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ムーン・ライト  作者: 武池 柾斗
第四章 悪霊使い編
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第二十二話 諦観①

 三月十四日月曜日。

 春の訪れを感じさせる頃。比較的暖かい地域に属するこの圭市では、梅の花も咲き終わり、次は桜の開花を待つ時期になっていた。

 冬から春へと変わり、別れと出会いの季節がやってくる。

 そのようななか、高原高校の一年生である山坂浩二は、山坂宗一と月影さくらの襲撃まで残り一週間しかない人生をどのように過ごすかを考えていた。しかし、無気力が原因でどこにも行こうとは思えず、結局は惰性で学校に通うしかなかった。

 山坂浩二は机に座って黒板を眺めている。

 教壇に立っているのは数学教師の谷口正也。

 今は四限の数学の授業中で、谷口正也は隣の教室にまで聞こえていきそうなほどの声で解説をしながら教科書の例題の解答を板書していく。

 山坂浩二は机の上に教材を広げるだけで、ノートは取らずにひたすら前を眺める。黒板よりも高い位置に掛けられている時計にふと目を向けると、あと三分ほどで昼休みに突入する時刻となっていた。

「最後に、ここに代入すれば、ほら、ちゃんと答えが出るよな」

 板書を書き終えた谷口正也は右手にチョークを持ったまま、左腕の腕時計を見て、

「あー、そろそろ時間か」

 と呟き、教壇に置いておったケースにチョークを入れた。

 白い粉で汚れた両手を数回軽くはたき、彼は黒板に背を向ける。

「じゃあ、時間が中途半端だから今日はここで終わりにするぞー。では、今日のお宿題はー」

 谷口正也は、おどけた調子で教科書を数ページめくっていく。練習問題が用意されているページが見つかると、彼はその中身を見つめ、わずかな沈黙の後に口を開いた。

「教科書の練習問題の6と7と8なー。今日やった例題とほとんど同じだから、俺がやったのと同じ方法で解いてくれ。じゃあ、チャイム鳴ってないけど、今日はここで終わりー」

 教科書が勢いよく閉じられる。

 その音で教室内の空気が一気に和らいだ。

 まだ正規の終了時刻ではないので席を立つ生徒は見られないが、教材を片付けたり、付近の生徒と小声で話したりしている生徒が大半だ。

 山坂浩二も授業が終わったことに安堵していた。

(今日は珍しく、終わるのが早かったな。いつもは三分くらいオーバーしてるのに)

 目を閉じて息を吐く。

 山坂浩二が目を開けると、教壇に立っている谷口正也がこちらに目を向けてくるのがわかった。何事かと思って少し身構えてしまう。

 そんな彼の不安に応えることもなく、谷口正也は何気ない様子で、

「あ、そうそう。山坂と柳川は昼飯食ってからでいいから、職員室に行ってくれ。中林がお前らを呼んでたから」

 と告げた。

「あ、はい」

「わかりました」

 拍子抜けしたように返事をする山坂浩二と、暗い声で反応する柳川友子。窓際の二人の様子に谷口正也は眉をひそめたが、すぐに表情を緩めた。

「じゃ、そういうことで」

 谷口正也はそう言うと、教科書とチョークケースを持って教室から出ていってしまった。彼の姿が見えなくなったところで授業終了を告げるチャイムが鳴った。

 それを皮切りに、教室内が騒がしくなる。荷物から弁当を取り出す者、友人のもとへ寄っていく者、教室から出ていく者。みな、それぞれの昼休みを過ごすのだろう。

 肝心の山坂浩二はというと、突然の呼び出しで放心状態となっていた。

 柳川友子は背もたれに右肘をのせ、そんな山坂浩二に右半身を向けた。気力を感じられないその表情で、彼女は口を開いた。

「ねえ、山坂。アンタ何かした?」

 話しかけられたことが意外だったので、山坂浩二はわずかにまぶたを上げてしまう。

「いえ、何も。柳川さんは何か心当たりはありませんか?」

 山坂浩二は落ち着いた声で答えた。

 彼は内心、女性を前にしても緊張しないでいられる自分に驚いていた。だが、山坂浩二はそれを表には出さずに柳川友子との会話を続けていく。

「ないよ」

 柳川友子はあきれたように息を吐いた。

「いったい何の用なんですかね?」

「さあ? とりあえず行ってみればわかるんじゃない?」

「そうですね」

 山坂浩二のまぶたがやや下がる。山坂浩二は精神的に、柳川友子は肉体的に弱っているため、二人の声に力がない。

 そして、二人とも無言となってしまう。

 数秒間の沈黙の後、柳川友子は背もたれから右肘を離した。

「それじゃあ、アタシはお昼にするから」

 彼女はそう言うと山坂浩二に背中を向けてしまった。そのまま机の右横に掛けてあったリュックのチャックを開け、中からコンビニの惣菜パン三つとペットボトルのお茶を取り出して机の上に置いていく。

「あ、はい」

 山坂浩二は少し遅れて返事すると、机の引き出しから購買の弁当を取り出した。白い発泡スチロールの容器で、輪ゴムでフタと割り箸が留められている。これは昼食仲間の永山と村田の二人と共に三時限目の休み時間にあらかじめ買っておいたものだ。

 混雑している昼休みよりも、短い休み時間のうちにわざわざ買いに行った方が手間を省けるのだ。購買自体は三限から開いている。

 柳川友子の後頭部を眺めながら、山坂浩二は立ち上がった。肩にぎりぎりかからないほどの黒髪だが、以前よりも潤いが少ない。

 彼女のガタは髪の毛にまで影響を及ぼしているようだ。

 だが、山坂浩二はそれがまるで他人事であるかのように、それ以上は関心を示さず、食事を開始した柳川友子から視線を逸らした。彼は弁当を持ち、教室中央の永山の席に向かっていった。

