【戦慄の狐姫】欠陥の願い事 上
【学徒の猟犬】【陰遁の仙女】【幽囚の炎球】などなど。【サモナー】罹患者の中には一部、二つ名を冠している者達がいる。これは別に、自分達が名乗っている訳ではない。政府よりも、どんな機関よりも早くに【サモナー】の謎に迫った動画投稿者を始めとするネット上で、その二つ名は考えられた。外見的特徴や在り様、その思想、それらを考慮して論議され、顔を逢わせた状態ではきっと恥や外聞が先んじて口にすることも厭われるような単語が行き交いながら決定される二つ名。その決定は決してネット上だけで留まることなく、公のものとしてメディアでも利用されることになるのだから、二つ名をつけられる可能性のある一部【サモナー】達は戦々恐々とそれを見守ることになる。
【サモナー】に罹患するのは決して、恥や外聞をかなぐり捨てた者達ばかりでは無いのだから、二つ名をつけられる可能性があるとなれば、せめて、せめて口に出しても恥ずかしくない単語でお願いします、と天を仰ぐ。
そんな願いも空しい二つ名が論議されて与えられる、それはレベルの先行しているトップランカー達だけではなく、少しでも目立つことを仕出かした【サモナー】もまた、その対象として、面白おかしく名付けられることになる。
【戦慄の狐姫】もその一人だ。
彼女は二つ名を冠することとなった、五人目の【サモナー】罹患者であると知られている。一人目は【サモナー】に関するあれやこれやを動画に投稿していた【白濁の先駆者】、二人目、三人目、四人目もまた動画投稿者達であったことを考慮すれば、彼女こそが純粋な意味で二つ名をネット上の論議の上で与えられた人物といえる。まだ先んじている者も出ていない、平均してレベルが10程度にしか達していない頃に、彼女は二つ名を得た。
特殊な一例。希少例。
それが【戦慄の狐姫】の【サモナー】罹患者としての在り様だった。
「玉置さん。このあと、皆で飲みに行くんですけど一緒にどうですか?安くて美味しい、お洒落な穴場の店を田中さんが見つけたらしいんですよ」
「誘ってくれて、ありがとう。でも、ごめんなさい。どうしても外せない用事があるの」
入社直後から指導係として世話をしたこともある後輩の一人からの誘いに、玉置栞奈はにっこりと気品に溢れた微笑みを意識して浮かべ、やんわりと断りをいれる。
「…まぁ用事なら仕方ないですよね。でも、残念だなぁ」
「ごめんなさい」
今年36歳となる栞奈は現在、大学卒業と同時に入社した会社で事務職として働いている。女は腰掛け、結婚したら退職する、という女も働こうという風潮から取り残されている暗黙の了解がまだ根強く残っている中小企業。そんな会社で栞奈よりも年上の女性社員は数える程しか残っていない。お世話になった先輩方にも、同期にも、部下として教育係を務めた女性社員の多くもすでに結婚して退職している現状だった。そんな中で36歳にもなってただ黙々と就業している栞奈。男性社員からも年下の女性社員からも、すでにお局様と呼ばれていることを、栞奈は自覚している。
仕事終わりの、明日は土曜日で休みであるというのもあって二次会、三次会と盛り上がっていく事が目に見えて予想出来る飲み会にも一応は誘っては貰えたのだが、誘いに来るのはいつも同じ人間。その後ろで微妙な表情で栞奈の返事に耳を立てている人間が何人も居る事に、馬鹿ではないのだから気づかない訳がない。
どんな話題を振っていいのかも分からない、私情を職場で見せようともしていない、書類の不備などを口煩く指摘してくるお局を、仕事のことを忘れて楽しみたい飲み会の席に呼びたいを思う人はいない。
特に、他会社に恋人などを見つける可能性が少ないと見積もった女性社員達にとっては、少しでも好条件の男性社員を手に入れる為の大切な場。いくら年齢も上で男性社員からの印象がそれ程高くもないとはいえ、同性がこれ以上増えることを望む訳もない。
「玉置さん、行けないそうです」
「あぁ、そうなんだ。じゃあ、俺達だけでも楽しんでこよう」
栞奈を誘っていた部内だけでなく社内の若手では女性社員の人気の一・二を争っている八歳年下になる後輩、観月祐介が飲み会に参加するメンバーなのであろう集団の輪へと戻っていく。
