『第十六話 互いが互いを』
「ごめんなさい……ごめんなさい」
誰かが自分に謝っている声がする――意識は深い水の底にいるみたいなのに、響いて聞こえてくるのは、その女性の声を知っているからだろうか――深層の意識からハクヤは自分を、この世界から呼ぶ声に引っ張られると、咳を吐いて意識を覚醒させた。
「ここは、何処だ……?」
天井の蛍光灯の光が眩しく、辺りを見回して、学院の医務室だと確認すると、隣で喉を鳴らしながら泣いている女性を落ち着かせようと声をかける。
「どうして、アンタが泣くんだ。アンタは何もしていない、引き金を弾いたのはサンタの方だろう……むしろあんたは被害者の方だ」
「違うんです」
否定するように彼女はかぶりを振ると。
「全部私の所為なんです……私、感情が高ぶると制御できない獣を召喚してしまうんです」
ハクヤはようやく合点がいった気がした。彼女がどうして自分に力を恐れているのかを、自分が制御できないものを本質的に人は恐れるようになる。
「ようやく、アンタが召喚術を嫌悪する理由が分かったような気がする……結局は、俺は分かった気になっていただけの事だったな」
自分に皮肉を聞かせて、ハクヤは背中に掛けていた刀剣がないのを、背中の感触で分かると、自分の得物を急いで探しに行こうとするが――体があまりいうことをきいてくれずに、少し動かそうとするだけで、刺すような痛みが全身に流れる。
「動いたら、ダメですよ……心臓が止まっていたんですから、良く生きてたって学校のお医者さんが言ってましたよ」
ユリナが動こうとする、ハクヤを押し止める――ハクヤは、そう簡単には自分の正体が暴露するとは思えないが、万が一という事もあり、早く探しにゆきたい衝動に駆られるが、体が動かないのでは話にならない。
――頭の中でもどかしいと思いながらも、ユリナを横目に彼女の下を表芸大会の事が記憶に通り過ぎた。
「……そういえば、大会はどうなった?」
「……りんかちゃんも私もハクヤさんも、全員失格ですって……時間を守り切れないものに与える栄誉はないですって」
「……そうか」
ハクヤは、長い溜息を吐くと、額に腕を置いた後に、やりきれなくなったのか腕を頭の上に置いて、どうしようかと試作していると、俯いていたユリナから音がこぼれた。
「……どうして、私、何やっても上手くいかないんでしょうかね」
彼女は酷く疲れたのか、深い憂鬱の表情をしていて、いつもの明るい覇気がなかった。
「……私、学校辞めようと思っているんです……お母さんも私の所為でいなくなったし、なんだか疲れちゃいました」
ユリナが吐露した、告白をハクヤは受け止めると。
「悪いが、母が死んだという話の続きを聞かせてくれるか……すまないが、どうしても気になるんだ」
ハクヤは手を握り締め、彼女の慟哭の叫びを聞きたくなった。
「……分かりました」
「……私のお母さんは厳しい人で、私の魔術の師匠みたいな人でした……よく私に『貴方もいつか立派な魔術師になるんだから』っていうのが口癖でした」
「お母さんは私に召喚術の才能があると、それを本格的に鍛えあげようとしました」
ユリナは、よほど忌々しい出来事があるのか、膝の上で手をギュと握り締めると。
「……お母さんは、私に飛びぬけた才能があることを知ってか、異世界の門から幻獣、神獣と呼ばれたものをよびだそうとしました」
「……もしそれらが、制御できたなら――」
「莫大な利益と富を生み、収集家どもが嬉々として喜ぶだろうな……」
ユリナが続けようとした言葉を白夜が代弁して、ユリナが物語を続ける。
「……そして、ハクヤさんが倒れていた体育館で一つの実験が行われました」
ユリナはその時の状況を回想する。
「お父さんとお母さんが…それに教師陣、大学の教授たちもが集まり、ありとあらゆる観測器が置かれて、私が異世界の門を開くことを検証しようとしました」
「ハクヤさんも知っていると思いますけど」
