【迷子】悪魔を知る
古い外観の一軒家。
周りにぽつんぽつんと家は建ってはいるが、その多くが人気のない、少なくとも数年は人の住んだ形跡の見当たらない空き家と分かるものだった。
生活感を見つけることの出来る数軒の家の殆どは、しっかりと雨戸まで閉めているし、駐車スペースにはどの家も車も自転車も、荷物一つも置かれていない。生活の上で必需品ともいえる車や自転車という移動手段は、この一帯の人々は家から離れた場所に土地を借りて駐車している。いや家から離れた、というよりも少しでも明石家から離れた場所といった方が適している。
町の外れにひっそりと佇む、明石という表札をつけた一軒家。
ここは旭丘小学校の四年生、明石夏南の家だ。
元々は一軒家ではなく、もっと町の中心に近い場所に建っているアパートに暮らしていた。長距離トラックの運転手の父と、スーパーでパートをしていた母、そして夏南。なかなか三人揃うことは叶わなかったが、それでも幸せで、笑顔の溢れる温かみの溢れる家族がそこにはあった。
それが変わってしまったのは、五年前。
テレビで【サモナー】という言葉を聞くようになった、その数ヵ月後の事。
夏南は中々に広い敷地面積の一軒家を手に入れ、そして……を失ってしまった。
「食べちゃえ」
夏南が家から出た玄関先で見上げる夜空に、巨大な龍と鳥の攻防が繰り広げられている。
星が瞬く夜空に悲鳴を上げてうねる、細長い胴体を鱗に包まれた龍。それに爪を突き立て、くちばしで器用に龍の胴体の肉を抉る、巨大な金色の、例えるなら鷲に似た鳥が羽ばたく。時折、龍の胴体から嘴を離したかと思えば、炎を吐き出して龍をこんがりと焼いていく。
「うなぎのかばやき…」
胴体から煙を上げて焦げていく様子が遠めに、明石家の財政では滅多に食べることの出来ない、もっぱらテレビで観るだけのウナギのかば焼きが焼かれる光景を思い浮かんだ。
ぐ~。
「お腹、すいたな…」
眠い、お腹がすいた、眠い…。そして、召喚した事で元々少ない大量が大きく削られた虚脱感に襲われる。
この最近、夜になるといつもこうだった。
そのせいで、学校に行けても寝てばかり。駄目だ、駄目だと思っても、瞼は自然に落ちていってしまう。元々授業を受ける教室でも歓迎されない【サモナー】罹患者な生徒だし、それ以上に夏南は歓迎されてはいない。積極的に行こうとも思えないから、眠気に勝とうという気力もなくなる。
「明石さん?」
ぼぉっと夜空に広がる攻防を観ていた夏南に、声がかけられた。
聞き慣れない、だが覚えはある声。それは今日、眠るばかりだったが何とか登校した学校で会ったばかりの同級生の声だと、少しの間を有した後に気が付いた。
「…藤本、睦月…だっけ?」
寝ぼけた状態ではあったが教えられた名前は何とか憶えていた。
でも、どうしてこんな場所に、こんな時間に居るのかは分からない。
「どうしたの?」
本当に分からない、と夏南は聞く。
「眠れなくて、窓の外のあれが見えたから」
睦月は真っすぐ、上空を指した。
パジャマ姿で、健康サンダルを履いた夏南の問いかけは、明るい昼中に町中で顔を偶然合わせてしまった、そんな状況を想定させるようなあっけらかんとしたものだった。
「…なんで、靴履いてないの?」
夏南のその言葉と睦月の足元を見ている視線に、あっとそうだったと睦月は自分の靴もサンダルも履いていない裸足に目を向けた。
関わらない方がいいという小父の言葉に逆らい、小父が自分の部屋に戻って行った後にモンスターを召喚して力を借り、二階にある部屋の窓から抜け出してきた。
「あ、慌ててたから…」
玄関に置いてある靴を取りに行っていたら、小父に気付かれていただろう。それを避ける為の裸足なのだが、ついつい忘れていた。
「なんで?」
「なんでって…」
「あっ、そっか。あのね、これって毎日こうだから、早く慣れた方がいいよ。気にしてたら疲れちゃうから」
意味もなく召喚されるモンスター。それは龍であったり、ゴブリンやオークであったり、何が召喚されるかを予想出来ない。朝だろうと、夜だろうと、関係ない。
理不尽で無差別なこれは夏南が見張り、被害が出ることを防がなくてはいけない。
これは夏南の役目。
「だから、もう帰りなよ。明日も学校だよ」
心底、それが当然だというように。
夏南は笑顔でバイバイと手を振って見せる。
「で、でも…」
今日会ったばかり。
ほんの少しだけしか会話もしていない相手。
多分、これ以上踏み込んだらとてつもなく面倒くさそうなのが感じ取れる、小父の言う通り関わりにならない方がいいことなのだとが分かることだが、それでも睦月は踵を返して帰ろうとは思えなかった。
