「それぞれの行くべき道」
嘘のつけない人間がいない事は知っていた――ただ嘘を付いている人間は偽るのが上手だという事だ。
自分を偽り、身分を偽り何もかも嘘で塗り固めていくと、自分が、かつて何を願っていたのかも忘れてしまうのである。
もしかしたら、自分も既にそうなっているのかもしれないと、感じていた。
何やら、最近ユリナの様子がおかしいと魚の骨が喉に引っかかたような、不快感に苛まれながら、彼女の表情を見ると、気まずそうに少し目を逸らされた。
別に目があったら逸らされてもおかしくないし、気のせいだともいえるだろう、だがハクヤはスパイである、気の所為なんて事があってはならない。
石橋を叩いて渡るほどの慎重さがなければ、スパイなどは務まらないのである。
失念していた者がどうなったのかはハクヤも知っている。いつもの日常なのだが、何かが歯車が狂っているとハクヤは感じながら、学院の授業中でもあるに関わらず。
突然の急な上司の呼び出しに学院を早退して切り上げて、バテウスに会いに行く。
立場上はあまり、目立つことはしたくないのだがしょうがなく、会いたくもない男に会いに行くべく、するりと学院を抜け出した。
バテウスはスーツ姿に帽子をかぶり、これから仕事にでもいくような格好だった。
「久しぶりだな」
時刻は朝の十時ぐらい、まだ誰もいないような時間帯に二人は、公園のベンチに座ると。
「一つ貴様に朗報がある。貴様の標的が護衛もつけずに一人になる時間帯が判明した」
ハクヤはさっさと切り上げたいのか、用件だけを聞こうとしていた。
「それはいつだ?」
ハクヤはバテウスに確信を迫る。
「せっかちな奴だな、貴様は。まあいい、期限は一週間後だ……確実とはいえん
が、その日は、バテウスの女房の誕生日だからな……来るとしたら、恐らく早朝だろう」
ハクヤはようやくかと、汗をかいた手を握り締めると。
「……ようやくか」
余程、待ちわびていたのか、感慨深く表情を変化させると、次のバテウスの言葉でハクヤの表情は苦虫を潰したような表情になる。
「まさか、きさまは儂がそれだけの為に来たと思っているのか?」
含みを秘めたバテウスの言葉にハクヤはバテウスの方を振り向くと言いにくいのか、バテウスは、少し押し黙ると。
「なんだ。言いたいことがあるなら、はっきり言え。いずれ分かることだぞ」
「ならば、はっきりと口に出して言ってやろう……貴様の情報が、学院に漏れた……」
ハクヤはバテウスの言葉の意味を理解するのに、少々の時間がかかった。
「…な……ん……だと」
ハクヤはゆっくりとバテウスの方に振り向くと、性質の悪い冗談とでもいうような目で見ると、バテウスは首を振り。
「事実だ。既に教会の部隊が、ここに向かっている」
余りにも突然の出来事にハクヤは歯ぎしりをすると。ハクヤは声を張り上げてバテウスに用件を聞いた。
「何処から漏れた‼! いやそんなことはどうでもいい‼! アンタの権限でどうにかならないのか?」
バテウスは、物事が上手く回っているのか口を歪めて笑うと。
「六科学院のエイシュンの首と引き換えに、貴様の身の安全を保障してやろう」
「それが、アンタの条件か……いいだろう」
ハクヤは結局やることは変わらない事を理解すると、颯爽とその場から離脱した。
バテウスは舞台が上手く回っているのが、嬉しいのか。
「……さてと、これで舞台は整った。後は幕を引くだけかの」
ハクヤが去った後にすぐに、聖十字教会の部隊が、魔術協会の連中に先んじようとハイエナのように集まってきた。
この行動の早さはさすがというべきか、ハクヤが去ったのと同時にカテドラルの大司教であるバテウスの前に集まってくると彼に問いただした。
「こちらでしたか、してあの男は今どこにいますか?」
「まあ、そう慌てるな、こちらが動くのは、少し待ってからでもよかろう」
「いくら、カテドラルの大司教といえど、裏切り者を庇うと、碌な事になりませんよ」
立場上はバテウスが上とはいえ、彼らは教会から、切り離された独立した部隊である。
裏切り者を裁くために組織された教会の異端審問官部隊――『ヘレティックス』異端者を異端が裁くという、なんとも皮肉の聞いた部隊だった。
「まあ、聞け儂に良い考えがある」
バテウスは、異端者の部隊に一計を案じて、自分の話を聞かせた。
―――
――――
「……はあ」
ユリナは一つ空いている席を見て、ため息を漏らした。