魔術の理論が科学的に検証されてきており、召喚術というものも、理論的に証明されようとしていた。
召喚術というのは、魔方陣や魔術の力でワームホールと呼ばれる穴を広げて異世界から、幻獣や神獣を召喚するというものである。
だが、現実には異世界からの召喚などは、出来る人間は皆無となっており、例え成功したとしても、地球に存在している生物の召喚が精一杯である。
そして、ワームホールの穴というのは、人間の目にも見えないために発見されたことはあるが――それらが本当に存在しているのかどうかは、誰にも分からない。
一説には、天の川の中心に強大なワームホールがあるとされているが、それは誰にも分からない。なぜなら誰もそこに到達することは出来ないし、人間の目ではワームホールは確認できないからだ。
そうして、学校のありとあらゆる観測系がユリナの周りと魔方陣の前に置かれて、ワームホールの穴をあけた瞬間をとらえようとしていた。
「……私は、みんなの期待に応えようと、力を制御しないで、召喚術をしました……そして現れたのは、ヒュドラのなりはての怪物でした」
ユリナはあの時の光景を忘れることはないだろう。
彼女が召喚したものは、ドラゴンのような体躯をしているのに足は犬の足で尻尾は牛のようで――中でも最も醜悪だったのが、ギリシアに登場するヒュドラのように鎌首みたいになっている頭部は三つに分かれており、ライオン、蛇、その中でも特に醜悪だったのが真ん中に生えた頭が人の頭部を模したような頭だったのだ。
観測系の機械は、全てが計測不能の数字をたたき出して、役に立たなかった。
「あまりにも醜悪な姿に、その場にいた全員が悲鳴を上げました……私はあまりの出来事に呆然となっていてその場に立ち尽くしていました」
つぎはぎで作られたような生物にユリナは――決めていた覚悟が一気に崩れ落ちた。
例え制御できなかったとしても、ギリシア神話や東洋に登場するような神秘的な獣が現れると期待に浮かべていたのに目の前に現れたのはあまりにも醜悪な体高が六メートル程もある希望とは、あまりにもかけ離れた化け物の姿だった。
化け物の頭部に生えた人間に酷似した何かが口元を歪めて自分を見つめると、彼女は生理的な嫌悪感を催すと、全てを拒絶するような悲鳴を上げた。
「……私は全く動けませんでした……その時にお母さんが割って入ってきて……」
ユリナは、その時の光景を生涯忘れることはないだろう。
「なにをぼんやり突っ立っているの‼ 早く逃げなさい‼」
それがユリナの聞いた、母の最期の響きだった――鎌首をもたげるように動き出した醜悪な獣が、ユリナの母親の上半身に食らいついたのだ。
左半身の心臓と重要な臓器が詰まっている部分がぽっかりとえぐり取られたようにーーなくなった母の姿を見てユリナは絶叫を上げて気絶した。
「……それから、私は病院で目覚めると、父が全てを処理したのか分かりませんが……何のお咎めもなしだったそうです」
「そして、怪物の正体ですが……あれらは全てこの現代で探せば手に入る生物の構成体で構築されていたみたいで、全くの価値もなかったそうです」
ユリナは手を震わせて、ポロポロと涙を零して自分が許せないのか。
「……私はショックで半年間学校を休んで留年しました……何の役にも立てなくて、罰も受けなくて、半年経ったら……何事もなく学校に通って、そんな自分があまりにも情けなくて情けなくて……」
「……お母さんが死んでも、お父さんは一言もいわなくて……」
ユリナは溢れた感情が止まらないのか、嗚咽を漏らしながら泣いていた――ハクヤは目の前で泣いている女性の姿を、これ以上見たくなく、何とかしてやりたいという衝動に駆られた。
ハクヤは動かない体で、彼女の手を掴むと動かない体を無理やり動かして彼女を抱き寄せた。
「きゃ」
ハクヤは彼女の折れるような細い体を抱きしめると、ゆっくりと彼女の鼓動に合わせて深呼吸をした――もし、ここで彼女に拒絶されるなら、それまでの話だったというだけである。