性分なのだろう。
「帰らないと、危ないよ?あいつ、手加減なんて知らないから。藤本君だと、怪我しちゃうよ?」
見透かされている、そんな目を睦月は夏南から向けられた。
「レベル、一。なったばかりなの?」
【サモナー】同士はお互いのレベルを視ることが出来る。夏南は睦月のそれを視たのだろう。
夏南の言う通り、睦月はレベル一という、最底辺、スタート位置に立っている。
対して、睦月が視た夏南のレベルは四十五。随分と生活に密着した方法となったか、無理をせずに挑める方法がレベル上げになるタイプだったのだろう。そう思わざるを得ない、小学生にしては高いレベルだと驚いた。
「じゃあ駄目だよ、帰った方がいいよ。秋穂はレベル二十八だから」
「秋穂?」
「うん、弟。あれを召喚した【サモナー】。今は家の中で寝てる」
淡々と、声に出すことはなく誰だそれと聞きたそうにした睦月に、夏南は答えた。空で胴体を抉られながら抵抗を見せている龍を指してのその説明に、睦月は口を大きく開け放ち、上空を見上げた。
「お、弟?えっ、えっ、何歳?龍って、二十八で召喚出来るの?」
「四歳だよ。あれは名前が無い、ただの龍だから低レベルでも召喚出来るんだって」
かっこいいから。
ここ最近はよく、龍を召喚して困る。
事無げに言う夏南に、睦月は驚くしかない。
そういえば、と睦月ははっとあることに気がついた。
子供の、自分よりも小さな子供の【サモナー】を見たことがないな、と。
小学生に入る前の子供の【サモナー】は国が用意した【保育園】に入ることになっている、ということは知っている。
それでも、まるでそんな子供は存在していないみたいに。
「まぁ、そんなに数いないし、罹患した幼児は確実に発見されて【保育園】行きだからな。あんな、超危険物体が目に触れる場所にほいほい居てたまるか」
遠足にやってくる子供達の情報をチェックしていた博昭が、一人の生徒のデータの中に含まれている、【取締局】の管理下にある施設の名前に気がついた。
【保育園】。
勿論ただの、親が仕事などの為に未就学の子供を預かる場所、というだけではない。世間の常識、危機管理能力も持たないままに【サモナー】に罹患し、意味も結果も想像することなく感情のまま、モンスターを召喚してしまう幼児達を、周囲と幼児本人の安全の為に預かる。モンスターによる被害を想定して、人気のないかつモンスターが暴れても然して問題の無い隔離された土地で、保育士達も相応の資格を持っている【サモナー】罹患者を招いた施設だ。保育士への報酬は一般のそれよりも三倍以上が用意され、政府の人間からの「貴方しかいないんだぁ」という泣き落としによって招かれた保育士達三人により、発生から半年も待たずして運用が始まったこの施設。当初、三人の幼児【サモナー】を預かり試行錯誤を繰り返し、今までに十数人の在籍者を記録している。
始まったばかりの頃は僻地にある事から子供達を完全に預かっていた【保育園】だったが、【取締局】が設立された頃には保育士達のレベルが上がったことにより、希望する家庭では朝夕の送迎が可能となった。もっとも、高い確率でそれを望まず、逃げ出していくという報告が【取締局】には上がってきている。
「超危険物体って」
「他にどんな言い方があるってんだよ。理性より本能に忠実な、ほいほいと感情と興味のまんまモンスターどもを召喚してく小型兵器ども。あまりの手に負えなさに、大概の親は拒んで逃げるのが殆どじゃねーか」
【サモナー】の力はマシンガンと同じだ。
引き金を引くだけ。それだけで、一度にたくさんの存在を傷つけることが出来る。
特殊な技量や才能なんて必要ない、体力は必要だがそれも自身で動く何倍、何百倍もの力を生み出してしまう、武器。
そんなものを子供が。
親の庇護下の下でようやく自立して歩き、片言ながらに話せるようになったばかりの幼児が。いや、まだ自分の力で長くを歩くことも、言葉を理解し話すこともままならないような赤ん坊が、何時でも引き金を引ける状態にあったら。
血のつながった実の親でさえ、愛情に溢れる親であっても、恐れてしまうのは仕方ない事だった。
「最近だとちゃんと逃げ出さずに送迎を頼む親も増えてますし、事情があって完全に預けたとしても休日の度に会いに来る親だっています。全員が全員、そんなんじゃないですよ」
「余計なこと言う、良識ある人間っていうのが何処にでも居るからな」
「また、そういう捻くれたこと言う…」
子供が親から引き離されて、寂しい思いをするなんて!