本当に残念だという感情がにじみ出ている観月のすぐ後では、観月に声を返した観月の先輩にあたる、それでも栞奈にとっては後輩の男性社員の声に滲む、どうでもいい、来られても困る、という気持ちが際立って感じられる。
「観月君ってやっさしいね~」
「そうそう。いっつも断られているのに、玉置さんの事を必ず誘ってあげて」
「用事っていうけど、彼氏って感じじゃないのよね~玉置さん。なんだろ?」
「自分磨きってやつじゃない?は・な・よ・め、修行」
「ぷっ。修行して使い道あるの、あの人に」
そして、隠そうともしていない女の姦しさを体現している声が、栞奈の耳にしっかり、はっきりと突き刺さる。
花嫁修業の使い道が無くて悪かったわね。
栞奈は心の中でこそ悪態を返すが、それでも表面上は聞こえないふり、終業時間を迎えても終わりが見えない仕事に向かっていると思わせるよう心掛ける。
「残念だなぁ」
何をそんなに栞奈の参加に拘ることがあるというのか、観月の残念がる声が他の喧騒にまぎれることもなく際立って目立ち、それに答えて何人もの女達が鋭く細めた恐ろしいの一言に尽きる目を栞奈に突き刺してきた。
自分達が先程口にしていた影口の内容を忘れたのか、と栞奈は頭に痛みを感じる。八歳も歳の上の、浮いた話も無い花嫁修業も無駄な女が本当にライバルになると思うのか、と無駄な牽制を見せる者達に訴えたい。
彼女達も冷静になって考えれば、栞奈の思いと同じことを考えたのだろう。それ以上、彼女達の視線がきつくなることもなく、場の話題はまた別のものに流されていくようだった。
「あれ?ねぇ、これって…」
「あっ、分かっちゃったぁ?」
気づかれない訳がない、どんどん話題にしてよ、というのが良く分かる声。
「彼氏と【狐姫】の神社に行ってきたんだぁ。【狐姫】は見えなかったんだけど、彼女が召喚した狐のモンスターは一杯居てね、記念にお守りも買ってきちゃった」
もちろん彼氏とおそろいなの、と注目を集めている女性は自慢に満ち溢れた声を大きく張り上げている。
初めは女性社員だけの塊だったそこは、その女性の口にした言葉に反応した男性社員達の注目を集め、注目だけでなく男性社員達を集めた。
「そんなところに行って、【サモナー】に感染しちゃうよ?」
にやにやと笑いながら、0.001%の確率と言われている【サモナー】の感染を冗談めかして危惧する声をかける者。
「えぇいいなぁ。狐って何が居た?触ることって出来た?」
神社に一杯居たという狐のモンスター達について興味をもって聞きたがる者。
その反応は様々だが、終業時間が過ぎたことをいいことにフラフラと集まってきた全員が彼女の口にした、【狐姫】、そして神社が何を意味する言葉なのかしっかりと理解していることだけは確かだった。
「でもさぁ、【狐姫】の話って本当なのかな?他人からは確かめようが無いんだし、本人が有名になりたくて騙ってるって可能性もあるんじゃないの?」
【狐姫】という二つ名を持つ【サモナー】罹患者の逸話を知るからこそ、そう疑いを口にする者は実は多い。【サモナー】という五年前に突然世界に誕生した現象でさえも信じがたいことだというのに、その罹患者の中でも特異な状態に陥ったと言える彼女に対する疑いの目は五年経った今でも尽きることは無いものだった。
「でも、あの【取締局】が正式に認めてる特異例だって公表されてるじゃないですか。疑いようが無く
ないですか?」
「でもさ~」
同意、反論、話題が盛り上がっているその集団に気付かれないように注意して静かに、息を殺して立ち上がった栞奈は、自分は空気、自分は空中を舞る埃、などという呪文を心の中で呟きながら気配を消し、その場をゆっくりと離れてることを試みた。
「……はぁ、嫌な話題を出さないで欲しいわ」
気配を消したまま栞奈が向かったのは、同じフロアにある資料室。
仕事中であろうと人気が一切無いその部屋に、仕事が終わった後に出入りする人間は皆無。湿っぽい紙と埃の匂いが充満したその部屋が、今の栞奈の心をなんと落ち着けるものだろうか。
資料が詰まった本棚が並ぶ間にしゃがみこみ、自分の膝に顔を沈める形となった栞奈は、何度も深呼吸を繰り返す。