自分は地獄に落ちるべき人間なのだろうだが――ハクヤは『工藤優里奈』という女性に対して敬意を抱いていた。
初めて、彼女を見たときに見せてくれた笑顔――きっと自分は一生かけてもあんな風に笑う事が出来ないだろう。
奇跡も愛も救いもない絶望に彩られた世界で輝くように笑う事が出来る人――もしこれが恋なら、きっと自分は馬鹿なのだろう。
馬鹿は馬鹿らしく、彼女が過去を吐露したようにスパイにとっての禁忌である、自身の過去を暴露するという暴挙にハクヤは出る。
「……もしも、嫌じゃなければ……少し昔の話をしていいか?」
抱きしめられているのが嫌じゃないのか、彼女は何も言わずに頷くと。
「昔、有名な魔術師の家に一人の男が生まれた……母親は体の弱い人でようやく生まれた長男は何の障害もなく……いずれは大成するとこも出来る天秤を持っていた筈だった」
「だけど……その生まれてきた子供には決定的な楔があった……あるはずの物を持って生まれなかったんだ」
「……何がなかったんですか?」
ユリナがハクヤの胸に顔を沈めたままに尋ねる。
「簡単な話だ。そいつは母を子供の産めない体にして、生まれたにも関わらず……魔力を持って生まれてこなかったんだよ」
ハクヤは忌々しく口にして続きを語り始めた。
「才能を持たなかった子供にようはないのか、その父親は妾の女を孕ませると……皮肉な事に、その生まれた女の子は、長男が持つべきだった魔力の才能を全て引き継いで生まれてきた」
「代わりが出来て用がなくなった、長男と実母は段々と居場所をなくし隅に追いやられるのに時間はかからなかったよ」
ハクヤは自嘲気味に、終わりが近いのか口調を強めて。
「……そして、そのガキは七歳になる直前に、実の父に絶縁状を渡されたよ」
「親父は、言ったよ『お前がこの世に生まれてきた痕跡は抹消した』ってな」
「……酷いです」
ユリナはハクヤを知らぬうちに、彼の体を抱きしめる力を強めると。
「そして、そのガキは無一文で自分の住んでいる屋敷を、追い出されることになった」
「そのガキは、追い出された屋敷の門徒で自分をこの世界に生んでくれた人と向き合って自分に誓ったんだ……アンタが体を痛めて、生んだ子は間違いじゃないって……いつか立派な魔術師になって、母親を迎えに行くってな」
教会の任務の為ではない、ハクヤは昔、自身に誓った約束を守るために、この学院に来たのだ。
「その時に、母親からもらったのがこれさ」
ハクヤは胸に隠している朱い装飾が付いている首輪をユリナに見せると彼女は胸に埋めていた顔を上げてみると。
相当な魔力が詰まっている代物だと分かる。きっと彼の母親は、息子が立派になって帰ってくるのを今も待っているのだろう。
「素敵な夢ですね」
自分とは違う、本当に素敵な夢だった――彼はきっと誰よりも立派な魔術師になって母の元に帰るのだろう。
「でも私は――」
「工藤優里奈さん」
ユリナが否定の言葉を取ろうとすると、ハクヤが声を遮り。
「良かったら、俺と一緒にこの世界で生きてみないか? もう少しだけこの世界を信じてみる気はないか?」
「……私でいいんですか?」
「一目見たときから、アンタしかいないと思ってた」
「私は笑う事しかできない。女性ですよ」
「構わないさ。母親に捨てられた男と母を殺めた女性……俺と一緒に背負って生きていかないか?」
ハクヤがユリナの唇をふさいで、少し長い抱擁とキスをして、お互いを見つめあった後に彼女は出会った時のような微笑みを抱いて。
「はい。私と一緒に生きてください」
二人は抱き合って、お互いの温もりを感じあっていた。
今だけは、価値観も何もないお互いが、あるべき姿で必要としている――それだけで十分だった。
「ハクヤさん――私、幸せです」
自分は間違っているのかもしれない、もしかしたら、また
繰り返すのかもしれない、でも、この暖かな感じは嘘ではないと信じたかった。




