『第七話 少女と青年と』
ハクヤは担任のレイナに用があるのか、喧騒の教室を後にして、口を歪めて笑っていた。
――あんなものかと――そもそも先ほどの戦いなどハクヤはまるで本気を出していなかった。
彼は、その気になれば自分のクラス全員を相手にしても、勝つ自信があった。
それもそのはず、スパイというのはエリートの一種であり、人格、頭脳、は言わずもがな、更に暗殺の指令まで受けるハクヤは体術も優れていなければ、指令さえおりていないだろう。
その自分が、マナがBクラスの学生ごときに敗れるなどとは――そんなことが上司のバテウスの耳にでも入ったら、すぐに後送されるだろう。
軽いデモンストレーションにもならなかったが、ハクヤはこれから始まる戦いに向けて高揚していた。
神経が昂り、体中の毛がざわつく。
(……喜んでいるのか、俺は……いや、高揚か…)
ハクヤは自分が闘争を前にして、嬉々していることを実感し歩きながら、右手を自分の胸の前に持ってきて、空間を握るように力を込める。
(…いいさ、戦いは一人の方がやりやすい)
ハクヤにとって、学院の学生など煩わしいと思う気持ちでいっぱいだった――年齢も下ならばいっそ誰もいないほうが構わないというのが彼の信条だ。
ハクヤは動くのは明日にでもするとして、彼は気配を消して、人知れず帰ろうとすると――後ろから、不意にハクヤは呼び止められた。
「待ってください‼」
ハクヤを呼び止めた人物は、ユリナだった――彼女は息を切らして、少し立ち止まると、息を整えてハクヤと向き合い。
「…あの、先ほどはありがとうございました」
彼女は頭を下げると、お礼を素直に受け取れないハクヤはむず痒いのか、髪を少しくしゃりとすると。
「別に、アンタの為にやったことじゃない…ただ、あいつが気に食わないから、俺はやっただけだ……そうだな、ただの、憂さ晴らしだ」
ハクヤは天邪鬼なのか、ユリナの瞳から目を逸らして答えた。
(…それに、打算もあったしな…)
ハクヤには、純粋な善意から助けたわけではない。
「それでも、ありがとうございます」
ハクヤの打算があったにしろ自分は助けられたのは、事実だとユリナはハクヤに礼を言う。
(…駄目元で誘ってみるか…)
ハクヤは、もしかしたら考えが頭を過ぎりとハクヤは改めて、彼女と向き合うと。
「…ユリナさん、良かったら、俺とパートナーを組んでくれますか?」
――数刻の間の後に、ユリナはハクヤに謝る。
「…ごめんなさい。私はリンカちゃんと組んでいますから…」
意を決したハクヤにとってはなかなかに応える台詞だった。
「…そういえば、さっき隣で話してたな……悪かったな。知っているのにわざわざ誘ったりして…」
「いえ、誘ってくれただけでもうれしいです」
彼女は笑顔で答えて、ハクヤは手を振り帰ろうとする。
「ハクヤさんは、選考会はどうするんですか?」
ユリナはハクヤの事が不安になったのか怪訝に聞こうとする。
「…俺は、一人で出るさ、なにアンタが心配することじゃない。負けたとしても、俺一人の責任だし…それに前にも言った通り、一人の方が気楽だからな…」
強がりを見せて、ハクヤは嘘を付く、本来であれば彼女とパートナーを組んだ方が情報収集の為に都合がいいのだが――既に決まってしまっているのであれば、ひっくり返すのは至難であるし、しつこく言い寄って嫌われたりしたら本末転倒である。
「…そうなんですか…」
ユリナは彼が一人だと知ると、意気消沈して俯いてしまう。
「…じゃあな」
ハクヤは、手を振り帰ると言っていたのだが、気が変わり。
少し調べ物があるのか――学院の図書室に入り――去年の選考会に付いて、閲覧をしていた。
去年の優勝者は誰なのかなどである。自分を脅かす人物はいないかなどである。
選考会は筆記試験と実技の二つに分かれる。
魔術の素養のない者は、必然的に筆記試験の点数が反映されるが、魔術の使えるものは魔術の結果が重要視される、そしてそれは、必然的に筆記試験よりも実技の方が評価され反映されている。
なぜならば、魔術というのはエネルギー不足となった、この時代において非常にエネルギー効率が良いからである。