重要な案件は停滞させているくせに、余計なことにばかり口を出して世間を賑わせる。そんな政治家は昔も今も居る。【保育園】の保育士が全国各地への一時間もかからない送迎を行うことが可能になった、という話題が出た時、ならば!と一部の政治家、そして一部の心優しい人間達が「良かったわ」と声を上げた。
これで必要に応じてとはいえ、家族、特に恋しくて仕方のない母親から引き離されてしまう子供、そして子供と引き離されなくてはいけない親という存在が居なくなるのね、と。
子は親を恋しくて仕方がないもの、親は子供がどんな事情を持っていようと、どんな困難、どんな未来の可能性があろうと、手元に置いて自分の手で育てて慈しみたくて仕方がないもの。そうでない親などいない、そうでない親など人でなし、悪人だとまるでそれが常識、当たり前の事かのように上げる声を惜しまなかった。
そして、それを決まりとして明文化してしまった。
いやがおうにも、こどもをひきとらなくてはいけない、つれてかえってこないといけないじょうきょうというものができてしまった。
「捻くれてねぇよ。現に、自分達の手に余るって引き取らないことを選んで逃げた家族がその後、どうなったか。それまで住んでいた場所から逃げても、それで移った先の土地でも何処からか噂が回ってきて又移動。一応は探す【取締局】から逃げる為にそれを何回も繰り返した先でようやく、一応の落ち着きを得れたって感じだ。大変だよね、これで【サモナー】があんまり受け入れられてねぇ、罹患者な子供は政府にあげちまうのが普通な外国とかなら良かったのにな」
人間という存在は悪意もなく悪意ある言葉を吐ける生き物だ。少なくとも久木はそうだと思っているのだと言う。
「救いがあるとすれば、子供だからこそ勝手にレベルをほいほい上げていけないって事くらいか。大概の方法は故意に何かをしなくてはいけないってやつだからな。【狐姫】みたいなのじゃない限り、子供のレベルが十以上になる可能性は低いってぇのが救いっちゃ救いだ」
低いレベルのままならば、周囲に誰かしら大人の【サモナー】罹患者がいればモンスターを止めることも容易い。
「…なら、こんな状況の町に住んでいても引き取ってもらえてこの子は、本当に親から大切にされてるって事ですよね」
【サモナー】を恐れている、それが当たり前の状況の町で、引き取らないと選択しても責める者はいない筈。居たとしても、そちらにこそ周囲の厳しい目が向けられる筈だから。
手元の書類に写真と共に記されている、池井戸美紀子という女の子。博昭は我が事のように、良かったねと心の中で呟いた。
「そうかもなぁ…。いや、もしかしたら怖い悪魔から自分達を守らせる為に引き取ったって可能性も…」
「どうしてそう、嫌な方、嫌な方に考えるんですか!!」
折角、しんみりとしていたのに。嫌な事ばかり考える、考え付く先輩に対して博昭は一度くらい殴りに行っても許される気がすると殺意まで芽生えさせた。
「そもそも!子供を天使って言うのが俺からしたら嘘八百なんだよ!特に赤ん坊とかよ!天使ちゃんだのなんだの、よく臆面もなく自分のガキだのをそんな風に言えるよな!あいつらは悪魔だ、最強最悪の悪魔ってえのは奴らのことだ!」
「…可愛いじゃないですか。もう大きいですけど、弟達を見てると疲れも吹っ飛びますよ?」
「仕事から帰ったおっさんみてぇな感想言ってんじゃねぇ」
顔を引きつらせ、鳥肌が浮かび上がったのか両腕をさすり始めた久木の、突飛でもない主張。これに対して、全くの同意する余地もないと博昭は呆れかえった。
だが、久木の主張は止まらない。
「あの悪魔ども!俺のゲームキューブをテレビのリモコンで叩き壊し!俺のワンダースワンカラーを涎まみれにした挙句に壁に投げつけ!初回限定生産の特典CDを…。ポスターを…」
「…久木先輩、兄弟いらっしゃいまっしたっけ?」
「従弟妹共、そして最近じゃあ従兄姉どものガキ共だ!あいつら、俺のものに対して破壊の限りを尽くしていきやがる!」
久木が実際にやられた事らしい事例が、次から次へと苦悩に歪む久木の口から飛び出していく。
「…でも、それって子供の手に届く場所に置いておいた久木先輩が悪いんじゃないんですか?あと、ゲームキューブは分かるんですけど、ワンダースワンカラーって何ですか?」
