1/first encounter
よく晴れたある日。
高校生活初めての夏休みを間近に控え、期末テストとかで色々と忙しい頃だった。テスト期間中は午前中しか授業がない。その日は午前に、数学と化学と世界史のテストを受けた。できはまあ上々。周りからは勉強してないことを嘆く声も聞こえてきたけれど、勉強していないのは本人のせいなので別に私がなにか言うこともないだろう。それからホームルームも終わり、私はそうそうに荷物をまとめ下校しようとしていた。
そこで私はふと、彼女の姿を見つけた。まあ見つけたも何もただ、彼女は教室から出て行こうとしていただけだったが。しかし彼女は荷物を教室に置きっぱなしだった。手ぶらのまま後ろの扉から出て行ったのだ。
私はなぜか彼女のことが気になって仕方がなかった。わずかに見えた彼女の表情。いつもは仏頂面の彼女の目元が少し哀しみを帯びていたように思えたのだ。
そう思うと居ても立ってもいられなくなり私は荷物を素早くまとめて彼女の後を追った。
でも私が教室を出た時には、すでに廊下に彼女の姿はなかった。私のクラスの教室は長い廊下の丁度真ん中あたりにあるので、そう素早くは身を隠せない。あるいは他の教室に入ったのかもしれないけれど……、彼女に限ってそれはないだろう。
私はこれといってあてもなく教室を出て私がいつも使う階段の方へ小走りで進んだ。これなら、彼女を見つけられなくてもそのまま帰ることができる。
階段にさしかかり、私の教室のある四階から三階に差し掛かった時、一つ下の踊り場を進む彼女の姿が見えた。だから私はそのまま彼女の後を付けることにした。
特に理由なんかない。でも、私の好奇心がそうさせた。
彼女は二階のフロアに降り立つと、そのまま職員室のある方へ向かった。
なんだ、先生に呼び出されただけなのか、と私は追うのをやめようかと思ったけれど、彼女はそのまま職員室を通り過ぎて行ってしまった。
その先にあるのは体育館と講堂が一体になった塔。最近リニューアルされたα棟だ。
彼女はα棟にすたすたと入っていった。
今はテスト期間中なので、部活動も中止だ。そのため、いつもはバスケ部やバレー部などが使っているα棟も今日は誰もいないはずなのだが……。彼女はなぜα棟へ入っていったのだろう。
私は駆け足でα棟に入った。二階からはちょうど体育館に連絡している。私が体育館に入った時、彼女の姿はどこにもなかった。
私は体育館を見渡す。
県内でもそれなりに大きなうちの体育館。彼女の姿はどこにもない。いつもは賑わっている体育館も今日はがらんとしている。
私はフロアの中央辺りまで来て、もう一度だけよく見回す。やはりいない。
確かに体育館に入っていくところは見たのに、どこへ行ってしまったというのだろう。
首を傾げていると、どこからかミシミシと何かが軋むような音が聞こえてきた。私は直感的に何か嫌なことが起きると思って身構えた。
そして、案の定それは起きた。突然建物全体がぐらぐらと揺れ始めたのだ。
「地震!?」
揺れはそれなりに大きい。私は立っていられなくなり、床に伏せた。揺れはそのまま五秒ほど続いた。建物中がミシミシと音を立て、崩れてしまいそうで心配だった。
揺れが収まり、私は恐る恐る立ち上がった。しかし、ちょうどその時、足元のほうからドンと大きな振動が伝わってきた。
下、一階は講堂だ。
私はなんだか異様に気になって、講堂の方へ急いだ。
あとで思えば、この時そんなことをせず帰っていればあるいは何も知らないまま静かな毎日を遅れていたのではないかと思う。しかし、人間の好奇心というものはなんとも面倒なもので、一度それが芽生えてしまうとなかなか収まりがつかない。
まあ、私が単純回路のバカだったというのもあるかもしれないけど。
それでも私は自分の意思でそこに向かった。
体育館のエントランスにある階段から下へ降りる。講堂は一階分とわずかに地下にまたがっている。階段を降り、講堂への扉を抜ける。
そこを見て、私はすぐには声を出せなかった。あまりにも予想外で、完全に思考が停止していた。
一言で表すとすれば、大惨事という言葉がピッタリだろう。
講堂の中は、爆発でも起こったかのようにぐちゃぐちゃだった。整然と並んでいるはずの備え付けの椅子は木っ端微塵に破壊され、天井一面を覆っているはずのLEDパネルも割れて床に降り注いでいる。ステージの方も同様で、床には大きな穴が空き、黒い穴がぽっかりと露出している。
そして、何よりも私を驚かせたこと。
ステージの大穴のその先に彼女、火屋凛乃の姿があったことだ。
†
私は、私にその名を付けられた。凛乃。
はじめはなんとも思わなかったけれども、今はこの名前を気に入っている。
†
彼女は私の姿を捉えると、小さく首を傾げた。なぜここにいるのだろうと言った具合に。
微妙にずれた反応で、私のほうが首を傾げたい。しばらく、彼女は不思議なものを見る目でこちらを見ていたが、ふと首を元に戻した。
一瞬、そのほんの一瞬間に私は彼女の姿を見失った。