M,Aと呼ばれる媒介さえあれば、強大な火力を起こし、数百~数千人もの人間を蹴散らせる高性能な兵器である。
先のEUの内乱では、戦争に負けたとはいえ魔術が猛威を振るい、その有用性が実証された。
そして、魔術を忌避している教会でも魔術を神術と名前を変えて有用している。
共に本質は同じなのだが、互いに認められないのか戦争が終わった今も小競り合いは続いている。
それだけの背景があるために、どうしても魔術による結果が重要視される。
なぜハクヤが魔術師のいる、クラスに入れられたのかは分からないが―ー理事長に、どんな思惑があるのかは分からないが――対象の娘がいるクラスならば、好都合だとハクヤは捉えていた。
パソコンを調べていくうちに分かったが――どうやら、クラスの中にはハクヤの好敵手などはいないようだった。
一つだけ分からないのは、去年に開かれた選考会で実技の方が何らかの事故で中止になっているという事だけだった。
(…これ以上は調べても、しょうがないな…)
学生程度の権限では、有力な情報が手に入るわけでもなくハクヤは帰ろうとして学院の玄関口まで来ると、水色の髪をした少女が待ち構えていた。
最終下校時刻になり宵も深くなり、うっすらと非常灯の蛍光灯だけが点灯する中で彼女が輝いているように見えるのは、気のせいではないだろう。
光を反射する白く水色の髪と、華奢でありながら、女性特有の優しさを象徴するかのような胸、きめ細かな白い肌が光を反射させて輝いており、どこか幻想的な雰囲気を漂わせていた。
彼女はずっと待っていたのかハクヤに気付くと俯いていた顔を上げて。
「…よかったです。ハクヤさんまだ残ってて…」
目を潤ませながら、ユリナはえくぼを見せて笑う。
ハクヤは少し呆気にとられた後に、平常心に戻るのに時間がかかったのか、彼は口を開いた。
「…今まで、ずっと待っていたのか?」
ハクヤはうれしさよりも、呆れの方が大きかった。
「…はい、大丈夫ですよ」
何が大丈夫なのかとハクヤはユリナに問いただしたかった。
「…待っててくれたのは、嬉しいが…今更、俺に何か用か…?」
ハクヤは折角、待っていてくれたのに無下にするのも悪いかと、彼女の対応を待つ。
するとユリナはハクヤに手を差し出すと。
「…あの。 良かったら私とパートナーを組んでくれませんか?」
彼女はハクヤに向けて再度笑いかける。
ハクヤは彼女が何を言っているのか理解するのに、数秒かかると。
「…ユリナさんは、リンカと組むんじゃなかったのか?」
ハクヤは少し前に断られたはずだがと――思い浮かべる。
「はい。だから、リンカちゃんには悪いですけど、私はハクヤさんと組むって言って、断ってきました」
ハクヤは驚いたのか大きく目を見開いて。
「…どうして、俺なんだ?」
「…ええと、リンカちゃんにはお友達いっぱいいますし…それに、ハクヤさん…この間一人だって言ってました…そしてハクヤさん。リンカちゃんがいないとき、良く私に話しかけたりしてくれて、すごいうれしかったです」
「…だから、今度、ハクヤさんが一人の時、私が手を差し伸べるって決めたんです」
ユリナは首をかしげて、ハクヤに問いかける。
「……それだけ、なんですけどダメですか?」
ハクヤは眠っていた感情が起伏したようだった。
「…一つ分かったことがある、ユリナさん、アンタ馬鹿だろう…」
クックックとハクヤは笑い、ユリナは起こったのか顔を膨らまして。
「馬鹿じゃないです」
「いや、でも…ありがとう」
ハクヤの荒んだ心が洗われていくのは気のせいではないだろう。
「…じゃあ一緒に帰りましょうか」
彼女は制服のスカートを華麗にたなびかせ、ハクヤの隣に来ると嬉しそうに笑っていた。
ハクヤにとっては、ユリナという女性は、父親の情報を引き出すための道具にしか過ぎなかった。
しかし、彼女はハクヤを一人の人間として見ている。
ハクヤは、自分がいかに醜い事をしているかを知りつつも彼女の笑顔に応えて一緒に帰っていった。
所詮、自分に出来ることはそれぐらいしかないのだからと自身に言い聞かせて。