2.王の依頼
ここはエルドア城の敷地内。その中を二人の男が歩いている。
前方にいるのは、フィジー・ロウという、兵士の格好をした無表情の男で、左手には《四大武具》の一つといわれる、サンダースピアを持っている。そして後方にいる、少し身をかがめながらキョロキョロと周りを見ている男が、ライアス・クライン。個性的な形をした小振りの片手剣と、皮製の胸当てを身に着けている。切れのあるその細い目の中から覗く金色の瞳は、今は何やら不安げな様子で弱々しく輝いている。
実際、この城の敷地の広さには驚嘆するものがあった。先程から半刻ほど歩いているが、いっこうに城の扉まで行き着かない。ライアスは権威とは程遠い暮らしをしてきたので、途中で見かける庭師やお偉方に、どういう態度をとればいいか分からなかった。そのため目が合わないように、できるだけ身をかがめていたのだが、それを察したのか、フィジーは笑いながら言った。
「ライアスさん、そんなにオドオドしなくてもいいですよ。これから鬼の巣に入るわけでもないわけですし。陛下はとても徳がおありになるお方だから、貴方を快く迎えてくださることでしょう。それに途中で会う人たちも、彼方となんら変わりのない、只の人間です。もっと胸を張ってください」
「いやな、この城のやたら広いくせに、このシンとした雰囲気がどうも、な」
「ここは殿中ですからね」
「まあ、そうなんだろうが・・・しかしこんな所で生活してる連中は、かなりの堅物だぜ。お前も含めてな」
「それは偏見でしょう。宮中では済ました官僚達も、普段は民間の酒場でドンチャン騒ぎでもするでしょう。私だってそうです」
「どうだかな」
それっきり二人とも黙り込んで、また歩くことに専念する。
その後さらに半刻程歩いた後に、ようやく城の扉まで辿り着いた。
「お前、よくこんな膨大な距離を毎日歩いてこれるな」
あまりの遠さにうんざりしながら、ライアスはフィジーに声をかける。見るとフィジーも少し疲れているようだった。
「歩いてきましたからね」
「どういう意味だ?」
「いつもなら、赤毛牛に乗ってくるんですよ」
「そんなものがあるなら、最初からそれに乗ればいいだろう」
ライアスの非難を制するように、フィジーは静かに言う。
「一人乗りだからですよ。それよりここから先は、無駄な私語は慎んでくださいよ」
そう言ってフィジーは手を挙げ、扉の脇に立っている兵士に合図を送った。間もなくその五メートルはゆうにありそうな扉が、音もなく開かれる。
開かれた扉から中を覗くと、そこには別世界が広がっていた。中央の階段へ向かって真っ直ぐ真紅の絨毯が敷かれており、壁は神秘的な輝きを放つ石――三大美石のガザムル石だろうか――で彩られている。分厚い柱に支えられ、遥か上方にある天井には、直径二メートルはあろう大掛かりなシャンデリアがいくつもぶら下がっており、部屋全体を煌々と照らしている。まさに王の宮殿――そのあまりの荘厳さに圧倒され、ライアスは思わず息を飲んだ。フィジーが構わずさっさと歩いていくのを見て、慌てて後を追いかけた。
それから赤絨毯の上をしばらく歩き、二人はようやく王の間に到着した。扉の前には兵士二名と、見事な口髭をたたえた大臣らしき人物が待ち構えており、先程からフィジーと何事かを打ち合わせている。取り残されたライアスは、王の間の分厚い扉の上に飾られた、槍をもち炎を吐く鷲を象ったエルドアの紋章をぼんやり眺めていた。
アール・マニ・ダッツ六世は賢帝として知られており、前代国王である暴君、アール・マニ・ダッツ五世の憲法を改正した新憲法を公布し、真に民衆のための政治を行う名君として、その名を国内だけに留まらず、世界中に轟かせていた。権威に無頓着なライアスも、さすがに六世の名声は耳にしたことがある。
