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第1話 第二王女レーニ・ノエル・サラ・ルミニア

 その日、まもなく夕暮れという時間、森を走る馬車の中で、私は悔しくてしかたありませんでした。


『あと10年、10年あれば、なんとかなったかもしれないのに!』


 あと3~4年あれば、前世の知識を生かして、それなりの成果を出せたはずでした。そうなれば、父上や重臣たちも、私の言う事に耳を貸してくれたはずです。王宮での私の発言力が増せば、国を動かすことも出来たはずです。そうなれば、このような悲劇は起こさずに済んだかもしれません。あと10年あれば、なんとかなったかもしれません。


 しかしそれも、革命が起こってしまえばすべて手遅れ、すべてご破算です。今さら嘆いてもどうにもなりません。

 私──ルミニア王国第二王女、レーニ・ノエル・サラ・ルミニアは、半ば自己嫌悪に駆られながら、この世界に生まれ変わってからのことを、思い返していました。



 前世での私の──いや、俺の名は、進藤明彦、日本人だ。26歳の、東大大学院生だった。そう、日本の最高学府のだ。自慢じゃないが──いや、どうやっても自慢になってしまうだろうが──幼い頃から、飛び抜けた秀才だった。知的好奇心も極度に旺盛で、それゆえとんでもない博識だった。半ば冗談だろうが、「神童」と呼ばれたこともある。


 周囲の期待に(こた)えて東大に入り、もうすぐ博士号を取れるというある日──。ベッドに入って、目が醒めたら、この世界で赤ん坊になっていた。トラックにはねられたわけでもなく、崖から落ちたわけでもなく、急に気分が悪くなって倒れたわけでもないのにだ。


 いや、パニクったね実際に。自分の身体が赤ん坊になっていて、隣には、ややトウは立っているが金髪の美女──おそらく自分の母親だろう女性がいるんだから。


 自分が女の子だと知った時もショックだった。男として生きた26年は何だったんだろうと──。いや、身体が女になれば、女として20年も生きれば、心も女になり切れるのだろうかと。


 それ以上にショックだったのは、この世界がファンタジーのような世界だったことだ。いや、異世界だろうということは、わりと早く気がついていた。住民が明らかにヨーロッパ系なのに、今時ロウソクでの生活が当たり前の国なんて、あるわけないからな。

 本当に驚いたのは、魔法が実在する世界だったことだ。物理法則そのものが違う世界、魔法使いのいる世界が実在するなんて、この目で見るまで信じられなかった。


 驚いたことはまだある。自分の身分を知った時も驚いた。ここは王宮で、自分は王女なのだということを。ルミニアという国の王女で、上に兄が二人、姉が一人いることを。

 あれ? ちょっと待ってくれ? 四人兄弟の末っ子で──第二王女? そういう者の行く末といえば──言わずと知れた、政略結婚の駒だ。


 冗談じゃない! 男と、それも政略結婚なんかさせられてたまるか! そうならないためには──発言力を持てばいい。国にとって、必要不可欠な人材になればいい。両親も周囲も無理強い出来ないだけの、権威があればいい。

 幸い、俺には前世の知識がある。これを生かせば、それなりの成果は出せるはずだった。


 そうと決まれば、まずはこの世界を知らねばならない。2歳で言葉を、3歳で文字を覚えると、俺は王宮の書物を読みまくった。幸運なことにこの国の言葉は、俺が知る言葉に近かった。文字はアルファベットだし、文法は英語とドイツ語の中間というところ。どちらも前世で習得していたから、覚えるのにさほど苦労は無かった。


 その結果判ったのは、この世界の文明が、16,7世紀くらいのレベルであることだ。銃は存在するが、フリントロックのレベルだし、もちろん蒸気機関も無い。農業も未だ三圃式農業のレベルだ。これなら知識の生かしどころは充分ある。まずは農業改革だろう。輪栽式農業を導入し、肥料の工夫をすれば、食料生産の大幅な増大が見込めるはずだ。

 そして医療改革。俺には医学的な知識もかなりある。ほんの少しそれを披露するだけで、病気や怪我に苦しむ人々を、相当数救えるはずだ。


 そのころすでに「天才」と呼ばれていた──当然だろう、4つや5つの子供が、大人でも難しい本を、すらすら読みこなすのだから──俺は、そう楽観していたのだが──考えが甘かった。いかに天才であろうと、10歳にも満たぬ子供の言葉を本気で聞く大人など、まずいないのだ。


 しかも俺の持つ知識は、この世界の、この時点では机上の空論。実験的にも経験的にも、証明されていないことばかり。「その根拠は?」とか「証拠は?」とか問い返されたら、返答に窮することばかりなのだ。それでは当然説得力が無く、まともに相手してもらえない。


