『旅立ち』
ハクヤは地下に潜り、家に立てこもっている状態で様々な憶測を立てていた。
バテウスは時間稼ぎをしているだろうか、ハクヤの中によからぬ考えばかりが頭に浮かぶ。
教会の部隊は何処まできているだろうか、自分の居場所は暴露していないだろうか、ハクヤは潜伏場所として、学院から近くの自分が住んでいた場所と似たようなアパートを選んでいた。
自分の証拠となるものは、全て処分している学院にも、元々住んでいた場所にも、探し回せるような何一つ残してはいなかった。
古い建物なのか、ダンプカーが通るだけで地響きが入りグラグラと揺れる。
(……時刻は九時ぐらいか……皆は何をしているんだろうな?)
ハクヤは暇なのか、時間が有り余っているのか狭い建物の一人の空間で、もう二度と戻ることのない学院の事を思いはせていた。
学校に行っていないのは、まだ三日ぐらいしかたっていないのに随分と遠い過去の事に思えた。
(……彼女はどうしているのだろうか……?)
そして、二度と会う事のない水色の髪の女性の事を考えていた――会いたくないと言えば嘘になるが。
(……だけど、会って、俺はどうするんだ?)
ハクヤは彼女と会った後のイメージが想像できなかった――ハクヤ・ミレイグは彼女に会う事が怖いのだ――ただ、それだけの話である。
ハクヤは床に寝っ転がっている状態から、立ち上がり少し外に出ようとする。
外に出るのは正体が露見した今は、あまりよろしくないが、一か所に一週間もじっとしているのも精神上は良くない、買い置きも少ないし、外に出るのもいいだろう。
何かといいながらハクヤは、外に出るこじつけが欲しかっただけなのかもしれない。
彼は外に出て歩きながら、苦笑していた。
服装は黒のジーンズに黒のジャッケトを着ており、夜ならば闇夜に紛れてさぞ目立たたないだろうが、太陽が昇り始めた時間帯には、黒が光を吸収して非常に目立っていた。
時折、学生服を着た人間を見かけると、ずいぶんと暇になったことを実感しながら、ゆったりと道路を歩いて、ただ時間を潰しているだけの行為にやるせなさを感じながら、ただひたすらに歩いて、情景を眺めていく。
壮大な解放感と共に景色を眺めながら、ハクヤは英国のロンドンにも桜の花が咲く名所があるらしいが、一度は見てみたいと思っていた。
時代はいまだにエネルギーが不足している状態なので、大量のエネルギーを必要とする。
飛行機は政治家か政財界の大物しか使えなく、自分は航路の船旅でこの国に来たのだが、車や船は、殆どがエチルアルコールとマナを動力源とした動力で動きクリーンなエネルギーというのが世界的に注目されていた。
その中でも、自分たちが所属している組織が、世界の三分の一のエネルギーや食糧を担っているというわけだ。
その組織に追われている自分。与え名ではなく、名実と共に裏切り者の嫌疑をかけられていた。
ハクヤは片足を怪我しているのか、足を引きずりながら歩く黒猫を見みかけると、ちょうどいい遊び相手を見つけたのか、膝を落として人差し指を動かして、警戒を解こうとするが、黒猫はよほど人を警戒しているのか、尻尾を立てて、少し屈みこんで今すぐにも逃げ出そうとしているが、ハクヤの方が出し抜くのが、上手いのか先に動くと
「ニャア‼」
「捕まえたぞ、こいつ」
ハクヤは暴れまわる黒猫を捕まえると、手の中で大人しくさせようとする。
「大人しくしろよ。いま手当をしてやるから」
野良猫だけあって人の手になれていないのか、ハクヤの服に黒猫の毛が付き、爪を立てて腕に引っかき傷を残して、何とか逃げようとする。
「俺は、お前の敵じゃないんだけどな」
ハクヤは抱いている猫と共に深呼吸を落ち着かせようと頭を撫でたりすると、気持ちが通じたのか、猫はおずおずとハクヤの顔を見ると小さな声でニャアと鳴いた。
「ようやく、落ち着いたか」
警戒を解いた猫を抱いて、簡易的な治療をしてやると、すっかりハクヤに気を許したのか、彼の足元に擦りついて、匂いを擦りつける仕草をする。
「悪いが、もう行かなければいけないんだ。また今度な」
