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ムーン・ライト  作者: 武池 柾斗
第四章 悪霊使い編
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第二十九話 リーダーの責務⑤

 月影香子の登場に、水谷紗夜は目を輝かせて力を抜くように笑った。その表情は安堵とともに喜びに満ちていた。

「香子ちゃん!」

「香子さん!?」

 水谷紗夜が歓声を上げる一方で、柳田秀は呆気にとられた表情をし、彼の声は弱々しくも困惑の色を前面に出していた。

 そんな二人に向けて、月影香子は穏やかな笑みを浮かべた。

「間に合ってよかった」

 一つ肩の荷が下りたようで、月影香子は息を吐くようにそう言った。

 だが、この状況を理解しているのは、月影香子と、彼女に浄化任務の場所を教えた水谷紗夜だけで、柳田秀は戸惑うばかりだった。

「香子さん、どうしてここに……?」

 柳田秀はそう尋ねたが、

「それは後で説明します。今は、あれを浄化するのが先です」

 と彼の言葉を遮り、右の日本刀の切っ先を巨大な悪霊に向けた。浄化対象であるその悪霊は、ホテル四階の高さで浮遊している。悪霊にとっては、結界の足場が崩壊したことはなんてことないようで、むしろ柳田秀と水谷紗夜に隙が生まれたので好機だったらしい。

 月影香子は日本刀で悪霊を指し示したまま、水谷紗夜に視線を向ける。

「紗夜さん、いけますね?」

「ええ、もちろんよ」

 水谷紗夜は悩む様子もなく戦闘を続けることを選んだ。柳田秀と水谷紗夜の二人だけでは、この悪霊を浄化することはできなかった。しかし、月影香子の参戦により、戦局は好転した。今の状況であれば、任務遂行も不可能ではない。

 戦意が向上した水谷紗夜を見た月影香子は、力強く頷く。

「じゃあ、行きますよ!」

「オッケー!」

 軽快な口調で互いを鼓舞した月影香子と水谷紗夜は、同時に空中移動を始め、悪霊に向けて高度を上げていった。月影香子は水谷紗夜の周りを飛び回りながら、悪霊の触手を切り落としていく。

 水谷紗夜は緩やかに上昇していたが、彼女の腕の中にいる柳田秀は半ば騒ぎ立てるように口を開いた。

「待ってください! いったい何をするつもりですか!」

 無理を押し通して浄化任務を続行していたものの、結界の足場を維持できなくなったことを境に、柳田秀は浄化を諦めていた。しかし、退却を訴えていた水谷紗夜が、月影香子が現れた後は打って変わって任務を遂行しようとしている。そのうえ、事前に打ち合わせをしていたかのように、水谷紗夜は月影香子の到来に、さほど驚いた様子は見せなかった。

 水谷紗夜は浮上を止め、空中に留まった。そして、現状に混乱している柳田秀に向けて、彼女は微笑む。

「決まっているでしょ」

「まさか、本当に浄化するのですか?」

「当たり前じゃない」

 柳田秀を信頼するかのような笑みを浮かべている水谷紗夜を、彼は信じられないものを見るかのように目を見開いた。

「無理です。今の僕では、霊力が足りません」

「そうね。確かに、秀ちゃんの霊力はもう一割くらいしか残っていないわね。あと一回普通に浄化すれば、気絶するかもしれない」

 水谷紗夜は目を閉じて息を吐き、まぶたをゆっくりと上げていく。

「でも、浩二くんはそれよりも小さい霊力で、あの大きな悪霊を浄化できるわよ」

 柳田秀は彼女の意図を瞬時に汲み取った。

「まさか、ゼロ距離浄化を?」

「そのとおり」

「しかし! それは、浩二さんだからこそできる方法です! 女性の力が使えない僕では、ほとんど不可能ですよ!」

 柳田秀はうろたえる。ゼロ距離浄化は悪霊に直接浄化の霊力を送り込むため、霊力の無駄な消費が一切ない。しかし、それは、男の霊力も女の霊力も扱うことのできる山坂浩二ならではの芸当。身体強化ができない柳田秀では、悪霊に近づくことさえも危険極まりない行為だ。そんな戦術を、どうして彼女は提案することができるのだろうか。

