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ムーン・ライト  作者: 武池 柾斗
第四章 悪霊使い編
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第二十六話 リーダーの責務②

 教室を抜け出し、本校舎二階の廊下を歩いていた月影香子は、あきれた表情をしながら後頭部に右手を添えていた。

「ったく、ひそひそ話のつもりなんでしょうけど、丸聞こえなのよ」

 彼女は一年一組の教室付近にある東階段を下り始める。

 頭から右手を下ろし、両拳を握りしめた。

「こそこそされると本当にムカつくわね。それに、あのクソアマ教師にもイライラするわ。いちいち言わなくてもいいでしょうが。予習させるよりもまずは授業を頑張りなさいよ。授業が下手すぎるのよ。ここ、そんなにレベル高くないでしょう。自称進学校が進学校の真似してんじゃないわよ」

 月影香子は小声で独り言を言っている。見るからに彼女は不機嫌なので、後ろを歩いていた男子生徒は立ち止まり、向かってきた女子生徒は階段の端にまで寄って、月影香子から距離を取っていた。

「あたしは、あんたたちのために戦うわけじゃない」

 月影香子はそう言ってため息をつき、一階へと下り立った。

 一階の廊下は生徒たちで溢れていた。三年生は卒業しているので以前よりは少なくなっているものの、購買や学食を利用する生徒が多いため、昼休みになると混雑する。

 月影香子は無言で人ごみをかき分けて、体育館横の学食へとたどり着いた。入り口のそばには券売機が二つあり、十人ほどの生徒が列を作っていた。

 月影香子もその列に並び、券売機の前で逡巡している生徒を睨み付けたりしながら、食券の購入機会を待つ。

 数分ほどで彼女の番になった。硬貨を入れ、迷わずボタンを押す。月影香子は食券を右手に取り、食堂へと足を踏み入れた。

 タイル張りの床を歩き、麺類コーナーに並ぶ。客の回転が速いので、月影香子の注文もすぐに受け付けてもらえた。

 ただ、彼女の注文は時間がかかるので、後ろに並んでいた生徒たちのほうが先に昼食にありつけていた。月影香子は受け取り口で比較的長く待機している。すると、そんな彼女に、カウンターを挟んで食堂のおばちゃんが話しかけてきた。

「香子ちゃん、今日も特盛ラーメンなの?」

 おばちゃんはにこやかに接してくる。

 月影香子も微笑みを返した。

「はい。今日もお腹空いてますから」

「ほんと、よく食べるわね。だからそんなに背も高いし引き締まってるのかしら?」

 月影香子は小さく笑う。

「背が高いのは、たぶん遺伝です。両親も身長高いので」

「そうなの。部活動はやってないんだったよね? 自分で運動とかしてるの?」

「はい。毎日欠かさずやってます」

「そう。あ、できたみたいよ」

 おばちゃんは会話を中断すると、数人がせわしなく動き回っている厨房へと戻っていった。

「あの人、あたしと話してて大丈夫なのかしら?」

 月影香子は首を傾げるが、

「まあ、最年長みたいだし、誰も文句言わないのかな」

 と自己解決して厨房を眺め始めた。

 一分ほどで先ほどのおばちゃんがカウンターまで戻ってきた。彼女は大きなどんぶりを両手で持ちながら、月影香子に声をかける。

「はい、おまちどおさま」

 両手で支えられたどんぶりが月影香子に差し出される。月影香子はカウンターに置いてあった割り箸を右手に取ると、そのどんぶりを両手で受け取った。

「ありがとうございます」

 彼女は笑顔でそう言い、壁際の机へと歩き始めた。

 その机には、一年五組のヘンタイ六人衆が陣取っていて、議論に花を咲かせていたが、彼女は気にすることなく、彼らから右に四席分離れた席へ腰を下ろした。

 この机には、ヘンタイ六人衆と彼女以外いなかった。

「食堂って使う人がだいたい決まってるから、どこに座るのかなんて、ほとんど暗黙の了解のうちよね」

 月影香子はそう呟くと、顔の前で両手を合わせた。

「いただきます」

 彼女は割り箸を割って、キャベツやモヤシ、チャーシューがたくさん乗った大盛りのラーメンとの格闘を始めた。

 途中、スカートのポケットから一味唐辛子を取り出して大量にふりかけて食事を進めていった。一人で特盛のラーメンにがっつく月影香子。そんな彼女を、周りの生徒は、時折横目で見ていた。