懐いてきた、猫の頭を撫でると、黒猫は何かに気付いたのか、別の優しそうな人の場所に寄り添っていた。
ハクヤは寄り道しすぎたなと感じて、もう一度猫がすり寄っていった人を見た――彼女がこの時間にいるはずがないんだと頭の中で考えがあった。
だが、目の前にいる女性は、彼を責めるわけでもなく、背筋を伸ばして挨拶をした。
「おはようございます」
「おはようございます……学院はどうしたんだ?」
ハクヤは、どうでもいい事を問いかけた。
「それをいうなら、ハクヤさんもですよ。私は学院を休んで、貴方を探しにきたんですよ」
出会ったころと変わらない笑みを浮かべる女性に、ハクヤ罰の悪い表情になりながらも、後ろめたいのか、彼は一歩下がると。
「俺の正体は、もう知っているんだろう?」
ハクヤは皮肉な笑みを浮かべながら、目の前の女性の返事を待った。
「……はい」
ユリナはハクヤの目を見て、返事をすると。
「どうやって、気づいた……?」
ボロを出すようなことはしてはいないはずだがと――記憶を蒸し返す。
「以前、ハクヤさんの家にお邪魔した時に、オークちゃんがたまたま、パソコンのパスワードを解いたのを閲覧して知りました」
匂いを探し当ててようやく会えたのがうれしいのか足元で尻尾を振り喜んでいるオークを見て。
「なかなかやってくれるな」
ハクヤはオークを抱きかかえると、オークは申し訳なさそうに鳴くと。
「……別にいいさ、遅かれ早かれ、分かることだったしな……さてと、ユリナ一緒に来るか?」
ハクヤはオークを降ろすと、彼女に聞く、問いかけても意味のない事だったが、聞かなければならない質問だった。
「はい、そのために来たんですから」
大方、自分を説得に来たのだろうとならば何を言っても無駄だとハクヤは逡巡すると踵を返して、隠れ家に帰ろうとする。
その場にとどまる時間が長すぎたのか――誰もいないような公園に明らかに場違いなスーツを着た連中が現れるとハクヤは辟易したのか、ため息を漏らし、いささか平和ボケしすぎたかと、自分自身に飽きれた。
「ハクヤ・ミレイグさま。貴方が聖十字教会の情報を漏らしたとの嫌疑が掛かっております。ご同行をお願いできますか?」
丁寧な口調ながらも、教会の関係者の連中は前と後ろに立ちハクヤの退路を塞ぐ――ハクヤは観念したのか両手を上げて。
「よく。こんなところにいるのが分かったな」
「大人しくしていれば、すぐにあなたの嫌疑は晴れます」
こちらを懐柔するような語り掛ける教会の関係者を無視して、ハクヤは近づいてきた手勢の数を確認すると。
「ユリナ‼ そこのチビを抱きかかえてろよ‼」
ハクヤは声を出すとともに、溜めていた力を解放し、ユリナの手を握り抱きかかえると走り出した。
「逃げるぞ」
「逃がすな‼ 追え」
ハクヤが駆け抜けると同時に、教会の部隊の何人かが動き出して、ハクヤの後を追ってきていた。
いかにハクヤが優れた人間でもこちらは、人を一人抱えている。どんなに足が速くても追いつかれるのは必然である。
「このままじゃ追いつかれます‼」
お姫様抱っこという形で抱きかかえられたユリナが叫ぶ。
「いちいち心配するな。もう俺の正体は露見しているんだろ……なら」
ハクヤは集中して、降霊の呪文を唱える。
「聖霊の名において、命ずる我が四肢に宿れサリエル」
ハクヤが自身の足に天使の力を宿らせると、彼の足に紋様が刻まれる。
「さてと」
降霊術を行使できるものにのみ許された教会の奇跡、伊達に裏切り者の称号を
背負っているわけではないのだ。
ハクヤは適当な建物を見つけて三メートル以上飛ぶと、そのまま韋駄天のごとき俊敏さで駆け抜けて、追ってを振り切った。
「ここまで来れば、大丈夫だな」
ハクヤは隠れ家の近くに来ると、ユリナを地面に降ろして、息を切らしなが
ら、壁に背を掛けて体を休めていた。
住宅街というのは、一度見失ってしまえば、探し出すのは非常に難しい。
ましてや、ハクヤたちが今いる場所は入り組んだ商店街のようになっており少々発見されにくい場所だった。
「……私、男の人に抱っこされたの初めてです、それも街中で……」