 水谷紗夜は柳田秀の言葉に、首を縦に振った。

「そう。浩二くんは、女の霊力も使えるから、悪霊に近づくことができるわね。香子ちゃんに守ってもらいながら、浩二くんは悪霊に触れられる。でも、あの二人は特殊だから、他のペアじゃ、そうはいかない」

「そう、ですよね……」

 柳田秀は語尾を弱めながら、うつむいた。自分の弱点をわかっていたとしても、それを水谷紗夜に言われたことで、さらに自信を失ってしまう。

 しかし、水谷紗夜は彼の反応を予測していたようで、前を向いて悪霊を見据えたまま言葉をつづける。

「でも、今は香子ちゃんに守ってもらっているから、私たち二人は悪霊のすぐ近くまで行くことができるわ」

 彼女のその言葉に、柳田秀は顔を上げて周囲を見渡した。月影香子が、柳田秀と水谷紗夜を守るように空中を縦横無尽に翔けていき、双剣を巧みに操りながら、触手による悪霊の攻撃をすべて防いでいる。前から伸ばされた触手を突進して斬り捨てたかと思うと、百八十度回転して急加速し、水谷紗夜の背後に迫る触手を薙ぎ払う。急停止、急速な方向転換、急加速を繰り返しながら、月影香子は絶対防御の盾となっていた。

 柳田秀は水谷紗夜に視線を向け、眉をひそめる。

「本気、ですか? 香子さんが守ってくれているとはいえ、僕を抱えたまま悪霊に近づくなんて、そんなの紗夜さんが危ないだけじゃないですか。僕なんて、もう、足手まといにしか……」

「違う!」

 水谷紗夜の一喝が、柳田秀の言葉を遮った。彼女の険しい表情に、柳田秀は思わず怖気づいてしまう。だが、否定的な言葉が断ち切られると、陰湿な空気が柳田秀の周りから消し飛ばされたかのように、彼の顔に生気が戻ってきた。

 顔を強張らせて突き刺すような目をしていた水谷紗夜は、柳田秀のネガティブな感情が消えたことを悟ると、顔から力を抜いていつもの微笑みを見せた。

「秀ちゃんは足手まといなんかじゃないわ。私たちには私たちの役割があるように、秀ちゃんには秀ちゃんの役割がある。私たちは、自分の役割を一生懸命果たすだけでいいの。浄化は秀ちゃんにしかできないのだから、秀ちゃんは浄化に専念してくれればいい」

 水谷紗夜は優しく語りかけるが、柳田秀はまだ不安そうに彼女を見つめている。彼は、自分を抱えて悪霊に接近する水谷紗夜と、防御を一人で引き受けている月影香子の身を案じているのだろう。

 そのことに気づいた水谷紗夜は、短く声を上げて軽く笑った。

「ふふっ、私と香子ちゃんはそこまで弱くないから、そんなに心配してくれなくてもいいのよ。大丈夫、私と香子ちゃんを信じて」

 そう言って柳田秀を見つめ返す水谷紗夜の目の奥には、固い決意が宿っていた。新月の夜の惨敗から失われていた彼女の強さが、すでに取り戻されていたことに柳田秀は気づく。今は彼女を信じるしかない。そう思わせるのには、その目だけで充分だった。

「わかりました」

 柳田秀が声を強めて頷いた。

「うん」

 再び浄化任務をおこなうことを決めた柳田秀に対して、水谷紗夜は穏やかな笑みのまま、満足そうに声を返した。

 そこで、タイミングを見計らったかのように、月影香子が叫ぶように声を上げる。

「紗夜さん! 早くしないと悪霊の霊力が回復してしまいます!」

 月影香子は動く盾としての役割を続けながら、柳田秀と水谷紗夜に注意を向けていた。二人の様子や会話の内容をすべて把握していた彼女は、水谷紗夜が悪霊に接近する時を待っていた。

