第三十六話 焦燥②
教室を出た山坂浩二と月影香子は、中央階段で柳川友子と合流し、三人で食堂に向かった。そして、新月の夜以前のように三人で昼食をとることになった。
その日は月影香子と柳川友子が会話をするだけで、山坂浩二はほとんど黙って箸を進めるだけだった。
また、下校も三人でするようになった。柳川友子に強引に連れられ、校門で待機している月影香子と合流し、未来橋まで一緒に歩く。その道の途中でも、山坂浩二は自分から話そうとはしなかった。
水曜日の夜、山坂浩二はこれまでと変わらず、月影香子を想いながら一時的な快楽に浸った。
そして次の日は登校まで三人で行うようになった。
朝の七時頃に月影香子と柳川友子が山坂浩二の部屋に訪れ、彼をたたき起こして学校に連れていった。
この日も昼食は三人でとり、三人で下校した。帰宅後、山坂浩二は相変わらず自分を慰めていた。
三月十八日、金曜日。
この日は学校の修了式が行われる日であり、一年生として学校に通う最後の日。そのような少し特別な日でも、山坂浩二は月影香子と柳川友子に連れられて学校に行くこととなった。
無理矢理に三人で行動するようになってから、山坂浩二は少しずつではあるが月影香子と柳川友子と会話をするようになった。
彼女たちとなるべく関わりたくないという気持ちは変わってはいなかった。しかし、退魔師としての少女ではなく、普通の女の子と接していると考えれば、気分も軽くなった。彼が避けていたかったのは退魔師関連の事だけだった。なので、好きな女の子とかわいい同級生とともに行動できること自体は嬉しいものだった。
そして、一限から四限までの授業が終わり、昼休みになった。
山坂浩二は購買で買っておいた弁当を手に、自分から中央階段に向かった。そこで月影香子と柳川友子に合流し、三人で雑談をしながら食堂に向かった。
以前と同じ場所に三人は陣取る。山坂浩二と柳川友子は弁当なのでそのまま座り、特大のラーメンを注文しに行った月影香子の帰りを待った。
数分後、彼女が大きな器をもって戻って来た。その器には女子高生が一人で食べるとは思えないほど大量の麺や野菜が入れられている。月影香子はその上に多量の一味唐辛子をふりかけ、幸福そうな表情を浮かべた。
三人で同時に食べ始め、彼らは雑談を交わしながら箸を進めていく。
山坂浩二にも笑みが戻り、他人から見れば彼は立ち直ったかのように思える様子だった。月影香子も柳川友子も、彼の心は持ち直したものだと思った。
会話が一区切りついたところで、月影香子は新しく話題を持ち出した。
「そういえばさ、秀さんと紗夜さんは今どうしてるの?」
彼女が柳川友子にそう尋ねた瞬間、山坂浩二は急に無表情になり、口を固く閉ざした。二人の少女は彼の変化に気づいていた。そのうえで、柳川友子は質問に答えることにした。
「秀さんと紗夜さんは、浄化任務を全部断って、残党のメンバーと話をしに行ってるよ。今の時点で、五組くらいは圭市の防衛に参加するって言ってるらしいよ」
「そうなのね。それなら、明日には全員揃いそうね。やっぱり、あの二人と先に話を付けたのは正解だったわね」
「あの、一応アタシも説得しに行ってるんだけど」
柳川友子が不満そうに目を細めて言うと、月影香子は小さく笑った。
「友子だって、秀さんと紗夜さんが元に戻ったから、正気に戻ったんでしょ。あんな体を痛めつける訓練なんて、狂ってるとしか思えないわよ」
「しょ、しょうがないでしょ。あのときはアタシだって、どうにかしてたんだから」
「そうでしょう? だったらあたしに感謝しなさーい?」
「うっ、ムカつく」
会話をしながら二人の少女は笑い合う。
しかし、彼女たちは緊張していた。この会話はただの導入。本番はこれからだった。二人は山坂浩二を見ながら、唾を呑んだ。月影香子が退魔師関連の話を持ち出してから、山坂浩二は無言でうつむいている。
月影香子は静かに息を吐き出して、山坂浩二に言葉をかける。
