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ムーン・ライト  作者: 武池 柾斗
第四章 悪霊使い編
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第三十話 リーダーの責務⑥

「終わり、ましたね」

 柳田秀は突き出していた両手を下ろす。先ほどまでは悪霊がいた場所だが、視線の先にはただの空間があるだけ。揺れながら落ちていく白い光の粒を眺め、彼は安堵のため息をついた。

「ええ、終わったわ」

 水谷紗夜は表情を緩め、降下を始めた。ゆっくりと高度を下げていき、柳田秀を抱えたまま両足で着地。膝を曲げて腰の位置を下げ、柳田秀に顔を向ける。

「秀ちゃん、立てる?」

「ええ、おそらくは」

 柳田秀は力のない笑みで水谷紗夜に応え、彼女の腕の中から下りる。両足を地面につけ、まっすぐ立とうと膝を伸ばした。しかし、その直後、膝が脱力し、脚が折れるかのように、柳田秀は尻を地面に打ち付けてしまう。

「すみません。やっぱり、立てませんでした」

 柳田秀は水谷紗夜を見上げ、気恥ずかしそうに笑った。

「しばらく、ここに座って休んでいていいわ」

 水谷紗夜はそう言うと、膝を伸ばして空を見上げた。五階建てのホテルよりも高い位置で、月影香子がこちらに目を向けている。月明かりに照らされた彼女の日本刀は、清らかな光を放ち、膝裏まで届く黒髪は、光をかき乱すかのように滑らかに揺れている。

「任務成功、みたいね」

 月影香子は水谷紗夜が視線を向けていることに気づいた。浄化の霊力の残滓がほとんど消え、周囲には悪霊の気配もない。自分の役目が一つ終わったことに達成感を覚えながらも、メインの目的を果たさなければならないことを、彼女は再確認した。

 水谷紗夜がこちらを見ているということ。それは、これからは、本来の目的を果たすために動くという合図。

 月影香子は一度深呼吸をして心身を整え、両手で持っている日本刀を青の霊力に戻して体内に吸収した。そして急降下。地面から一メートルほどの位置まで来ると、一度空中で停止してから、ゆっくりと着地した。

 柳田秀と水谷紗夜から少し離れた場所に月影香子は立っている。彼女は二人の正面へと歩き始めた。

「大丈夫でしたか? 二人とも」

「ええ、心配ないわよ、香子ちゃん」

「僕も、大丈夫です」

 月影香子は二人のそばで足を止める。

「秀さんは、大丈夫そうには見えませんけどね」

「そう、ですね」

 月影香子と柳田秀は互いに苦笑しながら言葉を交わした。そして、三人の間にわずかな沈黙が訪れた後、柳田秀が口を開いた。

「ところで、香子さんはどうしてここに?」

 彼がそう尋ねると、

「それはですね……」

 月影香子は目を泳がせた。今回の件は、水谷紗夜から場所と時間は教えられていたが、援助要請は直接的には受けていない。水谷紗夜としては、浄化の手伝いを頼んでいたつもりなのだろう。しかし、月影香子にとっては、任務の内容が漏らされたので勝手に途中参戦したことになっている。柳田秀の質問は、非常に答えづらいのだろう。

 月影香子は、救援を求めるように水谷紗夜の目へ視線を移した。

 すると、水谷紗夜は彼女の意図を汲んだのか、静かに頷いた。

「香子ちゃんはね、私が呼んだの」

 水谷紗夜は柳田秀に顔を向けてそう言うと、月影香子を一瞥して、再び柳田秀に視線を向ける。「このことは私が話す」という合図だと悟った月影香子は、その場から数歩移動して、ホテルの壁に背中をもたれさせ、立ったまま柳田秀と水谷紗夜を見守ることにした。

「紗夜さん。それは、いったいどういうことなのですか?」

 柳田秀は目を細めた。口調が荒い。もし体力が残っていれば、彼は立ち上がって水谷紗夜に掴みかかったにちがいない。

 彼の憤りを含んだ視線を受けながら、表情を引き締めて答える。

「私と秀ちゃんの二人じゃ、今回の任務は厳しいと思って、香子ちゃんに手伝ってもらうことにしたの」

「そうだったんですか」

 柳田秀は一度目を閉じて深く息を吸った。そして、息を吐き出すと同時に目を開け、険しい顔つきになった。

「ですが、レベル8程度であれば、僕と紗夜さんだけで充分に対処できますし、今回の任務も香子さんが来てくれなくても成功していたはずです」

 意地を張り始めた柳田秀に対し、水谷紗夜はため息をついた。

「それもそうね。確かに、浄化はできるって点だけは賛成できるわ。でも、あのまま香子ちゃんの助けがなかったら、怪我だけじゃすまなかったかもしれないのよ」

 反論する水谷紗夜の声が抑揚を強める。彼女はやや感情的になっている。そのことに気づいた月影香子は、少しだけ壁から背中を離した。

「任務を遂行できたなら、それでいいじゃないですか。それに、強くなるためには、怪我を気にかけている暇などありません」

 水谷紗夜に言い返す柳田秀。山坂宗一と月影さくらの襲撃以前は、身の安全を第一に考え、戦力に余裕をもたせて浄化任務へ赴いていた。今の発言は、そんな彼の言葉とは到底思えない。やはり、柳田秀は冷静さを欠いたままだ。

