死ぬとか生きるとか、そんな言葉遊び
生きたいと思う人がいるんだから、死にたいとか言うな、なんて言葉は所詮綺麗ごとでしかない。
少なくとも私はそう思う。
だって逆に行ってしまえば、生きたいと思う人がいるように、死にたいと思う人がいるんだから。
生きたいと思うように、死にたいと思うこともまた、自然なことなのだ。
ただの一度も死を考えたことのない人間なんて、いるはずがない。
私はそう考える。
死ぬな、って言葉だけで考え直せるなら、何一つ悩むことなんてない。
安っぽい慰めの言葉で、心の傷や歪んだ思考が止まるほど、人間っていうのはお安く出来てはいないのだろう。
いつか死ぬなら、今死のうが明日死のうがいいじゃない。
大差ない時間だって言える。
「それで?今すぐ死にたいって相談?」
私の独り言にも近い言葉を言葉をちゃんと聞いて、ちゃんと咀嚼して飲み込んで、反応してくれるのは彼だけだと思う。
目を細めて、でも眉は少しだけ困ったように下がった笑顔を私に向ける彼は、のんびりとした動作でコーヒーカップを掴む。
名前も知らないクラシックの流れる、昔ながらの喫茶店のボックス席。
そこで私達二人は、向かい合うように座って言葉を交わす。
と言っても、殆どが、独り言のように語る私の言葉を彼が聞いて、質問をしたりするだけだが。
「まぁ、死ねるものなら死にたいけど」
痛いのも苦しいのも嫌だ。
死体が見るに耐えないものも嫌だ。
「そんなの皆、嫌だろ」
「うん、知ってる」
私の言葉に彼は苦笑して、コーヒーカップに唇を付けた。
あの真っ黒な液体の何が美味しいのか、私には到底理解出来ない。
目の前の純白のレースをまとったような、着飾った貴婦人みたいな、可愛らしいご令嬢みたいなショートケーキと、キャラメルマキアートを前に、私は緩く頷く。
指先で、ショートケーキの上にお行儀良く乗っかっていた、ショートケーキのメインとも言えるいちごを摘む。
いちごの乗っかっていた生クリームは、ほんの少しいちごの色が移ってピンク色になって窪んでいる。
何でこんなにファンシーなものを前にして、私達は、私は、死にたがりの発言をしているんだろうか。
「死にたがるのは良くないこと。それは凄く、分かってる。常識的に考えてってやつでしょ。分かってるよ」
いちごを皿の端っこに置いた私は、フォークを持ってケーキを一口サイズに切っていく。
抑揚のない言葉を聞いても、彼が顔を顰めることは無い。
ただ少し困ったように眉を下げるだけ。
「でも、たまに思うの。朝起きたら、何で生きてるんだろうとか。電車を見ると飛び込みたくなったり、トラックを見ると飛び出したくなったり、高い所にいると飛び降りたくなったり、刃物を見ると切りたくなったり、紐を見ると締めたくなったり」
衝動的な自殺願望。
脅迫にも似たそれに、追いやられるようにして、死へと足を踏み出そうとする。
手を伸ばそうとするのだ。
意味は無い、理由も無い。
何でだろう、何でだろうね、問に対して出ない答えを求めることすら辞めるように、私の思考はそこで止まる。
次に吐き出す言葉も見付けられずに、ただの作業のようにケーキの欠片を口の中に運ぶ。
サッパリした生クリームが舌の上を滑る。
美味しいのに味気ない気がするのは、きっと私のせい。
咀嚼して飲み込むまでが酷く億劫に感じていると、彼がこちらに手を伸ばして来る。
骨張った指先が唇の端を拭って、彼の口元に向かう。
「付いてる」と嫌になるくらい色っぽく笑う彼が、指に付いた生クリームを舐めとる。
あぁ、イケメンだなぁ。
「でも、死ねないんだろ?」
「……そうだね」
「なら、それでいいんだよ」
白い歯を見せて笑う彼は眩しい。
目が痛くなるくらいに眩しくて、グズグズとした思考をぶっ飛ばしてくれる力を持つ。
優しくて甘ったるくて、どうようもなく居心地の悪くなるような感覚が愛おしい。
身じろげば、彼の手がもう一度伸びて来て、私の前髪に触れる。
「それでも、お前が今、生きてるならいいんだよ」
私が感じる愛おしさを、彼も感じているのだろうか。
酷く優しく細められた目と、壊れ物を扱うような指先に、体中の熱が顔に集まるのを感じる。
彼は私の言葉を真剣に聞いてくれる。
言葉遊びでしかないようなものも、独り言でしかないようなことも、真剣に聞いて言葉を選んで返してくれるのだ。
『死にたい』と言えば、ありきたりで安売りしているようなテンプレートな、意味も価値もないように感じる味気ない『そんなこと言うな』でも『生きたい奴もいるんだ』でもない言葉。
私の言葉を否定せずに、受け止めて認めてくれる。
どうしようもなく心地良い居心地の悪さ。
否定されないことの心地良さ。
私には彼しかいない、と思い知らされるような居心地の悪さ。
喉が渇いているのを感じて、コップにびっしりと水滴の張り付いたキャラメルマキアートに手を伸ばす。
水っぽくなったそれを喉に流し込みながら、私は彼と同じような眉を下げた笑顔を見せた。