「……ユリナさん。退屈なのは分かるけど集中しないと駄目ですよ」
学校での授業中に担任のレイナに注意されると、ユリナはシュンとなり、落ち込んでいた気分をさらに落ち込ませた。
(もう、見てらんないわね……あいつは何をやっているのよ‼)
リンカは胸中で、もう三日も休んでいるハクヤに憤慨して、手を握り締めて、
表せない怒りを声にして、机を叩くと。
「リンカさんも、突っ込む相手のハクヤさんがいないからって静かにしてくださいね」
クスクスという笑い声と共に、リンカは顔を真っ赤にすると。
(くううう。これもそれも、全部あの馬鹿がいないからこんなことになるのよ……)
今はいないハクヤに恨みをぶつけようと思っていた。
そのあとに――少しの時間が経ち学院の授業が終わり、ハクヤと親しかったもの達が集まると。
「どうしてあいつは急に学院に来なくなったのよ?」
リンカがユリナに尋ねるが、ユリナは心当たりがあるのか、顔を少し憂鬱そうにして。
「……ごめんなさい。ちょっとあたしにも分からないです」
ユリナはハクヤの正体を知っていた――だが、彼女はそれを言うわけにはいかなかった。
言えば、彼は二度とここには戻ってこないだろう。
あの人は勘が鋭い人だ――どんなに隠していてもすぐに気づいてしまうだろう。
ユリナの脳裏に過ぎるのは、もしかしたら、あのひとの身に何かあったのかもしれないという事だった。
「私、帰りにハクヤさんの家に寄ってみようと思います」
「ユリナ‼ あの仏頂面の家を知ってるの?」
ユリナがハクヤの家を知っていることにリンカが驚くと。
「はい。この間、お邪魔しました」
「それで……どうなったの?」
「……やったんか?」
話を黙って聞いていたロバートが藪蛇の如く、ユリナに尋ねようとすると。リンカがロバートの頭の上に拳を叩き込んだ。
「あんたねえ。どういう状況か分かってんの?」
「いたたたたたた。なにもグーで殴ることはないわな」
ロバートが頭を押さえ涙目になりながらも、ユリナに真相を問いただそうと全員が彼女の顔を見ると。
ユリナは、顔を赤くさせるのではなく、どこか悲痛な表情をすると。
「いいえ。何もなかったです……ただ、」
ユリナの言葉が発した最後の呟きは誰にも聞き取られなかった。
(嘘をついているのが、悲しかっただけです)
そう。それだけが悲しかった――自分に嘘をついて、何処からどこまで本当か嘘なのか分からない人。
そして、嘘をつくのは彼女にとってもつらい事だった。
「……やっぱり、なんかあったのね」
ユリナのつらそうな様子で、リンカは何かを察したのか。
「このまま、何もしないってのもジリ貧だし、全員であいつの家に行ってみましょうか」
リンカの鶴の一言に全員が頷くと、ハクヤの家に赴くことにした――だが、彼ら
はそこで、信じられない光景を目にすることとなった。
――ユリナに案内されて、ハクヤの古ぼけたアパートに行こうとしていたが、彼女らは何かが壊されている光景を目にした。
「……そんな……」
信じられないという表情をしているのは、ユリナであった、彼女は自分の見たものを確かめるために、血相を変えて走っていく。
「なんで‼ なんで‼」
余りにも血相を変えて走っていくユリナを心配してか、リンカたちが追いかけていく。
そこには、ハクヤが住んでいたアパートが壊されている光景があった。
「どうしたの? 血相変えて走って、この壊されている建物に何か用でもあったの?」
リンカは膝をついて項垂れるユリナの肩に手をやり。
「ここにあったんです……ハクヤさんの住んでいる家が…」
ユリナは泣き崩れて、彼がもう戻ってこないのかもしれないと思うと涙が止ま
らなかった。
「嘘でしょ」
リンカはユリナの泣き崩れる様子から、現在崩れている建物がハクヤの住んでいる家だと理解すると、どうすることも出来ないのか。
彼女らは、黙ってるわけではなく何とか手がかりを探そうと、見物に来ていた大家らしき年老いた老婆に話しかける。
「すいません。ここに住んでいた。ハクヤ・ミレイグという人を知りませんか?」
老婆は耳が遠いのか、耳に手を当てると。
「いんや。ここには誰も住んでいないよ」
ユリナは老婆のいう事が信じられないのか。
「そんな事ありません‼ この間まで、ハクヤ・ミレイグという人が住んでた筈です。思い出してください」
老婆は記憶を思い返しているのか、手を叩くと。