この会社、【サモナー】罹患者が一人も在籍していない。
それが栞奈にとって何よりも救いで、お局扱いを受け陰口をどれだけ叩かれようと居座り続けている理由の一つにもなっている。
別に罹患した人間が一人もいない、という訳ではない。良くも悪くも中小企業。特段に給料が良いという訳でも、特殊業務という訳でもない。その為、【サモナー】に罹患した社員はさっさとそれを武器に、【サモナー】罹患者を手に入れようと試みている大企業や団体へと転職していったのだ。一部には、【サモナー】罹患者であることを利用して雇われ人という立場から逃げ出すことにした社員も居た。
玉置栞奈も実は【サモナー】罹患者だ。
栞奈が罹患したのは、【サモナー】が出現し始めた五年前の事。だから、会社を辞めていった社員達は栞奈が【サモナー】罹患者であると知っていたのかも知れない。【サモナー】同士ならばレベルを視ることが出来るのだから可能性は高いだろう。だが、幸いなことに彼らはそれを元・同僚達に語ることなく会社を去っていった。本当に良かった、栞奈は心の底からそう安堵する。
栞奈には会社を辞める勇気は無い。
【サモナー】だからといって転職して、もしも【サモナー】というそれ自体が消える日が来たら?そう考えると恐ろしくて溜まらない。
他人に言われると苛立つものだが、栞奈自身も自分の結婚している姿なんてものを想像することが出来ない。恋人なんていう存在が居たのは、大学時代が最初で最後。今は本当に、将来を見据えて貯蓄に励み仕事をこなすだけの日々だ。
兄弟、甥、姪に迷惑をかけることのない一人での老後を想えば、【サモナー】という突然手に入れて謎に包まれたままの事態に縋ることは出来ない。
どうして可愛げもない現実的な自分に、こんなファンタジーな現象が感染したのか。
【サモナー】罹患者に成りたい、という人間は多い。会社内でもよく話題に上り、もしもなれたらあぁするんだ、こうするんだという話で盛り上がったことは一度や二度ではない。そんな夢や希望に溢れた未来を想像することが出来る彼等にこそ感染するべきではなかったのか、と栞奈は何度も自分の中に存在する-感染というくらいなのだからウィルスみたいなものなのかと栞奈は想像している-【サモナー】に語り掛けていた。
「いい加減、移動したわよね」
どれだけ身を縮こませていたのだろうか。だが、少なくとも短くは無い時間だったと栞奈は考える。
今日は金曜日、明日は休み。そうだとはいっても時間が無限という訳ではない。【狐姫】の話題で盛り上がっていた彼等も予約してあるであろう店への移動を始め、少なくとも更衣室には移動している筈だと冷静になるように努めて予想した。
「帰って早く寝よう。明日と明後日は召喚で体力使い果たしちゃう予定だし」
飲み会を断る為に口にした用事があるというそれには、別に全くの嘘だった訳ではない。
花嫁修業だの、彼氏だの色めいた理由では当然のように無いのだが、それでも本来であったなら家で一人ゴロゴロとしているだけの時間を毎週末埋めてくれている大事な用事は確かに存在していた。
それはもう、副業を言ってしまってもいい程に栞奈の週末の用事を向こうずっと埋めている。きっと、栞奈が【サモナー】で無くなるその時までこの予定に変化はないだろう。
「あっでも。さすがに年いったら体力がついていかないかな…。…ジムでも通おうかな…」
よくニュースで、【サモナー】罹患者同士の戦い、罹患者が集まって形成されているギルド同士の衝突などというものが取り上げられている。
それを観て栞奈が思うのはただ一つ。「若いなぁ」という、なんとも年寄りくさいものだった。何体ものモンスターを召喚して、戦い、傷つけあう。若く体力が有り余っているからこそ出来る所業だと、しみじみを思うのだった。自分でも年寄り臭いと後から後悔するが、仕方ないだろう、それが意識せずに真っ先に浮かんでくるのだから。
『はいっ、本日ミサキは【戦慄の狐姫】さんが居らっしゃる神社に来ています!』
中継ではなく、何日か前に撮ったものだろうと分かる、テレビの向こう側にある窓の外の黒い夜空とは正反対の青空をバックに画面の中で動いてしゃべる人気アイドルの姿。
「この子は【サモナー】に救われた組よね」