「さっきまでは、あれほど弱気だったのに、今さらよくそんなことが言えるわね」

 水谷紗夜は眉間にしわを寄せ、口調を荒げる。

 双方が感情的になっていては、解決などできるはずがない。どちらか片方が感情を優先し始めたら、議論など成り立たなくなる。

 やはり自分が間に立つしかないか。そう考えたであろう月影香子は、再び背中を壁にもたれさせて、腕組みをした。

 そして、鋭い声を二人の間に突き刺す。

「もういいです。紗夜さん、秀さん」

 月影香子は水谷紗夜に視線を向けた。月影香子の一声に言葉を遮られた水谷紗夜も、彼女に顔を向け、二人の目が合う。

「紗夜さんは優しすぎますから、話がまったく進みません。だから、あたしから言います」

 月影香子の鋭い視線から、水谷紗夜は目を背けた。彼女は申し訳なさそうに息を吐くだけで、返事をしない。

 それを見た月影香子は、両目を閉じて息を吐き、両目を開けて、ホテルの壁からもたれていた背中を離した。彼女は柳田秀のもとまで歩くと、片膝立ちでしゃがむ。地面に腰を下ろしている柳田秀と目線を合わせた月影香子は、彼の目をまっすぐに見つめた。

「秀さん、あんた、ずいぶん無理をしていますね」

「無理など、していません」

 月影香子の言葉に、柳田秀は顔をしかめた。彼の口調には苛立ちが現れている。しかし、月影香子は彼の双眸を見据えたままだった。

「そうは見えません。あんな絶好のタイミングで、霊力不足になって浄化できないなんて、普段の秀さんなら絶対にありえません」

「……香子さん。何が、言いたいのですか?」

 柳田秀の声が一段と低くなる。月影香子への視線が冷たくなっていく。だが、月影香子は動じない。柳田秀の逆鱗に触れようとしていることは百も承知だ。

「どうして、残党と他のメンバーを頼らないんですか? 秀さんと紗夜さんだけで浄化任務ができるわけないじゃないですか。宗一のせいで、悪霊の数が増えてるんです。十年前とはケタ違いなんですよ。なのにどうして」

「香子さんに何がわかるんですか!」

 月影香子の声を遮って、柳田秀が声を荒げた。彼は、月影香子が話している最中に拳を握り締めて震わせていたが、ついに怒りが爆発してしまったらしい。

 辺りが静まりかえる。

 柳田秀は我に返り、唖然とした表情をした後、月影香子から目を逸らして下を向いた。そして、弱々しい声で語り始める。

「頼れるものなら、頼りたいです。残党のみなさんは、十年前とは比べものにならないほど強くなりました。ですがね、彼ら、彼女たちには、もう戦う意志なんて残っていないのです。学校にも行かず、街を徘徊している方もいますし、家に閉じこもったまま出てこない方もいます。みなさんは、宗一とさくらに心を折られてしまったのですよ。戦うどころか、社会に加わることすらしなくなりました。だから、もう、僕たちだけでやるしかないのです。浄化任務も、山坂宗一と月影さくらの討伐も……」

 彼の口から漏れる言葉を、月影香子と水谷紗夜は黙って聞いていた。月影香子は力なく柳田秀を見つめ、水谷紗夜は彼に体を向けてはいたが、目線は別の方向を向いていた。

「……なるほどね」

 柳田秀の話を聞き終えた月影香子が、両目を閉じ、頭を数回縦に振る。振り幅はごくわずかで、彼の言葉を咀嚼しているかのようにも見えた。

 やがて、月影香子はゆっくりとまぶたを開け、穏やかな目で柳田秀を見つめた。柳田秀はうつむいたままで、二人の視線が交わることはなかったが、月影香子は言葉をかけた。

「残党は戦意喪失したから、自分たちで戦うしかない。そうですよね」

「……はい」

 柳田秀は顔を上げて、月影香子と目を合わせ、再び視線を落とす。

「僕は、逃げているだけなのです。みなさんだって、悩んでいるのです。でも、僕にはどうしようもないのです。友子さんや浩二さんを含めた十六人のケアをすることなんて、僕にはできません。しかし、できなくても、僕はやらなければなりません。でも、できません。だから、僕は浄化任務に逃げたのです」

 柳田秀は右手で額を抑え、言葉を続けた。

「みなさんが完全に戦意を喪失しているわけではない。そのことはわかっています。みなさんは、『戦うのが怖い。でも、圭市を守れるのは自分たちしかいない』って、思っているのです。最後の一歩を踏み出せないだけなのです。だから、僕が背中を押してあげなければいけません。残党の、リーダーとして」

 両目を強く閉じて、柳田秀は歯を食いしばった。

「本当は、僕の役目は、先頭に立って戦うことではありません。後ろに控えて、組織全体に目を向けることです。なのに、僕は、一部の人、いや、自分だけしか視野に入っていません。こんなの、リーダー失格です」

