浅井さんと小野さんの朝(3)
お昼休みの時間を迎えても頭はまだ小野さんのことばっかりで、まるでほかの事が考えられない。私、本当にあの鬼上司と寝ちゃったのかぁ……本気で顔合わせ辛いな。
誰かと一緒に話しながらご飯を食べるのもなんだか億劫。とにかくそれくらい、小野さんの裸体が私の頭に焼き付いて離れないのだ。今思えばあの時卒倒しなかったのが不思議ですらある。
昼食の場所はとりあえず、真冬のこんな時期には誰も来ないであろう屋上にした。風が強いし冷たいしで最悪な場所だけど、考え事をするのに最適なことだけは確かだ。もうここで午後もサボろうかな。
仕事をやっていたさっきまではなんだかんだと言っても脳内のパーセンテージが小野さん百パーセント、というわけにもいかなかったけど、いざそれだけを考えるようになってみると凄い罪悪感が沸いてくる。
酔った勢いで寝たことを覚えてない、ってそれ酒飲みとして最低のことだよね……。そもそも女同士の上司と部下でなんて、聞いたことがない。男女間のトラブルとしてならたまに聞く話だし、その場合はだいたい男の方が悪いって話で片付けられるんだけど。……っていうか女と女の場合、責任の所在はどっちにあるの? 誘ったほうが悪いとするなら、どっちから先に誘ったの? 私は覚えてないけど、そのへん小野さんは覚えてるかな?
部屋の様子を思い出す限りでは、二人とも恐らくめっちゃノリノリだった。でも朝起きて血の気が引いたことは事実だし。とはいえ小野さんは寝言でもちょぉご満悦って感じだった。どんだけ気持ちよかったんだろう。
ていうかどうヤッたんだろ。SMはともかくとして、ベッドインからが想像もつかない。やっぱりこう……指で、小野さんのアソコに、こう、ね、うん。
人差し指か、中指か、薬指か、右か左か。どの指を使ったんだろう。まだ匂い残ってるかな? クンクンと嗅いでみたら、左手の中指と薬指にほんの微かだけど、エロい匂いが残ってるような気がした。
そっかぁ……この指が小野さんの中に……じゃなくて! 昼食前に私は何を妄想しているの!! そうじゃなくて責任の所在! じゃなくて……あぁ、もう。何を考えていたのかわかんない!
とにかく確かなことは、いっぺん面と向かってきちんと謝らなきゃ。どういう経緯があったにせよ、カタを付けなきゃマズい。
今日の夜、どこかで小野さんと会って話す場を設けよう。お弁当食べたら小野さんに声をかけるんだ。だからまずはお昼ごはん!
意を決してかばんを開く。けど、いつもの弁当風呂敷はどこにも見当たらない。かばんの中身を全部床に並べて改めて無いことを知らされてから、ようやく気がついた。そりゃそうだよね。小野さんの家から帰り着いた後、時間がロクになくて支度もせずすぐまた出勤したんだから。ということは今日は朝もお昼もご飯ナシ……?
「もっやだぁぁーーーーっ!!」
「ここにいたのね」
無念の絶叫を上げる私を、ちょうど屋上にやってきた小野さんの冷たい視線が貫く。えっ、小野さん!? なんでここに!!
「なんでここに、という顔をしてますね。まったくバカみたいな顔をして。まさか午後からはこの屋上でサボろうとでも?」
「いえいえいえ! とんでもないっす!」
ごめんなさい、ちょっとそれ考えてました。
「…………お互い色々と言いたいことはあるでしょう。けど、昼休みにそんなことをしていられる時間はありません」
「は、はいぃ……」
「単刀直入に言うわ。今夜、私と貴方の二人きりで話し合う場を設けます。逃げたら承知しませんからね」
「あ、う、えっと……あ、はい。了解しましたぁ……」
小野さんのほうから先に切り出してきちゃったー! 私、誠意ゼロみたいになったー! わーごめんなさい!!
「あとこれ……どうやら昨日の私が書いたものらしいです。貴女宛だったので、一応、渡しておきます」
「へ……?」
小野さんがちょっと頬を赤らめながら、一枚の紙切れを渡してくる。
何だろう、と受け取ったその紙片は、丁寧に四つ折りされたメモだった。隅っこには小さく“浅井さんへ 小野靜より”とかわいい丸文字。
「それでは後ほど!!」
手紙を渡したっきり、小野さんはつかつかと屋内に戻っていってしまった。
え、これが小野さんの手紙? こんな可愛い字を書く人だっけ、小野さん。普段仕事場で見るのは明朝体の印刷と比べても遜色ない、硬派そのもののクッソつまらない字体だった。手紙の中も、宛名とおなじ可愛らしい丸文字で綴られている。
『浅井さんがこれを読んでるとき、私と愛し合ったことを浅井さんは忘れてしまってると思います。
でも私はきっとおぼえてます。こうかいもしていないです。すき!』
……ものっすごく甘ったるい手紙。これを本当にあの小野さんが? 冷徹鉄仮面鬼上司の小野さんが…………と、そこまで考えたところで今朝の小野さんの姿がフラッシュバックする。
無垢そのものの顔で眠る小野さん。意外に着痩せする小野さん。お腹を撫でるとぴくっとする小野さん。実はハムスターみたいに丸い瞳をしてる小野さん。妙にヤラシイ寝言を漏らす小野さん。
そっか、あのふわふわした可愛い女の子こそが小野さんの本当の姿なんだよね。こんな中学生みたいな丸文字でがんばって手紙を書いて、きっと全部忘れちゃう未来の私に向けて言葉を尽くして、赤面しながらそれを渡してくるような、そんなヒトなんだ。
そうだったんだね、小野さん。
To be continued...