第五十四話 戦いの果てに①
霊力のリミッターを解放した山坂宗一に敗れ、山坂浩二の意識は闇の中に落ちていた。目を開けると、周囲は一面の黒。自分が浮いているのか浮いていないのか、上を向いているのか下を向いているのかわからない。
ただ闇の中にいる。
そしてこの感覚は、以前にも感じたことがあるものだった。
「ここは、見覚えがある。俺は、死んだのか」
山坂浩二は自分の両手を見ながら、確認するかのように呟いた。右手を腹部に当ててみるが、ちゃんとそこにある。山坂宗一に吹き飛ばされた部分でも、ここでは復元されているようだ。
彼が自分の死を噛みしめていると、
「そうみたいね」
と、後ろから明るい声が聞こえてきた。山坂浩二は体を強張らせて後ろに振り向く。
「うわっ!なんで香子が!」
「あたしも死んだのよ。さくらに負けてね」
月影香子に驚く様子はなかった。やれやれといったように、両手の手のひらを胸の高さで上に向けて小さく揺らしている。月影さくらに貫かれた左胸は元通りになっていた。
山坂浩二はあきれたように首を横に振った。
「そうじゃなくて、なんで俺と香子が同じ空間にいるんだ。俺たち二人とも死んだのに」
「さあ。あたしたちの意識が繋がったとかそんなのじゃない?」
「まあ、そういうことにしておこうか」
二人はそう言ってかすかに笑い合った。なぜ自分たちが同じ死後の世界にいるのか、それを追及したところでどうにかなるわけではなかった。
そこに、弱い光が発生する。
それは、二人の足元からだった。
「見て、下になにか映ってる」
月影香子が指差した先を、山坂浩二は見下ろす。そこには、さまざまな景色が映し出されては消えていた。街や農業地域、森林、海など、地球上にある光景で、二人が生きていた時期と姿は変わらないようだった。
「これは……俺たちが死んだ後の世界?」
「そうみたいね。でも、誰もいないわね。時間は全然経ってないみたいだけど」
「俺たちが死んだ後、なにがあった?」
映し出される光景には人がいなかった。街にも、農業地域にもいない。さらに、人だけでなく他の生物の姿も見当たらない。
そのような異様な情景に、二人は疑問を抱かざるを得なかった。
そのとき、強い光が二人を包み込み、意識は一旦途切れた。
気付いたときには、山坂浩二と月影香子は自分たちが死んだ後の場所に立っていた。少し離れた所に、血の海の中で自分たちの体が横たわり、動かなくなっているのが見える。意識だけの存在となった二人は、そこから動けず、ただ傍観するしかできないようだった。
山坂宗一と月影さくらは二人の死体に背を向けて歩き出し、三十秒ほど経ったところで止まった。二人は満月を見上げながら右手を挙げた。その直後、二人の周りから悪霊の大群が現れた。どうやら、山坂宗一が支配下の悪霊をすべて解き放ったようだ。
悪霊たちは瞬く間に圭市を覆い、周囲は穢れで満たされる。そこにいた人間はすぐに命を吸い取られ、霊体は瞬時に悪霊と化した。浄化の退魔師も全員死亡し悪霊に姿を変える。一分も経たないうちに、圭市は壊滅した。
悪霊を解放した山坂宗一と月影さくらの顔に生気はなかった。
そして景色が次々と移り変わる。日本中のあらゆるところで山坂宗一が悪霊を解放し、月影さくらが虐殺をおこなっていた。日本を滅ぼした後は、日本の外へ向かい、人の営みがある場所を次々と壊滅させていった。
そして最後。満月の夜、退魔村の森でのなかで、山坂宗一と月影さくらが向き合って立っていた。
山坂宗一は月影さくらの頭に右手をあて、月影さくらは山坂宗一の首に長刀を添えている。二人は穏やかな笑みを浮かべていた。