学校には通う事は出来なかったが、生活の面ではあまり不自由な思いをしていなかったという記憶がある博昭にも、それが何なのか思い出せない。
「それだ!あの悪魔どもの本当の脅威は!あと、ワンダースワンカラーを知らねってマジか?確かにマイナーなやつだったが、名前も聞いた事ねぇ?…チッ、これが年月ってやつか…」
博昭がそれを知らないことがそれなりにショックだったらしい。
「なんでもかんでも、子供のやった事だから、分からずにやった事だから、仕舞いには貴方にも悪いところがあったんだから諦めなさい、で周囲が勝手に事を終わらせやがる。ガキもガキで、泣けばなんでも許されて、最終的にはこっちが悪いってことになるって分かってやがる絶対に」
「そんな事は無いんじゃあ…」
「いや、絶対に分かってやがるな。それに、あいつらはそれなりの行動力があるからな。二段ベットの上に置いておこうが、一歳、二歳で梯子を上っていきやがる。しまっておこうが目聡く見つけ出して、引き摺り出してもきやがるからな!」
これも久木の実体験のようだ。
「それが今の、あの町の状況でもある」
「へっ?」
いきなり、久木がいつになく真面目な顔になった。
「あの町には正真正銘の悪魔が居るんだよ。自分の何が悪いのかも知らないまま、事を起こしちまう純粋無垢な幼児が」
耳に痛みを覚える悲鳴を上げ、上空の龍が相当なダメージを受けたと分かる姿を消していった。
それと同時に、夏南が鳥に還るよう命じる。
「すごいんだね」
「?」
その光景をただ見ていた睦月は尊敬するような眼差しを、夏南に送る。
「だって、明石さんも弟くんもレベルが。僕なんて何時になったらそのレベルになれるかも分からないよ」
僕、迷子なんだ。
睦月のレベルは一。だが、決して夏南に言われたように【サモナー】に罹患したばかりという訳ではない。睦月が罹患してから四年が経つ。四年の間、ずっとレベルは一のまま。レベルを上げたくない訳ではない、ただレベルの上げる方法が見つかっていないのだ。
これは別に、睦月がおかしいという訳ではない。罹患者の中にはそれなりの数、レベル上げの方法が分からずにいる者が居るらしい。世の中で罹患者達が公表している方法を試してみても、何気ない行動を意識的に行って模索してみても、見つからない。
そういった【サモナー】罹患者を、【迷子】と言い表すらしい。
「…すごくないよ。だって、やらなくちゃいけなかったから、レベルを上げてきただけだもん」
お母さんにもお父さんにも、そして先生にも。
それが私が【サモナー】になった理由、お姉ちゃんなんだから、と言われた結果。
グルルルルル
明石の家から、何かが喉を鳴らしている巨大な音が響いてきた。
「帰りなよ。今日はまだ二匹目だから、早く帰らないと怪我するかも」
一軒家の屋根の上に、とぐろを巻いたこちらを睨む鱗がきらきらと光る龍の姿。
「最近だと、四匹目くらいまでは召喚するから」
「弟さん、起きちゃったの?」
これを召喚するのは弟だと夏南は言った。でも、弟は家の中で寝ているとも。なら、こうして外で睦月と夏南が話し込んでいた間に、夏南の弟は起きてしまったのだろうか。
そんな睦月の心配を、夏南は首を振って否定した。
「ううん。秋穂は寝てる間も召喚しちゃうから。多分、まだ寝てる」
「えぇ!?」
そんな事出来るの、と睦月は夜だというのに大声を出して驚いた。
「うん。秋穂、お母さんのお腹の中に居る時から【サモナー】で、召喚もしてたから。だから出来るんじゃないかって、【取締局】の人は言ってた。今のところは秋穂だけだからよく分かんないけどね、っていうのも言われたけど」
胎児の状態でモンスターを召喚し、周囲を驚かせ、そして混乱させていた。それは夏南もよく覚えているらしい。周囲の人間は母親こそが【サモナー】罹患者だと考え、どうして召喚するのか、どうして制御しないのか、と責め立て不審の目を向けていた。
それを町に住んでいた【サモナー】罹患者だった医者が庇い、助けることで何とか出産までたどり着く。産んだ子供こそが罹患者だと知って母親が一人失踪してしまった後は、その医者が赤ん坊と、そして弟が生まれた後に罹患した夏南を預かり、面倒を見てくれた。
「お母さん、それでちょっと変になっちゃって秋穂がまだ赤ちゃんの頃にいなくなっちゃって。お父さん仕事でいないこと多いから。だから、私が周りに被害が出ないようにしないといけないの」
