【隠遁の仙女】その正体 上
貴女は多くの【サモナー】達に【陰遁の仙女】と呼ばれているのですが、それに対してはどうお考えですか?
そして、もしも…。
「うん。バッカじゃないの?」
ガチャンッ
相手の反応など、知ったことではない。相手に見えていないということは理解しながらも、生駒茜は満面の冷たい笑顔を浮かべ、耳に当てていた受話器を叩き落とした。
「誰よ、本当に…まったく。中二病ばっかなの、この国は!」
生駒茜は怒っていた。
彼女が彼女の理想に基づいて五年をかけて築き上げた今を狂わせにくる、はっきりと敵としか思えないような輩に、怒っていた。
そもそも、その怒りの発端は取材をさせろと宣うテレビ局が許可も無く押し掛けてきたの先日の事だった。
ピンポーン
ピンポーン ピンポーン
今にもはっきりと思い出せる、古くひび割れた玄関チャイムの音が連打されるそれを。
「生駒茜さ~ん。○○テレビです。お話をお聞かせ頂けないでしょうか」
玄関のチャイムを鳴らし、それまでの静寂を損なう無作法な呼び掛けに、リビングのテレビの前で絨毯に寝転がっていた茜は嫌々上半身を持ち上げた。
「うるさい。ディック」
玄関の外から呼び掛けられている家のただ一人の住人であり、そして呼び掛ける名前もまず間違いの無く自分を指すものだと自覚している、茜が一言命じた。
するとキッチンに居て、茜の為にチャイを作っていた吸血鬼のディックが玄関へと向かっていった。
偶々だか丁度、茜がぼんやりと観ていた番組は、○○テレビのものだった。
『…を犯した【サモナー】罹患者の拘留、捕らえる事自体も今なお、同じ【サモナー】罹患者に頼るしか術は無く…』
ホァァァ。
大あくびを洩らした茜の体がまた、柔らかな絨毯へと沈んでいった。茜にとって、何か目新しい情報でもあるかなと気を向けたニュース番組の語るそれに、期待していた程の特段注目すべきものが無く、興味は完全に消えていた。勿論、そんな彼女の頭にディックを向かわせた玄関の事など、露ほどにも残ってはいない。
これがいけなかった。
ディックと名付けた吸血鬼は、純血種の真祖、太陽の光などの吸血鬼の弱点と言われているもの全てへの耐性を兼ね備えた、召還出来る吸血鬼の中でも最上位に位置するモンスターだった。
だが、どういう訳か、その性格が貴族と称される吸血鬼らしくないものだったのだ。生易しい、危機感があまりない性格。そんなディックに、マスコミの対応をさせた事が間違いだった。
そう、間違いだったのだ。素気無く追い返せるような子に任せれば良かったと、数日経った後の今でも、茜は悔やむ。
自分が寝ころびながら見ていたテレビ画面に映し出された、何処からどう見ても見覚えのある、自宅の玄関先。モザイクだらけの中でも認識出来てしまった。
画面の右端には、確かに生中継を意味するLIVEの文字。
「…まさか、生?誰よ、私の事ばらしたの」
他は一面モザイクになっている映像だが、だったとしても見るものが見れば、何処のどの家かなんて簡単に分かってしまう。特に、その家の前まで来たことのある人間なら、あっあの家かよ、と分かってしまう程度には情報がたっぷりな映像だった。
そして、茜の予想した通り、その効果は抜群だった。
放送から数日経った今でも、その効果は持続中で止む気配は微塵もない。
『やぁ、久しぶりだね。覚えてる?会社で、同じ部署の…』
『こんにちは。お元気にしていましたか?高校の時、同じ部活だった…』
幸いなことに、茜にとって味方しかいないこの小さな、住人全員が顔見知りな町に直接、足を向けた者達は町の住人達によって追い払われる結果となっている。町役場の電話は常時鳴り止まないらしいが、しっかりと断っているから安心して欲しい、と町長に役場の職員達からも茜は連絡を受けている。取材なんて受けて悪かった、と顔見知りの老人達が詫びの品を謝りに来たのには焦ったが、大丈夫だから心配するなと宥めて落ち着かせた。
厄介なのは、茜の自宅の電話を切られ、町の方に話を聞こうと持ち掛けても断れ、それでも諦めなかった輩達だ。町でいつも通り遊んだり、住人達の仕事を手伝っている茜の召喚したモンスター達によって、安全安心の実力行使で帰宅を願う為、実害にまでは及んではいないが、言っては悪いが、なんて思えなくなるくらいに何処かの油虫のように次から次へと沸いてくる。
茜に対する直接的な被害として一番多いのは、昔の知人だと名乗る、図々しい場合には友人と名乗る、鳴り止むことの無い電話だった。深夜にまで及ぶそれは確実に、茜の苛立ちを誘い、彼女は今にも爆発する寸前までに至っている。
先ほどの電話はついつい出てしまったが、もう電話線など切ってしまおうかと思っているくらいに、茜はこの事態に苛立っていた。
生駒茜は【サモナー】罹患者の一人だ。これは本当で、間違いはない。