大臣との話を終えたのか、フィジーがライアスの元へ戻ってきた。フィジーは小声で「それでは王の間に入ります」とだけ言い、扉の方へ向き直った。兵士が銅製のドアのぶに手を掛け、ゆっくりと扉が開かれる。扉から真っすぐ伸びる赤絨毯の両側には、兵士や大臣姿の男達が整然と並んでおり、その奥には、恰幅のよい、白い顎鬚を長く伸ばした老人が、静かに座っていた。その老人の瞳は、ライアスにも一目で国王だと分かるほど、周りの凡人には持ち得ない、徳と威厳に満ち溢れた輝きを放っていた。
呆気に取られているライアスの隣から、まずフィジーが足を踏み出し、王の前で膝をつく。
「国王陛下、見事採用試験をクリアした、二人目の人材を連れて参りました。名をライアス・クラインといい、《なんでも屋》をしている男です」
国王はそれを聞くと、静かに頷き、フィジーと一緒に膝をつくかどうか戸惑っているライアスの方に目を向けた。
「ご苦労だった、フィジー。そして選ばれし者よ、我が城によくぞ参られた。時間もあまりないので、堅苦しい挨拶は抜きにしよう。早速依頼の話に移りたいと思うが、よいかな?」
ライアスは頷き、少し緊張感が和らいだのを感じた。王はそれを見て静かに微笑み、続ける。
「さて、依頼というのはこうだ。ライアス、おぬしは勿論《骨の道》というものを知っておるな?」
《骨の道》――その言葉をライアスは知っていた。大陸を四つに分断するその道は、太古から魔物の棲む土地として恐れられ、滅多に足を踏み入れる者はないといわれている。その奥地には《腐民》と呼ばれる、魔物に魂を売った忌まわしい民族が住んでいるという。古くから多くの伝記や言い伝えに残っており、この国で知らない者はいないだろう。ライアスは少し不審に思いながらも、小さく頷いて言った。
「ええ、知っています」
「ふむ、では《邪神》は知っておるかの?」
聞いたことがある。《骨の道》に棲む魔物の中でも、それらを統率する四体の化け物の話だ。しかしこれは、おとぎ話の世界での生き物だろう。少なくともライアスはそう思ってきた。こんな伝説が、今回の依頼に何の関係があるのだろうか?
「知っています。人並み程度には」
次第に不安になってきたライアスが答えるのを見て、王はまた微笑み、大きく頷いて言った。
「よろしい。《邪神》とは《骨の道》において、樹木、地層、獣、そして竜を司る神の化身と言われておる。我が王国は、幸いにも《骨の道》とは、南に少し接しているだけであるから、これを架空の生物と思っている者は多い。おぬしもそのようだな。国が平和な証拠だ、大いによろしい」
王はそこまで言って一息入れ、目を閉じた。ライアスはさらに不安になってきた。いつもの悪い予感が的中する感覚が、次第に大きくなっていくのを感じる。今回は違えば良いが、どうも希望通りにはいかない様子だ。
王は大きく息を吐き、静かに目を開くと、つぶやくように話し始めた。先ほどまでの微笑みは消え、急に老け込んだように見えた。
「・・・そこでだ。実は最近、《骨の道》の様子がおかしいという情報が入ってきておる。先の大戦以来、《骨の道》は安定しておった。魔物がその地域から外に出ることは、非常に稀だったのだが・・・最近は魔物が外部へ溢れ出し、近隣の村での被害も報告されている」
先の大戦――世に言う《種族戦争》のことだろう。かつて、《骨の道》の魔物と人間との間で戦争が起こり、大陸全土で多くの死者が出たといわれている。この大戦で、首謀者であった邪竜神が封印され、両者は一時休戦した。それから長い間、両者の拮抗は保たれている。しかしこれも、おとぎ話ぐらい昔の話だ。そのはずなのだが・・・
「ここまで言えば大体予想はついていると察するが、単刀直入に言おう。フィジーと共に《骨の道》へ調査に行って欲しい。これが依頼だ。特に最近、我が領土に接する《邪木の森》の様子がおかしいようだからの。噂では、《邪神》の一体である《邪木神・バグガドーラ》の気が触れたようじゃ。もちろん報酬は、それ相応に用意してある。四十万ガルンじゃ。それに《騎士の称号》も与えよう」