「え……?」
私が声をあげたのとほぼ同時、彼女の姿は私の目と鼻の先に――――というか、本当に鼻がぶつかりそうなほど近くに彼女の顔があった。
「ちょ――!」
私はびっくりして、後ろにたじろいだ。危うくなにもないところで転けそうになった。
凛乃はそんな私を見ても表情一つ変えない。いつも道理の仏頂面。顔立ちはいいし、可愛いのに、なんだかそこまで無表情だと人形みたいだ。
しばらくお互いに見つめ合うと、意外なことに彼女のほうが先に口を開いた。
「見た……?」
蚊の鳴くような声。でもその声は、すっと私の耳に入ってきた。
「見たって……えっと……この滅茶苦茶な惨状なら……」
「そう……」
そこで、ふと彼女と目が合った。私は彼女の目を見てはっとなった。
赤。赤い瞳。彼女の瞳は赤だった。いつも見ているわけではないけど、彼女の瞳は普通の色だったはず。でも今は魔的な色を帯びていた。
「その眼……」
聞かなければいいのに、聞いてしまうバカな私。
彼女は私の言葉を聞き、すっと瞼を閉じた。そして次ゆっくりと開かれた時、赤い瞳はそこにはなかった。普通の黒い瞳があった。
「見ちゃったね。とはいえこれは私自身の失態……。でも見られたという事実には代わりはない……」
そういうと彼女はおもむろに私の右腕を掴んだ。それはとても強い力だった。見た目、そのか細い腕のどこからそんな力が出ているのか不思議だ。いや、そんな流暢なことを考えていられる状況でもなかった。力は常人離れしていた。そのまま握りつぶされてしまいそうで、さすがの私も痛みをこらえることができなかった。
「やめ――て!」
声を受け取ってくれたのかどうかともかく、彼女は手の力を弱めた。
「突然何――――」
と、言おうとして私は彼女が私の方を見ていいないことに気づいた。もっと先、私の後ろの方を見ているようだった。
私も彼女の視線を追い振り返る。
階段の下に一人の少年がいた。頭をわずかにうなだれてそこに佇んでいる。妙な雰囲気だった。
凛乃は私の腕から手を放し、私を押しのけるようにして、私と少年との間に立った。
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少年がゆっくりと顔を上げる。
「あ……」
私は、その見開かれた目を見てぎょっとした。赤い色をした小さな瞳だった。見る者を恐怖させるような無機質な目。おおよそ人間的ではなかった。
次の瞬間、少年は身をかがめたかと思うと、一気に前に飛び出した。俊足の獣のような跳躍で、凛乃の方へ一瞬で襲いかかる。
「危ないっ」
私はつい叫んでしまった。
しかし、彼女は動じなかった。身じろぎ一つせずただ、少年の方をじっとみつめ、そこからは少年の行動以上に一瞬の出来事。
少年が凛乃にあとほんの数センチで凛乃に飛びかかれるかというところで、彼の身体は何かに弾かれた。吹き飛ばされた少年の身体は思いっきり階段の角に打ち付けられた。血が噴出する。少年はそれっきり動かなくなった。
いつもの私なら目を背けていたかもしれないけれど、あまりにも突飛すぎて思考回路が全然追い付いていなかった。
棒立ちな私のことなんか気にしていない風で、凛乃は少年の方へ寄って屈みこんだ。
「……………」
何かを呟いていた。声はとても小さくて聞き取れない。でも、確かに彼女は少年へ何かを呟いた。
その言葉が終わったとき、少年の身体が青白い光に包まれた。光はしばらく強くなったり弱くなったりを繰り返していたがやがて消えた。そこには少年の身体は無かった。
凛乃が私の方へ振り返る。
「運が良かったね……」
ぽつりと。
私はなんだかぞっとした。何が起きたかは理解できていない。でも、何となくなら分かる。さっきの血は現実だ。少年は跡形もなく消えてしまった。でも、血はそこに残っていた。
「殺したの……?」
私がそう尋ねると、彼女は小さくうなずいた。
「ええ。でも、あなたが気にする必要もないわ。浦斗友愛さん」
「私の名前……」
名前を言われて少しだけ驚いたけれど、よく考えれば彼女もクラスメイト。名前くらい知っていてもおかしくない。
「大丈夫、怖がらないで……。私があれを壊したことに、あなたが怯える必要なんて無いの」
そういって彼女はまた私に顔を近づけてきた。本当に息遣いさえ感じ取れる距離。
「あれはね。壊されるべきもの。所詮、ブランクなのだから。そして、それが私の意志なのだから。心配しなくてもいい。私はあなたには何もしない。だって、私はあなたのことが気に入ったから」
そして彼女は私にやわらかな笑みを見せた。初めて見る彼女の感情表現。
女の私でもついドキッとしてしまった。
思えば、全てはそこから始まっていたのだろう。
私、浦斗友愛と、彼女、火屋凛乃との短くも長い不思議な付き合いのはじまりだった。そして、それは日常と非日常の狭間で、私の知り得なかった何もかもを私に突きつけてきた。
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