【学徒な猟犬】贅沢な選択 下
古澤博昭が【サモナー】罹患者になったのは、三年前の事だった。
他のトップランカー達の多くが五年前の、【サモナー】が確認された当初近くからの罹患者。だというのに、博昭はトップランカーの中で一番遅く、そして最年少でトップランカーに駆け昇った。
数少ない【取締局】の局員として日々忙しく動き回った博昭の存在は、彼が局員となってすぐの頃から注目を集め、そして必然的にそのレベルにも目が向けられた。
瞬く間に上がっていく博昭のレベル。
どう見ても未成年の、慣れない様子でスーツに着られた姿に、侮りを抱いていた【サモナー】罹患者達は唖然として、そして恐れた。
一体、どんな条件なのか。
それが明らかになった時、多くの【サモナー】罹患者達が納得の声をあげ、そして博昭に【学徒の猟犬】という二つ名をつけた。
アツシが命をかける覚悟で召喚したヒュドラ。
神話の英雄達をも苦しめる猛毒を吐き散らし、呼吸そのものも猛毒という神話の怪物。的確に弱点をつかなければ死ぬことなく再生し続けるという、厄介な性質を持っている。
だが、神を召還するに至っているトップランカーの一人として二つ名を持つ博昭にかかれば、それは特段に危惧を必要とするものではなかった。すぐに終わる戦いでしか無かったのだ。
「この毒が外に漏れたら問題だよね。じゃあ、焼き尽くしてしまえばいいのかな?」
どういう訳か、モンスターは倒されたら消えるのに、そのモンスターが周囲にばらまいたりした毒や影響は消えてはくれない。
そういった残存物の処理も、【取締局】の仕事の一つだった。
「『ラー』、全てを焼き尽くせ!」
焼き尽くす、といって博昭が思いついたのは、太陽神ラー。
博昭の召喚によって現出した、ハヤブサの頭を持った人型の神。エジプトにおいて太陽神とされているそれは、ハヤブサの目から全てを燃やし尽くす強烈な光を放つ。
ヒュドラも、ヒュドラが周囲へと吐き出した猛毒も、そして久木のケルベロスによって食い散らかされ消えずに残っていた残存物も、ラーの放った光線は焼き尽くした。
「うん、しっかりと報告書も書けるようになったね」
強盗を犯した【サモナー】罹患者の集団を無事に終えた次の日、博昭は一部始終を書類に起こし、朝一番に上司へと提出した。
「悪かったね、今日は休みだった筈なのに」
「いえ、いいんです。どうせ、何処にも行くとこ無いですし」
あははっと乾いた声で博昭は笑う。
博昭は今年、十七歳。
成長期ではあると思うのだが、ある事情から成長が遅い博昭は同年の少年達と比べると小柄だ。中学生に間違えられることなど何時もの事。そんな博昭が昼中から街の中をふらついていると、補導される羽目になる。一応、二つ名もある、それなりに顔の売れている博昭とはいえ、【取締局】局員を証明するものを提示するまでは完璧に子供扱い、学校は?などと問い詰められる。
それは最早、昼間に外を出歩いた際の恒例ともいえた。その為、博昭はあまり平日が休みというシフトになっても、昼中に外出することは控えている。無駄な騒ぎは国家公務員として控えるように、そう博昭は幼い頃から言い聞かされているからだ。
博昭くらいの年頃の、低く見られている事を考慮しても、その年頃の子供は平日の昼中は学校に通っているもの、それが多くの人間が普通だと思って抱いている考え。
それに当て嵌まっていない博昭を、人はおかしい、どうしてなんだろう、と詮索する。博昭が【取締局】の局員であると知れた瞬間から、他のトップランカーよりも激しくしつこい詮索が起こり、それは今も続いている。
「あぁ、そうだ。君に取材したいという申し出の電話がきていたが、断っておいた。それでいいのだったね?」
「はいっ、ありがとうございます」
【取締局】に所属している【サモナー】罹患者達は、マスコミからすればその動向ご把握しやすく、事有る毎に意見を求めることが容易に出来る対象だった。
「それと、これが今月のお給料」
手渡されたのは、厚みのある封筒。
「今月も頑張ってくれたから、危険手当てに残業手当て、たっぷり加えておいたから」
「ありがとうございます」
縦にしても横にしても机の上に立ちそうにはない厚みの封筒だったが、それでも自分が一月頑張った成果がそこに入っているかと思うと、博昭の口元に笑みが自然と浮かんできた。
もしも【取締局】に入っていなかったら、もしも【サモナー】に罹患しなかったら、これは一生博昭が手にすることが無かった、幸せ、そして普通の証だった。
