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ムーン・ライト  作者: 武池 柾斗
第四章 悪霊使い編
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第二十五話 リーダーの責務①

 三月十三日、日曜日。

 その日の夜に意識を取り戻した月影香子は、全身が柔らかいものに包まれているのを感じながらまぶたを上げた。

 辺りは暗い。

「ん……ここは、どこかしら」

 彼女は消え入りそうな声で呟いた。仰向けの状態のまま顔を左右に向け、最後に白い天井を見上げる。

「ああ、あたしの部屋か。確か、紗夜さんと話し後に倒れたのよね、訓練所で。……って、紗夜さんは!?」

 月影香子はかぶせられていた布団を跳ね除けながら勢いよく上半身を起こした。だが、そこで彼女は全身をこわばらせ、顔をしかめる。

「痛たたた」

 霊力が回復していないのか、月影香子の動作はゆっくりとしたものだった。彼女がベッドの上で呼吸を整えていると、

「私にならここにいるわよ、香子ちゃん」

 と不意に落ち着きのある声が近くから聞こえてきた。

「おわあああ! って紗夜さん!?」

 月影香子は素っ頓狂な声を上げ、水谷紗夜の声がした左方向に顔を向けた。そこには、ベッドの側面に背中をもたれさせて体育座りをしている、水谷紗夜の姿があった。背中を月影香子に向けているため、表情はわからない。