 猛烈な勢いで食べすすめ、スープも飲み干した月影香子は、顔の前で両手を合わせ、

「ごちそうさまでした」

 と言って席を立った。

 空になったどんぶりを返却口まで持って行き、最長年のおばちゃんにどんぶりの中を見せ、

「完食です」

 と誇らしげな顔をして食器を返却し、学食を出て、近くにあったウォータークーラーで水分を補給すると、教室へ戻り始めた。

 分校舎を抜けて本校舎へ入り、東階段に差し掛かったとき、月影香子は足を止めた。彼女の左側には東階段があるが、視線は右側の廊下のほうにあった。

「あれは、友子? 生徒指導室の前でいったい何をやってるのかしら」

 月影香子は首を傾げながらそう呟き、柳川友子のところへ走り出そうとした。だがここは学校の廊下。下手に走ると様々な意味で危険だ。

 彼女は踏みとどまり、顔をしかめて両目を閉じた。そして心を落ち着かせるように息を吐いて両目を開け、廊下を歩き始める。

 柳川友子は生徒指導室のそばで壁に背をもたれて立っている。彼女はうつむいていて、月影香子には気づいていないようだった。

 月影香子は偶然を装って柳川友子に話しかけた。

「あ、友子。あんた、生徒指導室の前にいるけど、何かあるの?」

 柳川友子は重い頭をゆっくりと持ち上げて顔を右に向けた。

「ああ、香子。うん、うちの担任に呼び出されたんだ。今は、この中で山坂が先生と面会中だよ」

 力のない声で彼女はそう答えた。濁った瞳を月影香子の澄んだ双眸に向ける柳川友子からは、月影香子でさえも近寄りがたい雰囲気が醸し出されているかのように思える。

「浩二も呼ばれてるの? あんたたち、あの中林に呼び出しくらうなんて、いったい何をしでかしたの?」

 月影香子は苦笑いしながら尋ねた。

 それに対して、柳川友子は居心地が悪そうに月影香子から目を逸らし、顔を正面に向けて視線を落とした。

「さあ? どうせたいしたことじゃないよ」

「そう。だったら、浩二と友子の面談も無事に終わるといいね」

 月影香子は穏やかな笑みを浮かべたが、柳川友子は不愛想に両目を閉じた。

「そうだね。そんなことより、香子も他人の心配なんかしてないで、早く教室に戻りなよ。アンタは教師たちに目をつけられてるから。職員室の近くになんか居たら、別の先生に捕まって説教されるかもしれないよ。特に、谷口とか」

 柳川友子がそう忠告すると、月影香子はハッと気付いたように目を大きく開いた。そして力を抜くように笑う。

「たしかにそうね。じゃあ、あたしは教室に戻るわね」

 彼女はそう言うと歩き出し、柳川友子の前を横切った。

「うん」

 柳川友子は小さく頷く。

 本校舎の一階は職員室や事務室があるせいか、昼休みでも静かな状態が保たれている。人通りも少なく、中央階段に向かう月影香子の足音がはっきりと聞こえる。

 口元をわずかに上げ、柳川友子は口を開いた。

「アタシのことは、もう放っておいてくれていいよ」

 彼女の独り言は本人にしか聞こえないような大きさで放たれていた。だが、職員室の前を通過していた月影香子は足を止め、緩やかに後ろへ振り向いた。

「ん? 友子、何か言った?」

 月影香子はほがらかに問いかける。

 あの音量で彼女が反応したということに柳川友子は意外だったのか、両目を開けた。努力家の少女は月影香子に顔を向け、力なく首を左右に揺らした。

「ううん、なんでもない」

「そう」

 月影香子は返事をするとすぐさま柳川友子に背中を向けて歩き出した。柳川友子は安堵したようにため息をついて正面を向き直した。

 中央階段に向かう月影香子は、哀しそうな表情をしていた。

「友子も、そろそろ限界ね。あたしにはもう休んでる暇なんてないみたいだわ」

 そう呟いて、彼女は中央階段を上り始めた。

 階段で数人の生徒とすれ違うなか、月影香子は小さく口を開く。

「一応、浩二とも話しておきたいわね」

 彼女は二階に上がると、自分の教室のある東方面ではなく、一年五組の教室のある西方面に歩き始めた。そして、一年五組の教室の前で立ち止まって壁に背中を預けた。

 彼女は中央階段に目を向け続ける。月影香子が待機している地点は、中央階段がぎりぎり見える位置なので、生徒指導室から帰ってくる山坂浩二を待ち伏せするには絶好のポイントだった。

