【空想の狂医】理想に燃えた男
ある一人の男が【サモナー】に罹患してしまった事が、旭丘の町での悲劇、その全ての始まりだった。
自分が【サモナー】と呼ばれる、不可思議な生き物達を召喚して使役する力を手に入れたと知った時、ある考えを持ってしまった。
これは素晴らしい力だ。多くの人間が持てば、この世界はより豊かに、より便利になるだろう。
性善説を、男は信じていたのだ。
それが悪いとは誰も言えない。そうであると信じている人は男以外にも居るのだから。だが、男はそれを真理であると、神を崇める信者のように信じていた。ニュースを騒がせる犯罪者達が犯罪を犯してしまうのは、その人が恵まれない環境に置かれて荒んでしまったせい。ただそれだけが原因なのだと信じていた。だから、誰もが恵まれて不満など持たない世界が出来れば、犯罪なんて起こり得ないと、男は常々考えていた。
【サモナー】は、そんな男の理想の世界を作り得る力を持っていた。召喚することが出来るというモンスターの力を使えば、世界中から飢えが消えるそんな環境を作ることが出来るだろうし、自然の脅威も恐れるものではなくなる。男には輝くような世界が見えていた。
まだ【サモナー】という存在が聞こえ始めたばかりの頃の事、誰も男の異常な考えに気付ける者はいなかった。一月、二月、男にとっては短く、だが理想の為に繰り返し熟考していた長くもあった月日が過ぎた頃、男に啓示が降りた。
【サモナー】は感染する。世界各国の頭脳が既存の方法で何とか辿り着いたその発見は、男にとって希望の光となった。
迷いはなかった。
男は、全員が【サモナー】として力を振るう恵まれた世界を造り出す、そんな理想の為に一歩を踏み出した。
「…何したんですか、その人」
いや結果である今の町の状況を考えれば何となく想像は出来るが…と博昭は、役者のように演技がかった先輩、久木の説明に見入っていた。
「…聞いて驚け!」
悪ガキをそのまま成長させた、そう影どころか真正面から言われてのも頷ける笑顔で、久木は衝撃的な出来事を博昭に明かす。
男は医者だった。町の人々が何かと利用している何処にでもある内科医院を開業していた。町の人々からの信頼も厚く、しかも男は旭丘小学校の校医でもあった。
それは男の理想を叶える為に、非常に役に立つ立場だった。
「えっ、ちょ、ちょっと待って…」
「待たん!」
男が使ったのは、【サモナー】に感染している自分の血。
「ちょ、こ、交差感染?いや、そんな医療関係者がそんな事を考えるなんて…」
「狂ってるやつに理屈は無いんだよ。よくアニメとかにも居るだろ。マッドサイエンティスト」
「いますけど…」
博昭の頭に浮かんだのは、まだ幼い弟妹達が楽しみに観ているアニメにお決まりのように出てくる、白衣を着て、無茶苦茶なことを仕出かす存在。魔法少女ものだろうと、戦隊ものだろうと、登場しないアニメは無いように思える程、よく観る存在だ。
「輸血する時とか、点滴の時とか。診察する時に喉みるのに舌を抑えるヘラってあるだろ、あれに付着させてもいたらしいし、少しでも患者に接触するところには気づかれないように自分の血をよ…」
「ひぃ!」
ぞぞぞ、と博昭は鳥肌が全身を駆け巡るのを感じた。
【学徒の猟犬】の学びの中には医療関係もあった。血液感染の恐ろしさを、その実例と共に学んでいる。いや、そうでなくとも人の血を必要もないのに体の中に入れられる、それ以上に口の中に入れられる状況。考えただけでも気持ち悪く、嘔吐感に襲われる。
「それだけじゃないぞ~。自分の城だっていうのをいいことに、患者が触りそうなところには自分の血だのなんだのをつけてまわってたんだと、毎晩、毎晩。ちなみに、入院患者には普通の通院患者よりも念入りに、フルコースで…」
「接触感染、介達感染…」
博昭の脳裏を笑いながら駆け抜けていく、ありあらゆる、学んだ情報の中から思い出せる限りの感染経路達。
「【サモナー】がどう感染してんのかは知らねぇけど、効果抜群だった」
まず、【サモナー】に罹患したと判明したのは、男の下で働いていた看護師、そして事務員達。男が毎日
、せっせとお茶や御菓子などを差し入れて成果だった。
そして、次は長期に入院していた患者が。これは毎晩の、男の見回りが功を成した。
こうなると、男は自分の血だけではなく、罹患が判明した入院患者から検査だと偽り血を取り、それを利用し始めた。