「よう、山坂。お前、いったい何したんだ?」

 自分の席で弁当を食べている永山が山坂浩二に尋ねる。そのくせ毛と、にやにやした表情に、山坂浩二はなんとなくあきれてしまう。

「さあな」

 ため息交じりに言葉を返す山坂浩二。

 永山の向かい側に座っている村田が、そんな山坂浩二に向けて悪い笑みを浮かべながら声をかける。

「中林に呼ばれるなんて、相当やばいかもしれねえぞ」

「なんでだ? ただの雑用かもしれないでしょ」

 永山と似たような容姿の村田の言葉を、山坂浩二は適当にあしらう。そして永山の隣の席から椅子を無断で拝借し、重い腰を下ろした。

「そうかもしれないけどよ。でもな、中林って前の学校じゃ生徒指導の汚れ役だったらしいぜ。生徒の行いを正すためなら手段を選ばなかったって噂だ。中林は俺たちが入学する一年前に高原に移ってきたんだけど、前の学校の畑山高校では今や中林は伝説になってるみたいだぞ」

 村田はいつになく真剣な表情になり、山坂浩二に力説する。

「確かに、あいつ見た目は怖いもんなあ。でも、中林って高原高校じゃそんな目立ったことしてないよな?」

 永山は箸を止め、右手に持ったその割り箸を村田に向けた。

 その指摘を受けた村田は神妙な面持ちで目を閉じて腕組みをする。

「する必要がないからだろ。この学校は自称進学校だから、あまりする必要のない生徒指導よりも、需要の高い教科指導のほうが大変だしな」

 永山と村田の会話劇にうんざりして、山坂浩二は二人の間に割り込んだ。

「おい、お前ら。人の不安を煽るな。それに村田。お前はなんで他校のことをそんなに詳しく知ってるんだよ」

「そりゃまあ、畑山には中学の同級生がいるからな。この前一緒に遊んだ時に聞いたんだ」

「なるほどなあ……」

 村田の返答に納得する山坂浩二。ただ、やっぱりどうしても気になるものは気になってしまい、自然とうつむいてしまう。

「ま、そんなに気にするなって。それに、柳川さんも一緒なんだろ? だったら大した用事じゃねえって」

 永山は弁当を左手に持って山坂浩二を励ますように言った。

 山坂浩二は顔を上げ、永山の顔をわずかに眺めた後、

「ああ、そうだといいな」

 と息を吐きながら、不安を隠せない様子で呟いた。

 その後、山坂浩二は弁当を開けて昼食を開始した。


 弁当を完食し、他愛もない会話をしている永山と村田を眺めながらあきれたような笑みを浮かべている山坂浩二のもとに、柳川友子が歩み寄ってきた。

「山坂、そろそろ行こう」

 その声に三人は反応し、山坂浩二は椅子に座ったまま後ろを振り向く。柳川友子は惣菜パンを完食したようで彼女の机の上には何もなかった。柳川友子の表情は曇っていて、右手にはパンの袋が握られている。

「あ、はい、そうですね」

 山坂浩二は空の容器を右手に持ってゆっくりと立ち上がった。椅子を隣の席に戻し、彼は永山と村田に力なく目を向けた。

「じゃあ、俺らは行ってくるから」

 山坂浩二がそう言うと、柳川友子は教室の出口に向かって歩き出した。山坂浩二もそれに続く。

「おう、行ってこいよー」

「無事に帰ってくるんだぞー」

 山坂浩二の背中に永山と村田の声が投げかけられるが、彼は何も反応しなかった。応じる気力もなく、柳川友子が出口付近のゴミ箱にパンの袋を入れているのを見て、山坂浩二もゴミ箱に弁当の容器を燃えるゴミとして投げ入れた。

 扉は開いていたので、二人はそのまま教室の敷居を跨いだ。

 柳川友子の後ろを山坂浩二はついていく。二階の廊下を歩き、中央階段を下りて職員室のある本校舎一階へと足を踏み入れる。

 そこで、教室を出てからは無言だった柳川友子が歩みを緩め、右半身を後ろに向けて山坂浩二の顔に視線を移した。

「ねえ、山坂」

 その名を呼ぶ声は弱々しい。

 彼女と同じように無言だった山坂浩二は、覇気のない表情のまま口を開いた。

「なんですか?」

「アタシたち、なんで呼ばれたんだろうね」

 それは山坂浩二が訊きたいことだった。ただ、柳川友子も山坂浩二と同様に今回のことに関して不安を抱いているようなので、山坂浩二は当たり障りのない言葉を選んだ。

「わかりません。でも、たいした用事じゃないと思います。たぶん、雑用か何かだと思いますよ。例えば、どこかから荷物を職員室に運ぶとか」

 それは、山坂浩二自身を落ち着かせるための言葉でもあった。

 柳川友子は山坂浩二から目を離し、前を向いてため息をついた。

「雑用か。だったら、どうしてアタシたちなんだろうね。別に他の人でもいいじゃん。今日の日直とかにさ」

(確かにその通りだよな……)

 山坂浩二は彼女の後頭部を眺めながら鼻で息を吐いた。

「ま、まあ、誰でもよかったんですよ。それで、運悪く僕らが選ばれたんじゃないですか?」

 自分の不安を和らげるために、山坂浩二はそう言って軽く笑みを作った。

 柳川友子は両手を高く挙げて体を伸ばし、大きなあくびをする。

「迷惑だよね、本当に」

 彼女は眠たそうにもう一度あくびをした。

「そう、ですね」

 返答を考えるのにも疲れてきた山坂浩二は、適当に相槌を打つ。それから二人は再び無言となった。





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