『第五話 上司と部下』
会社員が帰宅時刻を過ぎそうな、夜も深い時刻にハクヤは学院の帰り道を歩いていた。
彼は標的の姿を確認しようと理事長の姿を探していたのだが、何処にもおらず、一目でも標的を見ておこうと探し回っていたのだが、学院が広すぎてすっかり帰るのが遅くなってしまったというのが現状だった。
そんな教会の諜報員であり、六科学院に潜入したハクヤは学院に慣れたこともあり、少し汚れた自身の制服を見て、少し教会の服に似ているなと感じていた。
二十一世紀が後半に差支えるという年代にも、昔ながらの服装はあまり変わらないのが、不思議だった。
ハクヤの教会での服装も神父服や祭服など、全身が黒で覆われた何の模様もない服を着せられていたのだが、この六科学院の制服も色を紺色で統一されて近しいものがあった。
西洋と東洋の違いはあれど、こういう保守的なところは変わらなかった。
(……まさか、昔、戦場で来ていた服と似たようなのを着ることになるとはな…
)
ハクヤは苦笑しながら、遅い帰り道を一人で帰ると――不意に視線を感じたような気がした。
ざわりと身の毛が騒ぎ立つ、ハクヤは感覚か、本能的な勘で見られていると感じていた。
彼は試しに歩みを早めてみると、速度を落とさずに視線の持ち主がハクヤを追ってきていた。
疑問が確信に変わりハクヤは、歩く速度をやや早めたままに進む。
(……思い当たる節はないが、誰だ、誰が俺の存在を怪しんでいる?)
ハクヤは極力目立たないように学院生活を送っていた。
親しい友人はまだできていないが、ユリナとリンカとは学院では毎日話すようにしていた。
自分の後をつけてきているのが、足踏みから男性しか分からなかった。
(……まあすぐに、分かることだ…)
此処でのハクヤの優位は、尾行している人物がハクヤを尾行していることに気づいていないと思っていることだろう。
ハクヤはそのまま歩いて、人気のいない駅のホームの一番端の少し古びたベンチに腰を掛けた。
尾行している人物はそれが呼び水だという事に気付いたのか、ハクヤの誘いに乗って年老いた腰をハクヤの隣に降ろした。
二人の目の前を殆ど無人に近い電車が通過していく、時代が進むにつれて電車という交通機関はその全てを機械任せにしており、今ではどの路線の列車も五分置きに来るしくみなっている。
その代わりに人件費削減という事で、電車を運転する人はほとんどいなくなり、今では在中している駅員が二人いるだけで、その職員も特にやることがなく、質問や不手際などを全て機械任せである。
そんなほとんどが機械任せの駅に、上司と部下の二人が誰にも知られずにベンチに腰を掛けていた。
「……アンタとはお別れをしたはずだが……?」
ハクヤは隣を見て、隣に座っているバテウスにぎりぎり届く声で言い放つと。
「……さすがに、お前の目は欺けんか。儂も昔は慣らしたもんじゃがな」
バテウスは帽子を外して、初老の顔を見せると、ハクヤを流し目で見た。
「伝令役に大司教のアンタがくるとは驚いたよ。あなたクラスの人間ならば兵隊なんていくらでもいるんじゃないか…?」
ハクヤはどうして、伝令役を連れてこないのかとバテウスに視線を向けた。
なんならば、暗号化した電子メールでもいいはずなのだが、それすらもしないのはどういう了見なのだろう。
「……何、昔とは違う。もはや儂も年じゃ。老害と言われてこんな辺境の国にまで連れてこられて、故郷の料理が懐かしいわい」
「それで、御役目ゴメンとなった貴方が伝令役ですか」
「そういう事じゃな」
少しの会話の後にバテウスが本題に入る。
「……首尾はどうなっている?もう二週間を過ぎているぞ」
「対象との関係は良好。目下の所、仲の良い友人程度と思われる」
ハクヤの報告を聞いたバテウスは呆れたように。
「いつまで遊んでいるつもりだ。どんな馬鹿でも二週間もあれば計画は立てられるぞ」
バテウスが憤慨し声を押し殺して、二週間も経つのに何も進んでいない事に叱責した。
「本命の首尾は固い、一度失敗したことが警戒を過敏にしている。並みのやり方では無理なようだ。計画は時間を掛けて練る必要がある」
ハクヤはバテウスにもう少し時間が必要だと訴える。
「二週間も無駄にしておいて、まだ貴様は時間を寄越せというのか…」
バテウスが眉間に皺を寄せて、一息ついた後に。
「……フン。まあいい。これからの貴様の報告役は儂に決まった。後三か月以内に結果を出さなければ更迭されることも覚悟しておくんじゃな」
ハクヤは隣に座る男に、自らの運命を握られている事に憤慨しながらも怒りを抑えると。
「いいさ、三か月以内に始末すればいいんだろう。元々あんたも利用価値があると思って俺を養子にしたつもりだろうからな」
ハクヤは自分の目的の為にバテウスを利用しバテウスはハクヤを出世の為に利用する。
二人の関係は何処まで行っても父と子ではなく、お互いが利用し合うという分かりやすい関係であった。
「分かっているなら、それでいい」
バテウスは立ち上がり去っていき。
「せいぜい、残りの学園生活を楽しむがいい……まあ、いつ露見するか分からんがな」
一人残されたハクヤは、地面に落ちている空き缶を見つけると鬱憤を晴らすように手に力を込めて反対側のホームに投げつける。
「くそったれが」
投げられた空き缶は反対ホームのごみ箱の中にそのまま入っていった。