 水谷紗夜はため息をついて月影香子に振り向いた。

「そんなに驚くことないじゃない」

 そう言う彼女は微笑んでいた。

「す、すいません」

 月影香子はおとなしく頭を下げる。声も控えめだ。

 二人の間に数秒間の沈黙が訪れる。その後、月影香子が口を開いた。

「それで、紗夜さんはどうしてあたしの部屋にいるんですか?」

 水谷紗夜は少し驚いたように瞼を上げた。

「香子ちゃんが訓練場で倒れたのは覚えている?」

「それは、はい、覚えてます」

 月影香子は小さくうなずく。

「その後、いくら呼びかけても目を覚まさなかったから、私がここに連れてきたのよ。鍵は、制服のポケットから勝手に取ったけど、そこは許して」

 水谷紗夜が月影香子に優しく話しかける。

「いえ、倒れたあたしが悪いんです」

 月影香子はそう言って息を吐き、

「そうだったんですか。紗夜さんがあたしを運んでくれたんですね。正直、訓練場なんかで泊まりたくはないですからね。ありがとうございました」

 と頭を下げた。

「いいわよ、それくらいのこと。それに、お礼を言うのはあたしのほうだわ、香子ちゃん」

「え?」

 水谷紗夜の言葉に困惑気味の月影香子。

 そんな彼女に、水谷紗夜は穏やかな声で話し続ける。

「自信がなくて、うじうじしていた私を立ち上がらせてくれたのは香子ちゃんじゃない。まさか、それは忘れいたりなんかしていないわよね?」

「そ、それは覚えてますけど。さっきはすみませんでした。暴言吐いたり、怪我させたりしちゃって。傷のほうは大丈夫ですか?」

 月影香子は眉をハの字にしながら不安そうに尋ねた。すると、水谷紗夜は静かに笑って月影香子の双眸を見据えた。

「それはもう謝らなくてもいいわよ。一回謝ってもらっているんだし。怪我のほうは治したわ。スーツは破れてしまったけれど、安物だし、平気よ」

「そうですか……」

 月影香子は申し訳なさそうにしながらも、どこか安心した様子で肩の力を抜いた。

「さてと」

 水谷紗夜はやや大きめの声を上げると、こたつの上に右手を伸ばした。そして何かを掴んで立ち上がり、ベッドに座ったままの月影香子に体を向けた。

「ごめんなさいね。勝手にルーズリーフとボールペン借りてしまったけれど、これに、明日の任務について簡単に書いておいたわ」

 水谷紗夜は月影香子に一枚の紙を差し出す。

 月影香子はそれを両手で受け取り、目を向けた。室内灯を点けていないので暗くてよく見えないが、それには文字や図が書かれているのがわかる。

「それをどう受け取るのかは香子ちゃんにお任せするわね」

 水谷紗夜はそう言うと月影香子に背中を向けて出口へと歩き始めた。月影香子は顔を上げて水谷紗夜に視線を移すが、何も言わない。

 出口のドアノブに手をかけた水谷紗夜は、思い出したかのように後ろへ振り返った。

「そうそう、借りた鍵はこたつの上に置いてあるから。それじゃ、おやすみなさい」

 彼女はそう言うと部屋から出ていってしまった。

 扉が閉まると、月影香子は静かに目線をルーズリーフに向けた。

「どう受け取るかはあたし次第、ね」

 彼女はそう呟くとベッドから下りて立ち上がり、ゆっくりとした足取りで玄関に向かい、壁に設置されているスイッチを押した。

 部屋が明るくなり、視界も明瞭になる。

 月影香子は部屋の中央まで戻ると、こたつに向かいながらベッドに腰を下ろした。右手に持っているルーズリーフを胸の前までもっていき、それに目を通す。

「明日午後八時から、レベル8、四か所、悪霊の溜まり場を潰す。人は……関わってこないみたいね。よかったわ。それで、場所は、全力で飛べば二時間。余裕をもって三時間ってところね。学校が終わってからでも間に合うわ」

 月影香子はため息をつく。

「学校は休まなくても大丈夫みたいね。よかった」

 彼女はベッドに両手をつけて天井を見上げた。目を閉じて静かに息を吐く。そうやって落ち着いていると、月影香子の腹から音が鳴った。

 彼女は目を開いて両手を腹に添える。ルーズリーフは右手に持ったままだ。

「さすがにお腹減ったわね」

 息を吐きながらそう漏らすと、月影香子はこたつにルーズリーフを置いて立ち上がった。少しふらつきながらも、彼女はキッチンに向かっていく。

「一昨日の晩から何も食べてないからきついわね。明日もハードだし、今日のうちにたくさん食べておきましょ」

 月影香子は笑みを浮かべながら、大量の食材が入れられている冷蔵庫を開けた。




 三月十四日、月曜日。

 日の出から間もない頃、月影香子はベッドの上で目を覚ました。赤色ジャージに白色の長袖シャツの彼女は、散髪用のはさみとくしを持って鏡の前に立つ。絶食中はほとんど伸びていなかった彼女の髪の毛だが、昨夜にたらふく食べたせいか、前髪は長いものでは顎を通り過ぎるまで伸びている。後ろの髪もふくらはぎまで伸びていた。

 月影香子は髪を切ろうとしてハサミを前髪に持っていくが、そこで爪が伸びすぎてカットに邪魔だということに気づく。彼女は面倒くさそうに息を吐くと、小物入れから爪切りを持ってきて、爪を切った。

 爪の後は髪の長さを整える。髪のボリュームを落とした後、後ろの髪は長いものでひざの裏まで。前髪は切りそろえない。

 髪の調整が終わると、月影香子は床に散らばった黒髪をほうきとちりとりで回収し、ゴミ箱に入れる。その後はシャワーを浴びてドライヤーで髪を乾かし、はちみつをたっぷりかけた食パンを一斤平らげ、制服に着替える。荷物の準備を終えると、彼女は部屋を出て一人で学校に向かっていった。

 そして学校では誰とも会話せず、やがて昼休みの開始を告げるチャイムが鳴った。学年最後のテストが終了し、出席日数を満たすためだけのものとなった授業は、月影香子にとっては退屈極まりないものだった。

 ようやく四限の授業が終わる。

 月影香子は椅子に浅く腰かけて背もたれに体重をかけ、スカートのポケットに両手を入れた状態で机に視線を落としている。教科は英語で、板書もしっかりと取ってある。ぼんやりと過ごすよりは授業に耳を傾けたほうが暇つぶしになった。