「それにしても、すまないね。まだ、君に通帳さえ作ってあげられない」
「いえ、それは俺が悪いのであって・・・」
通常、現代社会では振り込みによって給料を手にする人が大半だ。【取締局】は国家公務員。小さな店や工場などならいざ知らず、勿論、振り込みという方法が用いられている。
だが、博昭だけは違う。
上司から手渡しで、三年前からずっと給料を手にしている。
博昭の年齢もさることながら、これもまた特例中の特例、どうしようもない理由があってのことだった。そして、そんな面倒な事を特別に認めてでも、今ではトップランカーの一人となった博昭は【取締局】に無くてはならない人材ということでもあった。
博昭は自分名義の通帳が作れない。特例によって【取締局】の局員として働くことが出来ている博昭だが、さすがに他人名義の通帳を借りるという事は許されない。それ故の、手渡しだった。【取締局】の事務などの裏方として働く、罹患者ではない一般局員の年長者達の中には、昔懐かしいと微笑ましく見ている者達も居たが、博昭にとっては何かと不便を強いられる事だった。
何故、博昭に通帳が作れないのか。
いや、それだけではない。大きな声で言える事ではないが、博昭は学校にも行っていない、いや正確に言えば行く事が出来なかった。保険証も持っていない。そして、このまま数年経ったとしたら、博昭は自動車などの免許を取ることが出来ない。
そもそもにして、博昭はこの場所に確かに存在していて、この国に存在していない子供だった。
その詳しい理由を博昭は知らない。
親とは博昭が十二歳だった、【サモナー】罹患者が発生し始めたすぐ後の頃から会っていない。その為、子供には隠されていた大人の事情というものを、知らずに今に至ってしまっている。多分、これからも知ることは無いのだろうと、博昭は思っている。
ただ、両親からは確かに愛されていたということは間違いないと、それだけは博昭が自信を持っていえることだった。小学校も行くことなくずっと家に居る、そして引っ越しの多い生活ではあったが、それでも親が博昭をちゃんと愛していた事くらいは、幼い子供の記憶でも間違いないと確信できる事だった。
だから、母親が五年前に博昭の事を捨てたのは、仕方ない事だったと思っている。
「それと、一応報告しておく。君の御両親はまだ、見つからないね」
「それも仕方ないです、自分の苗字もろくに覚えてない自分が悪いんですから」
そもそもの戸籍もなく、ろくに人に会わない生活をしていた博昭の名前だけを頼りの人探し。それがどれだけ難しいことなのか、理解出来ないことではない。
『三笠ビル倒壊事件』
五年前、【サモナー】罹患者が現れ始めて半年も経っていなかった頃に、【サモナー】罹患者の危険性を大きく全国に伝える事件があった。
元々、破壊衝動を抱いていた【サモナー】罹患者が、その時点での限界を突き詰める程の召喚を繰り返し、使役するモンスターを全て動かし、街中のビルを一つ倒壊させるという事件だった。休日の、人込みに溢れた街中に建つ高層ビルが、なんの前触れもなく倒壊するという事態に当然、被害者は多かった。
博昭はその現場に居た。
【サモナー】罹患者になっていない、ただの子供だった博昭は、母と共に久しぶりの外出を楽しんでいた。
今も、博昭は覚えている。瓦礫の中、逃げ惑う人込みの中でするりと力が抜けていった母の手の、その感触を。
でも、博昭はそれが仕方ないことだと今では思っている。
戸籍の無い子供を抱えて生きていく事は難しい。そうせざる得なかった理由があってとしても、子供をそんな非常識な存在にしてしまった親なのだという、世間からの無慈悲な詮索と目はひどく冷たく降り注ぐものだ。今、博昭は浴びている注目など比べ物にならないものだ。戸籍を作ろうと動いたとしても、莫大な費用と時間が必要になる。
博昭は、魔が差したのだろうと思っている。
死に別れてしまっても仕方がない状況に、彼女の中に大義名分が生まれてしまったのだろう、と。
「それじゃあ、俺は今日はこれで失礼します」
「あぁ、悪かったね、休日に」
それからずっと、博昭は親に会っていない。探そうとも思わない。探して欲しくないと思っているだろうと思うと、僅かに残っている記憶を頼りに家に帰ろうという気にもなれなかった。
ただ、それから一人で生きていた訳ではない。