ベットに寝転び何時でも眠れる体勢でただ惰性で見ていたテレビに向かい、栞奈は一人心地る。
自分の事をミサキと名前呼びしている画面の中のアイドルは、十何人と在籍しているアイドルグループの、目立たないポジションに元々は収まっていた少女だった。このままいけば、そう目立った活躍もなくいつの間にか引退していたというよくあるパターンに収まるだろうと、栞奈だけでなく多くの視聴者が考えていた。
そんな彼女がアイドルグループの一人という立場から脱却し、一人で局を超えて様々な番組に顔を出せるまでになったのは、【サモナー】に罹患したおかげだった。
『うわぁ。色々な狐の姿をしたモンスターで一杯です!』
境内に足を踏み入れるミサキの後ろ姿をカメラが映す。
すると、ミサキの両足に寄り添うように歩く、二体のモンスターも必然的にカメラに映り込むことになる。ミサキが番組に出演する際には必ず引き連れているグリフォンのミミと
【サモナー】アイドルと彼女は今、芸能界の中で名乗っている。
『ミミとルルも何だか緊張気味です!』
五年前、芸能界でいち早く【サモナー】に罹患したことを公表した彼女は、【サモナー】であることを利用し尽くすような活動を繰り広げた。【サモナー】に関する検証番組、召喚したモンスターを引き連れてバラエティ番組、ライヴをする時にはグリフォンの背中に乗って客席の上を自在に飛んで登場するなど、彼女は【サモナー】という状態を惜しむことなく利用し、今では何人もの【サモナー】罹患者が存在している芸能界の中でもしっかりと立場を確立して生き残っている。
「若い子は逞しい…」
栞奈にはそんな根性は無かった。根性だけでなく、勇気も無い。もしかしたらあったかも知れないが、無くしてしまった。
自分は違いますよと隠すように日々を過ごし、そして惰性に流された義務によって【サモナー】の力を使う日々。それによって生まれた結果は全て、自分の責任ではないということにしたいから。日々決めたこと以外の事は絶対に起こさない、考えない。
そう、栞奈は責任を負いたくないのだ。
そんな重荷を背負える程、栞奈は強くはない。
「おや、栞奈。おはよう」
「おはよう、お祖母ちゃん」
出社しなくてはいけない日と変わらない時間に目覚めた栞奈は、いつもよりはゆっくりと時間をかけて朝の準備、そして平日には手早く済ませるに留めている掃除や洗濯を終わらせた。そして、自宅を後にする。
電車にバスと乗り継いで栞奈が向かったのは、木々が生い茂っている小さな山の、百段程の階段を登
った先。
朝早い時間だというのに、百段という短いようで長い階段を登っていく人影は多い。
所々に苔が生えてもいる、昔ながらの一段一段の段差の大きい古い石造りの階段を登るのは、普通よりも足に大きな負担をかける。
それでも階段を登っていく人々がその足を止める様子はなく、また次から次へと階段へと挑もうとする人が途絶える様子もない。
この階段を登った先に多くの人をそこまで惹き付ける何があるのか。
階段を登っていく人の流れには乗らず、栞奈はただその人の流れの先を見上げるに留まる。この階段の上に用があることは確かではあるが、この階段を登ろうと意気込める程の若さはもってはいない。
人の流れを横切り、栞奈は階段へとまっすぐに伸びている道から外れ、木々の間にこっそりと滑り込んでいった。階段の上を目指そうと前を向いている人々はそんな栞奈に気付く様子もない。
木々の合間を潜り抜けていった先には、まるで栞奈を待っていたかのように祖母の姿があった。
「迎えに来てくれたの?」
「朝イチ特売の帰りだよ」
待っていてくれたの、という栞奈に対しての返事は素っ気ないものだった。
「それにしても、この子等のおかげで買い物も随分と楽になったよ」
孫に対する素っ気なさとは対照的に、声を和らげた祖母がシワの目立つ手を肩より上に伸ばして向けたのは、彼女の隣で礼儀正しく地面に腰を落として座る、二体の狐達。
「ありがとうね」
孫に対するよりも優しい、気遣いに溢れる声。
狐達も目を細めて頭を撫でてくる手に応じているが、二体が二体とも、その細めた目をチラチラと栞奈に向けてくる。栞奈にも褒めて貰いたいというようなその仕草は、その狐達をただの動物としておくことが出来ない程に人間染みたものに見える。
