第6話 『究極』の意味
外に出ると、もうすっかり日が高くなっていました。おそらく正午前でしょうか。これから、またエルディナまで戻らねばなりません。麓の、馬を繋いでおいた場所まで、山道を下ります。
でも、この鎧に入っていると、きついはずの山道がいたって楽でした。身体は軽いし、暑くも寒くもないし──。それに、つい今し方気づいたことですけど、この鎧の中って、とっても快適なんです。入っていると、とっても気持ちいいんです。
何より不思議なことに、この鎧の中にいると、まったく疲れを感じないんです。朝からこれだけ色々やれば、そろそろ疲労を感じてしかるべきなのに──。ひょっとしてこれも、この鎧の機能なのでしょうか? これが『究極の装備』たる理由の一つなのでしょうか?
途中、あの、倒木が道を塞いでいる場所にさしかかりました。テウさんが先頭に立って、それを乗り越えようとしますが──。
「待ってください」
「何だ? レイミ?」
どうやらテウさんも、この姿の私を、「お嬢ちゃん」と呼ぶ気にはなれないようですね。
「ちょっと試してみたいことがあって」
そう言って、背中の剣に手をかけます。この鎧がただの鎧でない以上、持っていたこの剣も、おそらくただの剣じゃないはず。
「そういうことか……。よしやってみろ」
倒木の太さは、およそ50センチほど。到底、剣で切れる太さではありません。しかし、あの映像で見た通り、本当に岩を真っ二つにできるのなら──。
剣を両手で持ち、大上段に振りかぶります。本来、私の腕力では支えることすら難しい長剣が、まるで箸かペンのように軽く感じられます。
真上から振り下ろすと──さほどの抵抗も感じさせず、一撃で倒木は真っ二つになっていました。
駆け寄ろうとするテウさんたちを制し、切断された倒木に手をかけます。控えめに見積もっても数百kg、人間の力では持ち上がるはずのないそれを持ち上げ、道の脇へと転がしました。
「……さすがは動甲冑。大したものね」
「ゴーレムでも、この大きさでこれだけの力を出せるのは珍しいんじゃないか」
ミーニャさんとコペルさんのそんな会話を聞きながら、私は手応えを感じていました。これなら、かなり強い相手とでも戦えるのではないかと。
馬を繋いであった場所に戻り、ジェーンさんが私に、後ろに乗るよう促しますが……。
「いえ、大丈夫です。走ってついていきますから」
「えー?!」と呆れたように言う皆さんに、「今の私、人間では不可能な力を出せます。ということは、多分走る速さも人間よりずっと上でしょう。それに、不思議な話ですけど、この鎧に入ってから、全然疲れを感じないんです。だとすれば、馬について走っても平気かもしれません。それに、今の私、おそらくテウさん並みに体重がありますよ。そんな私がジェーンさんの後ろに乗ったら、馬をつぶす可能性大です。そんな危険は避けるに超したことはありません」。
そう言って、そのまま馬について走ってみたのですが……本当に、全然平気なんです。どんなに走っても、苦しくもないし、疲れもしない。暑さを感じることも無い。いくら走っても平気なので──とうとう、その日野営する、その場所まで走り通してしまいました。
野営の準備を手伝った後は、夕食の時間ですが……鎧を脱いだ時、相変わらず私は、まったく疲労を感じていませんでした。それだけではありません、夕食の席に着いた時、なぜかさっぱり食欲が湧きませんでした。おかしな話です。朝食を食べたきり何も食べていないのだから、結構空腹になっていてしかるべきなのに……。
「お嬢ちゃん、どうしたんだ? さっきから全然食べていないじゃないか」
コペルさんが気づいたようです。
「なんだか食欲が無くて…」。私は、そう答えるしかありません。
「…変ね……朝食べたきりなんだから、私たちは結構お腹が空いているし、それにお嬢ちゃんって、決して少食じゃないでしょう?」
そうなんです。私は本来、決して少食ではありません。大食というわけではありませんが、人並みには食べる方です。
「私にもわからないんです。でも本当に食欲が無くて…」
「変だねえ……」
結局それ以上食べられず、その原因も判らず、そのせいでいささか憂鬱な気分になっていたのですが……。1,2時間後でしょうか? ジェーンさんとミーニャさんが、私に声をかけてきました。
「お嬢ちゃん、少し頼みがあるんだけどね」
「頼み? 何ですか?」
「あの鎧を、ほんのちょっと、私たちにも使わせて欲しいの」
「はあ?!」
思わず、間の抜けた声が出てしまいました。それにかまわず、二人は話を続けます。
「言ってただろ? あの鎧、入っていると気持ちいいって」
「もちろん好奇心もあるんだけど……あの鎧の中にいる時の気分を、ちょっぴり味わってみたいのよ」
「はあ……それはべつにかまいませんけど……」
もちろん不安はありました。持ち逃げされるのではないかと。でも、さすがに堂々とそんなこともしないだろうし──断ると、今後にしこりを残しかねないし。
「ありがとう、じゃあ、ほんの少しだけ使わせてもらうよ」
男性二人には離れた場所に行ってもらい、鎧の背後で、まずジェーンさんが着ている服を脱ぎ捨てます。
「さて、この鎧の中って……どんな気分なのかしらね」