ここに居て、この国に居ない子供は、魔が差してしまった親を持つ子供は、博昭一人では無かったのだ。
街中から電車に長く揺られ、乗り継ぎも何度と繰り返し、そこからまたバスに揺られた先に、博昭は暇を見つける度に帰っている。
綺麗とはいえない、くたびれた一軒家。築何十年と経っていると一目で分かるその家には、決して少人数とはいえない、それも子供といえる住人が住んでいる痕跡が外からでも見てとれる。
そこが十二歳の時から博昭が暮らしている、博昭の新しい家族との家だった。
「ヒロ!なんだ、今日は休みか?」
家の前に立ち、呼び鈴を鳴らそうとした博昭に、背後から声がかかる。
親しげなその声の持ち主は、スーパーに行ってきたのだろう、両手にパンパンに膨らんだエコバックを提げ、博昭の来訪を喜ぶ笑顔を浮かべていた。
「ミチ兄こそ。今日はミチ兄が休みの日?」
「そう。他の奴等は朝からバイトだ」
あの当時、博昭と同じ戸籍の無い子供というのは一万人は居ると言われていたらしい。その為、そんな子供達を救済しようという審議も始まっていたと報道されていたらしいのだが、【サモナー】罹患者という非常事態の発生に、その審議は止まり、後回しにされてしまった。審議が再開しないまま、五年という月日が経った。
格安で、それでも身分証明などが出来ない為に少しだけ色をつけざるを得なかった、一軒家に戸籍が無い、そして親も亡くした子供が集まり力を合わせて暮らしている。その人数が十人より下回ったことは無い。この家からは出た年長者が定職には就けない為にバイトで稼いだお金を、なんとかやりくりしてこの家の為に使っていた。
「あんまり無理はしないでね。それと、給料が出たから持ってきたんだ」
博昭も、+αが加わった給料から、自分の最低限の生活費を抜いた大半を、毎月毎月この家の為にと運んでいる。
「いっつも悪いな。でも、本当にあんま無理はするなよ、この給料だってお前が自由に使っていいもんなんだし」
「別に使い道無いし、貯金しようにも通帳無いし。みんなの為に使えるなら、その方がいいよ」
戸籍が無いということは、本当に多くの事が制限される。レンタルショップの会員ガードも作れないし、そもそも学校に通ったりしていないから交遊関係も少ない。
それに、そんなことに使うくらいなら、まだバイトすることも出来ない下の子供達の為に使う方がいいと博昭は考える。
「本当に悪いな。こういう事を言うのは卑怯だとは思うが、本当にお前からのこの金がありがたい。さすがに、バイトとかじゃ追いつかなくてな」
「仕方ないよ、人数が人数だし。就職するのにも戸籍が無いとね」
土木工事やスーパーの店員、水商売をしている人もいる。全員が必死に、支え合って生きていた。
「なのに、お前とあいつらを会わせてやれない」
ミチは本当に、苦しそうな顔で博昭に謝ってくる。
「それも仕方ないことだから。俺達みたいな人間が【サモナー】罹患者になってしまうと、いろいろと普通よりも面倒で危険だから」
これも何度繰り返したやり取りだろうか。ミチだけではない。他の大人組達との間で、博昭が訪ねてくる度に繰り返されているやり取りだった。何度も何度も、本心から彼等彼女達は申し訳なさそうに謝るのだ。仕方無いことなのに、それが博昭には逆に申し訳ない気持ちにさせる。
しっかりとした身元のある【サモナー】罹患者でさえも問題にさらされ、危険に遭遇することも珍しくない、このご時世。考えてみれば便利な力なのだ、召喚は。自身がそうでなくとも利用してやろうと甘い言葉で近づいてくる、後ろ暗い人間達は多い。そして、そういった者達程、取り込もうとする人間の弱みやら何やらを調べ上げることを得意としている。
【サモナー】が感染する可能性は0.001%以下。それでも感染してしまう可能性があるのなら、危険が付きまとう【サモナー】に子供達を関わらせる訳にはいかない。
戸籍が無い、そこに存在する訳がない子供なんて、奸智に長けた人間達にとって操りやすい、使いやすいだけの、適当な駒としてしか扱われない。丁度良すぎる人材だった。
博昭は運が良かった。
そんな恐ろしい奴等に知られる前に、【取締局】に組み込まれ、そして最短でレベルを上げる事が出来た、それを可能としたレベル上げの方法だった事は本当に、幸いなことだった。
本当に運が良かった。