彼女自身が望んだ訳でも無いのに、何故か『陰遁の仙女』などという素面では決して口に出来ないような二つ名を冠している。これについては物申したいが、何処に物申せばいいのかも分からず、そして物申しても絶対に意味が無いと分かっているから放置しておいた。
レベルは八十九、しかも彼女の条件からするの後二日後には九十台に到達するという、日本では三番目に当たるトップランカーの一人。
茜にとっては絶対に信じたくないことに、主にネット上でのものだったからこそ放置しても大丈夫、我慢出来ると思っていたそれが、今回の件によって全国放送の生中継で放送され、お茶の間にお届けされるという事態に至ってしまった。
いや、【隠遁の仙女】はまだ目をつむることが出来る。
それ以上に無意味の何物でもない問題が生まれてしまった。
『マスターは自身が持つ【サモナー】が他者に感染し、何らかの騒動の引き金になってしまうかもしれないという事態を危惧しておられます。ですから、例え僅かであろうと感染の危険があっては、と誰とも接触がないよう、自分自身を家に封じられているのです』
『マスターはこの町が大好きなのです。大好きなこの町と、この町に住む人々の為に、彼らの少しでも手助けになればと私達に命じます。そして、この町の人々もとても良い方ばかりで、マスターにとても良くして下さいます。ですから私達も、喜んでお手伝いさせて頂くのです。ですが、マスターがこの町に住んでいるというだけで町を訪れ、騒ぎを起こす【サモナー】も少なくありません。自身がいなければ起こらなかった筈のその危険から町と住人の方々を守る為、マスターは我々に町の治安、平穏を守るようにという命令も下されているのです』
ディックのこの発言がいけなかった。
彼本人は嬉しそうに、自身の主人はすごいのだと自慢するように言っていたが、これが茜を悩ませる事態を引き起こした。
この発言のせいで、そして隠す気もなかった召喚モンスターが過疎化して老人ばかりの町で住人達の手伝いを行っているという光景が勝手に放送された結果、【陰遁の仙女】という【サモナー】罹患者は思慮深く、慈愛に満ちた人格者だとか何とか…勘弁して欲しいと切に願う考えを、人々に持たせてしまった。
そんな訳あるか、と茜は叫びたい。
そんな崇高な人間ではない、と茜は馬鹿みたいに持ち上げようとしてくる人々に言いたい。
茜はただ、何もしたくないという生来の怠けグセを、これ幸いにと爆発させたに過ぎないのだ。
茜はただ、面倒臭かっただけなのだ。
全部が全部。
だから、茜は【サモナー】とは何か、動画から学び自分のレベルアップの方法を探り出して知った時、彼女は真っ先に選択した。
― 一身上の理由にて、退職させて頂きます。
そんなメールを上司に送り付けたのだ。
茜は商業高校を卒業してすぐに就職していた。【サモナー】になったのは、就職して二年目の事。二十歳の時だった。勿論、退職する時は周囲の迷惑も考えて最低でも一月前にするのが社会人のマナー、だとか、学校の紹介によって就職した卒業生が三年にも満たない内に辞めてしまうと、次年度から学校へ人事の話がいかなくなるとか、そういう事情はしっかりと理解した上で、茜はそれをあっさりと実行した。
何度も言うが、茜は相当な怠け者だった。
親にも、廃校寸前な少人数の、保育園から中学まで生徒の人数も顔触れも一切変化を見せなかったクラスメートに先輩後輩にも、そして近所中に知れ渡り、呆れられていた程の怠け者。
ただ、生活をしなければいけないから就職して、毎日毎日会社に通っていただけで。それさえも、彼女を昔から知る町の住人達を驚愕させる事態だったのだ。それさえも、辞めていい理由があったら、とっくの昔に辞めていただろう。
幸いな事に、【サモナー】のレベルアップの方法が、茜の怠け癖を支持してくれた。
茜のレベルを上げる方法、それは定めた空間から出ない事。
始めは一二時間だった。仕事に就きながらも辛うじて達成出来る時間ではあったが、レベルが上がってくると間に合わなくなった。二十四時間、三十六時間・・・。茜が指定した空間は自宅。生まれる前から建っている、一応リフォームなどを繰り返して近代的な生活が可能とはなっているが、田舎の一軒家な我が家だった。元々、インドアで仕事と買い物くらいにしか外出の予定のない、コミ障な茜にとって、これ幸いと言わんばかりに適応する、レベル上げの方法は他に無いだろう。
「天は我に味方せり!!」なんて叫び声をあげたことは仕方ない事だったと、今でも当時を振り返って茜は満足げに笑う。定められた空間の変更も可能だとつい最近、レベルが七十を越えた頃に、「条件の改変方法発見!」という動画が投稿された事で知ることになったのだが、代価としてレベルが下がるということと、その必要性を一切感じなかったことから、茜がそれを行うことは無い。
そして、茜はニートな引きこもり生活を始めた。