一糸まとわぬ姿で、そんなことを言っています。しかし、鎧に抱きつこうとした時です。一瞬バチッ!と火花が散って、彼女が「あ痛っ!」と悲鳴を上げました。
『えっ!』と思ったのは私だけではありません。ジェーンさん自身はもちろん、ミーニャさんもぽかんと口を開けていました。
「どうなってんだい!」。そう叫んで、今度はおそるおそる手を伸ばしますが──さっきより大きな火花が散って、あわてて手を引っ込めました。痛そうに顔をゆがめながら、もう一方の手でその手を押さえます。
「つ──! どういうことだよこれ!」。全裸のまま叫ぶ彼女。
「まさか?!」と言って、今度はミーニャさんが手を伸ばしたのですが──。やはり火花が散って、反射的に手を引っ込めていました。
『まさかそんな?!』。そう思って、私もあわてて手を伸ばします。ところが、私が触っても何も起きません。鎧は、まったく沈黙したままです。
「いったいどうなってんのよこれ?!」。ミーニャさんが、怒ったようにそう叫びますが──。
「どうって……見たままなんじゃないでしょうか」。私としては、他に答えようがありません。
「見たままって……つまり……。まさかこの鎧、一度誰かが使うと?!」
「そういうことなんでしょうね……。脱いでいる間に盗まれたり奪われたりしないよう、そうなっているんでしょう」
「……つまりこれは、もうレイミお嬢ちゃんにしか使えない。それどころか、お嬢ちゃんが入っていないと、他の者には、触れることすら出来ない。そういうことかい?!」
「そうなんでしょうね………。いえ、推測ですけど、『永遠に』じゃないと思います。何ヶ月か何年か使わなければ、最初の状態に戻るんじゃないでしょうか」
「はあ?!」
「どうしてそう言えるわけ?」
「この鎧を作った、その人の身になってみればいいんです。これだけのアイテムなのに、最初に使った誰かが死んだら、もう二度と誰にも使えない。永遠に、役立たずになってしまう……。それでは、あまりにも惜しいと思いませんか? あまりにも、もったいなさ過ぎると思いませんか?」
「なるほど……。でも今は、お嬢ちゃん以外、使えないわけよね」
「ええ、さすがは究極の装備──と言うべきでしょうね。いたれりつくせりの配慮です」
「なんてこった……」
ジェーンさんがそうぼやいています。しかし私にとっては、非常に嬉しい話です。この鎧を盗まれる心配、奪われる心配が、ほぼ無くなったわけですから──。もちろんそんなこと、顔には出しませんけどね。
その後、ミーニャさんが土魔法で作った小屋の中で、全員床に就きました。でも私、やっぱり眠れません。我ながら情けないと思うのですが、お姫様育ちの悲しさで、ちゃんとしたベッドでないと、満足に眠れないのです。
野営でそんなことを言うのは、贅沢だと解っています。解っているから、口には出しません。でも『眠いのに眠れない』このつらさは、どうにもなりません。粗末なものでもいいから、ちゃんとしたベッドが欲しい──。切にそう願いました。
これなら、あの鎧の中に入っていた方が、まだずっと快適なくらいで──。
そこまで考えて、はたと気がつきました。『待って? 鎧に入っている方が快適なのなら?』。起き上がり、その場ですべてを脱ぎ捨てます。
生まれたままの姿で、そばに置いてあった鎧に密着し、鎧の中に入ります。
その姿で、もう一度横になりました。期待した通り、普通に横になるよりも、この方がずっと快適です。私は、この鎧の美しい顔、その下で微笑んで、安らかな気持ちで眠りに就いたのでした──。
──誰かに身体をゆさぶられ、私は目を覚まします。見ると女性二人が、怒ったような顔で私を見おろしていました。
「いい加減起きなさいよ! とっくに日は昇ってるのよ!」
「まったくだよ。それも鎧に入ったままグースカなんて」
ばつの悪い思いをしながら外に出ると、確かにもう、かなり日が高くなっています。この世界に時計があるなら、おそらく午前8時を過ぎているでしょう。思いがけない快適さに、つい寝過ごしてしまいました。
「ところで、なんで鎧に入ったまま寝てたわけ?」
「普通に横になるより、その方が快適だったので……」
正直にそう答えると、二人は「理解出来ない」と言うように、目をぱちくりさせていました。
朝食の準備はすでに出来ていて、私も席に着いたのですが──なぜか昨夜同様、まるで食欲がありません。本当に、いったいなぜなのか──他の皆さんも不思議がっていました。でも私にも、なぜだかさっぱり判りません。まるで昨日から、お腹が空くだけの時間がたっていないような──そんな感じでした。
答えの出ない疑問に悩みながら、もう一度鎧に入った時──昨夜同様、はたと気づいたことがあります。『え? まさか? でも確かに、そういう魔法は──。それも、密閉空間の中でなら──。いえ、あの魔法、完璧なものを作り上げた人は、これまでいなかったはず。そもそも生き物には効果は無かったはず。第一、もしそうなら、私、どうして今、考えることが出来るの?』
もし、この想像が当たっているなら、とんでもないことですが──いくら考えても、かえって疑問が増すばかり。
結局今は、行動するしかありません。昨日同様、馬について走ります。目指すはエルディナ。早ければ、正午頃には到着できるはずでした。