以前と変わらずに苗字呼びで待っている必要はないと伝えようとするも、栞奈のその言葉は再び遮られる。



「いやぁ、すげぇな観月。あの人に手を出すとは」

「チャレンジャー」


 はいはい、どうせ今の今まで同期や後輩達が潔く去っていく中で残り続けてきたお局ですよ。だからって、まるで珍獣ハンターに遭遇したかのような目を観月に向けてるんじゃないわよ。

 男性社員達の、ある意味では尊敬しているかのような視線。一段とキーボードを打ち付ける指に力が入る。


「絶対、絶対!あのババアに観月君は騙されてるのよ!」

「観月君がババ専だったなんてえ」

「ただの興味本意でしょ。すぐに飽きて、捨てられるのがオチよ」


 そうね、そうなって欲しいわ、真剣に直ぐ様に。

 女性社員達の隠そうという気さえ無い怨念籠った声は逆に、荒れ狂う栞奈の心を鎮めてさえくれる。

 栞奈の気持ちも彼女達とそう変わらないものだった。意味が分からない、唐突な事態。

 観月が本当に自分に対して好意があるなどと、栞奈は信じていない。そんな兆しは今まで見えなかった、気づかなかった。女性社員達には好物件として知られている観月のことを、そこまで興味が無かったともいえる。


 自分が【サモナー】であると知った時、そして【戦慄の狐姫】などという二つ名をつけられてしまった事を知った時に勝るとも劣らない程に今、玉置栞奈は頭を痛め、胃を痛め、出来ることならば誰もいない場所に逃げ出して何も無かったことにしてしまいたいと願っている。

 

 早く終われ、そう願って願って、けれど天はそんな栞奈の真摯な願いを聞き届けてはくれなかった。





「本当、どうにかして欲しいわ」


 嫉妬と嫌悪の女達のドロドロとした視線、興味本位な男共の馬鹿らしい想像を思い浮かべていること間違いなしの視線、そして栞奈の一挙一動を見逃さずに逃がしてもくれなさそうな観月祐介という、一応は彼氏である男からの視線。

 そんな劣悪とも言える職場に置かれて三週間も経つというのに、その環境が改善される余地はまだまだ見えない。

 栞奈は疲れ果てていた。

 その疲れに対する愚痴をついつい、全くの無関係とも言えない相手に対して挑みかかるように零してしまっても、許されると栞奈は思う。

「…えっと、お疲れさまです」

「だいだい!あんたがあの時!逃げ出さずに私を助けてくれていれば!危険人物扱いの監視対象者が脅されている現場に駆けつけておいて!事態を収拾しようともしないで逃げるってどういうこと!真面目に仕事してるつもり!税金泥棒め!!」

 栞奈からの血反吐を吐き捨てるかのような愚痴から状況を察した鈴木は慰めの言葉を吐く。鈴木としても、それくらいしか言葉を口にすることが出来なかったのだが。それがまた、栞奈の怒りを増長させるのだ。

「…いや、税金泥棒というのはまぁ、否定はしませんよ。まず、このような店の支払いを経費落ちにし続けていることからも。私も元は民間の一営業マンでしたからね」

 国家公務員である【取締局】の局員である鈴木と、監視対象者として定期的な面談が義務付けられている栞奈が今居る場所。美食な店をランク分けして紹介しているガイドブックで最高ランクを与えられているフランス料理のディナー。一人暮らしの女の月の食費さえも一食で軽く飛んでいくそれを、栞奈は定期的な面談の度に役得として指定していた。普通ならば落して貰える筈もないような食事代だが、【取締局】の経理はそれを文句一つなく簡単に落としてくれるのだという。

「まぁ、【取締局】の仕事は激務ですから。それくらいの特権や目溢しを許して貰わないと」

 家族にお土産として、この店でお持ち帰り出来るスウィーツがあるのでそれも経費で落とします。家族への土産を毎回経費で購入する税金泥棒ぶりは、鈴木も堂々としたものだ。

「何が激務よ。仕事してないじゃない。助けなさいよ」


 暴走、するわよ?