「予防接種がいい感じだったみたいだぜ?」
「風疹に肺炎、四種混合、インフルエンザ、」
日本で予防接種として行われているものは一つ二つではない。それを行う年齢も様々だ。
「んで、最悪だったのは男が小学校の校医だったって事だな。お前、行ってないから知らないかもしれないけど、健康診断ってのがあるわけよ。あれで一人一人、いつも通りにやっちゃった訳だ」
「…っ」
小学生が標的になったと聞いて、博昭はそれを弟妹達がされたと想像した。何とも恐ろしい、気が遠くなるような事態だ。
「なぁ、もしもだ、もしも信用してる医者と病院以外であって、これ健康に良くて何時も飲んでる、食べてるんですって言われたらどうする?」
「へっ?あ~自分も利用しようかなぁとは思います、ね」
突然、関係なさそうな、それでも嫌な予感がして仕方ないことを問われ、深く考えないまま慌てて答えた。
「で、これ取り寄せの品だから、お分けしますよって、そりゃあもう爽やかな笑顔で、掛かり付けの医者から言ってもらったら」
「嬉しいなぁと思って、貰うかも知れません」
「と、こんな感じでご近所さんにも普及活動を惜しまなかったんだよ」
感染率は低い。だが、そこまで念入りに、精力的に活動したのなら、普通に生活しているよりも感染率は上がってしまうものだろう。
しかも、それはまだ【取締局】が設立される前の事。まだ、罹患した警察官などが混乱しながら試行錯誤して事態を治めようとしていた頃の話なのだ。なんだか罹患者が多いな、と思った人が当時居たのかも怪しいところ。罹患者が増えれば、感染する可能性も増える。男の利用する材料と増えていく。
「そ、それ、他の問題は起こらなかったんですか…」
他の感染症など、血液を利用したのなら危険性は高かった筈だ。事実、日本国内での血液によるその事例はすぐに幾つか思いつける。
「一応、事が発覚した時に男が関わった危険のある人間全員に検査が行われて、そっちは大丈夫だったみたいだぜ?」
ホッと、少なくともその点だけは安堵できた。
「その件が発覚してから、医療機関とかで【サモナー】かどうか確認がされるようになったんだよ」
むしろ何でそれをすぐに思いついて実行しなかったのだ、という批判の声が持ち上がったらしいが、それを突き付けた狂った男の所業については世間に明かされることはなかった。
「そうなんですか?病院ってあんまり利用しないんで…」
保険証が無い為、滅多なことでは医療機関を利用しない博昭がへぇと感心した声を上げた。
「その男は発覚した後、警察に檻着きの病院に押し込められた。今はそこからも移動して、【サモナー】用の収容所に居る。出る予定は今ンとこ無し。残ったのは【サモナー】罹患者の数が他よりも多くて、信じていただけに裏切られた感が強まってた人がひしめく、この町」
「じゃあ、その裏切られた!っていうのが、【サモナー】罹患者を差別するみたいになってる今に繋がってるんですね」
説明ありがとうございます、と律儀にお礼を言った博昭に、久木は「いや」と否定した。
「えっ?」
「いや、あの町の【サモナー】に対するビビり具合は、それもあるけど違う原因があるだよなぁこれが」
男は町から消えた。これ以上、男の理想へ町の人々が強制的に付き合わされることはない。
だが、男はこの町に大変なものを生み出し、解決策も何も残すこともしなかったのだ。
「男の理想は、最悪な化けもんを作り出しちまった」
「化け物?」
「そっ。言葉の通じない、加減も知らない、安易に手出し出来ない、最悪の【サモナー】」
男がまだ理想を追い求めていた頃に、それは男に突き付けられた。まだ男がそれを始めたばかりの頃に感染したと思われる、その存在。
理想との違いを男に突き付け続けたその存在が、男の行動に迷いを生じさせ、男の行動を発覚させるきっかけを作り出した。
「あれは悪魔だよ、悪魔。それの被害が降りかかったせいで、町の奴らは漏れなく【サモナー】っていうのは怖い存在だって恐れるようになったんだ」
「悪魔…」
「今んとこ、あれだけしか確認されていない事例だからな。そうじゃなきゃ、この国は終わってるよ」
【サモナー】罹患者達に容赦なく鉄槌を下すことで恐れられている久木が、悪魔、と罵る存在。博昭は何だろう、と考える。
転入初日の夜。
睦月は謎が謎を呼ぶ言葉の意味を考え、眠る為に布団の中に入ったというのに、眠れないでいた。
五年前に何かがあった。