二人は同時に動く。山坂宗一は月影さくらの頭部を吹き飛ばし、月影さくらは山坂宗一の首を斬り落とし、二人は同時に命を散らした。
そして、地球は悪霊だらけの世界へと変わった。
黒い空間が再び山坂浩二と月影香子を包み、意識は暗闇の中に戻る。二人は先ほど目にした光景を思い返しながら、悲痛な表情を浮かべた。
「これが、宗一とさくらの末路か」
「こんなの、いくらなんでも悲しすぎるわ」
「あの二人は退魔師の力だけで俺たちを倒した。力が最高潮に達した俺と香子を殺す。そのためだけに生きてきたんだ」
「そして、悪霊使いの力で世界を滅ぼした。復讐という目的を失った後は、世界を巻き込んで自殺」
「救われないな」
「ええ、ほんとにね」
二人は、戦いの果てにあるものを哀れんだ。だが、なにを思ったところでもう手遅れだ。自分たちは死んでしまった。兄と姉を止めたくても止められない。救いたくても救えない。
自分たちの無力を恨むしかできなかった。
そこに、再び強い光が現れる。それは一瞬にして二人を包み込み、本当の時間軸へと引き戻していった。
山坂浩二と月影香子の意識は、自分たちの死体のそばに降り立った。山坂宗一と月影さくらは口から血を流しながら、死に絶えた弟と妹を見下ろしている。
無惨な姿となった自分たちの体を見ながら、山坂浩二はあることを思いつく。
「なあ、俺たちって、体に妖怪の一部を埋め込まれた兵器なんだよな?」
「そう、らしいわね」
「だったら、人であることを捨てれば宗一とさくらに勝てたかもしれない」
「はは、言われてみればそうかもね」
山坂浩二の言葉に、月影香子は小さく笑いながら応えた。自分たちが兵器であることは認めたくないが、妖怪の体を埋め込まれた怪物であることには変わりない。怪物であることを受け止め、その力を引き出せば、リミッターを解除した二人に勝てるかもしれない。もしかしたら、悪霊使いとしての二人にも勝てるかもしれない。
「あの二人の復讐は終わった。だからこそ、今度はなりふり構わずにあいつらを止めないといけない。バカ兄貴と姉貴の始末は、肉親である俺たちがつける」
「ええ、そのとおりね」
山坂浩二と月影香子は、不思議と確信を持っていた。自分たちは死んだが、もう一度別の形で甦ることができると。一か月前の山坂浩二がそうであったように、今度は月影香子も共に、死の世界から這い上がれると。
山坂浩二は隣の月影香子に目を向ける。
「行こう、香子」
その言葉に、月影香子は目を合わせて答える。
「行きましょう、浩二」
二人は頷き合い、手を取り合った。
目を閉じると同時に、その意識は光に包まれていった。
圭市の中央付近に位置する高台で、二対二の戦いを制した山坂宗一と月影さくらが、山坂浩二と月影香子の死体に背を向けて歩き出す。
歩きながら、二人は悲哀に満ちた表情を浮かべる。
勝ったはずなのに、復讐を果たしたはずなのに、退魔村の行いを否定したはずなのに、心が満たされることはなかった。もう、やるべきことはない。どうせこのまま死んでしまうのならば、地球上の生命すべてを巻き込んで死のう。二人はそう考えていた。
二人は歩みを止め、満月に向かって右手を高く挙げる。これで、あとは支配下の悪霊に命令するだけですべての終わりが始まる。
これでいい。
二人は覚悟を決めて悪霊を解放しようとした。
しかし解放の寸前、二人の後方で莫大な霊力が発生する。山坂宗一と月影さくらは悪霊に指令を出すのを止めて後ろに振り向く。
その視線の先には、赤と青と白の霊力が炎のように立ち上がり、三メートル以上の高さになって激しく揺らめいている。その二つの炎の中に、戦いに敗れて死んだはずの山坂浩二と月影香子が立っていた。