 教壇に立っている女性教師は、チャイムが鳴り終わると咳払いをして教室中央に目線を移し、口を開いた。

「では、今日はここまでにしましょう。明日は次のページをやりますから、しっかりと予習しておいてください。いいですね?」

 まだ三十代だと思われるその女性教師は月影香子に視線を向ける。

 月影香子は下を向いたまま沈黙を保っていた。

「あなたのことですよ、月影さん」

 そんな彼女に向けてやや怒り気味な口調で言葉をかける女性教師。月影香子は眉間にしわを寄せ、頭を上げて女性教師を睨みつけた。

 そしてだるそうに力を抜いて両目を閉じる。

「はーい」

 月影香子は反抗的な態度で返事をすると、両目を開けてノートに視線を落とした。女性教師は落胆したようにため息をつくと、

「では、授業を終わりましょう。学級委員の人、号令をお願いします」

 気を取り直したように声色を変えて姿勢を正した。

「起立!」

 教室に男子生徒のはっきりとした声が響き渡る。

 クラス全員が椅子を引いて立ち上がった。月影香子も遅れて腰を上げる。

「礼!」

「終わりましょう」

 学級委員の張りのある号令に続いて生徒たちはだらけた礼をし、それぞれの行動に移り始めた。教室内は一瞬にして喧騒に包まれ、昼休みの到来を感じることができる。

 号令が終わると、女性教師は荷物を片付けて教室を出ていった。月影香子は彼女の背中を見送り、姿が見えなくなってから乱暴に腰かけた。

「ああ、うっとうしいわね、ほんと」

 月影香子は息を吐きながら呟く。

 昨夜に充分な休息をとったため彼女の調子は回復しているのだが、気持ちは学校には向いていなかった。避けられない戦いまで残り一週間を切ったのだ。彼女の頭の中は退魔師関連のことでいっぱいだった。

「月影って、最近態度悪いよねー」

「一か月前から毎日学校に来るようになったけど、なんか不良っぽくなったよね」

 月影香子が天井を仰ぎながら目を閉じていると、騒がしい教室のなか、窓際でたむろしている女子生徒たちの会話が耳に入ってきた。

 どうやら女子四人組のおしゃべりらしい。

 月影香子は耳を傾けてみる。

「いや、あいつ、中学の頃はガチの不良だったらしいよ。別の高校の友達に聞いたんだけど、人を気絶するまで殴るなんて当たり前だったみたい。先輩でも先生でも、少しでも気に障ったらヤバイことになってたってさ」

「うそ!? 知らなかった」

「そりゃ、あいつと同じ中学だったのって高原じゃ一人しかいないらしいし。そいつは月影と仲良かったみたいだから、気を使って何も言わないでくれてるんじゃない?

「てか、月影って、そんなのでよく高原に入れたよね」

「ただの根暗でサボりかと思ったら、そんなヤバイやつだったなんて。人ってわからないもんだよねー」

 月影香子は歯ぎしりをして左後ろに顔を向けた。陰口を叩いている女子四人組をそのまま睨み付ける。

「ひっ」

 最初に気づいた女子生徒がおびえた様子で声を上げ、残りの三人も月影香子の視線に気づくと咄嗟に口を閉ざした。

 彼女たちの会話が止まったことを確認すると、月影香子は目を閉じて息を吐き、前を向いて席を立った。昼休みの喧騒の中、女子生徒四人組だけではなく、教室内の他の生徒の視線を背中に感じながら、月影香子は教室を後にした。

「……さっきの月影、めっちゃ怖かった」

 四人組のうち、一人の生徒が沈黙を破った。

「てか、聞こえてたんだ。地獄耳にもほどがあるよね」

 それに続いて他の三人も口を開いていく。

「あいつ、絶対人殺したことあるって」

「月影には、あんまり関わらない方がよさそう」

 その女子四人組に、再び静寂が訪れた。



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