「了解!」

 水谷紗夜は顔を上げて月影香子に応えると、目線を再び柳田秀に戻した。

「秀ちゃん、飛ばすわよ」

「はい」

 穏やかではあるが芯の通った声で、水谷紗夜は柳田秀に浄化開始の確認を取る。これまで迷っていた柳田秀は、覚悟ができたようだった。

 水谷紗夜は顔を上げて悪霊を見据え、腹の底から声を上げる。

「香子ちゃん! 一気に行くわよ!」

「わかりました!」

 待ってましたと言わんばかりに、月影香子は即答すると、半径十メートルはある球状の悪霊に向かって急加速。彼女に続き、柳田秀を抱えたまま、水谷紗夜も悪霊のもとへ飛行を開始する。柳田秀は残りわずかな霊力を両手に集め、浄化の霊力へと変換していく。

 月影香子は右手の刀を青い霊力の粒子に戻して体に吸収する。左の刀を顔の近くまでもっていき、刃を上向きにして両手で突きの構えをとった。

 移動速度を上げ、彼女は突進の勢いを活かして、悪霊に日本刀を突き刺した。噴き出した黒い霧を浴びながら、月影香子は動きを止める。

 一瞬の静寂。けれども無限の時のようにも感じられる静けさ。

 その後。

 月影香子は上に飛んだ。両手に持った日本刀を悪霊に突き刺したまま、彼女は急加速する。白銀の刃が悪霊の表面を斬り裂いていく。月影香子が悪霊よりも高い位置に到達すると同時に日本刀が悪霊から抜け出す。わずかな間を置いて、悪霊の斬り裂かれた部分から黒い霧が血のように噴き出した。

 自らに大ダメージを与えた月影香子に対して、悪霊は全触手をもって対抗する。高度を上げつつ速度を落としていた月影香子に、下方向から無数の触手が襲いかかる。

 二十本を超える触手が一斉に迫ってくる。

 さすがの月影香子でも、この集中攻撃は捌ききれそうもない。

 しかし、彼女は触手よりも下に視線を向け、勝ち誇ったように口の端を上げて白く整った歯を見せた。

 悪霊が異変に気づき、触手の動きを止める。

 月影香子が悪霊の注意を引き付けていた隙に、水谷紗夜と柳田秀が悪霊の目と鼻の先に到達していたのだ。

 懐に入り込んだ二人を薙ぎ払おうとして、新たに触手を作り出すが、時すでに遅し。

 月影香子が日本刀を突き刺した場所に、柳田秀が身を乗り出して両手を当て、今まさに浄化の霊力を送り込もうとしていた。

「秀ちゃん、お願い」

 不安定な姿勢で役目を果たそうとする柳田秀を抱えながら、水谷紗夜はささやくように浄化の指示を出す。

「はい」

 柳田秀は透き通った声で彼女に応えると同時に、手のひらに集めた浄化の霊力をすべて、悪霊の体内へと流し込んだ。

 柳田秀の手が触れている場所から、白の霊力が波紋のように、球状の悪霊の表面に広がっていく。浄化の霊力は表面だけでなく、霊体内の奥にまで浸透していく。悪霊の動きが完全に止まり、月影香子を追っていた触手の先端まで白に変わる。

 そして、悪霊の核まで霊力が行き渡り、周囲は一瞬の静寂に包まれる。その後、半径十メートルはあった球状の悪霊は、無数の白い光の粒子へと変貌し、全方位に勢いよく飛び散った。単体でレベル8相当の悪霊が完全に浄化され、拡散した浄化の霊力の残滓が、月明かりに照らされながら、雪のように舞い落ちていった。




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