ユリナは相当に恥ずかしかったのか、顔を真っ赤にして両手で隠していた。
「だが、少し無理をしたな。ツケがそろそろ回ってくるころだ」
ハクヤは痙攣しているふくらはぎを抑えて、一生懸命マッサージをしていた。
ハクヤがいくら降霊術で天使の力を降ろしていると言っても、元が人間の体なので、無理をしたのが巡り巡って自分に帰ってきただけの話である。
軽自動車にトラックのエンジンを積んで運転しているようなものだった。
「あれが、ハクヤさんの降霊術なんですね……私、降霊術なんて初めて見ました。それも名の冠した天使を降霊させるなんて……凄いです」
ユリナは純粋にハクヤの降霊術に感心しているのか、賛辞の言葉を送った。
「あんなものは、誰にでも出来ることだ。そんな褒められるようなもんじゃないさ。それよりも場所を移しかえるぞ。おたおたしていたら、また連中がくるかもしれない」
彼は、痛む足に苦悶の表情を浮かべながら、すぐ近くにある隠れ家に場所を移そうとしていた。
隠れ家に着くとハクヤは体の緊張を解いて、ゆっくりと腰を下ろした。
「ようやく、落ち着ける場所に戻ってきたな」
彼は一息つくと、何やら台所で家探しをしている女性が少し気になったが――今は、体を休めることの方が重要だった。
ハクヤはユリナが台所と二畳半程しかない、この狭い家で何をしようが関与する気はなかったが、こちらに話しかけてくるとなれば別である。
「私、ハクヤさんに渡すものがあったんです」
彼女は何かを思い出したように、持っていた大柄なバッグの中から、ハクヤの愛刀を差し出した。
ハクヤが逃げ回っているときも、ずっと大事そうに持ち離さなかったもの。
「大事な物なんですよね?」
ユリナが差し出してきた愛刀をハクヤは鞘から刀身を抜き出して握ると。
自分の愛刀の感触を確かめるように何度も握りなおす――ダマスカス鋼特有の紋様が煌めき主の元に戻ってきたのがうれしいのか、なおその紋様を輝かせた。
「嬉しそうですね」
ユリナに言われて、自然と口元が緩んでいるのに気付いた。
「ああ。嬉しいさ」
嬉しくないわけがない――例え道具といえど、自分の命を何度も救ってくれたものに愛着が湧かない道理はなかった。
「それじゃあ、私は食事の準備をしてきますね」
ハクヤの嬉しそうな表情を見れたのが、嬉しいのかユリナは立ち上がり、何処から持ってきたのかエプロンをして、鼻歌を鳴らしながら台所に入っていった。
ハクヤは彼女の鼻歌を子守歌代わりにして、少し目を瞑ると――目の前に、湯気の立っているご飯が出来ていた。
ニコニコしながら、自分の寝顔でも見ていたのだろうか、だとしたら少し迂闊というより、それほどに心を許しているのだろうか。
「どうしたんですか?」
相変わらず、変わらない笑みを浮かべるユリナに対して、ハクヤは無口を装うとしたが、彼は、思った事を口にした。
「いや、もし立場が逆だったなら、俺はここまで心を許していたんだろうかと考えていてな」
ハクヤの言葉に考えさせる余地があったのか、ユリナは顎に手をやると。
「もしも、そうだったとしても、きっとこうなっていたと思いますよ」
彼女は確信をもって答えた――何の確証があっての自信なのだろうか、彼女の答えは現実主義者の自分に対して真逆かもしれないが。
「そうだな、俺もこうなっているかもしれないという予感がある」
――そう、たらればの話をしても無意味なのだ。現時点でこうなっている以上立場が逆でもこうなっていても、何もおかしくはないのだ。
「……食べないんですか?」
狭い部屋にちゃぶ台のテーブルに並べられた彩られた料理は少し質素なこの家には場違いな料理だった――鶏肉の香草焼きに味噌汁、ご飯に副菜が二品と。
「一汁三菜か、バランスが取れた食事だな」
主菜に劣らず、副菜のホウレン草のお浸しに、牛蒡と人参の金平などが、丁寧に盛り付けられている。
「ユリナ、飯を作ってくれるのはありがたいんだが……一ついいか」
ハクヤは罰が悪いのか。頭を少し掻いて。
「ここは、俺の家なんだが……」
そう、客人をもてなすのは自分の役目なのだ、と言っても今更遅いのだが。