ライアスは目を見開いた。どういうことだ。ただ調査に行くだけで、一国の領主ほどの財産を手に入れられるとは。しかも、持っているだけで一生食いぶちに困らない、戦に出る者なら、喉から手が出るほど欲しい《騎士の称号》を、一般市民にくれてやるとは。ライアスは戸惑いながら、フィジーの方をちらりと見た。フィジーは相変わらず無表情に、王に跪いたまま、じっと俯いている。しばらく硬直していたが、ライアスはやっとの思いで王の方に向きかえり、聞いた。
「調査の具体的な内容は?」
この質問に対しては、王の代わりに、隣にいる大臣が口を開く。先程フィジーと話していた、口髭の男だ。
「詳しい内容はおいおい説明しよう。大まかな内容は今言った通りだ。《邪木の森》に入り、異常がないか調べ、戻ってきて報告する、それだけだ」
「し、しかし・・・」
その時、大臣の脇から、ふと一人の黒髪の男が歩み出た。がっしりした体躯をしており、背中に大きな剣を背負っている。顔には斜めに深い傷跡が残っており、その醸し出す雰囲気から、かなりの手だれであることは間違いない。ライアスはフィジーが先程、自分のことを「二人目の人材」と言ったのを思い出した。この男が一人目の採用者だろう。
男はライアスの方を一瞥し、王に向かって口を開いた。
「王様、この男は駄目です、小心者ですよ。臆病者と一緒じゃ、可能な依頼も失敗するってもんです。行くのは俺一人で十分ですよ」
男の言葉に、大臣や兵士たちの間にどよめきが走った。王に対して、なんという口振りかと、次々非難の声が挙がったが、男は全く動じることなく、今度はライアスを真正面から見据えた。瞳にはっきりと、侮蔑の色が宿って見える。
「おいあんた。さっさと辞めといた方が身のためだぜ。今の報酬を聞いたろ?半端な覚悟じゃ、命がいくつあっても足りないってことだ。ここまで来たということは、そこそこ腕は立つんだろうが、《なんでも屋》にはちと荷が重いと思うぜ。ガキのお守りの依頼でも受けといた方がいいんじゃないか」
初対面のくせに酷い言いようだな、そう思いながらライアスは苦笑した。《なんでも屋》は職業ではない、そう言う者は多い。したがって、《なんでも屋》を無職のゴロツキや何かと同一視する者は多く、軽蔑する者は後を絶たない。ライアスもその手の扱いには、すでに慣れていた。それに相手の話にも一理ある。法外な報酬、それは同時に、「死ぬために行くのと変わらない」危険を意味している。まさに一生を賭けた大博打だ。しかしライアスは、フィジーとの手合いの段階で、すでに覚悟はできていた。己の生活のために命をかける。悪くないことだ。
「王様、依頼をお引き受けいたします」
ライアスは姿勢を正し、ハッキリと言った。それで覚悟の提示は十分だった。黒髪の男は目を細めて小さく舌打ちし、その場に背を向けて去っていった。アール・マニ・ダッツ六世は満足そうに頷き、にっこりと微笑んだ。
「ふむ、よう言うてくれた。では出発の日まで、この城でゆるりと過ごすがよい。部屋は用意してある。先ほどの男、名はギルド・レバンズというが、彼と同じ部屋で過ごしてもらう。部屋にはフィジーが案内しよう。では、下がるがよい」
王の言葉が言い終わるやいなや、今までまるで石のように動かなかったフィジーが、突然魔法を解かれたかのように立ち上がった。びっくりするライアスに少し微笑みかけ、またすぐに無表情になった。
「さあ、ライアスさん、こちらです」
フィジーは王に一礼し、さっさと扉の方に向かった。ライアスは置いていかれないように、フィジーと同じように一礼して、後を追った。
不意に舞い込んだ、大きな依頼。
なぜ《骨の道》の様子がおかしいのだろうか。
おとぎ話とばかり思っていた《邪神》の実在。
そして、絶対馬の合いそうにない、ギルド・レバンズという男。
さて、これから一体どうなることやら。
前を行くフィジーの背中を見ながら、ライアスは波のように押し寄せる不安を、必死に振り払っていた。
<第二話・完>
第三話に続きます。