仕事になど一生就けないと思っていた。なのに、【サモナー】罹患者となった事で公務員という立場を手にいれることが出来た。始めに罹患者を局員として使おうと考えた人間が元々国家公務員の、それでいて【サモナー】に感染してしまった人で、良心的だったからこそだと言われているのだが。【取締局】の局員として就職した【サモナー】罹患者の局員達は、もしも【サモナー】というそれが終息したとしても、そのままの立場であり続けられるよう、つまり国家公務員のままでいられるよう正式な文面として約束してくれている。戸籍を持たない博昭にとって、定年するまで続けることが出来る職、しかも定年後には年金が支給される職を手に入れられたことが奇跡だった。
そして何より運が良かったのは、博昭のレベルを上げる方法が公務員という立場と環境に適応していたことだった。
「そういえば、お前レベル九十になったんだって?ちび達が動画見て、騒いでたぞ?」
「うん。つい、この前ね。あんまり実感っていうものは無いんだけど」
博昭のレベルを上げる方法は「学ぶ事」だった。
頭の中に突然、ある一つの言葉が浮かぶ。それは国語であったり理科であったり算数であったり。それを説き、学び、理解していく度に、レベルが上がっていった。始めは小学生レベルだったそれは、次第に中学、高校、とレベルが上がる。学校に通っていなかった博昭には初めから難関だったそれも、学ぶことが無かった為に興味深く面白く、そして嬉しかった。
レベル八十を超えるか超えないかの当たりでは、もう大学で専門的に学ぶような、数学や物理・科学、法律や経営学など、浮かんでくる言葉そのものを理解することも難しいレベルになっていた。
だが、博昭が仕事をしているのは【取締局】。そこで働いている、罹患者以外の事務などを行っている一般職員は皆、正規の方法で就いた国家公務員。
分からなくなれば、聞けば良かった。
分からないことが当然であった子供にしか出来ない、そんな純粋な方法を博昭は迷うことなく使うことが出来た。分からないことが多いからこそ、博昭には聞かない、聞くのは恥ずかしいという考えが無かったのだ。
職員達に聞いても分からなかったとしても、彼らの大学時代や高校時代などの伝手を頼って、教えを乞いに行くことも、博昭には何の苦痛では無かった。
そして、聞かれる方も純粋に、何を説明しても大袈裟なまでに反応を示してくる博昭に教える事を、嫌がりはしなかった。博昭は純粋に礼を言い、お礼だと言って彼等に【サモナー】の力を使ってでも何かを返すことを厭わなかったというのも大きい。
この方法がレベル上げにつながる罹患者は、博昭以外にも見つかっている。
だが、その誰もが途中までならば順調に、他の罹患者よりも早くレベルを上げてはいくが、ある程度まで行くと必ずその変動が鈍くなってしまうという報告が出ていた。
系列や分野を超えて学び続けていくことは、とても難しいことだったのだ。
その中で、博昭はレベルを順調すぎる程順調にあげていった。
レベルが高くなればなる程、しっかりとした報酬が得られる。そして、それは家族を護ることにも繋がった為、博昭は学ぶこと自体を純粋に喜んだだけでなく、目的をもってやり続けることが出来たのだ。
「あいつらは役に立ってる?」
「困ったことに、有能すぎる上にあの姿形だからな。チビ共が離そうとしないよ」
何かあったらいけない、と。博昭はこの家に召還したモンスターを何体か常に配置してあった。
「無茶は駄目だぞ?疲れてるんなら、あいつらを消しても大丈夫だから」
「ここまでレベル上げたら、あの程度なら何体出し続けても大丈夫だよ」
心配しないで、と伝えるがどうも信じてはもらえないようだった。
グルル
召喚主の気配を感じ、家の中から召喚モンスターがゆっくりと歩み出てきた。
フェンリルにクー・シー、ヘルハウンド、という家の中に居ても邪魔にならないように縮ませた獣型のモンスター達を数体。そして、これはつい最近に召還して家に連れてきたのだが、シルキーを家事の手伝いの為に置いてある。職場の先輩である久木の、彼の幼馴染の話を参考にさせてもらっての考えだった。
「モンスターだけじゃなくて、建物とか土地とかを召喚出来たらいいんだけど…」
【サモナー】という、生物を召喚することの出来る存在が現実となった今、罹患者達の多くが一度は夢を見て、嘆く事実がある。