彼女は今頃気づいたのか。ハッとした表情になり頬を緩ませると。
「そうですね」
二人は顔を見合わせて、笑った――二人の隣では、少し先に食事をとったのか、お腹が一杯になって気持ちよく寝ているオークの姿があった。
――終わりは何にでもやってくる――生きている限り誰にでも終わりはやってくるのだ。それが遅いか早いかの違いである。
人によっては三日程の時間だったのだが、獣によってはどうなのだろうか長いのだろうか、特にそこに居座って、火薬の匂いが嫌いなのか、ハクヤが点検をしている。旧時代の遺物。
一世紀半以上も使われていた、鉄の遺物、自動式拳銃と呼ばれM1911の名で1911年に制作された銃は、実に半世紀以上もサイドアームとして信頼されていた銃である。
オートカートリッジ『自動排出』システムが正常に作動しているか誤作動はないかなどと、点検をしながら、安全装置を外す。
早朝前に出発する予定なのか、ハクヤは装備の確認をすると、目の前で悲しそうな顔をしている女性に目を移すと。
「どうしても行くんですか?」
「……ああ、それが俺の仕事だからな」
「引き返すことは出来ないんですか?」
これから、自分の父親を殺しにいくという男に対して、まだ自分の心配をしているのか。なにを言われようと、ハクヤは自分の決めたことを変えるつもりはなかった。
彼女が父に言ったというのなら、情報を漏らしたのは、彼女の父親だろう――恐らくは魔術協会と聖十字教会の二つの部隊が自分の事を今も探し回っているに違いない。
ハクヤは眼前に移る女を視界から外すと、腕時計を見て。家の電気を消した。
真っ暗な暗闇の中で時計の針の音だけが、ゆっくりと進んでいく中で、オークの目がこちらを向いており、闇夜の中で獣の目だけが光を放っていた。
ユリナは暗いのが嫌なのか、魔術で少しだけ明かりを灯しだすと、何をするのか、布の擦り切れる音が聞こえてくる。
自分を止めようとするために、何かしでかそうというのか、どれだけの魔術を行使しようとハクヤには彼女が動く前に止める自信があった。
完全装備の自分と僅か二畳半の狭い空間に閉ざされた――お嬢様、勝敗は火を見るより明らかである。
だが、ユリナはハクヤの思惑外のやり方でハクヤを止めにかかった。
「……あまり見ないでください。男の人の前で服を脱ぐのは初めてなんです…」
ユリナは、真っ白い肢体をハクヤの前にさらけ出すと、彼女は白い肌を下着の部分を隠すように手で隠しながら、顔を赤らめていた。
ハクヤは彼女の美しい体に目を奪われていた。その白い肌の優しさが詰まっている胸とすらりとした腰と白い下着から見える脚線美の細い足と水色の髪が、僅かな光を吸収して光沢を放っているようにも見えた。
「……私を抱いてください」
まさか、こんな展開は予想してなかったのか、ハクヤは彼女に対して少し憤慨しているのか。
「自分が何を言っているのか分かっているのか?」
「……はい。だから行かないでください」
彼女は懇願するように上目遣いでハクヤを見た。
ユリナの潤んだ瞳を見て、ハクヤは自分が持っている覚悟が少し揺れ動いたのを自覚すると、もう一度唇を噛みしめて、細い体を抱き寄せて彼女の頭を抱きかかえて、自分の胸に引き寄せ。
「……すまない」
彼女にだけ聞こえる声で呟いた後に、ユリナの気を失わせると自分には出来なかった願いを彼女に託した。
「俺の代わりに幸せになってくれ」
ハクヤの言葉を聞いてもなお、憐憫の眼差しを向けてきている女性にハクヤは敬意を抱いていた。
「悪いな、こんな生き方しかできなくて……」
不器用な生き方しかできないのかハクヤは自分がアナログ古いタイプの人間なのかもしれないのかと、ユリナに上着を掛けながら優しく寝かせると。
「それじゃあ。行ってくるから、ご主人様をよろしくな」
ユリナの頬を舐めた後に自分を不安げな眼差しで見つめるオークの頭を乱暴に撫でると。
ハクヤは表情を鬼のような凶相に変化させて、拳を握りしめる。
菩薩のような女性が、もしかしたらとハクヤは思う事がある――だが、それは決して考えてはならない事だった。