「ああ、そういえば、結構前に面倒な手続きが嫌だから、取り壊すまでの間に一部屋借りたいって結構な金を持ってきた人がいたねえ」
「その人は、今どこにいるか分かりますか?」
「お嬢ちゃんには、すまないけど、私には分からないねえ……お嬢ちゃんは、あの男の恋人かなんかかい?」
質問をしてくる老婆にユリナが少し逡巡して答えた。
「……違います。違いますけど、私にとって大事な人なんです……だから、会わなくてはいけないんです」
手がかりは、既にないのかもしれない――でも諦めるわけにはいかなかった。まだ何も終わっていないのだから。
ユリナの必死な姿を見てか、老婆は何とかしてやりたいと思ったのか、何かないかと探し出すと、ユリナに小さな布きれ渡した。
「あの男が、使っていた部屋のカーテンの残りだよ。こんなものしか残っていなくて悪いわねえ」
老婆はそれだけ渡すと、建物が完全に取り壊されたのを確認すると、その場から去り帰っていこうと重いからだを動かして杖を突いて帰ろうとしていた。
「おばあちゃん。どうして私に親切にしてくれたんですか?」
老婆は昔を思い返すように空を見上げると。
「なに、昔は私も貴方と一緒で必死だった時があってね。そういうのを見るとなんだか手助けしてあげたくなってしまうのよね」
「ありがとうございます」
お礼を言うユリナをよそに老婆は去っていくと、ユリナは少しだけ希望が出来たのか、空を見上げると
「ハクヤさん。私諦めませんから」
ユリナは隣にいるリンカと、周りにいるみんなに声が届くように。
「みなさん。今日は付き合ってもらって悪いんですけど……今日は、もう遅いですしこれで帰りましょうか」
リンカは納得できないのか、ユリナに抗議する。
「ちょっと待ってよ。ようやく手がかりを得たんじゃないの。その布の匂いをオークに嗅がせれば、何とかなるんじゃないの?」
確かに、オークならハクヤの匂いが付いた布切れがあれば彼を探し出せるかもしれない。だが、それには、相当な時間がかかるのは分かっていた。
「確かにオークちゃんに頼めば何とかなるかもしれません」
ユリナが、オークの頭をなでると子犬のオークは気持ちがいいのか、表情を緩ませて、何食わぬ顔でユリナを見つめると。
「オークちゃん明日お願いね」
オークはユリナの返事を了承したのか、ワンと吠えると。
「オークちゃんもこういってますし、ハクヤさんを探すのは明日、学校が終わってからにしませんか?」
ユリナは微笑みながらも、頑として譲らない態度でリンカに言うと、彼女は諦めたのかため息を吐くと。
「しょうがないわね。その代り明日絶対よ‼! ほらアンタたちもぼさっとしてないで帰るわよ」
リンカは切り替えが早いのか手を叩いて、サンタとロバートに当たり散らすように言うと。
倒壊したアパートを背にして、少し古びた住宅街を背にして、帰っていくとこにする。
サンタとロバートは、無駄足だったのが気に入らないのか。
「なんだよ。結局無駄足かよ」
「そうやな、骨折り損のくたびれ儲けってとこか」
二人して無駄口を叩くと。
「アンタたちなんか文句でもあるの?」
リンカは二人を睨むと。
「「なんでもねえよ」」
サンタとロバートの二人は珍しく声が一緒になりハモると、顔を見合わせて。
「ハモってんじゃねえよ‼!」
二人は仲が良いのか、悪いのかどっちなのかよくわからなかった。
「アンタたち五月蠅いわよ‼」
にぎやかな三人のなかでユリナは申し訳なさそうに呟いた。
「みなさん。ごめんなさい……」
日付が変わり、次の日の早朝になるとユリナは荷物を持ち、リンカの携帯に連絡を入れた。
『申し訳ありません。もしかしたら自分の所為でハクヤさんがいなくなるかもしれないので、一人でオークちゃんと一緒に探しに行ってきます』
『昨日はどうもありがとうございました……もしかしたら、しばらく学校も休むかもしれません』
そう、ハクヤが学校に来ないのは自分の所為かもしれないのだ――彼女らまで、付き合わせるのは、お門違いというものだろう。
「それじゃ。オークちゃん行きましょうか」
ユリナは少し重い荷物を手に使い魔のオークと共に、朝の穏やかな光を浴びて出かけた。
もしかしたら、何もできないかもしれない、でも動かないのだけは嫌だったのだ。
ただ、それだけの理由で彼女は、自分の世界を変えた人に向かって進んでいった。