「なら、証明してやる」と意気込んだのだが──それすら、思うにまかせなかった。王女が土いじりなどしようものなら、たちまち侍女がすっ飛んでくるし、医学知識を伝えようにも、一人前の医師なら、当然それなりのプライドがある。幼い少女の言うことなど、聞くはずがない。


 まったく成果が無かったわけではない。前の世界でも、かつて問題だった産褥熱──女性が、出産時の傷から細菌に感染して起こる病気──。その多くは、医師が、外傷患者の治療の後で──化膿した膿などに触れた手で──そのまま出産に立ち会ったことが原因だ。医師が、自分の両手を充分洗浄・消毒していれば、防げる病気なのだ。実際に、医師たちにそれを徹底させることで、産褥熱を大幅に減らすことに成功した。もっともそれは、そうさせるだけの根拠が有ったからなのだが。


 この世界の医学は、治療は、魔法が中心だ。しかし、医者はいつでもいるわけではないし、どこにでもいるわけではない。そういう時の、外傷の応急手当の心得として、こういうものがあった。「傷口をきれいな水でよく洗い、強い酒をかけた上で、包帯を巻く」という。

 女性の出産時にも同じことが言えるのではないかと、思いつきを装って話したところ、半信半疑ながら試してくれた医師がいた。結果は大成功で、その後のルミニアでは、産褥で死亡する女性は大きく減ったのである。


 目覚ましい成果はこれ一つだったが、おかげで父も兄も重臣たちも、少しは俺の言葉に、耳を貸してくれるようになった。王宮の片隅に、小さな実験農場を作ることも認めてもらえた。しかし、医療改革はともかく、農業改革には時間がかかる。輪栽式農業の有効性を証明するには、最低2サイクル、8年は覚悟しなければなるまい。その後普及させることも考えると、10数年、下手すれば20数年がかりの計画になる。子供にとっては、気の遠くなるような話だった。


 それからの数年は、あわただしく過ぎていった。淑女の心得として、マナーやら社交ダンスやらを教えられた。そんなことに時間を使いたくない俺は、もちろん抵抗したけれど──。そんなわがままは、さすがに誰も許しちゃくれなかった。

 貴族のたしなみとして、剣と魔法も教えられた。こっちは俺も、かなり真面目に取り組んだんだけど──。「レーニ王女」に、その方面の才能は無かったらしい。どちらも教師からさじを投げられ、父上、母上を嘆かせる羽目になった。



 そうして俺が──いや「私」が13歳になった年、意識の変革を迫る出来事がありました。それまで王宮の外にはほとんど出してもらえず、出られたとしても、大貴族の屋敷まで馬車で往復するだけ。その年になってようやく、自分の足で外を歩くのを、許してもらえたのですが──。

 まさか、このルミニア王国が、こんなにも平民への差別がひどい国だったなんて。搾取がひどい国だったなんて。


 初めてこの目で見た平民たちの生活、そのあまりの貧しさ、悲惨さに、私は絶句しました。それが、具体的にどんなものだったかは言いたくありません。口に出すことに耐えられません。自分の目で見た光景が、聞いた言葉が、信じられないほどだった。これが現実だとは信じたくないほどだった、とだけ言っておきましょう。


 すぐ王宮にとって返すと、私はすぐ父に、母に、そのことを訴えました。平民たちを救わねばならない、と訴えました。ところが、父も母も兄たちも、まるで取り合ってくれません。いくら訴えても、相手にしてくれません。みんな、平民のことを、人間とは思っていないのです。搾取の対償としか、見ていないのです。家畜のようにしか、考えていないのです。

 父上など、「平民など愚か者の集まりにすぎん。王家と貴族に糧を与えるために、生きているにすぎん」と言い切るほどでした。


「彼らは家畜ではありません。人間なのです。ちゃんとした知恵を持った人間なのです。このままでは、いずれ大規模な反乱が起こり、貴族も王家も滅ぼされてしまいます」と私が訴えても、「愚かな平民などに何が出来る。牛や馬程度の頭しか持っていない連中に、何が出来る。反乱など起こそうものなら、軍と言う名のムチで、しつけてやるだけのことだ」と言って、相手にしてくれませんでした。


「お前も、アーヴィン王と同じ事を言うのか」とも言われました。隣国ユーヴェルニアの国王、アーヴィン4世陛下が我が国を訪問するたびに、陛下からの手紙が来るたびに、父上母上が渋い顔をするのは知っていたのですが……。まさか陛下が、革命勃発の危険を訴えていたとは、平民を大切にするよう訴えていたとは、この時まで知りませんでした。


