浅井さんと小野さんの朝(4)
「そういうことなんでね、小野さん!!」
「なんでそうテンションが高いのですか貴女は」
「まーまーまー、飲みましょう!! ね! すいませーん生おかわりー!」
「昨日の今日でよくも飲もうだなんて言えましたね!? 信じられない」
「私はウーロンハイでいくんで大丈夫っす。この程度じゃ酔いませんて、マジ」
「程度じゃなくて飲むなという話です!!」
仕事終わり、私と小野さんは二人きりで居酒屋に来ていた。
席は十数畳はあろう宴会部屋のど真ん中。二人きりで話すにはいくらなんでも広すぎませんかね、コレ。
文句を言いながらも小野さんは一杯目の生ビールをガツンと一気飲みしてみせる。なんだかんだで小野さんも飲みたいんじゃないですか。
店員さんがすぐさま運んできた二杯目もあっさり飲み干し、また小野さんの苦言が再開する。
「まったく呆れました。私もどうかしていたようです。こんな人と……せっ……一夜を共にしてしまったなんて」
「私もびっくりですよ。朝起きたら隣に可愛い小野さんが寝ていたんですから」
「っ……」
小野さんが頬を赤らめる。照れてるのか怒ってるのか、はたまた酒のせいなのか。判然としないけど、まぁたぶん全部だと思う。我ながら天然ジゴロ風なセリフを吐いたものです。だって可愛いと思ったのは本当なんだもの、仕方ない。
「……結局、何も覚えていないのですか?」
じろ、と少しとろけた目で睨み付けてくる小野さん。
仕事が終わったら案外、すぐ鬼上司モードが緩むものなのかな。早くも鉄仮面の面影が消えつつある。
「すいません。すっかり記憶が飛んでしまっていて……。誠心誠意、嘘のない正直なとこを言えば、酔った勢いでヤリました」
「そうもハッキリ言い切れるなんて……最低です」
うぅ、分かってはいたけど正論すぎて痛い。とはいえここで下手に嘘を言って取り繕ったら余計にタチが悪いし。あ、タチってそういう意味でなく。
「小野さんは、全部覚えてるんですか?」
「えぇ。もう嫌になるほど!!」
苛立たしげに三杯目のビールを呷る小野さん。なるほど、この人のペースに張り合って飲んでたら私もすぐに記憶が飛ぶわけですわ。
とうとう三杯目も飲みきった小野さんは店員さんに焼酎を頼みだした。しかも一升瓶……むしろこんな飲みっぷりで記憶を保ってるって私以上に酒豪じゃないすか……。
「私は浅井さんが嫌いです!! もう嫌いになりました!! もう本当!!」
「そんなこと言わないでくださいよ。じゃあ小野さんも、酔った勢いだけで私に付き合ったんですか?」
「それは…………むぅ。ノーコメントです」
だんだん小野さんの言動が駄々っ子っぽくなってくる。あぁ、可愛い。普段からこの調子だったら仕事もノリノリでやれそうな気がするんだけど。
「小野さんだけノーコメントなんて卑怯っすよー! どうなんすか、そのへん!」
「……それは……それは」
焼酎瓶を手にした小野さんがわなわなと震える。グラスに注いだそれをこれまた豪快に一気飲みした小野さんは、いつの間にかウルウルに涙ぐんでいた瞳をこちらに向けてきた。
え、ちょっと待ってその焼酎、生ですよね……。
「言わせないでくださいぉ!! 私はぁ……私はずぅぅぅっと……う、ううぇぇぇぇぇぇぇん!!!」
ま、また泣かせてしまった……。小野さんって実は結構涙もろいのかも。これも新たな発見だ。
ちょっと意地悪が過ぎたかもしれない。私もこういう事は正直恥ずかしくて、自分から語るのは苦手なんだけど……まぁ、ついさっき小野さんに卑怯だ、なんて言ったからには私だって誤魔化してばかりいちゃ駄目だよね。
「小野さん、ごめんなさい」
「うぅ……ぐす…………そのごめんなさいって、どういう意味で言ってるんですかぁ!!」
「私、わかってるのに意地悪してました。小野さん、本当は酔った勢いなんかじゃなかったんですよね」
「…………っ」
「お昼にもらった手紙、読みました……。私が全部忘れちゃっても、好きだって。あれを捨てないで渡してきたってことは……私と二人きりで話したいってことは……そういうこと、なんでしょ?」
「…………そうです」
ずばり言い当てられ、小野さんがまた顔を俯かせる。まったく、本当にわかりやすい人だ。そういう所が可愛いのに、鬼上司の仮面を被ろうとして全部押し隠しちゃう。
私が知りたいのは小野さんの本音なのに。
「私は浅井さんが好きです。……ほんとはずっと好きだったんです! 居酒屋で偶然会ったときに二人きりで飲んで……いっぱい励まされて、優しく抱きとめてもらって、素の私が大好きだって言われて! もう私、ずっと貴女しか見れなくなっちゃったんです!!」
「えっ」
ちょっと待ってそれ初耳です。なにそれ、私、前にも小野さんと飲んで記憶飛んでたの!?
そういえば以前、朝一番に小野さんがちょっと馴れ馴れしく話しかけてきたことがあった気がする! あの時!? あの時なの!?
「でも貴女は全部忘れちゃってて……貴女が飲み会でベロベロに酔った夜だけ会ったりしてたけど、そのたびに私と愛し合ったことを忘れちゃうんです!!」
え、え――――――――!!?? 昨夜のが初犯じゃなかったんすか、私!? 過去複数回に渡ってヤッてたんですかぁ――――――!!?
いくらなんでも衝撃的すぎるんですけどそのカミングアウト!! なにそれ、私、マジで本物のサイテー女じゃん!! え、えぇ――――!?
「そして昨夜もいつものように一晩限りで終わるはずだったのに…………家に帰すのを忘れてて、朝起きたら……全部忘れた浅井さんがいたんです……!」
「じゃ、じゃあつまり…………今朝、小野さんが泣いてたのって……」
「この関係が終わっちゃうと思ったらぁぁー! うわぁぁぁぁぁぁぁん!!」
「そういうことだったんすか……」
うわー、私、明日から自分が嫌いになりそう。私が自分のことでバカみたいに悩みまくってた裏で、小野さんをここまで苦しませてたなんて。
どれだけ愛しても朝にはすべて忘れ去られてしまう、そんなどうしようもなく空しい恋を小野さんはずっとしていたんだ。鬼上司の仮面の下に、悲しいほど健気な想いを隠して。
こうして私と二人きりで会って、全部告白することはきっと……きっととてつもない勇気が必要なことなのだろう。
「小野さん……よく全部教えてくれたね」
「急にこんなこと……私、気持ち悪いですよね。ごめんなさい」
「そんなことない。私、嬉しかったです。小野さんに嫌われちゃったわけじゃ無いんだって。こんなにも健気に想ってもらえていたんだって」
「浅井さん……?」
「そんなことを知っちゃったら、小野さんのこと好きになっちゃうじゃないっすか……」
この三年間、彼氏ができないできないと嘆くばかりで具体的な行動を起こしていなかったのは、誰か大切な人がまだいるままな気がしていたからだった。朝からもしかしたら、とは思っていたけど、今なら確信を持って言える。その正体は小野さんだったんだね……。
「うぅっ……そんな、こと…………言われたら……」
小野さんの涙は止まらない。けどその瞳にはほんのすこし輝きが戻ったように思えた。
To be continued...