二年後に何かがある。
確かに人外の、恐ろしい力を扱う【サモナー】だが、ここまでほぼ全員に怯えられる、忌避されるのなんて睦月は初めての経験だった。前に住んでいた所でも、テレビを通じて知る限りでも、【サモナー】が差別される対象に見られているという事実は別に、この日本では問題にもなっていない。
学校からの帰り道。
すでに帰った生徒達から聞いたのか、すれ違う人も分かりやすく睦月を遠巻きにしていた。目があえば反らされ、近づく様子を見せたら後ずさりされる。大人も子供も、よたよたと杖をついて歩いていた老人でさえも火事場の馬鹿力といえる動きで逃げる様子を見せる。
こんな事なら一緒に帰るか、と誘ってくれた同じ【サモナー】である亮達の誘いを断るんじゃなかったと、帰り道に睦月は何度も後悔に襲われた。
これが嫌で、多くの【サモナー】達がこの町から去っていったのだと聞いた。
特別扱いという名目で明らかに引かれる一線。
今、この町に残っている【サモナー】罹患者は事情があって引っ越していけない者だけだと。
子供だけでも町の外に行くか、という提案が親からあったが断った。家の事情などもあるが、基本、残っている人間は心が強かったからだろう。でなければ、あの状況は耐えられないと睦月は心ながらに分析出来る。
「僕に何が出来るっていうのさ、お母さん」
睦月が此処に転入してきたのは、家族に言われたからだった。家族から離れ、この町に住んでいる遠縁の小父の家に居候して…。
息苦しい家に居るよりは楽だとは思っていたが、自分が置かれることになった状況を知り、考えると胃が痛む。
小父の家は一戸建て。二階にある一部屋を睦月の為に与えてくれた。
カーテンを閉めるのを忘れていた窓から、夜空を観る事が出来た。
「えっ、龍?」
眠れないなぁと思いながら窓を外に広がる夜空の星を観ていた時、それは額縁のような役割を果たしていた窓枠を下から上へと通り過ぎ去っていった。
くねくねと尾を泳がせて上っていく姿。
それは龍と呼ばれるものに、睦月には見えた。
すぐにベットから置き上がり、窓による。
「こんな時間に誰が召喚したんだろう…?」
窓から顔を出して天空を望めば、それは確かに龍だった。夜空の中をくねくねと、泳ぐように動いている。
そして…。
どぉおっぉぉぉん!!
雲ひとつない晴れ渡っている夜空に、雷光が轟音と共に瞬いた。
どぉおっぉぉぉん!!どぉおっぉぉぉん!!ドドドォン!!
一つでは収まることはなく、空気を震わせるような音と閃光が幾つも幾つも夜空に生まれては消えていく。その現象の中心には変わらずに空を泳ぐ龍が居て、どう考えてもその龍こそがそれを行っている存在だと示していた。
「えっ、えっ、なんで!?」
慌てて部屋にある時計を確かめると、もうすぐで時計の針が両方ともまっすぐに真上の位置を誘うとしている時間。
こんな時間に龍を召喚して、そんなことを仕出かす理由が、睦月にはどんなに考えても分からない。
グギャォォォォ
睦月が部屋の中の時計の針を見つめて目を丸めていると、悲鳴、というのが一番適していると思われる鳴き声のような音が、途切れた轟音の代わりに空から降り注いだ。
慌ててまた、部屋の外、雷の閃光が消えた星空をみる。
「鳥…が龍を食べてる?」
先程まで悠々自適に空を泳いでいた龍の胴体を、龍と同じだけの大きさの巨大な鳥が咥え、抵抗しようと鳥の体に尾を巻き付けようとしている龍のそれには鳥の鋭い爪が喰い込んでいる。
「睦月く~ん、起きているかい?」
こんこんと軽いノックの音が聞こえた後、部屋に家主である小父が入ってきた。
「お、オジサン、あれって」
この町の住人である小父に、睦月は窓の外に手を突き出し、龍と鳥の空中での攻防を指さした。
「あぁ、やっぱり驚いたようだね。殆ど毎日、あんな感じのことが起こるから、気にせずに寝るといいよ。」
「毎日って、こんな時間に、ですか?」
「そうそう。最近は龍がお気に入りらしくてね、あれは龍を食べてくれるモンスターで金翅鳥っていう名前らしいよ。睦月君もいくら【サモナー】だからって、明石さんのところのあれに手を出そうとなんてしちゃ駄目だよ。変に関わると、もっと大変なことになっちゃうから」
「明石、って。明石夏南?」
「そう。毎日あれを止めなくちゃいけないんだから、あの子も大変だ」
何となく、夏南が今日学校で寝てばかりだった理由が分かったような気がした。