 とにかく、まるで危機感が無いのです。父や母や兄たちにとって、平民が自分たちの脅威になるなど、考えられないのです。貴族や王家が平民に滅ぼされるなど、想像出来ないのです。想像力の限界を、超えているらしいのです。


 せめて──と思い、他の貴族たちと話してみても、結果は同じでした。彼らも皆、平民を、自分と同じ人間とは思っていないのです。平民は貴族のため、王家のために存在するとしか、思っていないのです。

 すべての貴族が、そうではないかもしれません。非主流派の貴族の中には、私と考えを同じくする人々がいるかもしれません。しかし王宮にいる限り、そのような人々と会う機会など、見つけられませんでした。


 アーヴィン4世陛下と話せないか──とも考えたのですが、間の悪いことに、この年以降、陛下が我が国を訪問することはありませんでした。手紙を出せないかとも思ったのですが、父上母上に知られずにそうすることなど、どう考えても不可能でした。


 このままでは、革命が起こる日はそう遠くないかもしれない。そうなる前に、悲劇が起こる前に、この国を変えねばならない。そのためには、発言力を得ねばならない。父上に母上に、重臣たちに、私のことを認めさせねばならない──。そう思い、さらなる研究に没頭したのですが──。結局すべて手遅れでした。



 それからわずか2年後、私が15歳になった年、心も、どうやら女になり切れたかな、と思った年、ついに革命が起こってしまったのです。


 最初小さな民衆蜂起にすぎなかったそれは、みるみるうちに大きくなり、ルミニアを呑み込んでいきました。父上は当然、鎮圧のため軍を送ったのですが──兵士たちが次々に寝返ったのでは、どうにもなりません。司令官テュロス侯爵を初め、貴族はすべて兵たちに殺され、ついには軍そのものが、革命側に寝返ってしまいました。


 この結末を知った時の、父上や母上、重臣たちの反応は、想像がつくでしょう。平民たちをあなどっていたことに、軍の兵士も平民であることを忘れていた愚かさに、この時初めて気づかされたのです。

 再び軍を送っても、同じ事になるかもしれない──父や重臣たちが、迂闊(うかつ)に動けないでいる内に、革命という名の炎はどんどん燃え広がり、国中に飛び火していきました。


「傲慢な貴族どもを根絶やしにしろ!」。そう叫ぶ革命軍の兵士たち。彼らによって、地方の貴族は次々に殺され、軍の兵士は革命側に寝返り──。ついに革命軍は、王都に迫るほどになりました。ルミニアの封建体制に、終わりが来たのです。


 さすがに私も、この時ばかりは、父や重臣たちをなじらずにいられませんでした。私やアーヴィン4世陛下が、あれほど警告したのにと。

 父も母も兄たちも、決して馬鹿ではないのです。自分たちの愚かさに気づかされ──私やアーヴィン王が正しく、自分たちが間違っていたことを思い知らされ──ひどく後悔していました。

 ゆえに父は、私に言ってくれたのです。「お前だけでも、ユーヴェルニアへ脱出しろ。アーヴィン王は、お前が天才であることを知っている。きっと受け入れてくれるはずだ」と。


 自分一人生き延びることへの後ろめたさは、やはりありました。しかし同時に、ここで犬死にしたくない、前世の知識を生かす前に死にたくないという思いも、もちろんありました。それゆえ私は、その話に乗せてもらうことにしたのです。


 次の日の夜、馬車一台と護衛10数騎で、ひそかに王宮を脱出しました。しかし革命軍も馬鹿ではありません。こうなることは予期していて、夜が明ける頃には追い付いて来たのです。

 この時は追っ手の数が少なかったため、何騎かの犠牲を出しながらも、逃げおおせることが出来ました。しかし、それで諦めてくれるはずもありません。二度、三度と新たな追っ手が現れ、三度目でついに、私たちはすべての護衛を失ってしまいました。


 それだけの犠牲を出して、ようやく国境を超えたのが今朝のこと。明日には、一番近いムフルの町までたどり着けるはず。革命軍も、ユーヴェルニアを刺激したくないなら、そこまでは追って来ないでしょう。そう思い、少しほっとしていたのですが……。それが、油断になってしまったのかもしれません。突然馬車を激しい衝撃が襲い、乗っていた私たちを、座席から放り出したのです。

 念のために言っておきます。レーニ王女の天才は、ルミニアの貴族の間では常識でしたが、平民の間では、実はほとんど知られていません。

 ルミニアの平民で、その事実を知るのは、貴族に直接仕えていた者と、その家族くらいですね。

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