 自分が、【特殊罹患者】が危険人物扱い、監視対象者とされている最大の理由を盾に、栞奈は向かい合う鈴木に向かって凄んで見せる。


「本当のところ、あの頃ならいざ知らず、今の貴方を危険人物扱いで監視し続けている意味ってあまり無いんですよね」

「…なら止めてくれない。そうしたら、週末に狐達を召喚する理由も無くなって私も気が楽になるんだから」

 話題を提供することが無くなれば、祖母が世話している神社としては参拝者が減って大変かも知れないが、【戦慄の狐姫】に対する人々の興味も減って、いずれ誰も見向きも向けなくなるだろう。

 期待を込めた栞奈の要望だったが、それでも、と鈴木は首を振る。

「貴女一人ならそれでもいいんですけどね。他の【特殊罹患者】達の手前、貴女一人を解放することは出来ません」

 チッ。

 栞奈の口から、高級レストランに相応しい空気には似つかわしくない、舌打ちの音が漏れる。


 【特殊罹患者】と呼ばれている、一つの種、モンスターしか召喚する事の出来ない【サモナー】罹患者が監視対象とされる程に危険視されているのには勿論、理由があった。

 栞奈の場合は狐に部類されるモンスターを、それが何であろうと召喚出来た。

 そう何でも。初期に罹患していた栞奈がまだレベル一でしか無い頃、つまり周囲の【サモナー】罹患者達が一番先んじた者でもレベル十を超えていない頃に、狐の、神に部類されるモンスターを召喚してしまったのだ。神クラスを召喚するなど、まだ夢のまた先の話であった頃だ。

 そして、他の確認されている【特殊罹患者】達にも聞き込み、実験をした結果もそれを認めてしまった。 【特殊罹患者】達は特定の種、モンスターをレベルに関わらず召喚する事が出来たのだ。

 それだけならばまだしも、最悪なのは召喚したモンスタ―の本来の見合ったレベルに到達していない場合、そのモンスター達が暴走してしまうのだ。召喚主の命令になど一切耳を傾けず、唯一気に掛けるとしたら召喚主の安否くらいで、その力を思う存分に自由気ままに発揮する。

 誰にも止める術が無い頃に栞奈が起こしてしまったその事態は、確かな脅威として政府などを慄かせた。世間では【三笠ビル倒壊事件】として知られている事件の主犯ではないものの、被害者の一人として一端を担ってしまった事は広くは知られていない。いないものの、一部の知る者達によって【戦慄の狐姫】という二つ名をつけられる要因となった。


 準備期間を通じて【取締局】が設立された時、自己申告などで確認されていた【特殊罹患者】達はしっかりと監視対象として明記される。

 

「神クラス程度、【取締局うち】には今やトップランカーの一人の【学徒の猟犬】が居ますから。暴走されようとも対処は出来ますから。他の方々なら苦戦もするかも知れませんが、あなたですからね。ですが、それでも特別扱いは無理なんです」

 なんたって【取締局うち】は公務員ですから。

 鈴木の発言は別に狐のモンスター、狐に関する神を馬鹿にしている訳ではない。ただ栞奈以外の【特殊罹患者】が召喚する、天使だの、樹精だの、狼だのが強力過ぎるだけなのだ。

 SMS上での交流、という名の愚痴り合いでは、脳裏に浮かぶ本の最後当たりに興味無いけど知っている神話の名前などがあるのだと、ビクつきながら彼等は頭を抱えていた。

 栞奈でさえ、九尾の狐や荼枳尼天、と脳裏に浮かぶ名前に絶句したものだ。ミカエル、サンダルフォン、ユグドラシル、フェンリルなどの名前を罹患したばかりで目にすることになった彼らの驚きと恐れも仕方ないことだっただろう。

 特に天使を召喚してしまえる自称二十代前半の青年は秘密にしている割に何処から情報が漏れたのか、国内外のそっち系の宗教関係からに追われる日々らしい。不遜であると命を狙われ、各々の集団の神輿にと望まれ…。

「万が一にも暴走しないよう、レベルはしっかりと上げていって下さいね」

 レベルが見合っていないと暴走してしまう為、【特殊罹患者】は全員、【取締局】によってレベル上げを義務付けられている。

 【戦慄の狐姫】玉置栞奈のレベルを上げる方法、それはただ単純なものだった。

 召喚すること。

 他の【サモナー】罹患者達に比べれば何とも楽なものだ。召喚すればする程、レベルが上がるのだから。だが、積極的に【サモナー】である事を喜ばない、望まない栞奈にとっては最悪な方法でしかない。レベルだけを上げていればいいのならば、召喚など一切せずにレベルだけを上げていれただろうに。義務付けられてしまっている以上、否応が無いに召喚するしかない。

  