 偶然の振りをして山坂浩二に話しかけるため、月影香子は待機し続けた。だが、目的の人物はなかなか現れず、彼女はしだいに苛立ってきていた。

「遅いわね……」

 階段を上ってくる気配で期待しても、生徒の顔を見て落胆する。そんなことを繰り返していた。

「我慢するのよあたし、こんなの、紗夜さんを待っていたときに比べれば余裕過ぎて笑っちゃうレベルだわ」

 月影香子は苛立つ自分をなだめながら、中央階段に注意を向け続けた。そして、ついに山坂浩二が中央階段を上ってくるのが見えた。

「来た……」

 月影香子はもたれていた壁から離れ、中央階段に向けて歩き始めた。

「落ち着いて、偶然会ったことにするのよ」

 彼女は息を吐きながら、山坂浩二に近づいていく。彼はもうすでに月影香子に気づいていたが、彼女は山坂浩二に気づいていない演技を続けた。

 山坂浩二が階段を上り切ったところで、月影香子は彼に目を向けた。

「あ、浩二」

 心を落ち着かせて、今気づいたふりをする。以前のように駆け寄ってみる。

「よ、よう」

 山坂浩二は挨拶めいたものをするが、態度はぎこちない。

 今回の接触は様子見が目的なので、月影香子は当たり障りのない会話をすることにした。

「テストどうだった?」

 月影香子は明るく話しかけた。

「ま、まあ、そこそこかな? 香子は?」

 山坂浩二は目線を左上に逸らし、頭を右手で掻きながら尋ね返した。

「ん? あたし?」

 彼が会話を続けようとするとは思っていなかったのか、月影香子は少しだけまぶたを上げる。そして、誇らしげな顔で腰に両手を当て、平坦な胸を張った。

「あたしはね、今回はいい感じよ。余裕で平均点は超えてる自信あるわ」

 彼女は肩の力を抜いて腰から手を離し、おだやかな笑みを浮かべた。

「これも、浩二があたしの勉強を見てくれたおかげね。ありがとう。これで、残りの授業も全部出席すれば、あたしも浩二と友子と一緒に二年生になれるわね」

 そう言って、月影香子は山坂浩二への感謝を述べた。

 だが、山坂浩二にとってはそれが嫌味にしか聞こえなかったので、彼は眉をひそめていた。わずかな沈黙の後、山坂浩二は険しい顔のまま、

「そ、そうか。そりゃよかったな。もうすぐ予鈴鳴るから、俺は教室戻るよ」

 と言い放って歩き出し、月影香子から顔を逸らして彼女の左側を通り過ぎていった。

 月影香子は歯ぎしりをした。

 自分を避けるような振る舞いをすることは予測できていた。

 それでも、自分のパートナーに避けられるのは悔しかった。

 一つ言ってやろうと、月影香子は後ろに振り向いた。右手で山坂浩二の左手首を掴んで彼の歩みを止める。

「待って」

 驚くほどに澄み切った声が、月影香子の口から放たれる。

 自然と表情が引き締まった。

 山坂浩二は前を向いたまま、その手を振りほどこうと左腕を動かす。月影香子は抗うように力を込める。やがて山坂浩二は抵抗を止め、居心地が悪そうに後ろへ振り向いた。

「なに?」

 山坂浩二の声は低く、視線は冷たい。

 かつて月影香子に向けられていたあの暖かな眼差しの面影はなかった。

 心が折れそうになる。

 だが、ここで負けるわけにはいけない。

 月影香子は凛とした顔つきのまま、山坂浩二の双眸をまっすぐに見つめた。

「あたしは諦めないから」

 いくつもの意味が込められた言葉を、芯の通った声で目の前のパートナーにぶつけた。

 山坂浩二の瞳の色が変わる。

 冷たくもなく、温かくもない。ただ、月影香子の瞳を見ていた。

 彼の左手首から激しい脈拍が伝わってくる。

 月影香子は意思表示をするかのように山坂浩二を見つめ続けた。

 だが、

「ふん、そうかよ」

 山坂浩二のその言葉とともに、彼の左手首が月影香子の右手から抜けていく。

「あっ」

 いつの間にか右手の力が弱まってしまっていたようで、月影香子は無意識に情けない声を出した。彼女は山坂浩二の双眸に注意を向けすぎたことを少しだけ後悔した。

 冷たい声を放った後、山坂浩二は無表情で月影香子の顔を一瞥し、彼女に背中を向けて歩き出した。彼は一年五組の教室へと向かっていく。

 月影香子は顔を引き締め、頼りない彼の背中を睨んだ。

 そして、そっと目を閉じて小さく息を吐き、踵を返す。

「浩二、あんたはまだ、迷ってるみたいね」

 月影香子と山坂浩二のやり取りの一部始終を見ていた生徒たちが騒然とするなか、月影香子は何食わぬ顔で廊下を歩いていく。彼女にとって周りの声など、雑音にすぎなかった。

「まあ、いいわ。浩二だけは特別に、決戦の直前まで考えさせてあげる。浩二だけじゃなく、あたしにとっても、残党にとっても、他の誰にとっても、大事なことだから」

 月影香子はそう呟きながら、一年一組の教室へと戻っていった。



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