 月影香子は、黙って頷くことしかできなかった。でも、それでいい。柳田秀には、思いのたけをぶちまけて欲しかった。話すことで、心を楽にしてもらいたかった。

 柳田秀は息を吐き、力を抜いた。

「本当はわかっています。残党のみなさん全員で戦うのが最善だということは。でも、僕は、僕には……」

 柳田秀は両手で頭を抱え、深く息を吸い込む。心の中心に座り込んでいた悩みの核を外へ追いやるかのように、息を吐き出す。

 そして、言葉を紡いだ。


「僕には、みなさんを立ち直らせる自信がありません」


 そう言い放った柳田秀は、表情を和らげた。月影香子に逆鱗を触れられてスイッチが入ったのか、彼は自分の思いを吐き出し、また、自分でもわかっていなかったことを見つけ出すことができた。

「そう、ですか」

 柳田秀が心の内をさらけ出した後、月影香子は微笑み、穏やかな声で相槌を打った。水谷紗夜は目線を柳田秀に移して優しい笑みを見せ、しゃがみ込む。そして、そばにいた柳田秀を胸に抱き寄せ、柔らかく包み込んだ。

「ちょっ、紗夜さん! こんなところでなにやっているんですか!」

 水谷紗夜のふくよかな胸が顔に当たり、柳田秀は困惑を隠しきれなかった。すぐ近くにいる月影香子も、恥ずかしそうに頬を赤らめて二人から視線を逸らした。

 動揺している柳川秀に、水谷紗夜は落ち着いた様子で話しかける。

「話してくれてありがとう、秀ちゃん」

 彼女がそう言うと、柳田秀はもがくのをやめ、おとなしくなった。水谷紗夜は柳田秀を愛おしそうに眺め、言葉を続けた。

「そういうことを、独り言じゃなくて、ちゃんと私たちに向けていってくれたことが、本当にうれしいわ。一人で抱え込まず、私たちを頼ってくれた。それだけでも、秀ちゃんは立派な退魔師残党のリーダーと言えるわよ。少なくとも、私はそう思っているわ」

 穏やかな声で水谷紗夜は柳田秀に語りかける。そんな彼女を見た月影香子は、一度咳ばらいをした後、二人に目線を戻した。

「あたしも、つらくて言いにくいことを話してくれた秀さんは、退魔師残党のリーダーとして認めることができます。それに、浄化任務をこなしながら、残党のメンバーを退魔村の主力クラスに育て上げたんだから、今さらリーダーの座を降りるって言っても、許しませんよ」

 口調は少し厳しいが、月影香子の表情は優しい。

「紗夜さん……それに、香子さんまで」

 柳田秀は目を見開いて、視線を月影香子と水谷紗夜へ交互に移す。穏やかでありながら、自身に満ち溢れた二人の表情。それを目に焼き付けた柳田秀は、かすかに笑いながら、一粒だけ涙を流した。

「僕は、いい仲間を持ちましたね」

 柳田秀は顔を上げ、水谷紗夜の腕の中から離れる。背筋を伸ばし、彼の顔には、以前のような爽やかな笑みが浮かんだ。

「僕には、こんなにも頼もしい味方が二人もいて、僕をリーダーだと認めてくれる。なのに、自信なんて湧いてこないはずがないじゃないですか」

 柳田秀は表情を引き締め、月影香子と水谷紗夜を見据える。

「これからは、残党のみなさんとお話しすることにします。そして、全員が揃うまでは、任務を受けないことにします。今は、満月の夜の決戦のために、できることをするのが最優先ですから。協会長も、事情はわかってくださると思います」

 彼がそう宣言すると、水谷紗夜は満面の笑みを浮かべた。

「ありがとう、秀ちゃん。私も、精一杯協力するわ」

「あたしも、できることはやります。たぶん、友子と浩二を何とかすることしかできませんが」

 彼女に続き、月影香子は凛々しい表情でそう言った。

 月影香子に対して、柳田秀は力を抜いたように笑う。

「それしかって……それでも充分すぎますよ。でも、友子さんと浩二さんのこと、よろしくお願いします」

「わかりました」

 月影香子が自信ありげに答えると、三人の間にわずかな沈黙が訪れた。

 心地の良い沈黙のようだったが、水谷紗夜はそれを破る。

「じゃあ、帰りましょうか」

 彼女に柳田秀が「そうですね」と応え、三人は浄化任務から帰還する用意を始めた。水谷紗夜は柳田秀を背負って飛び立ち、月影香子は二人の後に続いて飛行した。


 飛行中、月影香子は柳田秀と水谷紗夜の背中を眺めながら、呟く。

「あとは友子ね。友子はもう体力的にも精神的にも限界でしょうから、さっさと説得しに行った方がよさそうね。これ以上自分を痛めつけても、プラスにならないから。明日にでも話を付けに行かないと」


 退魔師残党に復帰した退魔師は現在、十九人中三人。


 満月の夜の決戦まで、あと、六日……。






第四章第六節はこれで終了です。

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