 それでも仕方ない、と栞奈が【取締局】と話し合った上で決めたのが、特定の場所でだけで召喚し続けるということだった。

 幸いなことに、もしかしたらこれが原因なのではなんて予想も立てられたのだが、栞奈の母方の祖父母は稲荷を祀る神社を代々守ってきた家系。その境内でだけ狐達を召喚すれば、猫の島だのウサギのなにやらと動画で注目を集めていた場所のように、もふもふにつられた者達が集まり参拝者が集まりお賽銭がっぽり、などという栞奈なりの祖父母孝行、そして決まった場所だけでの召喚なら自分の正体がバレる心配が少なくなるという考えが重なって、【戦慄の狐姫】のレベル上げは週末に神社でのみ行われる事と相成った。

 消極的なレベル上げの為、栞奈のレベルは未だに三十程度しか無い。

 それでも自分のレベルに合わないようなモンスターを召喚するつもりもないので、栞奈としては焦ってはいない。


「観月祐介さんに関しては、こちらから過度の干渉をするつもりは今のところはありません」


 はっきり、きっぱりと、局としての決定でもあるのだ、と言い切った鈴木に栞奈の眉間は皺を寄せた。


「簡単にですが調べた感じでは裏に危険人物などと繋がっている様子は無いですし。軽く接触して話をしてみましたが、なかなかの好青年ですから」

 いやぁ好物件ですよ、玉置さん。

 ぱぁと笑顔を弾けさせた鈴木の顔に、栞奈は嫌という程に見覚えがあった。実家の近所や自宅の近所、時には会社にまで出現する、お節介な見合い婆と呼ばれる存在がよく、それとよく似た表情を浮かべては栞奈に近づいてくるのだ。

 仕事も出来るようでし、性格も悪くない。学歴や家庭の状況もなかなかのものですよ。特に家は裕福なようで…。頼んでもいないのに、職場の女性社員達よりも詳しく観月祐介について語っていく、鈴木。


「…その性格がいいっていう奴に、私、脅されているんだけど?」

「それだけ玉置さんに振り向いて貰いたかったって事じゃないですか?玉置さんはほら、話題に出る度に【取締局】の局員の目頭を熱くさせて、憂鬱な気分に追いやる程に独り身を拗らせてましたから。あんな独り身で隙の無い貴女に特攻するには彼は少し若過ぎですよ」

「何、それ。喧嘩売られているの、私?」

「カラオケや食事に一人で行くのは別に構いませんよ?でも、休日に話題の恋愛映画に一人で行くとか、ボーリングに一人で行くとか、一人観光旅行とか、一人遊園地、一人動物園、止めにムードのあるレストランで一人でディナーとか、報告を聞くことになる我々をどれだけ居た堪れなくさせるんですか」


 例え始まりが脅しであろうと何であろうと、貴女に恋人が出来たという報告は局員一同祝福ものです。


 ここが高級と言われるようなレストランで無かったのなら。

 鈴木の方がレベルの高い【サモナー】であると分かっていてもきっと、栞奈は出来うる限りの狐達を、例え暴走させようと、召喚して鈴木に攻撃を仕掛けていたことだろう。

 料理を飾られている皿やグラス、ディスプレイ、飾られている絵画など。見るからに高級という名に相応しい値段だと分かるそれらが、ただのOLでしかない栞奈を正気へと連れ戻す。

 それ程までに、鈴木の極々真面目でしかないと訴える面持ちでの発言は、栞奈の頭の血管を弾け飛ばした。


「帰る」


 人のお金だと思っての、店で一番のフルコースがまだ途中ではあったが、これ以上口にしても絶対に美味しいとは思えないだろうと、栞奈は席を立って帰宅する意志を短く、機嫌を損ねたことを確かに伝えるように声を低めて言い残す。


「そうですか?まぁ、でもそれがいいですよ。男と二人でこういった店に来ているなんて、あまりいいものではありませんからね。これからは別の方法で面談をするか、それか女の局員を担当に変えましょうね」

 局員全員で応援しています!

 栞奈を追うように席を立って会計へと向かう鈴木の嫌な宣言を背中に、栞奈はさっさと店から出る。


「玉置さん!」


 パァンッ!!!