「浩二は、家に帰ってから何してるの?」
山坂浩二は何も言わなかった。
柳川友子が不安げな顔をしているが、月影香子は微笑みを浮かべた。
「浩二はさ、宗一の……お兄さんのこと、どう思ってる?」
月影香子がそう尋ねても、山坂浩二は何の反応も見せなかった。月影香子は表情を変えずに息を吐き、顔を少しだけ山坂浩二に近づけた。
「浩二は、まだ決心がついてないのね」
その言葉の直後、山坂浩二が歯を食いしばった。両拳を握りしめ、歪んだ表情で月影香子を睨み付ける。
彼はその両拳をテーブルに叩きつけながら立ち上がった。
「その話はもう俺には関係のないことだろ!」
山坂浩二はその怒号とともにプラスチックのコップを掴むと、その中の水を月影香子の顔にぶちまけた。食堂内の生徒たちが一斉に黙り、山坂浩二たちにこっそりと視線を向ける。そのような状況下で、山坂浩二はコップをテーブルに置いた後、食堂の扉に向けて走り始めた。
顔に水をかけられた月影香子だったが、彼女は静かに目を閉じているだけだった。髪が濡れ、セーラー服が水を吸っても、月影香子は動じなかった。
柳川友子が山坂浩二を追いかけようとして立ち上がる。
しかし、月影香子はそれを手で制した。
柳川友子はその場で足を止める。彼女はただ、食堂の扉を開けてどこかへ走り去っていく山坂浩二の背中を見ることしかできなかった。
彼の姿が見えなくなってから、柳川友子は月影香子に向けて悲痛な表情を浮かべた。
「香子。アンタ、山坂を止めなくてよかったの?」
「いいの。あの話を振ったあたしが悪いのよ」
月影香子は首を小さく横に振った。二人はそこで口を閉ざし、周囲の生徒たちも無言のまま彼女たちを心配そうな目で見ていた。
そこに、食堂で働いている最年長の女性が香子のもとへ駆けつけてきた。
「香子ちゃん! 大丈夫?」
彼女はそう言いながら白いタオルを月影香子に差し出した。
「ありがとうございます」
月影香子はそう言ってタオルを受け取り、濡れてしまった部分を拭き始めた。食堂のおばちゃんは月影香子の顔を覗き込みながら尋ねる。
「あの男の子となにかあったの? ケンカ?」
「いえ、なんでもないです。あっても、あたしが一方的に悪いです」
月影香子は髪や服からある程度の水分をタオルに移し、元の持ち主に返した。そして、彼女は立ち上がり、食堂に居る生徒たちに向けて頭を下げた。
「あたしは大丈夫です。あの男子はあたしが怒らせてしまったから、全部あたしが悪いです。だから、この事は食堂に居る人以外には秘密にしてください。お願いします」
彼女の言葉に、その場の生徒たちは何も言えなかった。しかし、水をかけられた側であるはずの月影香子が、騒ぎを大きくしないで欲しいと頼み込んでいる。状況がいまいち理解できなくても、彼女にはそれなりの理由があるということはわかった。
月影香子に続き、隣の柳川友子も頭を下げる。
「アタシからも、お願いします」
彼女の声が引き金になり、食堂の生徒やおばちゃんたちは無言で頷いた。このことを外に漏らせば、山坂浩二だけでなく、恥を捨てて名も知らない生徒たちに頭を下げている月影香子や柳川友子にも精神的な負担が及ぶ。
そう考えながら、生徒たちは二人の少女に目線を向けていた。
月影香子と柳川友子は周囲を見渡し、もう一度頭を下げた。
「ありがとう、ございます」
彼女たちはそう言って、丸椅子に腰を下ろした。食堂の生徒たちは少しの間、彼女たちを見ていたのだが、すぐに目線を逸らし、それぞれの食事に戻った。
食堂に気まずい空気が漂っているのを感じながら、月影香子は呟く。
「少し、焦りすぎたわね。浩二のことは、もう満月の夜に賭けるしかないのかもね」
彼女のその言葉を柳川友子は黙って聞き入れていた。
その後、二人の少女は無言で食事を再開し、しっかりと完食した。山坂浩二が残していった分は、二人で分けて食べることにした。