それは召喚出来るものが、架空の、伝説上の魔物や妖怪、神などに限られているということだ。【サモナー】というゲームなどの空想上の職業がそもそも、生物を召還して戦うというものなのだから、それは大抵の用語の意味を理解してる者達には当たり前のことで、当然のこととして受け入れられていた。だが、罹患したのは、元からゲームなどに馴染んでいた者達ばかりではない。
そういった、ゲームを嗜んだ経験の無い博昭を含めた、人々が思ったことは「どうして生物だけなのだろう」という考えだった。
伝説の中には、人々の理想を詰め込んだ建造物や土地などが決まって登場している。
例えば、バビロンの天空庭園、バベルの塔、竜宮城、迷宮などの建造物、桃源郷や妖精界、若返りの湖などの土地。
そういったものが召喚出来たのなら、素晴らしいことなのに。
それは、元々の【サモナー】の意味を知らないからこそ、考える疑問だった。
博昭もそれを考えた一人だ。
もしも、そう、もしもお城や豊かな土地を召喚することが出来たのなら、そこに家族を住まわせて幸せに、護ることが出来たのに。
だが、どれだけ頭の中にある召喚出来るモンスターを探す本をめくろうと、土地や建物の記述は無い。
一度、博昭は他のトップランカー達に聞いてみたことがある。
生物以外を召喚出来るようになったらどうしますか、と。
「自分の城は男のロマンだな」「【サモナー】達を中心として集団がますます勢力を増すでしょうね」「…よい事だ。そんなことが出来たら本当に喜ばしい」「夢のような生活が待っているわね」
「そんなのはどうでもいいから、俺の嫁を召喚させろ」という不穏な意見もあったことはあったが、全員が決まって口にしたのは、それは危険な事態を引き起こす変化だろう、というものだった。
博昭もそう思う
【サモナー】罹患者という存在の付加価値を益々跳ね上げる、危険を孕む召喚。
それでも、それを理解した上でも思ってしまうのは、狭い家の中で身を寄せ合って、細々を暮らすしかない家族を考えてしまうから。
桃源郷などの、決して飢えることもない理想の土地にみんなを連れて行くことが出来たのなら。広いお城などに住まわせてあげれたら、と。
「お前にばっかり負担をかけることになるだろ。モンスターを召喚するだけで負担が大きいのに、そんなでかいもんを召喚したりしたら…」
「あっそっか。そうだよね。リスクは大きいか…」
険しい表情になったミチに叱られるように、そして心配されて言われた事で、博昭はうっかり考えることを忘れていた、召喚によって【サモナー】罹患者を襲う疲れ(リスク)を思い出した。
でも、それでも考えずにはいられない。
博昭が思うのは、自分と同じ境遇を持つ家族達が幸せになれればいいのに、ということ。
ぱらりっ
頭の奥深くで、何時もモンスターを召還する時に聞こえる、本をめくる音が聞こえた。
「えっ?」
「どうした、ヒロ?」
別にモンスターを召喚しようと思った訳じゃない。
なのに、どうして。
戸惑いの声を上げた博昭を心配するミチには「なんでもない」と首を振りながら、博昭は頭の中に存在している本を捲り始めた。
【学徒の猟犬】古澤博昭は何を望みますか。
そう、関わった【サモナー】罹患者達に聞かれる事も多いが、それは世間で今、大きな話題となり始めている【サモナー】罹患者の行きつく先、創造の神を使役する召還主という立場とはあまり関係無いとしか答えようは無かった。
【取締局】、引いてはそれを設立した政府の考えでは、【サモナー】という現象の終息、つまり【サモナー】など存在していなかった頃の世界へ戻ることが目的とされている。それが出来る出来ないではなく、体裁として掲げるものが必要だった。
博昭にとっては、どちらでもいい話だ。終息しようとしまいと、そのまま国家公務員という立場に縋り付いていられることが決まっているのだし、そこまで【サモナー】という力にこだわっている訳でもない。助かるという想いもあれば、面倒だという想いも大きい。
迷い、選ぶ。それは博昭の生まれてから今までの現状を考えると奇跡の行為。
選択出来ることだけでも、古澤博昭には贅沢だった。
贅沢過ぎて、選択した先のことなど今はまだ考えることが出来ないというのが実情だ。
【学徒の猟犬】。
その二つ名が表す通りに、今はただ、学び、そして与えられた仕事にそって【サモナー】罹患者を追う。それが博昭が今、精一杯行えることだった。
もしも、博昭がそれ以外の事が出来るようになる時があるのなら、その時には【学徒の猟犬】という二つ名の【猟犬】は違う言葉に変わるのかも知れない。