胎児は母親のお腹の中で二・三十分置きに寝起きを繰り返している状態だといわれている為、正確にいえば眠っている状態での召喚と胎児での感染、召喚を繰り返した行為が繋がるかは立証出来ない不確かな予測でしかないのだが、そんなことを小学生の睦月と夏南が知っている訳がない。
だから、大人で専門家だと思える【取締局】の意見を夏南は信じていたし、睦月も今聞いたそれを完全に信じた。
「先生ももういないし、秋穂のレベル簡単に上がっちゃうから。私しか、いないの」
不運に不運は重なるもので、まだ四歳の明石秋穂のレベル上げの方法は日常生活を普通に送っていても少しずつではあるが上がってしまうものだった。だから夏南は、先生からの言いつけを守ってレベル上げを頑張っている。
「大変、だね」
そんな言葉では収まらないことだと睦月も思いはしたが、それでも抑えることは出来なかった。
「昼は【保育園】があるし、忙しくない時は局の人が代わりに見てくれるし。そんなに大変じゃないよ?町の人達もね、子供のすることだからしょうがないって、実際の被害が出ないなら許してくれるって言うし」
今日の小学校での様子を見る限り、その言葉を信じることは難しいものだったが。それでも夏南自身がぼぉっとした表情でもそう言うのだから、出会ったばかりの睦月が否定するのは難しい。
「あんまり秋穂の召喚するのを倒してばかりいるとね、秋穂の体力がなくなって死んじゃう可能性もあるから無理はしちゃいけないんだって。だから、あれが何かしない間はこっちからは手を出さないの」
暫くはにらみ合いをしたままだよ、と夏南は言う。
「ばいばい、藤本くん。また明日」
自分も、と言おうとした睦月だったがレベル一でしかない【サモナー】では、例え名前の無い只の龍だったとしても、対抗する術は何もない。
睦月に別れの挨拶をして、家に巻き付いている龍に集中してしまっている夏南の背中を見ていることくらいしか、睦月に出来るだろうことはないだろう。
どうしよう…。
自分に出来ることは無い。だが、夏南一人を置いてさっさと帰るのもどうなんだろう。
睦月は迷った。
とんとん。
迷っていた睦月の肩を、背後から叩く手があった。
「やぁ、藤本君」
「枝野君」
夜遅くだというのに、今日から同級生となった枝野樹がそこに居た。
「藤本君、どうして裸足なんだい?」
「えっと、慌ててて…。じゃなくて、枝野君こそどうして」
振り返った睦月への第一声が、裸足姿で駆け付けた睦月の足元について。それに夏南に答えたのと同じように答えた睦月だったが、樹から掛けられた「どうして」という言葉を返した。
「僕の家はあそこなんだ」
空き家の多い、その理由は今のこの状況と夏南の説明から何となく理解出来た、夏南の家の近所に点々と取り残されたかのようにある生活感のある家の中の一軒を指して、樹は睦月の問いかけに答えた。
「藤本君は優しいんだね。でも、こんな夜遅くに出てきちゃってるのはきっと家族の人が心配しているよ。此処は僕が引き受けるから」
樹も【サモナー】罹患者だ。
まっすぐに向けられてくるその目は信用してもいいと、その言葉に逆らいづらい何かがあった。
「う、うん」
樹にも手を振られ、おやすみ、と声を掛けられ、睦月の体は自然と夏南の家に背を向けて小父の家へと向かおうと足を踏み出していた。
暫く歩いて睦月はふと振り返った。
レベル一の自分よりは樹のレベルが上なのは確かだろう。
でも、一体どれくらいのレベルなのか。引き受けるというからには、きっと夏南やその弟である秋穂という子供に近いレベルなのかも。
そう思えば、視てみようと興味が沸いたからの行動だった。
「あれ?」
振り向いて、夏南に話しかけている樹の背中を視る。
そして睦月は可笑しな声を上げた。
「えっ、どうして…」
それは予想していないものだった。驚き、どういう事なのかと考えながら、それでも戻って尋ねる気にはならず睦月は帰路につく。
睦月が視たものの理由が判明したのは、それから数日後の事だった。
そして睦月は知ることになる。自分が転入してきたこの町が、とっても、とっても可笑しな、奇妙な状況の中にあり、【取締局】から特に注意を向けられている意味を。