必要はない事とは言っても餌をやったり、寝床を用意したりと、日頃の世話を五年もの間行ってきたのは栞奈ではなく祖母を始めとする親族達なのだが、やはりモンスターにとっては召喚した【サモナー】の方が優先されるものなのかと思わせる。
そう、祖母によって撫でて誉められているこの狐達は普通の狐では無い。昭和初期生まれの女性としては平均的な身長の祖母とほぼ同じという程の大きさの狐はもしかしてと思う余地もなく普通では有り得ない。【サモナー】罹患者である栞奈が召喚したモンスター達だ。
自分の為にはモンスターを召喚しようとは思わない栞奈が唯一、モンスターを召喚している場所。
「さて、上に行こうかね」
祖母のそんな声にすかさず反応して、狐達が腰をあげた。
一匹が口に特売で購入してきたのだろう大きく膨らんだエコバッグをくわえ、もう一匹が足を屈めてみせ、その上に年の割にはしっかりとした動きで祖母が跨がる。
「ねぇ、私は?」
栞奈のその声に、口に重たい袋をくわえた狐も、背中に祖母を乗せた狐も、どうしようとオロオロという態度を露にした。
召喚主からは、この祖母を始めとする人々の言うことを聞くように、と命じられている。だが、その召喚主が命じられた通りに動こうとしていた自分達を止めるような言葉を告げる。どうしたらいいのか、どちらを優先すべきなのか。
「お前はお前で、他に召喚すればいいじゃないか」
「それもそうだけど…」
祖母の言う通り、それをする為に休日の度に此処へと栞奈は通っているのだから、それを惜しむ必要はないのだが。
「二尾狐ユキナリ」
栞奈が喚べば、彼女の胸元程の大きさの二つの尾を持つ狐が現れる。
召喚する殆んどに、栞奈は名前をつけている。その時に適当に、テレビに出てきた名前などを参考につけるだけの本当に適当でしかないものだが、それでも名前をつけられる召喚モンスター達は個を持ち、栞奈になつく様子を見せる。
ユキナリの背中に跨がれば、階段どころか申し訳なさ程度の獣道しかない山の斜面も瞬く間に駆け上がっていける。
山の頂上にはすでに多くの人が居た。
人混みの中には明らかに一般人ではない、カメラやマイクを構えたマスコミの人間もちらほらと見える。古い木造の建物が並び、山の下から見ていた階段をあがってきた先には赤い鳥居が艶やかに人々を迎えている。
そんな光景を栞奈は、人の出入りが唯一行われている鳥居からは意識されることもない、薄暗い建物の物陰に潜みながら一瞥していた。
『本日お邪魔したのは今話題の、』
『お稲荷様を祀っているこの神社の境内には…』
『【戦慄の狐姫】、その二つ名で呼ばれるようになったのは…』
「あれぇ一杯居るんだよね」
「テレビではそう言ってたよな」
「いない、ね」
折角、長い階段を登って来たというのに目当てのそれがいない。どうして?なんで?
そんな感情が鳥居を潜った人々から溢れ出ている。
「おっと、いけない」
まだ、何時もの時間では無い。なんだか日に日に参拝者達の訪れる時間が早まっているような気がするが、それでも確かに待っている人が存在していることを目にいれてしまったとなれば、自分のやるべきことをやるしかないだろう。
これは栞奈の義務だった。
仕方なく行っていること。
「黄、白に黒、五尾までの全員に、管狐」
いつも通り、栞奈は今自分が出来る全ての召喚を名前を呼んで行っていく。
黄色、白、黒、色とりどりの狐達が栞奈の口にする名前に応じて、どこからともなく現れる。それだけを見れば野山に住む野生の狐とも思えるのだろうが、栞奈の手のひらよりも小さなものから栞奈の体よりも大きなもの、何よりも尻尾の数が一本ではなく二本、三本…。最高五本の尻尾を機嫌よく左右に揺らす狐達が次から次へと栞奈の周囲に出現していった。
「…はぁ、だるい」
決してレベルなどの無茶をしている訳ではない。ただ運動不足のアラフォーの体力が、なんということが無い筈の召喚の連続によって容易くガリガリと削られていく。
そんな栞奈に召喚常連である狐達が気遣うようモフモフの毛皮に包まれた体を押し付ける。