 苛立ちが収まる様子もなく、さっさと家に帰って寝ようと考えていた栞奈の頬に熱さが生まれ、数秒遅れに痛みが走る。

「貴女って最低ね!祐介君っていう人がいるのに、浮気だなんて!」

 会社で見たことのある顔の女性から平手を喰らったのだと、痛みを感じてから漸く考え付いた。

 顔を見た事ある程度の、名前の知らない相手からの突然の平手。

「誰?」

 栞奈がまず口にしたのは、そんな疑問の声だった。


「祐介君!見たでしょ、こんな最低な人…」


 だが、その女性は栞奈の問いかけに答えることなく、さっさと身を翻して連れだって来たらしい相手に訴える様子を見せるだけ。


「うわぁ栞奈さん、大丈夫?これは冷やさないと明日大変だよ」


 必死な様子で訴えてくる女性を歯牙にもかけず、観月は栞奈の傍に歩み寄ると痛みと熱さを訴える栞奈の左頬に手を当ててきた。

 うっかり、観月のその手が冷たくて気持ちがいいと甘んじてしまったが、ハッと我に返る。

「な、なんで、此処に」

「彼女に、栞奈さんが浮気している現場を教えてあげるって引っ張られてさ。あっ、大丈夫だよ。栞奈さんがそんな事する訳ないって、俺ちゃんと信じてたから」

 そりゃあ脅しているのだからそうだろう、と思いながらも、栞奈に他の男が居ると考えて興味を失ってくれていれば良かったのに、なんて事も栞奈は思う。

「祐介君!なんで!」

「いや、なんでって言われてもさぁ。あと、いい加減、俺の事を名前呼びするの止めてくれないかな」

 栞奈さんにもあんまり呼んで貰えないのに、と至極迷惑そうに言い捨てて、それ以降一切可愛らしい声で縋るようにする女性に目さえも向けない観月。


「うわぁ、まるでドラマみたいですね」

 妻が好きそうだな、と会計を終えて店を出てきたのであろう鈴木の声と写真を撮る音が背後から聞こえてくる。

「ねぇ!祐介君。こんな人の何処かいいの。私の方が祐介君の事好きなのに。私の方が…」

 涙を滲ませながら観月にアピールを始めた女性。確かに、そんな女性とそれを気にも留めずに栞奈と向かい合っている観月というその光景は、栞奈からしてもドラマのワンシーンみたいだなと現実逃避で考えてしまうものだ。

「栞奈さん、こういう店が好きなんですか?じゃあ、今度いい店があるからそこ行きましょうよ。あと、いくら鈴木さんとは言ってもヤキモチ焼いちゃうんで、あんまりこういう所に来ないで下さいね?」

 喚き散らすといってもいい女性の声なんて一切聞こえていない。そんな態度で観月は栞奈ににこにこと笑顔を向けて、嫉妬深い恋人のようなことを言って、約束を取り付けようとする。

「鈴木さんも。お願いしますよ?」

「えぇ、これが最後です。次からは大丈夫ですから、安心して下さい。私はちゃんと二人を応援してますから」

 栞奈の知らない間に鈴木と観月の間で何かしらの交流があった事が明白な、気安い言葉の掛け合い。



 ポツンと。

 この光景の中心は自分であると嫌で嫌で仕方無いが理解は出来ている。

 だが、何故なのか。

 まったくもって栞奈の意見など反映してくれない【取締局かんしやく】の鈴木に、どんな思惑があるのか恋人だなんて脅して言い張る観月。栞奈を比較対象として自分を持ち上げて、何とか観月を振り向かせようとしている女性社員。

 まるで他人事のように、栞奈はその光景を見回していた。



 なんなんだろう…。


 やっぱり【サモナー】なんてろくでもない、と栞奈は痛む頭で考える。

 多くの人間が【サモナー】に罹患したことを喜び、多くの人間が【サモナー】に感染し罹患することを望んでいるというが、栞奈にはそんな事嘘だとしか思えない。

 【サモナー】に罹患して良かったこと、なんて栞奈には一つも思いつきもしないのだ。

 今もそう。

 【サモナー】は栞奈をただ、窮地に追い込んで、彼女の平穏を悉く足蹴にしていく。


 神様、私は何か悪い事をしたのですか?


 ただ一人気ままに、ぼんやりのんびりと老後の貯蓄をしながら生きていけたらいい。そう思っていただけなのに、それとは程遠い苦痛ばかりの日々が今続く。


 はぁ。

 【サモナー】罹患者が辿り着く先。やる気の無い栞奈では絶対に辿り着けない、創世の神を使役する主人マスターという立場。まるで何でも願いが叶う存在のように語られるそれに成り得る【サモナー】罹患者が現れるのなら。

 是非とも【サモナー】というこれを消滅させ、感染が始まったそれ以前の状態へと世界を戻してくれるよう、願って欲しいものだと、玉置栞奈はただただ神頼みをするのみ。


 それまでは、休まることのないアウェイな環境の中で何とか頑張っていこう。

 

 玉置栞奈、三十六歳。

 溜息と共に覚悟を固めたのだった。

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