「ありがとう。さぁ、明日の夜まで存分に境内の中でくつろいで来なさい」
いつも通り、栞奈は狐達に命令を下す。
栞奈に召喚された狐達はその命令に素直に応じ、鳥居を潜った人々が留まっている境内へと向けて姿を現していった。
「あっ、出てきた!」
「すげー本当に狐だらけだ!!」
【サモナー】は未だに多くの謎に包まれたままの現象だった。
何故、発生し始めたのか。感染する者としない者の違いは?レベルを上げる方法は何故多種多様なのか?ありとあらゆる学者と呼ばれる人々が頭を捻ってはいるが、その取っ掛かりになる何かさえも見つけ出せずにいるのが現状。
【サモナー】について分かっている事の多くは、【サモナー】罹患者達自身が気づき試して公表した事ばかりだった。
その内の一つが、モンスターを召喚する際の手順。
罹患者の全員が口をそろえるのは、頭の中に存在しているという本。
レベルが上がれば上がる程、本の中に召還出来るモンスターが増えていく。本を捲り、召喚したいモンスターを見つけ出し、その名前を呼ぶ事。召喚に必要なのは主にこの手順。
欠陥品、玉置栞奈の本は他の多くの【サモナー】罹患者達の本とは明らかに異なる事があった。
幸いなのは、その欠陥は一人に現れたことではないことだろうか。
現在【取締局】によって把握され、栞奈がSNSを通じてだが繋がりを持っている欠陥仲間は4人。もしかしたら公表したり、【取締局】に申し出ていないだけで他にも存在している可能性はあるものの、それでも数はそう多くは無いと思われる。
特定のモンスターしか召喚出来ない。
それが栞奈の、【戦慄の狐姫】の二つ名を持つ【サモナー】罹患者が持っていると知れ渡っている欠陥だった。
栞奈が召還出来るのは、狐だけ。
プルルル
「はい、玉置です」
着信したという合図の音がカバンの中から鳴り響いた。電話がかかってくるなんて珍しい、と栞奈は素早くカバンから取り出す。
『あっ、もしもし、玉置栞奈さんですか?こちら【取締局】の鈴木と申します』
はきはきと聞きやすい男の声が電話口から聞こえてくる。
「あぁ、【取締局】の。何ですか?ちゃんと報告とかの義務は疎かにしてませんよね?」
栞奈の口調が少しだけ、つんけんとしたものになるのは仕方ないこと。そう仕方ないことなのだと栞奈は思う。
日本国内だけで数例となる、欠陥の【サモナー】罹患者。
これは【取締局】の監視対象という事とされ、定期的なレベルや活動の報告、何処で何を召喚したのか、あるいは何処で何を召喚する予定なのか、、という事までが義務付けられている。
特定のモンスターしか召喚出来ない、ただそれだけじゃないか。
実はそうではないのだ。
通常の【サモナー】罹患者よりも危険だと判断されるだけの、大きな欠陥があり、実際の事件が発生してしまっている。
『はい、玉置さんはしっかりと決まりを守って下さってます。本日、ご連絡させて頂いたのは…』
「【取締局】?」
「えっ?」
電話口の向こうで低姿勢で話し始めようとした【取締局】の鈴木。だが、その内容を聞くことは栞奈には出来なかった。
鈴木とは違う声が、電話越しの籠った声ではない、もっと身近ではっきりと、そして嫌に聞き覚えのある若い男の声が背後から聞こえて来る。栞奈の意識はすっかりと、その嘘だと思い込みたい声によって支配されていた。
「…ど、…どうして…」
ギギギッ
自分の首からそんな音が聞こえた気がした。
振り返りたくない。でも、振り返らなければいけない。そんな謎の義務感に襲われながら、ぎこちない動きで栞奈は後ろを振り返る。
『玉置さん?玉置さ~ん?えぇっと、どうしましたか?』
耳からわずかに離しただけのそれから鈴木の呼び掛けの声が聞こえてくるが、栞奈には構っている余裕は一切無かった。
平日の昼中、会社で嫌という程見かけている青年が、いつもとは大きく異なるラフな私服姿でそこに立っていた。
「み、観月君?」
どうして、こんな場所に?
職場の後輩、観月祐介が一人、目を大きく丸めた驚きの表情を浮かべ、何故か栞奈の背後に立っていた。
「玉置さん…【取締局】って…。それに、さっきの…」
何処まで見られた、聞かれた?
栞奈は全身に冷たい水滴が滝のように流れていく、そんな感覚に襲われていた。




